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建勲神社と船岡山と桜
建勲神社は京都市北区にある船岡山の山上にある神社であり、明治2年(1869)、明治天皇の勅命により織田信長の偉勲を称え、信長を祭神として祀る神社として創建されました。
なお「建勲」は正式には「たけいさお」と読みますが、地元では「けんくん」といい、多くの人がこの神社を親しみをこめて「けんくんさん」と呼んでいます。
建勲神社のある船岡山は標高111.7mの山で、平安京造営の折に、都の東西南北を守る四神(四神相応)のうちの北の神、玄武の山とされ、北の基点として、ここから南に向かって朱雀大路が造られたといわれています。
清少納言にもゆかりが深く、応仁の乱では西軍の陣地となったことから周辺を西陣と呼ぶようになったと伝えられています。
「船岡山」は国の史跡に指定されています。また、京都府から「京都の自然200選」にも指定されています。
桜の咲く境内は、まさに春爛漫という感じで、船岡山からの眺望は素晴らしいものがあります。
なお、地元では、ここは五山送り火の観賞地としても知られています。
1 場所↓
2 建勲神社
①沿革
・明治2年、明治天皇が織田信長の偉勲を称え、船岡山中腹に創建。
・明治43年、社殿を山腹から山頂に移設。
②境内と桜のようす
・神社への上り口に建つ大鳥居
・神石「大平和敬神」への石段と桜
石段を登った参道の横、旧本殿の跡に神石が立っている。
・参道
・狛犬
・狛犬と拝殿
・本殿
・社殿のまわりの桜
※末社 義照稲荷社
古くより秦氏の守護神として、今日の西陣織の祖神となっている。
3 船岡山
①標石
②山頂
桜がきれい。
③「左大文字」の眺望
※船岡山の歴史について
フリー百科事典「ウィキペディア」には、次のような記述がある。
・平安京の造都に際して船岡山は都の北の基点となったとされる。
・古来、船岡山は景勝の地であった。その美観が尊ばれ、清少納言も『枕草子』231段にて「岡は船岡」と、思い浮かぶ岡の中では一番手として名前を挙げている。
・一方では都を代表する葬送地でもあった。
・応仁元年(1467)、応仁の乱の際に西軍を率いる備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山に山城(船岡山城)を建設し立てこもった(西軍の陣地となった船岡山を含む一帯はそれ以来「西陣」の名で呼ばれるようになる)。
・織田信長の死後豊臣秀吉が正親町天皇の勅許を受け、船岡山に織田信長の廟を建設する。
・明治2年(1869)明治天皇の宣下により、改めて船岡山に信長を祭る神社が作られることとなり、明治8年(1875)建勲神社が創設される。
・昭和6年(1931)には山全域が風致地区に指定された。
3 「船岡祭」
10月19日の大祭。祭神・織田信長が永禄11年(1568)、初めて入洛した日を記念したもの。神殿祭のあと舞楽奉納があり、信長公ゆかりの宝物などの公開、信長公ゆかりの敦盛の舞や火縄銃の実射等が奉納される。
4 寺宝
長着用の紺糸威胴丸、桶狭間の合戦の際の義元左文字の太刀、太田牛一自筆本の「信長公記」などの重文のほか、信長ゆかりの宝物を多数有する。
5 京都検定出題歴
18年度2級、19年度3級に出題。
6 練習問題
(1)祭神「( 1 )」。
(2)沿革
・天正10年(1582)の本能寺の変の後、( 2 )が正親町天皇の勅許を得て、船岡山を信長の霊地と定めたことが始まり。
・明治2年(1869)、明治天皇の命により( 3 )を祭神とした神社を創建。
・明治8年、別格官幣社に列し、社地を( 4 )に得て社殿を新営。
・明治13年、信長の子( 5 )も祀った。
・明治43年、船岡山中腹から山上へ社殿を移築。
※船岡山は平安京造営の際、都の東西南北を守る四神のうちの北の神、( 6 )の山として北の基点とされたという。また、平安時代は大宮人の清遊の地とされ、応仁の乱の古戦場としても名高く、西軍の砦が築かれたところでもある。国の史跡で眺望絶景。大文字五山送り火の観賞地。10月19日に( 7 )大祭が行われる。
【正解】
1 織田信長・信忠
2 豊臣秀吉
3 織田信長
4 船岡山
5 信忠
6 玄武
7 船岡
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京都の桜2010
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平野神社の桜園と満開の桜
平野神社は平安京遷都にともない、平城京で祀られていた今木神・久度神・古開神・比売神を勧請したのが始まりと伝える神社です。
歴代の天皇の崇敬も厚く、また、源氏、平氏、大江氏、菅原氏などの公家の氏神にもなりました。
本殿は寛永年間の建築で、「比翼春日造」とも「平野造」とも呼ばれ、拝殿は「接木の拝殿」と呼ばれています。
平野神社には名木、珍種など約50種類400本の桜樹があり、古来、「平野の夜桜」と呼ばれ、また京都で有数の花見の名所として親しまれてきました。
かつて、京都御所の御門であった南門から桜園に入り、満開の桜園のようすをまとめてみました。
1 場所↓
2 平野神社の南門
<説明板>
・この門は、記録に「慶安4年(1651)御門を建つ。禁裏の旧門を申請ふ。」とあって、御所の御門をいただいた。
・もと表参道の正面(現東鳥居)にあったが、昭和17年8月、南門としてここへ移設した。
・南門越しに見る桜園
3 桜園の桜
※平野神社と桜
平野神社の神紋は桜で、花山天皇がお手植えされてから桜の名所として名高く、江戸時代には平野の夜桜として庶民にも親しまれた。
・桜園
名木、珍種など約50種類400本の桜樹がある。
4 拝殿の脇のしだれ桜
5 楼門わきの桜
楼門をくぐると、満開の白い桜の花が見えた。
6 沿革
<駒札>
・延暦13年(794)、桓武天皇による平安京遷都にともない、平城京で祀られていた今木神・久度神・古開神・比売神を勧請したのが始まり。
・天皇家の崇敬も厚くそれに伴い、源氏、平氏、大江氏、菅原氏などの公家の氏神にもなった。中世には二十二社の一社となった。
・応仁の乱をはじめたびたび社殿が焼失し、そのたびに再建を繰り返し、天文法華の乱によって、社殿および社領は完全に荒廃したといわれる。
7 現在の社殿
①本殿
寛永年間の造営。一間社春日造の社殿を4つ並べ、2殿づつ、合の間で連結するという独特の様式で、「比翼春日造」とも、社名より「平野造」とも呼ばれる。重要文化財に指定されている。
②拝殿
東福門院が寄進したもので、接木の拝殿といわれ、三十六歌仙の額は海北友雪による。
8 京都検定の出題例(18年度3級)
【問1】比翼春日造の本殿をもち、桜の名所として有名な神社はどこか。
(ア)北野天満宮 (イ)平野神社 (ウ)梨木神社 (エ)大田神社
【正解】(イ)
9 練習問題
(1)祭神:今木神、久度神、古開神。相殿に比売神。
(2)沿革:平城京の田村後宮から長岡京を経て、平安遷都のときにこの地に移され、以後朝廷に崇敬され、源氏・平氏をはじめ諸氏の氏神としても崇められた。
(3)本殿:寛永年間の再建で重文。( 1 )造、あるいは( 2 )造とも呼ばれる。
(4)拝殿:( 3 )が寄進したもので、接木の拝殿といわれる。三十六歌仙の額は海北友雪による。
(5)境内の桜園:名木、珍種など約50種類400本の桜樹がある。( 4 )天皇がお手植えされて以来、桜の名所として名高く、江戸時代には平野の( 5 )として庶民にも親しまれた。
【正解】
1 比翼春日
2 平野
3 東福門院
4 花山
5 夜桜
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建仁寺の桜
四条通から祇園花見小路を南に下がると、突き当りに建仁寺があります。
ここは臨済宗建仁寺派大本山であり、鎌倉時代の建仁2年(1202)、臨済宗の開祖である栄西禅師により中国の百丈山を模して創建されました。
その後、禅宗寺院として確立し、室町時代には京都五山の第三位を占めるに至りましたが、応仁の乱で焼失した他、たびたびの火災により、創建当時の建物は残っておらず、現在の建物の多くは、江戸時代以降に復興されたものです。
また、建仁寺には、最盛期には、約60もの塔頭がありましたが、現在の塔頭は14ヶ寺となっています。
建仁寺はかつて多くの詩文芸術に秀でた禅僧を輩出し、通称「学問面」とも呼ばれました。
国宝に指定されている俵屋宗達の代表作、「紙本金地著色風神雷神図」などでも広く知られています。
境内は市街地に隣接していることを感じさせないくらい閑静なところで、春の桜や初夏の牡丹、秋には紅葉の素晴らしいこところです。
4月はじめの境内では、満開の桜を満喫することができました。
2 境内と桜
伽藍は勅使門を正面に、三門、法堂、方丈が一直線に並んでいる。
<境内写真案内>
(1)花見小路から境内に入る。まず、本坊の前に出る。
・本坊と周辺の桜
(2)本坊の前の道を少し南に行くと、左(東)に塔頭「西来院」への参道がある。
・塔頭「西来院」への参道と桜
(3)境内中心部に大きな法堂がそびえ、その南に、三門、方丈池があり、方丈池の向かいに浴室がある。これらを取り囲むように桜が咲く。
①法堂
・明和2年(1765)建築。仏殿兼用の禅宗様仏殿建築。天井には平成14年創建800年を記念して小泉淳作による「双龍図」が描かれた。
②法堂と周辺の桜
③三門
大正12年、静岡県浜名郡の安寧寺から移建したもの。
④三門周辺の桜
⑤方丈池と周辺の桜
⑥浴室
寛永5年(1628)の建立。湯気で体を温める蒸し風呂。
⑦浴室と周辺の桜
(4)その他の建物
①勅使門(重文)
・切妻造、銅板葺の鎌倉時代後期の唐様建築。
・柱や扉に戦乱の矢の痕があることから「矢の根門」または「矢立門」と呼ばれている。
・もともと、平重盛の六波羅邸の門、あるいは平教盛の館門を移建したものともいわれている。
②方丈(重文)
・銅板葺、単層入母屋造の室町時代後期の建物。
・慶長4年(1599)に、恵瓊(えけい)が安芸の安国寺から移建した
・本尊は東福門院寄進の十一面観音菩薩像。
・前庭に枯山水様式の「大雄苑」がある。
3 沿革
①臨済宗建仁寺派大本山。寺号「東山」。本尊は東福門院寄進の十一面観音。
②鎌倉時代の建仁2(1202)年、臨済宗の開祖の栄西禅師により中国の百丈山を模して創建され、寺名は年号から名付けられた。日本最古の禅寺といわれる。
③その後、円爾弁円、蘭渓道隆が住んだことで、禅宗寺院として確立し、室町時代には、京都五山の第三位を占めるに至った。
④応仁の乱による焼失の他、たびたびの火災にあい、現在の建物の多くは、江戸時代以降に復興されたもの。
⑤多くの詩文芸術に秀でた禅僧を輩出ことから「学問面」と呼ばれた。
⑥高台寺や、「八坂塔」のある法観寺は建仁寺の末寺。
⑦最盛期には、塔頭は約60ほどあったが、現在は14ヶ寺。
4 寺宝
①「紙本金地著色風神雷神図」
・俵屋宗達の代表作。
・二曲一双屏風。金箔が張られ、右に風神、左に雷神が描かれている。
・京都国立博物館に寄託。
②「山水図」「花鳥図」「龍雲図」「紙本墨画竹林七賢図」
・海北友松によって描かれた方丈の障壁画。
・京都国立博物館に寄託。
③「生々流転」「松韻」「伯楽」「深秋」
・橋本関雪によって描かれた現在の方丈にはめられている襖絵。
など、桃山時代の貴重な屏風絵、水墨画、障壁画など所蔵。
5 庭園
・「大雄園」
・「潮音庭」
・「〇△□の庭」
6 「四頭茶礼」
栄西は、宋から茶種をもたらし、「茶祖」ともいわれており、その誕生日にちなんで、「四頭茶礼」という茶会が毎年4月20日に方丈で行われる。
7 京都検定の出題歴
(1)平成16年度2級 【問】建仁寺の「風神雷神図屏風」(国宝)の作者は誰か。 (ア)狩野永徳 (イ)狩野探幽 (ウ)俵屋宗達 (エ)伊藤若冲 【正解】(ウ)
(2)平成17年度の3級
【問】宋から喫茶の風習を持ち帰り、禅宗と共に茶を広めた栄西が開いた寺院はどこか。 (ア)建仁寺 (イ)大徳寺 (ウ)高山寺 (エ)南禅寺 【正解】(ア)
(3)平成18年度2級
【問】次の組み合わせで、誤っているものはどれか。 (ア)東福寺−伽藍面 (イ)相国寺−声明面 (ウ)建仁寺−茶面 (エ)妙心寺−算盤面 【正解】(ウ)
(4)平成18年度3級
【問】俵屋宗達の代表作「風神雷神図屏風」(国宝)がある寺院はどこか。 (ア)妙心寺 (イ)天龍寺 (ウ)相国寺 (エ)建仁寺 【正解】(エ)
(5)平成19年度2級
【問】建仁寺の開山降誕会で今も行われる茶会はどれか。 (ア)夜咄 (イ)四頭茶礼 (ウ)観桜茶会 (エ)初釜 【正解】(イ)
8 練習問題(1)
(1)臨済宗建仁寺派の大本山。山号:「東山」。本尊:釈迦如来。京都最古の禅寺といわれる。 (2)本尊:( 1 )寄進の十一面観音。
(3)沿革
①開山は宋で禅を学び、日本に茶を広めたことで知られる、日本禅宗の祖とされる( 2 )。 ②鎌倉時代の建仁2年(1202)、鎌倉幕府二代将軍源頼家の保護を受けて着工し、宋の( 3 )を模して元久2年(1205)に建立。
③当初は、天台・真言・禅の三宗兼学としていたが、10世の( 4 )、11世の蘭渓道隆を経て、後に禅寺として確立。室町時代の至徳3年(1386)には、足利義満によって京都五山の第( 5 )位に。
(4)建造物
勅使門(重文)を正面に、三門、法堂、方丈が一直線に並び、禅修行の場のひとつである浴室も現存している。 ①勅使門:重文
鎌倉後期。簡素でおおらかな建築。扉にある矢の痕跡により、( 6 )・矢立門と呼ばれる。 ②法堂
平成14年(2002)、創建800年を記念して( 7 )氏による「( 8 )」が描かれた。 ③方丈(本坊):重文
安芸の( 9 )の方丈を、慶長4年(1599)に移築。 ④茶席「( 10 )」
秀吉の五奉行の一人、増田長盛の好みで、秀吉主催の北野大茶会のために建てられ、それを移築したもの。 (5)文化財
①「風神雷神図」屏風:( 11 )筆。国宝。 ②襖絵
・( 12 ):「山水図」「花鳥図」「雲龍図」。慶長4年(1599)再建時のもの。 ・橋本関雪 (6)庭園「( 13 )」
枯山水の方丈前庭。 (7)「建仁寺の( 14 )」
詩文芸術に秀でた禅僧を輩出。五山文学と称される文芸を創出。 (8)( 15 )の風習
栄西が宋から持ち帰る。日本茶道の基礎を築いた。 栄西は( 16 )を著わす。
開山降誕会(毎年4月20日)に行われる「四ツ頭茶礼」は禅宗茶礼の古式を現代に伝える。
【正解】
1東福門院 2栄西 3百丈山 4聖一国師 5三 6矢根門 7小泉淳作 8双龍図 9安国寺 10東陽坊 11俵屋宗達 12海北友松 13大雄園 14学問面 15喫茶 16喫茶養生記 9 練習問題(2)−両足院について−
(1)建仁寺の塔頭。
(2)沿革
入元僧の龍山徳見が創建した知足院に始まり、のち、両足院と改称。 (3)庭園
①方丈東南:枯山水。三尊石組、須弥山。 ②書院東面:林泉庭。池畔の飛石は北岸の茶席水月亭に向かい、露地を形成。茶道藪内家五代の竹心紹智の作。 (3)茶席「( 1 )」
( 2 )の茶室如庵の写し。 【正解】
1水月亭 2織田有楽斎 |
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藤森神社と桜
藤森神社は京阪電車墨染駅の北東、京都教育大学の西隣にあります。
社伝によれば、平安遷都以前からある古社であり、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国・深草の里の藤森に「いくさ旗」を立て、兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが当社の発祥であるとしています。
また、古来より勝運と馬の神様として信仰を集め、菖蒲の節句発祥の祭といわれる藤森祭と駈馬神事が伝わっています。
境内には京都では有数の規模を誇るあじさい園があり、6月中旬頃から7月にかけての見頃の時期には、多くの人が訪れます。
本殿のまわりに大きな桜の木があり、満開の頃は、桜の花が空を覆い尽くすほど見事に咲き誇ります。
2 境内と桜
(1)石造鳥居
境内の南端にある。
①説明板
・正徳元年(1711)の銘がある。
・鳥居には額が無いが、むかし後水尾天皇宸筆の額がかかげてあり、江戸時代、前の道が西国大名参勤交代の道筋にあたっていたので、各大名は神社前を通る時、駕籠からおり、拝礼をして槍などをたおして通行しなければならなかった。
・しかし、幕末動乱の時代となりこのような悠長なことでは時代に即しないと新撰組の近藤勇がはずしたといわれている。
②石造鳥居と参道
・石灯籠と桜
(2)拝殿
・拝殿と桜
(3)本殿
正徳2年(1712)に中御門天皇より宮中内侍所(賢所)の建物を賜ったもので,現存する賢所としては最古のものとされている。
・本殿と桜
(4)八幡宮社(重文)
応神天皇を祀る。足利義教によって造営された。
・八幡宮社と桜
(5)七宮社と桜
(6)神鎧像と桜
(7)大将軍社(重文)
桓武天皇が平安遷都の折、王城守護のため四面に大将軍を祀った。その南面の守護神がこの社とされる。古来、この神は方除けの神として崇敬を集めている。現在の建物は室町時代の影響10年(1438)、時の将軍足利義教の寄進によるもの。
(8)手水舎
この手水鉢の台石は、石川五衛門が、宇治の浮島十三重塔の上から5番目の石を持ってきたものだと、伝えられている。
(9)旗塚
神功皇后が旗や武器を埋めた場所とされる。
・旗塚と桜
(10)名水「不二の水」
二つとない良い水という意。
(11)かへし石
昔、この石を拝殿より鳥居までころがすという行事があり、また、祭日には集まった人々によりこの石を持ち上げて力試しをしたという。
3 沿革
<説明板>
・平安遷都以前に建立された古社。素盞鳴命、神功皇后、日本武尊など十二柱に及ぶ神々をまつり、洛南深草の産土神として崇敬されている。
・「菖蒲の節句」発祥の神社として知られ、菖蒲が勝負に通じること、毎年五月五日に行われる藤森祭で曲乗りの妙技で有名な「駈馬神事」が行われることから、勝運と馬の神社として特に信仰が厚い。
・また、日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を祭神としていることから、学問の神としても信仰されている。
・本殿は、正徳2年(1712)に中御門天皇より賜った宮中内侍所(賢所)の建物といわれる。
・また、本殿背後東にある八幡宮は応神天皇を祀り、西にある大将軍社は磐長姫命を祀る。どちらも重要文化財に指定されており、特に大将軍社は平安遷都のとき、王城守護のため京都の四方に祀られた社の一つであるといわれ、古来より方除けの神として信仰されている。
・本殿東の、神功皇后が新羅侵攻の際に軍旗を埋納したといわれる旗塚や、二つとない良い水として名付けられたという名水「不二の水」は有名である。
・六月の紫陽花が見事で、「紫陽花の宮」とも呼ばれている。
4 藤森神社の社地について
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、つぎの記載がある。
・藤森の地は現在の伏見稲荷大社の社地である。その地に稲荷神が祀られることになったため、当社は現在地に遷座した。そのため、伏見稲荷大社周辺の住民は現在でも当社の氏子である。
・なお、現在地は元は真幡寸神社(現 城南宮)の社地であり、この際に真幡寸神社も現在地に遷座した。
5 年中行事 「藤森祭」5月5日
①端午の節句に武者人形を飾る風習(菖蒲の節句)の起源、由来となる行事 朝からみこし3基が氏子内を巡行し、武者行列が練る。 ②駈馬神事
一字書き、藤下がり、さか乗りなどの馬上妙技が披露される。
6 宝物殿
同神社に伝わる社宝に、宮司が集めた古今の武具を加えた百数十点の他、博物館も併設されている。
7 あじさい園
6月上旬から7月上旬。3,500株に及ぶあじさいが見頃になる。
8 京都検定の出題歴
①平成17年度1級 (問)菖蒲の節句発祥の神社といわれ、勝運と馬の神社としても知られている神社はどこか。 【正解】藤森神社
②平成19年度2級
(問)「神社」と「花」の組み合わせ 誤っているものはどれか。 (ア)大田神社 ― カキツバタ (イ)藤森神社 ― 蓮 (ウ)地主神社 ― 桜 (イ)長岡天満宮 ― 霧島つつじ 【正解】(イ)
9 練習問題
①祭神:本殿に( 1 )ほか。東殿に天武天皇ほか。西殿に早良親王ほか。 ②沿革:平安遷都以前から祀られ、古来より朝廷から庶民まで崇敬。
③「( 2 )と馬の神様」と呼ばれる。
④「( 3 )の節句」発祥の地。「節句に飾る武者人形には藤森の神が宿る」といわれる。
⑤「( 4 )祭」:5月5日。菖蒲の節句発祥の祭。( 5 )神事。
⑥「( 6 )の宮」と呼ばれる:6月〜7月はあじさい園が公開。
⑦本殿:正徳2年(1712)、( 7 )天皇より宮中賢所の建物を下賜。
⑧摂社:八幡社(重文)と、古来より方除けの神として信仰されてきた( 8 )社(重文)がある。
【正解】
1 神功皇后 2 勝運 3 菖蒲 4 藤森 5 駈馬 6 紫陽花 7 中御門 8 大将軍 |
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雨に濡れた上御霊神社のしだれ桜
上御霊神社は、市営地下鉄の「鞍馬口」駅から東に向かって300mほどのところにあります。
ここは、長岡京から平安京への遷都のきっかけとなった、藤原種継暗殺事件に絡んで逮捕、無実を主張しながら死んでいった、時の皇太子であった早良親王(祟道天皇)の怨霊を静めるために創建されたと伝えられ、由緒ある上御霊神社には、歴史に名を留める事件や人物の足跡が残されています。
境内はまた、「御霊の杜」ともいわれ、畠山政長と義就の合戦が行われた応仁の乱の発端となったところで、楼門横に「応仁の乱勃発地の碑」があります。
境内のしだれ桜が咲きました。雨に濡れて咲いている様子です。
1 場所↓
2 雨の日のしだれ桜
境内には紅しだれ桜があり、かつて御所にあった建物を背景に咲くようすは雅な風情があり、まして、雨にぬれた様子は、妖艶な雰囲気があります。
京都のしだれ桜というのは、このような場所で見るのがふさわしいようです。
<境内のしだれ桜>
・本殿としだれ桜
本殿は、亨保18年に下賜された賢所御殿の遺構を復元したものと伝えられています。
(撮影:「都草」会員、池田さん)
3 沿革
①この地には、はじめ付近住民の氏寺として創建された上出雲寺があったが、平安遷都にあたり桓武天皇の勅願により王城守護の神として、奈良時代・平安時代初期に不運のうちに亡くなった8柱の神霊が祀られ、後に加えられた5柱の神霊を併せ、現在に至っている。
②祭神
崇道天皇(早良親王)、吉備真備、橘逸勢はじめ十三柱の神霊を祀る。
③御霊信仰
平安時代には御霊信仰が盛んで、この怨霊をなだめ祀るための御霊会が数々行なわれたが、当社は古来疫病除の霊社として有名。創建以来、とくに御所の守護神として皇室の尊信が深い。 ④御霊の杜
境内は「御霊の杜」といい、畠山政長と義就の合戦が行われた応仁の乱の発端となったところ。
4 応仁の乱の勃発地
・文正2年(1467)正月18日早朝この付近すなわち上御霊神社の森の合戦から応仁の乱は始まった。
・17日の夜、畠山政長は自邸を焼いて一族や奈良の成身院光宣らと兵約2000を率いてここに布陣。
・翌18日早朝、政長と畠山家の家督を争っている義就が兵3000余で攻勢をかけ、18日は終日激しい戦いが続いた。
・義就方には朝倉孝景ついで山名宗全が加勢した。
・しかし、政長方にはたのみの細川勝元がこの段階では動かず、丸一日の合戦ののち、政長方が敗退した。
・これが応仁の乱の最初の合戦である。
・3月、年号は応仁と改まり、細川、山名両陣営ともに味方を集めて戦時体制を固め、5月から上京を中心に東西両軍の全面的な戦闘に入る。
5 境内の句碑、歌碑
①松尾芭蕉句碑
・松尾芭蕉は元禄3年12月に門人を伴い、ここに参詣し、別当家に半日を打ち寛ぎ、「年忘歌仙」を奉納した。
「半日は 神を友と とし忘れ」
石碑は慶応元年の建立。
②新村出の歌碑
上御霊のみやしろに詣でてよめる
「千早振 神のみめぐみ 深くして
八十ぢに満つる 幸を得にけり」
・新村出博士は広辞苑の編者として著名。
・博士は大正12年より終世当社の氏子の小山中溝町に住んでいた。
・この歌は、満80歳の誕生日に参拝の折に献詠したもの。
6 年中行事
●御霊祭
例祭(社頭の儀)、5月1日神幸祭、同月18日還幸祭が行なわれる。 7 京都検定の出題歴
(1)平成18年度1級 【問】応仁の乱の戦端を切った合戦が行われ、現在「応仁の乱勃発地」の石標が建つ神社はどこか。 【正解】上御霊神社
8 練習問題
①祭神は( 1 )(祟道天皇)、井上内親王、吉備真備をはじめ13柱。 ②正式名「( 2 )」
③沿革
桓武天皇が平安遷都の時に、早良親王らの怨霊を鎮めるために創祀したといわれるが、平安遷都以前よりこの地に勢力を持った出雲氏の氏寺である上出雲寺の鎮守社であったとも伝えられる。 ④「御霊の杜」
境内はかつて、( 3 )の戦端が開かれたところとして知られる。 ⑤本殿
宝暦5年(1755)に( 4 )を賜ったものとされる。 ⑥「( 5 )」煎餅
門前の「水田玉雲堂」で売られている。疫病よけのご利益があるとされ、明治維新まで皇室は皇子が誕生するたびに当社に参詣し、これを土産にしたという。 【正解】
1 早良親王 2 御霊神社 3 応仁の乱 4 賢所御殿 5 唐板 |


