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京都の桜2010

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旧有栖川宮邸(現、平安女学院大学「有栖館」)のしだれ桜
 
 
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ここのしだれ桜は、早咲きの枝ぶりの良いしだれ桜で、烏丸通に面しているのでとても目に付きます。
 
 
●しだれ桜のようす
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2 建物について
有栖川宮家と有栖川宮旧邸とされるこの建物の経緯について調べてみました。
 
有栖川宮(ありすがわのみや)は、かつて存在した宮家の一つであり、伏見宮、桂宮、閑院宮とならぶ世襲の親王家の一つとされていました。
 
①平安女学院HP、「有栖館」特別公開の記事より
現在、京都御苑の西南に面したところにある平安女学院大学「有栖館」の建物は、もとは有栖川宮家の旧邸として京都御所建礼門前に建てられていたのが、明治はじめに京都地方裁判所の仮庁舎に転用後、明治24年に現在地に移築され、京都地裁所長宿舎として2007年まで使われ、宿舎の移転に伴い、平安女学院がこの施設を取得し、現在の平安女学院大学「有栖館」となったということです。
 
なお、烏丸通に面した門は、三井一族の総長三井高保氏が築いた後、現在地に移築したと伝え、吉井勇によって「青天門」と名付けられたといい、このほか、長屋門、書院造の屋敷、十一代目小川治兵衛の作による庭園などがあります。
 
 
②フリー百科事典『ウィキペディア』には次の記載があります。
・有栖川宮の本邸宅の場所は、京都・東京時代を通じ、火災焼失等による仮住まいの期間を除いても複数回の移転があった。
 
・初代好仁親王の時代からほぼ江戸時代を通し、京都御所の北東部分にあたる猿が辻と呼ばれた場所に屋敷が存在した。この地は幟仁親王時代の慶応元年(1865年)に、御所の拡張用地として召し上げられた。翌慶応2年(1866年)までに、跡地は京都御所の敷地に編入されるか道路に転用されため、建物等の遺構は現存しない。
 
・代わりに下賜されたのが、現在の京都御苑内で「有栖川宮邸跡」の碑が建つ、御所建礼門前の凝華洞(御花畑)跡であった(この地は直前まで松平容保が宿舎として利用していた)。
 
・この場所に明治2年(1869年)に新御殿が落成したが、わずか3年後の明治5年(1872年)、すでに奠都によって東京に移っていた明治天皇からの呼び寄せにより幟仁親王も東京へ転住することになったため、宮邸の土地家屋は京都府に引き渡し裁判所として使用された。
 
・現在上京区烏丸通下立売角に建つ平安女学院大学の学舎の一つ「有栖館」は、この建物の一部を移築したものと伝えられている。
 

岩屋寺のしだれ桜

岩屋寺のしだれ桜
 
岩屋寺へは、大石神社の境内から竹薮の間の坂道を上っていきます。
 
坂道をあがったところは平坦になっており、かつて大石内蔵助は、ここに邸宅を建てて隠棲し、吉良邸討ち入りの準備をしたといわれ、近くには遺髪塚などがあります。
 
<大石内蔵助隠棲旧地の碑>
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 このあたりは東側に山科盆地を見渡す高台にあり、東端にある古木の大きなしだれ桜が咲くようすはとても見事です。眼下の町並み、さらに滋賀県境の山々をのぞみ、まるで絵画のようで、いつまでも心に残ります。
 
 ここからさらに石段を上がると、岩屋寺があります。
 
 岩屋寺は内蔵助の念持仏であったという不動明王を本尊とし、浅野内匠頭と四十七士の像を安置しています。
 
 境内のしだれ桜は、京都でも早咲きの桜として知られており、今年も見事な花を咲かせていました。
 
 なお、境内には大石内蔵助手植えの梅と伝える古木の梅の木があり、早春に花を見ることができます。
 
 
 
 
2 岩屋寺境内のしだれ桜
・石段としだれ桜
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・山門としだれ桜
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3 山科盆地を見下ろす高台のしだれ桜
このあたりは、大石内蔵助の邸宅跡と伝える。
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4 沿革
<説明板>
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・創建時は天台宗に属し、比叡山三千坊の一つであったが、現在は曹洞宗永平寺派天寧寺の末寺で、神遊山金地院と号する。
 
・古来は隣接する山科神社の神宮寺であったと伝えられる。
 
・赤穂義士・大石良雄(通称大石内蔵助)の隠棲地として有名で、大石寺とも呼ばれる。
 
・本堂に安置する本尊大聖不動明王は、智証大師の作とされ、大石良雄の念持仏であったという。
 
・大石良雄の遺髪塚および宅跡がある。
 
・大石良雄は、赤穂城明け渡しの跡、ここに隠れてひそかに討ち入りの準備をしたが、成就した後、邸宅・田畑等一切を岩屋寺に寄進した。
 
・その後、一時荒廃したが、嘉永年間に京都町奉行浅野長祚らの寄付を受けて再興した。
 
 
5 境内
境内には本堂と明治34年に建立された木像堂がある。
 
・木像堂
 明治34年(1901)建立。浅野内匠頭の位牌をはじめ四十七士の木像、位牌、大石良雄の遺品などを安置。
 
・遺髪塚
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6 祈願絵馬
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 不動明王。
  
7 山科義士まつり
 毎年1214日に行われる。
   
8 練習問題
(1)山号:神遊山、本尊:不動明王。
 
(2)沿革
 嘉永年間(184854)、京都町奉行の浅野長祚が長く荒廃していたのを復興。
 
(3)赤穂浪士の( 1 )ゆかりの寺。
 内蔵助は、ここに邸宅を建てて隠棲を装っていた。
羽織、茶道具などの遺品などが残る。
四十七士の像を安置した木像堂と遺髪塚、碑(「( 2 )」書)があり、内蔵助手植えの梅も残る。
( 3 )(1214日)
良雄の羽織、浪士の遺品公開。
 
【正解】
1
大石内蔵助
2
北垣国道
3
義士忌
 
妙法院の「滝桜」と境内
 
 
<妙法院>
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妙法院は、青蓮院、三千院(梶井門跡)とともに「天台三門跡」と呼ばれる、天台宗に属する格式の高い寺院です。
 
ここは、桃山時代の豪快な建築で国宝に指定されている庫裏があり、通常は建物内部の一般拝観は行っていませんが、境内に入って庫裏の前まで行くと、入口にパンフレットが置いてあり、柵の外側から内部のようすを見ることができます。
 
また、庫裏や大玄関前などの自由拝観部分でも、四季折々の花や紅葉も楽しめるところです。
 
重文の大玄関の向かい側に、福島県の三春町から平成1912月に贈られた「滝桜」系のしだれ桜が植えられており、国宝の庫裏を背景に咲くようすは、絵のような美しさでした。
 
 
1 場所↓
 
 
2 しだれ桜のようす
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3 妙法院について
(1)「天台三門跡」の一つ
・青蓮院、三千院(梶井門跡)とともに「天台三門跡」と並び称されてきた天台宗に属する名刹。本尊は普賢菩薩、開基は最澄と伝える。
・山号は「南叡山」。後白河法皇や豊臣秀吉ゆかりの寺院。
   
(2)建築
①庫裏(国宝)
 
・説明板
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文禄4年(1595)頃の建築で、本瓦葺入母屋造。豊臣秀吉が方広寺大仏殿の千僧供養をおこなった際の遺構といわれる、桃山期の豪快な建築。
 
・庫裏とさんしゅゆの花
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・庫裏の蛙股の彫刻
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・庫裏の内部
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庫裏の内部は、自然木をうまく利用した巨大な梁の組み合わせが豪快で、桃山期の工匠の手による名建築といわれる。
 
 
大玄関(重文)
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 元和6(1620)、徳川秀忠の息女東福門院(後水尾天皇中宮)入内時の殿舎を賜り、後に移建したものとされる。
 
 
③本堂
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 本尊の普賢延命菩薩を安置。本尊は藤原時代の作といわれ、白象に乗る姿。
 
 
大書院(重文)
 東福門院の旧殿を移築したものといわれ、狩野派の筆による「唐美人図」「四季花鳥図」など、豪華絢爛な金碧画がある。
 
 
宸殿
 皇室の御尊牌の奉安殿。
 
唐門
 桜町天皇より下賜されたもの。
 
 
(3)境内を彩る花
・雪柳
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背景は、宸殿。
 
・さんしゅゆとモクレン?
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蓮華王院(三十三間堂)は、妙法院所管の仏堂とされている。
 
 
4 練習問題
(1)山号は南叡山。本尊は普賢菩薩。
 
(2)沿革
①永暦元年(1160)に( 1 )が新熊野神社を勧請するときに、西塔本覚院の昌雲が別当となって、法住寺付近に開創。
②鎌倉初期に( 2 )が入寺して以来、天台三門跡の一つに。その後の兵火で焼失。
③豊臣秀吉による復興:豊臣秀吉が( 3 )を建立する際に、当寺を経堂とし、その寄進を受けて復興。
 
(3)( 4 ):国宝。
豊臣秀吉が方広寺大仏殿の千僧供養をおこなった際の遺構といわれ、桃山期の豪快な建築。
②大書院
東福門院の旧殿を移築したものといわれ、狩野派の筆による「唐美人図」「四季花鳥図」など、豪華絢爛な金碧画がある。
 
(3)妙法院所管の仏堂として、蓮華王院(三十三間堂)を置いている。
 
 
5 京都検定の出題歴
●平成18年度2
(問)文禄3年(1594)、淀君が父の浅井長政の菩提を弔うために建立し火災による消失後、淀君の妹の崇源院が再建した寺院はどこか。
(ア)智積院 (イ)養源院  (ウ)妙法院  (エ)即成院
 
【正解】(イ)
 
 
(問)天台宗三門跡の一つで、書道に優れた第17世門主尊円親王が、江戸時代の公文書の書体となった御家流を創始した寺院はどこか。
(ア)三千院  (イ)聖護院 (ウ)青蓮院  (エ)妙法院
 
【正解】(ウ)
 
 
6 練習問題
(1)山号は南叡山。本尊は普賢菩薩。
 
(2)沿革
①永暦元年(1160)に( 1 )が新熊野神社を勧請するときに、西塔本覚院の昌雲が別当となって、法住寺付近に開創。
②鎌倉初期に( 2 )が入寺して以来、天台三門跡の一つに。その後の兵火で焼失。
③豊臣秀吉による復興:豊臣秀吉が( 3 )を建立する際に、当寺を経堂とし、その寄進を受けて復興。
 
(3)( 4 ):国宝。
豊臣秀吉が方広寺大仏殿の千僧供養をおこなった際の遺構といわれ、桃山期の豪快な建築。
(4)大書院:重文
 
( 5 )の旧殿を移築したものといわれ、狩野派の筆による「唐美人図」「四季花鳥図」など、豪華絢爛な金碧画がある。江戸時代初期。
 
(5)( 6 )親書:国宝
秀吉にあてたもの。
 
【正解】
1 後白河上皇
2 尊性法親王
3 方広寺
4 庫裏
5 東福門院
6 ポルトガル国印度副王

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御香宮神社の山桜と桃の花
 
 
 御香宮神社は、近鉄の桃山御陵駅から大手筋商店街と反対の方向、国道24号線方向に向かって少し歩いた左側にあります。
 
 ここは伏見地区の産土神であり、神功皇后を主祭神とし、夫の仲哀天皇、子の応神天皇ほか六神を祀っています。また、神功皇后の神話における伝承から、安産の神として広く信仰を集めています。
 
 境内は徳川家康の再建による本殿、徳川頼宣の寄進による拝殿、徳川頼房(水戸光圀の父)が伏見城の大手門を拝領して寄進した表門など見どころが多く、社名の由来にもなった「御香水」は、名水百選にも選ばれ、週末などは、近所の人たちがペットボトルなどを持って、水汲みに訪れています。
 
 境内には桜の木が多く、まずはじめに山桜が咲き、次いでソメイヨシノ、さらに本殿の東側にある紅しだれ桜がみごとな花を咲かせます。
 
 まず、山桜と桃の花のようすです。
 
 
 
 
1 御香宮神社の山桜のようす
①本殿周辺
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②拝殿周辺
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③絵馬堂周辺
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④桜とメジロ
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2 「陽光」という品種の桜
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3 桃の花
・手水舎
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・参道
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3 御香宮神社について
(1)社名の由来
 貞観4年(862)に、境内に良い香りの水が湧き出し、これを飲むと病気が治ったという奇跡が起き、清和天皇から「御香宮」の名を賜る。
 
 
(2)御香水
社名の由来となった井戸は本殿東側、汲み上げた水は本殿前に出ている。
 
環境省から「日本名水百選」に認定されている。
 
 
(3)伏見城の築城と御香宮
①秀吉の伏見城築城の際には城内に移設され、伏見城鬼門の守護神とされた。
 
②のちに徳家康によって元の位置に戻され、本殿が建立された。
 
 
(3)主な社殿
①本殿(重文)
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 徳川家康の再建。五間社流造。
 
②拝殿(京都府指定文化財)
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 寛永2年(1625)、徳川頼宣が寄進。割拝殿。入母屋造、本瓦葺。
 
③表門(重文)
・元和8(1622)、徳川頼房(水戸光圀の父)が伏見城の大手門を拝領して寄進したものと伝えられる。豪壮な構えで、風格がある。
 
 
(4)小堀遠州ゆかりの枯山水の庭
 小堀遠州が江戸時代初期に伏見奉行所内に作った庭園が、その後軍用地などを経て、戦後、桃陵団地建設の際に発見された。
 
 そこで、庭園の石などを御香宮神社に移して、造園家中根金作の手によって、社務所の裏側に小堀遠州ゆかりの庭園を再現したもの。
 
 文明9年(1477)の銘のある手水鉢がみどころ。
 
 
(5)旧伏見城残石
桃山天満宮のわきに積まれている。
 
 
(6)「明治維新 伏見の戦跡」の石碑
 
明治元年(1868年)に起こった鳥羽伏見の戦いでは薩摩軍の屯所になった。
 ここから、新選組や会津などの幕府軍が陣取っていた伏見奉行所と対峙し、激しい戦闘が繰り広げられた。この戦いにおいて、本殿等の被災は無かった。
 
 
(7)車石
 総門から境内に入り、右手にある桃山天満宮の北側にある。
 
平成20年の10月に、説明板とともにかつて、京都・伏見間の竹田街道に敷き詰められていた「車石」の一部が説明板や当時の道標とともに復元、設置された。
 
 
(8)神幸祭(通称「伏見祭」)
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29日〜107日まで行われる。伏見九郷の総鎮守の祭礼で洛南随一の大祭といわれている。
 
 
 
4 京都検定の出題歴
平成18年度2
 慶応4年〔1868〕正月の鳥羽・伏見の戦いで、伏見奉行所に陣取った新選組など幕府軍に対して薩摩郡が本陣とし、現在「明治維新 伏見の戦跡」の石標が建つのはどこか。
(ア)城南宮 (イ)御香宮 (ウ)藤森神社 (エ)安楽寿院
 
【正解】(イ)
 
5 練習問題
(1)伏見の( 1 )
 
(2)社名の由来
 貞観4年(862)に、境内に良い香りの水が湧き出し、これを飲むと病気が治ったという奇跡が起き、( 2 )から「御香宮」の名を賜る。
 
(3)伏見城の築城と御香宮
豊臣秀吉の( 3 )築城の際には城内に移され鬼門の守護神とされた。のちに徳川家康によって元の位置に戻され本殿が建立された。
 
(4)本殿
( 4 )の再建。( 5 )造。重文。近年、本殿が修復され、狩野派の極彩色の壁画が390年ぶりによみがえった。
 
(5)表門
伏見城の( 6 )を移築したもの。見事な彫刻。桃山時代の雰囲気。重文
 
(6)( 7 )ゆかりの枯山水の庭
社務所の奥にある。
 
(7)( 8 )
日本名水百選に選ばれた。
 
(8)「( 9 )」
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月の( 10 )祭は、伏見九郷の総鎮守の祭礼で洛南随一の大祭。
 
【正解】
1
氏神
2
清和天皇
3
伏見城
4
徳川家康
5
五間社流
6
大手門
7
小堀遠州
8
御香水
9
伏見祭
10
神幸
 
 
皇宮警察本部京都護衛署のしだれ桜
 
 
 京都御苑の烏丸通側にある蛤御門から入って南側に、皇宮警察本部京都護衛署があります。
 
 門内のすぐ左手に、「平安の庭」と名付けられた枯山水のある庭園があり、3連休に、ここのしだれ桜が見ごろになっていました。
 
 門の内側には立入禁止だったのですが、しだれ桜は、外側からでも十分に観賞することができました。
 
 
1 場所↓
 
 
2 「平安の庭」のしだれ桜
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※門内の右手に、「枇杷殿跡」の案内板がありました。
 
・枇杷殿跡
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 三条天皇の御所であり、清少納言や紫式部ゆかりの地であったようです。
 
 
3 皇宮警察本部京都護衛署について
 
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、つぎのような記載があります。
 
皇宮警察本部は警察庁に置かれている付属機関の一つで、天皇及び皇后、皇太子その他の皇族の護衛、皇居及び御所の警衛、その他皇宮警察に関する事務をつかさどる。本部所在地は東京都千代田区千代田13号。
 
皇宮警察本部長は、皇宮警視監の階級の皇宮護衛官であるが、慣例により内閣府事務官である宮内庁職員にも併任される。
 
皇宮警察本部の紋章は五三桐である。桐紋は菊花紋章と並んで古来より皇室の象徴とされてきた。
 
京都護衛署は、京都御所、桂離宮、修学院離宮及び正倉院の区域を担当している。
 

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