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京都御苑の「出水の小川」と里桜
京都御苑の南西部、大きな樹木のある緑豊かな一角に、「出水の小川」と名付けられた全長100mほどの小川があります。
ここは、市民が水にふれあう場として整備されたところで、小川には井戸水をろ過して循環させた水が緩やかに流れています。
このあたりでは夏になると水遊びをする子供達の姿が見られます。
「出水の小川」のまわりには、里桜という桜の季節の最後を飾る遅咲きの八重桜が植えられ、4月末でもまだ十分に見ごたえがありました。
水辺には山吹の黄色い花が咲き、あたりにはのんびり散策する人たちの姿が見られました。
1 場所↓
2 「出水の小川」について
<説明板>
・明治に開かれた琵琶湖疏水を三条蹴上で分水した専用水路として、御所には最近まで「御所水道」が引かれていた。
・昭和56年、そのうち御所まわりの流路「御溝水」から導水して作ったのが「出水の小川」である。
・長さ約110m、深さ約20cm。川底には苑路と同じ琵琶湖安曇川産の石を敷いている。
・平成4年の御所水道閉鎖により、今は井戸からの地下水を循環ろ過して流れを維持している。
3 里桜と山吹の花
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京都の桜2010
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「清荒神」と八重桜
「清荒神」は荒神口通を河原町から西へ向かって50mほどのところにある、天台宗の寺院で、正式名称は「護浄院」といいます。
本尊の「三宝清荒神尊」は、火の守り神であり、「火の用心」「災難除け」の神様として、京都では昔から多くの町家でおくどさん(かまど)の上に、清荒神の「火の用心」のお札を貼って、お祀りしてきました
今でも節分の日には、境内は「火の用心」や「厄除け」のお札を求める参詣者で賑います。
また、境内の尊天堂内に安置される福徳恵比須神は、「京の七福神」の福禄寿として広く信仰されています。
4月末に訪れた時、境内の八重桜が満開ピーク過ぎといったところで、地面には花びらがじゅうたんのように散り敷いていながら、まだまだ花も残っていました。
なお、「清荒神」から「荒神口」の地名が起こったといわれています。
2 境内
(1)山門
①北側(荒神口通に面した山門)
②西側
(2)本堂
本堂は流造の神社風で、その前に石鳥居があり、かつての神仏習合の時代を感じさせる。 ・扁額
(3)境内東側にある南北に長い建物「尊天堂」
北から順に弁才天、福禄寿、洛陽三十三所観音巡礼第三番札所になっている准胝観音菩薩は、「仏母准胝尊」ともいわれる慈悲深い観音菩薩。慈覚大師作の不動明王、そして大聖歓喜天、薬師如来が祀られている。
①弁才天 ②福禄寿
尊天堂内に安置される福徳恵比須神は、もと禁裏(京都御所、堂上家)に奉安されていたが、明治維新に際し護浄院へ移された。
「京都七福神」の一つ。
②准胝観音
③不動明王と大聖歓喜天
(4)光格天皇えな塚
(5)延命地蔵
(6)手水舎
参拝者のための清浄水「無垢の井」
(7)寺務所
「厄除け開運の火箸」
3 境内の八重桜
4 本尊:「三宝清荒神尊」
火の守り神であり、「火の用心」「災難除け」の本尊として人々の信仰をあつめている。荒神尊は仏・法・僧の三宝を守護するところから三宝清荒神尊と名づけられた。 5 祈願絵馬
6 沿革
<駒札> ・今から1200年ほど前に、光仁天皇の皇子である開成親王が仏門に帰依し、自ら清三宝大荒神尊を作ってお祀りしたのが始まりで、当初は攝津勝尾山の清荒神にあった。
・その後、後小松天皇の勅により僧乗厳が醒ヶ井高辻(現在の下京区)の地に勧請し、始めて清荒神といわれた。
・その後、慶長5年(1600)、この地に移され、後陽成天皇自作の如来荒神尊七体を合わせて祀って、国家安泰、五穀豊穣、火難即滅、日常生活の平穏を祈願し、元禄10年(1697)に護浄院と院号を賜り 、今日に至っている。
・一般の家庭ではカマドの上に祀られ、火の守護神とされている。
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宇治川の流れと川に沿って咲き誇る桜
1 宇治川について
地図を開いて宇治川の元をたどってみると瀬田川になり、さらにその源は琵琶湖になります。
また、宇治川の下流は、桂川、木津川と合流し、淀川と名前を変えて、大阪湾に流れ込んでいます。
しかしながら、河川法という法律によれば、琵琶湖を水源とする淀川水系全体としてとらえており、戦後、淀川水系でも台風や集中豪雨による記録的災害に見舞われたことから、国は淀川水系全体の改修基本計画をまとめ、その一環として、天ケ瀬ダムの建設が行われ、昭和39年に完成しました。
このダムが出来る前は、宇治川は奇岩や景勝地などがある急流だったそうですが、鳳凰湖という名前のダム湖ができ、奇岩などの多くは水没してしまったそうです。
2 中の島
宇治川の中洲である「中の島」には二つの川洲があり、上流側が塔の島で、下流側が橘島で、小さな橋によって結ばれています。
塔の島には、重要文化財に指定されている「十三重の塔」があります。
3 十三重石塔
高さ約15m、現存する日本最大の最古の石塔。もとは、鎌倉時代に奈良西大寺の高僧の叡尊によって、宇治川での殺生の罪を戒め、供養塔として建立されたものと伝えられています。 その後、洪水のために倒壊と修復・再興を繰り返し、宝暦6年(1756)の大洪水による流失以降、約150年間、川中に埋没していたそうです。
明治40年(1907年)より再興に向けた工事が行われ、川床の泥砂に埋もれた巨石の所在確認を第一歩に発掘に着手、工事が行われ、現在の姿が再現されました。
4 宇治川沿いの桜の名所
宇治橋から平等院堤、中の島にかけて、また、対岸の川岸にも多くの桜が植えられており、春は桜まつりでにぎわいます。
<桜のようす>
・宇治橋の上からの眺め
・宇治橋南詰から
・中の島から
・宇治川先陣の争いの碑
・宇治川しだれ
・宇治川の岸辺の桜
・浮島十三重塔
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龍安寺の石庭と鏡容池の桜
龍安寺は、洛西の衣笠山のふもとにあり、方丈の南側にある枯山水の石庭で世界的にも知られる臨済宗妙心寺派の寺院です。
宝徳2年(1450)に室町幕府管領の細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受け、妙心寺の義天玄承を開山として、大雲山龍安寺と称して創建されました。その後 応仁の乱による焼失後、長享2年(1488)勝元の子政元によって再興されました 。
ここは「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。
境内の桜は鏡容池の周囲や庫裏に向かう参道沿い、石庭の向かい側や桜苑など見所が沢山あり、秋の紅葉とともに人気の花見の名所でもあります。
2 境内のようす
(1)駐車場から山門へ
・駐車場周囲のしだれ桜
ここだけでも見応えがあり、花見が楽しめそう。
(2)山門から庫裏へ
拝観順路に沿って、鏡容池のわきを通り、方丈・石庭拝観の入口になっている庫裏へ向かう。
・山門
・参道の桜
・庫裏への石段
(3)方丈南側の枯山水庭園「石庭」(史跡・特別名勝)
①特色
・二方を油土塀で囲み、東西30m、南北10m余の長方形の白砂の庭に15個の石を5・2・3・2・3個づつに配置したもの。
・15個の石は、庭をどこから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないようになっているといわれる。
・築地塀の北を高く、南を低くして、遠近法の手法で狭い空間を広く見せている
②石庭と桜
石庭のそばで桜が優雅に咲いているようすは素晴らしい。
・2010.4.13撮影
(4)方丈の裏にある「知足の蹲踞」とわび助椿
①「知足の蹲踞」
・徳川光圀の寄進と伝えられている。
・実物は茶室蔵六庵の露地(非公開)にあり、方丈裏にあるのは複製。
・ここの蹲踞には「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれている。
・水を溜めておくための中央の四角い穴が「吾唯足知」の4つの漢字の「へん」や「つくり」の「口」として共有されている。
②わび助椿
(5)方丈を出て、勅使門の石段下を通ってふたたび鏡容池畔に
①勅使門
②鏡容池
・鏡容池は寺の南側に広大に広がり、周囲は回遊式庭園になっている。
国名勝に指定されている。
・円融天皇の御願寺である円融寺の跡地にあたり、その園池といわれ、徳大寺家によって造園されたものと伝えられている。
<鏡容池のまわりの桜>
3 墓地と御陵
(1)龍安寺七陵
龍安寺の背後に、一条・堀河・後三条・後冷泉・後朱雀の各天皇陵と後朱雀天皇の皇后禎子内親王陵、後円融天皇火葬塚がある。 ・後三条・後冷泉・後朱雀天皇陵
このうち、一条天皇陵・後堀河天皇陵からの京都市街地や大阪方面の眺めはまさに絶景。御陵参拝だけであれば無料。
(2)細川勝元の墓
(3)義天玄承の墓
宝徳2年(1450)に龍安寺を開創。享徳2年(1453)には大徳寺に住した。
4 非公開部分「西の庭」
・開基細川勝元の木像を祀る細川廟などがある。 ・茶室蔵六庵がある。 ・蔵六庵には、徳川光圀の寄進と伝える「知足の蹲踞」の実物がある。 5 沿革
<説明板>
・宝徳2年(1450)に足利将軍の管領職にあった細川勝元が、徳大寺公の山荘を譲り受け、妙心寺の義天玄承を迎え創建。
・まもなく応仁の乱で消失するが、勝元の子、政元によって再興。 ・明応8年(1499)には方丈が建立され、石庭もこのときに築造されたと伝える。 ・その後、寛政9年(1797)に、方丈、開山堂、仏殿を火災で焼失。 ・現在の方丈は、塔頭・西源院の方丈を移築したもの。 ・平成6年(1994)に「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録。
6 練習問題
(1)臨済宗妙心寺派。山号:「大雲山」。本尊:釈迦牟尼仏。 (2)沿革
( 1 )が妙心寺の( 2 )を招き宝徳2年(1450)に創建。玄承の師の日峰宗舜を勧請開山とした。 (3)枯山水の石庭
「( 3 )」、「( 4 )」、「七五三の石組」、「心字の象形」などと呼ばれ、白砂だけを敷き詰めて15個の石を配する。作者、作庭年代などは不明。二方を油土塀で囲み、東西30メートル、南北10メートル余の長方形の白砂の庭に15個の石を5・2・3・2・3に配置したもので、一般に、「( 5 )」の名で知られている。国の史跡及び特別名勝。 (4)茶室「( 6 )」
この前に、水戸光圀が寄進したという「( 7 )」の手水鉢が置かれている。 (5)( 8 )の墓
鏡容池北側にある。 (6)世界文化遺産に登録。
【正解】
1 細川勝元 2 義天玄承 3 虎の子渡し 4 五智五仏 5 虎の子渡し 6 蔵六庵 7 吾唯足知 8 真田幸村 |
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宇治の恵心院のしだれ桜
京阪宇治駅から通園茶屋の脇の道を宇治川に沿って歩いていくと、宇治神社の鳥居を過ぎて朝日焼の手前に、恵心院へ向かう緩い坂道の参道があります。
参道は右に折れ、突き当りに表門とその向こうに本堂が見えます。
恵心院は弘仁13年(822)、弘法大師が開基した真言宗智山派に属する古刹で、戦火による荒廃の後、寛弘2年(1005)、比叡山の恵心僧都(源信)によって再興されました。恵心院という名はそれにちなんでいます。
江戸時代、淀藩主永井氏の庇護を受けて伽藍が整備され、豊臣秀吉,徳川家康らの庇護を受け繁栄したと伝えられています。
境内は四季折々の花がまるで植物園のように咲き、参拝者の目を楽しませてくれます。
今年もしだれ桜がとてもきれいに咲いていました。
1 場所↓
2 参道と山門
3 本堂
4 しだれ桜
・三春の滝桜
5 沿革等
・弘仁13年(822)、弘法大師が開基した真言宗智山派に属する宇治の古刹。
・その後の戦火で荒廃したが、寛弘2年(1005)、比叡山の恵心僧都(源信)によって再興された。恵心院という名はそれにちなんでいる。
・江戸時代、淀藩主永井氏の庇護を受けて伽藍が整備され、豊臣秀吉,徳川家康らの庇護を受け繁栄した。
・現在は、永禄2年(1559)造営の本堂及び表門だけが残っている。
・本堂には平安時代後期に作られた木造十一面観音像が安置されている。
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