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京都の桜2010

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六角堂と「御幸桜」

六角堂と「御幸桜」
 
 
烏丸御池から南に向かうと、東西に走る通りは順に「姉小路通」「三条通」「六角通」と交差していきます。
 
この三本目の通り、「六角通」を烏丸通から東に向かうと、右側に鐘楼があり、左側に築地塀が続くところが紫雲山頂法寺です。
 
・鐘楼
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 六角堂境内からは、六角通に出て、通りの向かい側。写真右手は烏丸通。
 
・頂法寺の築地塀
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カメラを構えた人のいるところの左手に山門がある。
 
4月のはじめ、境内のしだれ桜「御幸桜」が満開で、素晴らしい眺めを堪能できました。
  
 
 
 
2 境内のようす
(1)山門
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(2)本堂「六角堂」
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・六角堂はもともと寺内塔頭であり、本堂が六角宝形造であることから、通称「六角堂」と呼ばれるようになった。
 
・なお、通りの名称である「六角通」に名を残している。
 
・現在の本堂は、明治8年(1875年)の再建。
 
 
(3)「へそ石」
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桓武天皇の延暦12年(793)京都へ遷都の時、六角堂の所在が道路の中央に当たったので天皇が遷座を祈願されたところ、御堂がにわかに五丈ばかり北へ退かれたという。この石はその際に取り残された礎石であると伝える。
 
また京都のほぼ中央に当たるところから「へそ石」とも「要石」ともよばれている。
 
なお、売店では六角堂名物の「へそ石餅」が売られている。
 
 
3 境内のしだれ桜「御幸桜」
<由来>
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 長徳2年(996)、花山法王の六角堂の御幸により西国三十三所観音巡礼が始まったことを受け、花山院前内大臣が六角堂の桜を見て詠んだ
 
「世をいのる 春の初めの法なれば 君か御幸のあとはありけり」
 
から名付けられたもの。
 
 六角堂御幸桜は、早咲きの桜で、いち早く京都に春の始めを告げてくれます。
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 六角形の骨組みの花笠が満開のしだれ桜を支えている。
 
  
4 沿革等
(1)寺伝による創建の由来
・聖徳太子が四天王寺の建立のためその用材を求めてこの地を訪れた際、池で水浴中にそばの木にかけておいた持仏の如意輪観音が離れなくなり、夢告によりその観音がこの地にとどまり衆生済度を希望したので、その観音像を現在地に安置して六角形の堂を建立したのがこの寺の始まりと伝える。
 
・池坊の名は、聖徳太子が水浴したという池(又は井戸)にちなんでなづけられたもの。
 
 
(2)池坊と生け花
・池坊の僧は、頂法寺の住持として本尊の如意輪観音に花を供えることとなっており、花の生け方に別格の妙技を見せることで評判となっていたという。
 
・文明年間(1469-1486)に池坊12世専慶が立花(たてばな)の名手として知られ、ここから池坊としての立花が生じ、天文年間(1532-1555)には、池坊13世専応が度々宮中に招かれて花を立て、また「池坊専応口伝」を表して立花の理論と技術を初めて総合的に体系化したとされる。
 
・その後、頂法寺の本坊にあたる池坊が執行として代々六角堂の経営・管理に当たってきた。
 
・六角堂は華道の池坊の発祥の地であり、六角堂の住職は池坊の家元も兼ねている。
 
・境内にはいけばな発祥の地の石碑があり、また、山門には「貫主池坊専永」と書かれた表札がある。
 
<いけばな発祥の地の石碑>
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<山門にある「貫主池坊専永」と書かれた表札>
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(3)親鸞の百日間参籠の話
・鎌倉時代初期の建仁元年(1201)、比叡山の堂僧であった29歳の親鸞が、毎夜叡山を下り、この六角堂に百日間参籠した。

 
(4)下京の町堂
・特に応仁の乱の後からこの寺は下京の町堂として町衆の生活文化や自治活動の中核となる役割を果たした。

・地域のつながりの象徴的存在であり、江戸時代以前は、ここで祇園祭の山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式が行われていた。
 
 
(5)西国三十三所観音霊場の第十八番札所
 
・本尊:如意輪観世音菩薩
 
※西国三十三所または西国三十三箇所とは
近畿24県と岐阜県に点在する33か所の観音霊場の総称であり、これらの霊場を札所とした巡礼は日本で最も歴史がある巡礼行であり、現在も多くの参拝者が訪れている。
 
「三十三」の数については、『法華経』「観世音菩薩普門品」所説の、観音菩薩が衆生を救うとき、33の姿に変化するという信仰に由来すると言われている。西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。(フリー百科事典「ウィキペディア」より)
 
 
5 京都検定の出題歴
(1)平成16年度2
祇園祭の山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式は、現在京都市役所で行われているが、江戸時代はどこの寺社で行われていたか。
(ア)恵比寿神社 (イ)八坂神社 (ウ)六角堂 (エ)革堂
 
【正解】(ウ)
 
(2)平成17年度2
「京都の伝説」と「関連する人物」の組み合わせのうち、誤っているものはどれか。
(ア)すすき塚・親鸞
(イ)へそ石・聖徳太子
(ウ)蹴上の石仏・牛若丸
(エ)蜘蛛塚・源頼政
 
【正解】(エ)
 
(3)平成17年度3
応仁の乱以後、上京の革堂に対する下京の町堂として親しまれ、本堂前に京都の中心を表すへそ石のある寺院はどこか。
(ア)因幡堂  (イ)真如堂 (ウ)達磨堂  (エ)六角堂
 
【正解】(エ)
 
(4)平成18年度2
へそ石について出題。
 
(5)平成19年度2
池坊について出題。


6 練習問題(1)
①天台宗の単立寺院で、正式名「紫雲山頂法寺」。
 
②本尊:如意輪観音。( 1 )の持仏と伝える。
 
③通称の「六角堂」の由来:本堂が( 2 )であることによる。
 
④沿革
・創建は( 3 )
四天王建立の用材を求めて太子がこの地を訪れた時、霊告によってこの地に御堂を建て、守護仏の観音像を安置したのが始まりと伝えられている。

・弘仁13年(822)に( 4 )の勅願所となり、建仁元年(1201)には( 5 )が当寺に100日間こもり、これが真宗開宗の契機であると伝える。
 
⑤仏像
本堂には、本尊如意輪観音像、親鸞像、毘沙門天立像(重文)などを安置する。
 
⑥町堂
平安時代から庶民の信仰を集め、応仁の乱以降、下京の( 6 )として親しまれた。一方、上京の町堂として親しまれたのは( 7 )(行願寺)。
 
⑦へそ石
本堂前の六角形の礎石は( 8 )といい、古来より京都の中心にあたるとされてきた。
 
⑧西国第( 9 )番札所
 
⑨華道発祥の地
本堂北の本坊は池坊と呼ばれ、室町地代以降、多くのいけ花の名手を輩出したところ。( 10 )発祥の地として有名。現在も池坊華道の拠点となっている。代々華道家元( 11 )が当寺の住職を兼ねている。
 
【正解】
1
聖徳太子
2
六角宝形造
3
聖徳太子
4
嵯峨天皇
5
親鸞
6
町堂
7
革堂
8
へそ石
9
十八
10
華道
11
池坊
 
 
7 練習問題(2):華道と生け花
①発祥
「供花」:仏前に花を供えること。
 
②平安時代
「( 1 )」:貴族の物合せの遊びの一つ。栽培した花の優劣を競うもの。
 
③室町時代以降
・書院造の普及⇒床や書院に瓶花を置いて鑑賞することが普及。
「( 2 )」:武家の間に唐物趣味が流行。鑑賞するための座敷飾の方式が同朋衆により整えられ、瓶花について飾り方を理論化したが作られるようになった。
 
・15世紀頃
七夕の法会などで花を立てることが盛んに⇒「( 3 )」の名手の出現
《池坊専慶と専応》
・池坊( 4 )(六角堂頂法寺の住職)⇒「立花」は池坊の家業に
・専応:「( 5 )」(室町末期。池坊のいけばなを体系化。)
 
④近世
・初代専好と二代専好
◎初代専好:大名邸の秀吉のお成りの席に重用。豪壮な客殿にふさわしい大瓶の「( 6 )」を立てる。
◎二代専好:「( 7 )」を大成。( 8 )に召され、禁裏の茶会を指導。
 
⑤一般への普及
17世紀末頃から一般住宅に床の間が普及。茶の湯が盛んになると、手軽な投げ入れ花が人気に。
  ↓
18世紀中頃、いけばなは町人の遊芸として大衆化。様々な流派も勃興
 
⑥池坊:家元制度の創設
「立華」と「投げ入れ花」から発展した「( 9 )」の免許を段階的に伝授する家元制度を創設し、門人を拡大。
 
⑦ 近代
女性教育の中に進出。いけばなは、日常生活に定着していく。
 
【正解】
1 花合せ
2 花伝書
3 立花
3 専慶
4 専応口伝
5 立華
6 立華
7 後水尾天皇
8 生花
墨染寺(通称「桜寺」)と「墨染桜」
 
  
京阪電車の墨染駅から西へ、琵琶湖疏水をわたり100mほど歩くと、左手に墨染寺があります。
 
ここは、通称「桜寺」と呼ばれています。
 
 
<墨染寺前の通り>
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 左手に山門が見える。
 
正式名称は「深草山墨染寺」といい、日蓮宗の寺院です。
 
創建は貞観16年(874)、藤原良房が孫の惟仁親王(清和天皇)のため深草に建立した貞観寺が始まりと伝えられています。
 
その後、平安時代の歌人、上野岑雄(かんつけのみねお)が、堀川左大臣・藤原基経の死を悼んで、
 
「深草の 野辺の桜し 心あらば 今年ばかりは 墨染めに咲け」
 
と詠んだところ、桜がこれに応えて色あせて咲いたという故事があり、後年、この墨染桜の伝説に感じ入った豊臣秀吉が天正年間に旧貞観寺を墨染桜寺として再興したと伝えられています。
 
4月はじめの境内は満開の桜(ソメイヨシノ)が咲き誇り、まさに「桜寺」の名前の通りでした。
 
ただ、墨染寺の名前のゆかりの墨染桜は、遅咲きのためにようやく咲き始めたところでした。
 
 
 
 
 
2 境内のようす
(1)山門
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(2)山門脇の標石
①「墨染櫻寺」
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 山門左側
 
②「深草山墨染寺」
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 山門右側
 
 
(3)山門から見た境内
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(4)境内から見た山門
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(5)壽碑
・墨染寺の沿革と壽碑建立の由来について書かれた石碑
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<おおよその内容>
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・当寺は、清和天皇の勅創による貞願寺の旧跡である。
 
・左大臣の藤原基経昭宣公が亡くなりこの地に葬られた。
 
・上野岑雄(かんづけのみねお)が哀傷の情を和歌に託して
 
「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」
 
と詠んだ。
 
・この地の「墨染」の称は、この歌詞によるものである。
 
・その後、豊臣秀吉はこの故事に感じ入り、大僧都・日秀上人に貞観寺の故地等を与え、上人は旧寺を改めて法華宗・墨染桜寺を建立した。
 
・以来数百年、寺運は振るわず荒廃した。
 
・第37世学妙上人が荒廃ぶりに嘆き、この寺に入り復興に努め、壽碑を建てた。
 
 
(6)本堂と桜
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(7)墨染桜
 本堂に向かって、右側に植えられています。
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・白い花です。次第に墨色を帯びてくる、という話もあるようですが、どうなのでしょう。
・現在の木は3代目だそうです。
 
 
3 上野岑雄の和歌
「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨色に咲け」
 
平安時代の歌人、上野岑雄が藤原基経の死を悲しんで詠んだ歌。
 
桜はその心を感じてか、薄墨色の花が咲くようになったという言い伝えがある。
 
(和歌は、古今集哀傷832に収録)
 

祇園白川の桜と花街

祇園白川の桜と花街
 
 
四条通の北側で縄手通の東側のあたりには、江戸時代から明治初期にかけて建てられたお茶屋を中心とした京町家が軒を並べる、風情ある町並みが続いています。
 
ここは昭和51年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
 
 4月はじめの日曜日の祇園白川畔では桜が見ごろを迎え、大勢の花見客が訪れていました。
 
 
1 場所↓
 
 
2 祇園白川畔の桜
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・青サギがのぞいている
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3 祇園白川の吉井勇歌碑
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(1)吉井勇
・歌人、劇作家。1886年(明治19年)に東京生まれ。放蕩の生活を好み、北原白秋、石川啄木らと親交を結ぶ。
 
 

・京都を愛し、1938年(昭和13年)から1960年(昭和35年)に肺癌のため京大病院で亡くなるまで京都で暮らした。
 
 
(2)歌碑 
「かにかくに祇園はこひし 寝るときも枕の下を水のながるる」
 
・この歌碑は吉井勇の古稀を記念して、彼と親しかった谷崎潤一郎や堂本印象、湯川秀樹博士等が発起人となって、昭和30118日に建立された。

・なお、この場所は文芸芸妓として知られ、また吉井勇と親交のあった磯田多佳女が女将を務めていたお茶屋「大友」の跡。

・吉井勇は、都おどりの復興など祇園のために力を尽くしたといわれる。
 
 
(3)かにかくに祭 (11月8日)
 祇園白川の吉井勇の歌碑の前で芸・舞妓さんの献花やお点前の披露が行われる。吉井勇の古稀を祝ったのが始まり。
 
 
4 花かんざし「4月の桜」
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旧立誠小前で行われていた「高瀬川桜まつり」にて
 
※花かんざしは季節を彩るシンボルとして、祇園では12カ月、月ごとに決まった花かんざしを髪に挿すしきたりがある。
 
1月 松竹梅
2月 梅
3月 菜の花
4月 桜
5月 藤
6月 柳
7月 団扇
8月 薄
9月 桔梗
10月 菊
11月 紅葉
12月 南座の吉例歌舞伎興行のまねき
 
 
5 行事
(1)祇園放生会(毎年6月の第一日曜日)
 祇園白川巽橋。

 日々食している生き物の恵みに感謝する放生会。

 読経の後、僧侶や舞妓、市民たちによって2,000匹の金魚などの稚魚が巽橋の上から、白川へ放流される。
 
(2)かにかくに祭(118日)
 祇園を愛した大正・昭和期の歌人、吉井勇の古希を祝って始められた祭。
 
 「かにかくに 祇園はこいし寝るときも 枕の下を水のながるる」の歌碑の前で祇園の舞妓・芸妓による献花などが行われる。
 
 
5 「重要伝統的建造物群保存地区」について
(1)発足の経緯
昭和501975)年の文化財保護法の改正によって発足。
 
(2)目的
日本の各地に残る歴史的な集落や町並みの保存を図ること。
 
(3)運用
地方自治体の市町村は,伝統的建造物群保存地区を定め,国はその中から価値の高いものを重要伝統的建造物群保存地区として選定し,保存事業への財政的援助や必要な指導・助言を行っている。
 
(4) 京都市 内の伝建地区
≪祇園新橋伝建地区(昭和51年選定)≫
 祇園の茶屋町。規模の大きな町家が通りに面して軒を並べて建つ。二階軒先にすだれを下げた独特の景観をもつ。
 
≪上賀茂伝建地区(昭和63年選定)≫
 上賀茂神社前の明神川沿いの社家町一帯
 
≪三寧坂伝建地区:(昭和51年選定)石塀小路含む≫
 円山公園〜高台寺下。八坂五重塔、二年坂を経て三寧坂に至る範囲
 
≪嵯峨鳥居本伝建地区(昭和54年選定)≫
 愛宕神社一の鳥居の前に形成された町並
 
 
6 花街伝統の歌舞会
 
<ポスター「都をどり」「京おどり」「鴨川をどり」>
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(1)祇園甲部
(祇園新橋は、花街の地区としては祇園東ではなく祇園甲部に含まれる。)
 
<祇園甲部歌舞練場>
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①「都をどり」 4月1日〜30日まで 祇園甲部歌舞練場 (井上流)
 
・三世の井上八千代が明治5年の京都博覧会の余興として、祇園町の芸妓・舞妓による「都をどり」を振り付けし、成功した。
 
②「温習会」 祇園甲部の芸・舞妓による秋の技芸発表会
 
 
(2)先斗町
①「鴨川をどり」 5月1日〜24日  先斗町歌舞練場 (尾上流)
 
②「水明会」 先斗町の芸・舞妓による秋の技芸発表会
 
 
(3)宮川町
①「京おどり」 4月第一土曜〜第三日曜 宮川町歌舞練場 (若柳流)
・京都の名所や名物を舞踊化することで有名。
 
②「みずゑ会」 宮川町の芸・舞妓による秋の技芸発表会
 
 
(4)上七軒
①「北野をどり」 415日〜25日 上七軒歌舞練場 (花柳流)
・物語性の強い舞踊で有名。
 
②「寿会」 上七軒の芸・舞妓による秋の技芸発表会
 
 
(5)祇園東
①「祇園をどり」 (11月初旬) 祇園会館 (藤間流)
 
  
※京都五花街合同伝統芸能公演「都の賑い」 京都会館
 
・毎年6月第三土曜・日曜日の2日間
洛西の正法寺としだれ桜
 
 
 正法寺は洛西の大原野神社から南に少し歩いたところの高台にある真言宗東寺派の寺院です。
 
 山号は「法寿山」といい、千手観音を本尊としています。また、京都洛西観音霊場番外札所、西国薬師四十九霊場第41番札所にもなっています。
 
 ここは早春の梅、春の桜、初夏のつつじ、冬の千両・万両など、四季折々の花木の美しいところとして知られています。
 
 4月はじめ、正法寺の入口の極楽橋のわきのしだれ桜が満開でした。
 
 なお、庭園の大きなしだれ桜と春日不動尊のしだれ桜はまだつぼみでした。
 
 
 
 
2 境内のようす (2010.4.5撮影)
 
①正法寺へ向かう参道としだれ桜
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 大原野神社の前から南へ、朱塗りの極楽橋を渡っていく。
 
 
②多宝塔としだれ桜
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③山門
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④門前のしだれ桜
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⑤春日不動尊としだれ桜
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 春日不動尊は正法寺境内の北にある。
 
 ここのしだれ桜は紅しだれで、見ごろは4月中旬。
 
 
⑥正法寺の門(正門)の前に広がる梅園と京都の市街地
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 早春の時期には、梅園一面に紅梅や白梅が咲きほこり、素晴らしい。
 
 空気の澄んだ見晴らしの良い時期には京都タワーも見える。
 
 
3 沿革
<説明板>
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・真言宗東寺派の寺院で、正式名は、法寿山正法寺という。
 
・鑑真和上の高弟である智威大徳が、奈良時代の天平勝宝年間にここに隠世・修禅をし、春日禅房と称したといい、その後、延暦の頃に伝教大師が智威大徳のため、ここに大原寺を創建したのが始まりと伝える。
 
・応仁の乱によって建物は焼失したが、慶長年間に再興し、元禄年間には将軍綱吉の母、桂昌院の帰依を受けて代々徳川家の祈願所となった。
 
 
4 庭園『宝生苑』(別名『鳥獣の石庭』という)
・本堂の奥にある宝生殿の石庭で、東山連峰を望む借景式山水庭園。

・この庭園に配してある巨石が鳥や動物の形に似ていることから、別名『鳥獣の石庭』と呼ばれる。
 
 
5 寺宝
①本尊:「聖観世音菩薩」(光仁時代)
 
平安時代初期の弘仁年間に、弘法大師空海が各地を巡行して教えを説いた際、42歳の時に厄除けのために正法寺で造った観音像といわれる。
 
②「三面千手観世音菩薩」(重文)
大報恩寺(通称「千本釈迦堂」)の「阿亀(おかめ)桜」
 
 
北野天満宮から上七軒の通りを東へ向かうと、通称「千本釈迦堂」として親しまれている大報恩寺があります。
 
大報恩寺は真言宗智山派の寺院で、本堂は応仁の乱にも奇跡的に火災を免れて創建当時の姿をとどめ、洛中最古の建造物として国宝に指定されています。
 
霊宝殿には快慶の作と伝える木造十大弟子立像などがあり、境内には阿亀(おかめ)の内助の功の伝説にちなんでつくられた「おかめ塚」があります。
 
年中行事では、境内で7月912日に行われる陶器市や127日、8日に行われる大根焚きが広く知られています。
 
本堂の前には大きな枝垂れ桜「阿亀(おかめ)桜」があり、今年も素晴らしい花を見ることができました。
 
 
 
 
2 「阿亀(おかめ)桜」
・山門から見た阿亀桜
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・阿亀桜
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3 境内のようす
(1)山門
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・山門と桜
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(2)本堂(国宝)
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安貞元年(1227)創建時のままで、応仁文明の乱にも火災を免れた洛中最古の建造物であり、国宝に指定されている。
 
(3)おかめ塚
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本堂建立にあたった大工棟梁の妻、阿亀(おかめ)内助の功の伝説にちなんでつくられたもの。2月の節分会はおかめ節分ともいわれ、おかめ塚で豆まきがおかめ音頭などが行われる。

<由来>
本堂を造営する際、大工の棟梁であった高次が代りのない柱の寸法を切り誤ってしまい困っていた。
 
・それを見た妻のおかめが、柱を短く揃えて枡組を用いたらどうかとひと言アドバイスし結果無事に竣工させることができた。
 
・おかめは女の提案で大任を果たしたことが知れてはと上棟式を待たずに自害してしまった。
 
・高次は妻の冥福を祈り宝篋印塔(おかめ塚)を建て、おかめの名にちなんだ福面を付けた扇御幣を飾ったとされる。
 
・その後、大工の信仰を得るようになり今日でも上棟式にはお多福の面を着けた御幣が飾られている。
 
・度重なる戦乱にも残った本堂とも結びつき厄除、招福のおかめ信仰につながっている。
 
 
(4)北野経王堂願成就寺
足利義満がかつて建立した北野経王堂願成就寺が江戸期に荒廃し、解体縮小されて小堂が建立された。
 
(5)稲荷社と桜
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 建長2年(1250)第二世如輪上人が賀茂・春日・石清水・日吉・今宮の五社とともに勧請した。
 
 
4 沿革
・鎌倉時代初期の安貞元年(1227)、義空によって創建された。
 
・義空は藤原秀衡の孫で、叡山で修行の後ここを建立した。
 
・本堂は摂津の木材商の寄進を受けて完成した。
 
・本堂の建立に関して大工の妻の「おかめ」に関する伝説が伝えられている。
 
・真言宗智山派の寺院。
(以上、フリー百科事典「ウィキペディア」より)
 
 
5 仏像等
(1)本尊:木造釈迦如来坐像(重文)
 鎌倉時代の仏師快慶の弟子である行快の作。(秘仏)
 
(2)木造十大弟子立像 10
 建保6年(1218年)快慶の作と判明。

(3)六観音菩薩像
 定慶作。
 
※その他、霊宝殿にはかつて北野天満宮の門前にあった「北野経王堂」の遺物など多くの文化財を常時展示。
 
 
6 年中行事
(1)陶器市
 7月912日に行なわれる。
 
(2)大根焚き
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7日・8日に行なわれる成道会法要。
 
鎌倉時代に、当寺の僧・慈禅が、法要の際に大根の切り口に梵字を書いて息災祈願を行なったのが起源とされ、今日では、この大根を食べると中風など諸病除けになるとされ、参拝者に、厄除け大根が振る舞われる(有料)。
 
 
7 京都検定の出題歴
(1)平成16年度2
 歌舞伎の祖とされる出雲阿国が興行したのは、五条河原の他にどこだったか。
 (ア)大徳寺 (イ)八坂神社 (ウ)千本釈迦堂  (エ)北野天満宮
 
【正解】(エ)
 
(2)平成17年度3
 現存する最古の木造建築物として、国宝に指定されているのはどれか。
(ア)法界寺阿弥陀堂 (イ)平等院鳳凰堂 (ウ)大報恩寺本堂 
(エ)醍醐寺五重塔
 
【正解】(エ)
 
(3)平成18年度2
 「寺院」と「行事に関する野菜」の組み合わせのうち、誤りはどれか。
(ア)神光院−きゅうり (イ)安楽寺−かぼちゃ (ウ)了徳寺−なす 
(エ)千本釈迦堂−だいこん
 
【正解】(ウ)
 
(4)平成18年度3
 安貞元年(1227)に建立された京都市街地で現存最古の木造建築(本堂)をもつ寺院はどこか。
(ア)東寺  (イ)革堂  (ウ)大報恩寺  (エ)六角堂
 
【正解】(ウ)
 
 
 
8 練習問題
(1)通称「( 1 )」
 
(2)真言宗( 2 )、本尊は釈迦如来。
 
(3)鎌倉時代初期の承久3年(1221)、求法上人義空が小堂を建立し、釈迦念仏道場を開いたのが始まり。
 
(4)( 3 )(国宝)
安貞元年(1227)建立。
応仁の乱をはじめ、幾多の戦禍を奇跡的に免れた、京都市街地で現存最古の木造建築。
 
(5)仏教彫刻
快慶作、( 4 )立像
行慶作、釈迦如来坐像
定慶作、六観音菩薩像
いずれも重文指定。
 
(6)( 5 )
 本堂建立にあたった大工棟梁の妻、阿亀(おかめ)の内助の功の伝説にちなんでつくられたもの。
 
(7)( 6 ):7月912
 全国の陶磁器業者が境内に露店を並べ陶器市を開く。10日には磁器の原石などを本堂に供え、陶磁器への感謝と業界の発展を祈る陶器供養の法要が行われる。
 
(8)( 7 ):127日、8
 厄除け大根が参拝者に振る舞われる。
 
【正解】
1
千本釈迦堂
2
智山派
3
本堂
4
十大弟子
5
おかめ塚
6
陶器市
7
大根焚き
 

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