|
「大石桜」と大石神社
山科区の稲荷山トンネル入口の南側に、大石神社があります。
このあたりは、大石内蔵助ゆかりの地といわれ、昭和の初期に浪曲会の重鎮奈良丸等が中心となり、内蔵助を祭神とした神社を建てようと、関係方面に働きかけた結果、昭和10年に大石神社が創建されました。
ここは主君の仇討ちという大願を果たした祭神に因み、「大願成就」のご利益があるとして、広く信仰を集めています。
拝殿の前には、「大石桜」と名付けられた京都でも早咲きのしだれ桜があり、3月22日に訪れた際には、見頃を迎えていました。去年よりも2〜3日程度、開花が早いようです。
なお、大石神社から山すそを少し歩いたところに岩屋寺があり、ここのしだれ桜も満開でした。
2 大石神社の「大石桜」(3月21日、22日撮影)
3 大石神社の沿革
<駒札> (1)大石内蔵助隠棲の地
大石内蔵助は、赤穂城の明け渡しの後、元禄14年(1701)6月下旬に、以前からこの付近に田地・屋敷を持っていた親類の進藤源四郎の世話でこの地に移り、翌15年9月まで京都に隠棲し、浅野家の再興をはかり、吉良邸討ち入りの準備を進めたところとされる。 このあたりは交通の要所ではあったものの閑静で人目に付きにくく、密かに大事を計るに最適であったという。
(2)創建の経緯
昭和初期、赤穂義士を熱心に崇拝していた浪曲師の吉田奈良丸が、内蔵助ゆかりの地に神社を創建することを計画し、関係方面に活動を行った。
この結果、府知事を会長とする大石神社建設会などが設立され、募金によって昭和10年に社殿が竣工した。
4 社殿と境内
(1)拝殿
(2)本殿
・本殿前の紅梅
(3)大石内蔵助胸像
(4)義人社
摂社として、討入のための武器を納入したといわれる天野屋利兵衛を祀る。
(5)吉田奈良丸の碑と紅梅
5 絵馬
|
京都の桜2010
[ リスト | 詳細 ]
|
宇治の縣(あがた)神社と「木の花ざくら」
<縣神社>
縣神社は、宇治橋の南詰から大きな鳥居の下をくぐってしばらく歩き、突き当たりの手前、左側にあります。
縣神社は、木花開耶姫命(このはなさくやひめ)を祭神とし、縁結びや安産の神社としても知られています。
また、毎年6月5日の深夜から6日の未明にかけて行われる「縣祭」は、神興が通る間は沿道の明かりが消されることから、「暗夜の奇祭」として知られています。
境内に、祭神の木花開耶比売命(このはなのさくやひめのみこと)から「木花ざくら」と名付けられた大きな枝垂れ桜があります。
この桜は早咲きのしだれ桜で、3連休には見ごろになっていました。
1 場所↓
2 「木の花ざくら」
3 沿革
<説明板>
・「あがた」の名は、上古の「県(あがた)」の守護神であったことを示しているとされ、もともとは、古代の地域の守護神として創建されたと考えられている。
・藤原道長が、隣接地に別業(別荘)宇治殿を営み、その子頼道が、宇治殿を平等院として以来、この神社を平等院の鎮守社とされ、明治時代以前は平等院の管轄下にあった。
4 祭神とご利益
①祭神:「木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)」
②御利益:縁結びの神として知られ、結婚、安産、病気平癒などの祈願に訪れる人が多い。
※縣神社の近くにある橋姫神社は、縁切りの神として知られている。
5 境内のようす
(1)社殿
(2)稲荷神社
境内にまつられている。
(3)縣井(あがたい)
古くから歌枕として知られている。
「都人 きてもをらなむ 蛙なく あがたのゐどの 山吹の花」(後撰集)
(4)ムクノキとイチョウの巨木
参道の両脇にそびえ立っている。どちらも宇治市銘木百選に指定されている。
6 「縣祭」
毎年6月5日の深夜から6日の未明にかけて行われる祭礼。
初夏の宇治の風物詩といわれている。
神興が通る間は沿道の家々の明かりが消されて真っ暗闇になるので、「暗夜の奇祭」として知られている。
6月5日の深夜、明かりのない暗闇の中で、近畿一円の信奉者による梵天(ぼんてん)渡御と呼ばれる儀式がある。
<境内に置かれている梵天>
7 練習問題
(1)祭神:木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)。 (2)永承7年(1052)に、( 1 )が平等院を建立する際に鎮守社(鬼門除け)とした。
(3)「( 2 )(あがたい)」
境内にある平安時代以来の歌枕として、古歌にしばしば詠まれている井戸。 (4)( 3 )祭(6月5日深夜〜翌未明)
近世に入ってから盛大になった祭。毎年6月5日の深夜から6日の未明にかけて祭礼が行われ、神興が通る間は沿道の明かりが消されて暗闇になるので、「( 4 )」として知られている。 【正解】
1 藤原頼通 2 県井 3 県 4 暗闇の奇祭 |
|
魁(さきがけ)桜と平野神社
<平野神社>
平野神社は、京福北野線 の北野白梅町駅 から西大路通に沿って北へおよそ500mのところにあります。
平野神社は、平安遷都の際に大和の四座の神を勧請し、創建したのを起源とし、歴代天皇の崇敬も厚く、源氏や平氏など公家の氏神にもなっていました。
本殿は江戸時代の寛永年間の造営で、一間社春日造の社殿を4つ並べ、2殿ずつを合いの間で連結するという独特の様式で、「比翼春日造」とも、神社名より「平野造」とも呼ばれ、重文に指定されています。
また、拝殿は、東福門院(後水尾天皇中宮・徳川秀忠の娘)よりの寄進と伝え、拝殿に飾られた三十六歌仙の絵は、海北友雪によって描かれ、近衛基煕の書と伝えられています。
なお、拝殿は「接木の拝殿」とも呼ばれていますが、そのいわれは分からないようです。
平野神社の神紋は桜であり、江戸時代には「平野の夜桜」として庶民にも親しまれ、京都で有数の花見の名所として親しまれてきました。
現在、境内の桜園には名木、珍種など約50種類400本の桜樹があり、毎年、京都の桜の季節はここの「魁(さきがけ)」という名のしだれ桜が咲くことから始まります。
≪魁(さきがけ)≫
早咲きの平野神社の代表的品種で、花は一重で白っぽい枝垂れ桜です。
・撮影(2010年3月22日)
2 境内のようす
(1)鳥居と「平野皇大神」の扁額
境内東側にある朱塗りの大きな鳥居。
ここから参道が楼門に向かって伸びている。
(2)楼門と満開の魁桜
質素な楼門に満開の桜が映える。
(3)拝殿
東福門院が寄進したもので、海北友雪の描いた三十六歌仙の額がある。「接木の拝殿」といわれるが、由来は不明。
(4)本殿(重文)
寛永年間の造営。一間社春日造の本殿が2殿一体となり、南北に2棟建てられている。「比翼春日造」とも、社名より「平野造」とも呼ばれる。
(5)南門
慶安4年(1651)に御所の旧門を下賜されたもの。
(6)桜池
4 沿革
①延暦13年(794)、桓武天皇による平安京遷都にともない、平城京で祀られていた今木神・久度神・古開神を遷座・勧請したのが始まり。その後、比売神を祀り、祭神は4座となった。
②天皇家の崇敬も厚く、源氏、平氏、大江氏、菅原氏などの公家の氏神にもなった。中世には二十二社の一社とされた。
③応仁の乱をはじめたびたび社殿が焼失し、そのたびに再建を繰り返し、天文法華の乱によって社殿と社領は荒廃し、その後復興した。
④明治4年(1870)、官幣大社に指定された。
5 京都検定の出題歴
●平成18年度3級 【問】比翼春日造の本殿をもち、桜の名所として有名な神社はどこか。 (ア)北野天満宮 (イ)平野神社 (ウ)梨木神社 (エ)大田神社 【正解】(イ)
6 練習問題
(1)祭神:今木神、久度神、古開神。相殿に比売神。 (2)沿革:平城京の田村後宮から長岡京を経て、平安遷都のときにこの地に移され、以後朝廷に崇敬され、源氏・平氏をはじめ諸氏の氏神としても崇められた。 (3)本殿:寛永年間の再建で重文。( 1 )造、あるいは( 2 )造とも呼ばれる。 (4)拝殿:( 3 )が寄進したもので、接木の拝殿といわれる。三十六歌仙の額は海北友雪による。 (5)境内の桜園:名木、珍種など約50種類400本の桜樹がある。( 4 )天皇がお手植えされて以来、桜の名所として名高く、江戸時代には平野の( 5 )として庶民にも親しまれた。 【正解】
1 比翼春日
2 平野
3 東福門院
4 花山
5 夜桜
|



