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京の紅葉2010

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泉涌寺来迎院と境内の紅葉
 
 
来迎院は泉涌寺の塔頭で、泉涌寺の北側の出入口の近くに、石標と案内板があります。
 
・石標と案内板
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善能寺の向かい側にある石橋を渡ると山門があります。
 
ここは、寺伝によれば、空海(弘法大師)が806年(大同元年)に唐で感得した荒神像を安置して開創し、その後、藤原信房が泉涌寺第四世月翁和尚に帰依して諸堂を整備したと伝えています。
 
なお、来迎院は大石良雄が山科に浪宅を構えたころ、寺請証文を当院からうけた関係もあって、赤穂義士に関する遺品を蔵し、茶席含翠軒、勝軍地蔵尊はそれぞれ大石の寄進あるいは念持仏といわれ、他に大石良雄の画像などを伝えています。(現地の説明板)
 
荒神堂に安置する荒神坐像は「ゆな荒神」と呼ばれて信仰され、荒神堂のかたわらにある独鈷水の井戸は、弘法大師が独鈷(仏具の一種)をもってうがったと伝えています。
 
来迎院は泉山七福神の第4番「布袋尊」の札所となっており、毎年成人の日に行われる七福神めぐりでは大勢の参拝客で賑わいます。
 
 11月末の境内は、紅葉がとてもきれいでした。
 
 
1 場所
 
 
2 境内
①石橋と山門
小川にかかった石橋をわたると山門があり、そこから石段上の荒神堂が見える。
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②荒神堂
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 木造の荒神坐像は空海(弘法大師)の作と伝えている(実際の制作は鎌倉時代)。「ゆな荒神」とも称され、衣食住の3つの宝を授ける神であるが安産の御利益もあるとされて信仰を集めている。
 
・荒神堂横の宝船に乗った数多くの布袋さん
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・荒神堂の周囲の紅葉
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・荒神堂前の石段から見た山門と落葉
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③本堂
大石良雄の念持仏と伝える勝軍地蔵を祀っている。
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・本堂周囲の紅葉
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④独鈷水
荒神堂へ上がる石段の右側の霊泉から湧き出ている名水。弘法大師が掘られたと伝え、今でも水が湧き出している。
内蔵助は境内に湧き出す名水を気に入り、ここに茶室を建て、念持仏の勝軍地蔵大菩薩に祈願しながら、同士と密議を交わしたという。
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⑤祈願の御石
独鈷水の近くにある。
 お願い事を書いた御石を持って、大師像の周りを3度廻り、石碑の梵字に御石を当てて祈念してから納める。
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⑥祈願絵馬
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3 庭園「含翠庭」
山門を入って左奥には庫裏と書院、「含翠軒」と称する茶室、「含翠庭」と名づけられた池泉回遊式庭園がある。
 
忠臣蔵で有名な元赤穂藩家老大石良雄(内蔵助)が討ち入りまでの間、隠遁場所のひとつとしたところで、茶室を自ら建造し、吉良邸討入りの密談をしたりしたと伝える。茶屋の額は内蔵助の筆とされる。
 
①庭園「含翠庭」の拝観受付のある庫裏
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②庭園「含翠庭」(平成18.1撮影)
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・「含翠庭」と書院(平成18.1撮影)
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4 沿革
<説明板>
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・寺伝によれば、空海(弘法大師)が大同元年(806)に唐で感得した荒神像を安置して来迎院を開創したとされる。それから数百年後、泉涌寺第4世月翁律師が藤原信房の帰依を受け、来迎院の諸堂を整備したが、文明の乱の兵火により炎上し、荒廃した。
 
・その後、織田信長、前田利家、徳川家の援助により経済的な基盤も整い、ようやく復興を果たした。
 
・朝廷では、安産の勅願所として信仰を集め、禁裏御菩提所の別当になった。
 
・元禄14年(1701)、大石良雄は赤穂を退去後、外戚にあたる当時の来迎院長老を頼り、寺請証文を受け山科に居を構えた。来迎院の檀家となった。
 
・大石良雄は来迎院の林泉を好み、書院と茶席含翆軒を設けた。含翆軒は、弘法大師が独鈷を用いて掘られて湧水した名水「独鈷水」があるのを喜んで設けたと伝えられている。また、念持仏として大石良雄が、勝軍地蔵菩薩を信仰していたとされ、京阪にいる元赤穂藩の同士と密議を行ったと伝えられる。
(フリー百科事典「ウィキペディア」参照)
 
 
・来迎院は泉山七福神の第4番「布袋尊」の札所となっている。
   
 
5 寺宝
荒神堂に安置する本尊木造荒神坐像とその眷属木造護法神立像五体は、いずれも鎌倉時代の逸品で、重文に指定。前者は俗に胞衣荒神と呼ばれ、唐風の衣冠束帯をつけ、極彩色玉眼入りで、この種の木像では日本唯一のものという。後者はすべて火焔髪を有し、極彩色半裸で武装した荒神の眷属である。
(現地の説明板による)
 

嵯峨野の厭離庵と紅葉

嵯峨野の厭離庵と紅葉  
 
 
厭離庵は嵯峨釈迦堂(清涼寺)西門から二尊院方向に約200m行くと慈眼堂があり、ここを過ぎたところの路地の入口に厭離庵の案内看板があり、その路地の奥に厭離庵があります。
 
・路地入口に立つ看板
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・厭離庵に向かう路地
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厭離庵の地はかつて藤原定家が住んだ小倉山荘跡で、定家が百人一首を撰した処といわれ、その後荒廃し、江戸中期に令泉家が再興して寺とし、霊元法皇から厭離庵の号を得て臨済宗天龍寺派の寺院となっています。
 
境内には書院のほか、茶席時雨亭、定家塚などがあり、普段は非公開ですが、毎年紅葉の時季の一定期間だけ特別に公開されます。
 
ここは紅葉、特に散り紅葉の名所として人気があり、11月末に訪れた時には特別公開中であり、庭園の紅葉がちょうど見ごろで、多くの観光客が訪れていました。
 
 
1 場所↓
 
 
2 境内
①時雨亭
 表門をくぐると正面には大正12年に茶室として再興された時雨亭がある。
時雨亭のそばに、定家が筆を洗う水を汲んでいたと伝える「柳の井」と呼ばれる井戸がある。
 
・時雨亭の入口の門
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・時雨亭
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・柳の井
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②庭園のカエデの紅葉
庭園には大きなカエデの木があり、まさに紅葉が見ごろで、広間の広縁から眺めると、あまりの美しさに圧倒されてしまう。
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③本堂
本堂には本尊の如意輪観音の他に開山の霊源禅師像、西行法師像などが安置され、天井には飛天が描かれている。
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・天井に描かれた飛天
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④定家塚
本堂近くに定家卿を偲ぶ五輪の石塔、定家塚がある。
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⑤井戸と紅葉
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⑥付近の紅葉
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3 沿革
・臨済宗天龍寺派の寺院。山号は如意山。本尊は如意輪観音。
 
・この地は、藤原定家が住んだ小倉山荘跡で、定家が百人一首を撰した処という。
 
・のち荒廃し、江戸中期に令泉家が修復。霊元法皇から厭離庵の号を得る。
 
・その後再び衰え、近年復興。書院のほか、茶席時雨亭、定家塚などがある。
 
・明治43年貴族院議員であった白木屋社長白木屋社長大村彦太郎氏が仏堂と庫裡を建立、山岡鉄舟の娘素心尼が住職に就き、以後尼寺となる。平成18年男僧入山。
(拝観時にいただいたパンフレットより抜粋)
 
 
 
4 藤原定家について
・応保2年(1162)に生まれ、仁治2年(1241)に没する。
 
・鎌倉時代初期の公家・歌人。
 
・藤原北家御子左流で藤原俊成の二男。歌人の寂蓮は従兄。
 
・平安時代末期から鎌倉時代初期という激動期を生き、御子左家の歌道の家としての地位を不動にした。代表的な新古今調の歌人であり、その歌は後世に名高い。俊成の「幽玄」をさらに深化させて「有心(うしん)」をとなえ、後世の歌に極めて大きな影響を残した。
 
2つの勅撰集、『新古今和歌集』、『新勅撰和歌集』を撰進。ほかにも秀歌撰に『定家八代抄』がある。
(フリー百科事典「ウィキペディア」参照)

嵯峨野の祇王寺と紅葉

嵯峨野の祇王寺と紅葉
 
 
<本堂>
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祇王寺は、清涼寺から二尊院のわきを通り、奥嵯峨野方向へ向って少し歩いたところにあります。
 
ここは、もとは法然上人の弟子の良鎮が創建した往生院が江戸末期まであったようですが、明治初期に荒廃し一時廃寺となり、大覚寺の管理下で真言宗に改宗し、明治38年に復興しました。
 
復興に当たっては、明治28年、当時の京都府知事・北垣国道が、祇王を偲び嵯峨の別荘にあった茶室を寄進し、これを本堂にして冨岡鉄斎らにより現在の祇王寺がつくられたとされ、往生院の跡を引き継ぎ、現在は大覚寺塔頭の尼寺となっています。
 
なお、ここは、平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られ、本堂内には祇王・祇女・母の刀自、仏御前の4人の木像を安置しています。
 
祇王寺は、庭園の苔庭と新緑・紅葉が美しく、11月末に訪れた時には苔庭に紅葉が散り敷いていて、とてもきれいでした。
 
 
 
 
2 庭園のようす
紅葉の頃が特に趣きがある。新緑や雪景色も素晴らしい。
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3 沿革
<説明板>
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・往生院祇王寺と号する真言宗大覚寺派の寺院(尼寺)。
 
・寺伝によれば、この地は、平安時代に法然上人の弟子の念仏房良鎮が往生院を開創し、後に祇王寺と呼ばれるようになったと伝えられている。
 
・平家物語によれば、祇王は、平清盛に仕えた白拍子であったが、仏御前の出現により清盛の心が離れてしまったので、母の刀自、妹祇女とともに出家し、当地に移り住んだ。後には仏御前も加わり、念仏三昧の余生を送ったと伝えられている。
 
・現在の本堂は明治28年に再建されたもので、堂内には本尊大日如来像をはじめ、平清盛と祇王・祇女・母の刀自、仏御前の4人の尼僧像を安置している。
 
・境内には、祇王・祇女の墓と伝える宝筐印塔、清盛の供養塔(鎌倉時代の作とされる五輪の石塔)がある。
 
 
4 練習問題
(1)真言宗大覚寺派。院号「往生院」。本尊「大日如来」
 
(2)沿革
念仏坊良鎮(法然の弟子)が創建した往生院の跡。
 
(3)寺名の由来
平清盛の寵愛を失った白拍子の( 1 )が、母の( 2 )と妹の( 3 )を伴い剃髪し、ここに隠棲したことによる。
 
(4)現在の祇王寺
本堂:明治28年(1895)に再建。
仏像:大日如来像(本尊)。
清盛と祇王・祇女・母の刀自・( 4 )の4人の尼僧像を安置。
 
【正解】
1祇王
2
刀自
3
祇女
4
仏御前
泉涌寺から孝明天皇陵への参道と紅葉
   
 
東大路通から泉涌寺道を上がっていくと、泉涌寺大門前の広い駐車場の手前に、左側に分かれるよく整備された道があり、入口に「拝跪聖陵」と書かれた石柱が立っています。
 
・「拝跪聖陵」と書かれた石柱
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ここは孝明天皇陵への参道入口で、「拝跪聖陵」というのは、ひざまずいておがむこと、という意味です。
 
参道は、ほとんど歩いている人もいないのですが、やがて泉涌寺の北側の入口の前に出ます。
 
仏殿や舎利殿、泉涌水屋形などを間近に眺めることができ、訪れたときには、色づいた紅葉が背後の仏殿とマッチして綺麗でした。柵の外側からでしたが、十分でした。
 
泉涌寺の北側の入口の前から、さらに孝明天皇陵への参道を進むと、参道は泉涌寺の伽藍を高台から眺めるようになり、やがて孝明天皇陵前の広場に出ます。
 
陵墓参道入口の門は閉められていますが、ここの門内に立派なカエデの木があり、以前から一度見頃の頃に来てみたいと思っていたのですが、まさに見頃で、真っ赤に紅葉している様子は素晴らしく、強く印象に残りました。
 
なお、地図を見ると、孝明天皇と英照皇太后の陵墓は門内の参道を左右に分かれて造られており、広場までの途中の高台に見える建物は、孝明天皇陵ではなく、英照皇太后の関係の建物のようです。
 
 
1 場所↓
 
 
2 孝明天皇陵参道からの景色
 
①泉涌寺
・仏殿と紅葉
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 写真中央奥の方に、清少納言歌碑が見える。
 
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・仏殿
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・仏殿(右)と舎利殿(左)
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手前に本坊の屋根が見える。
 
 
英照皇太后の陵墓関係の建物
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③陵墓入口の門と紅葉
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 日頃の管理が行き届いていることもあってか、とても見事な紅葉だと思います。 
 
④水盤
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⑤説明板
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・孝明天皇後月輪東山陵
 
・英照皇太后後月輪東北陵
 
 
⑥見事な紅葉
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3 孝明天皇陵について
孝明天皇は慶応2年(18661225日、在位21年にして崩御。享年36(満35歳没)。死因は天然痘と診断された。
 
孝明天皇の埋葬にあたっては、従来の仏式葬の石塔から古式に改められ、歴代天皇墓所の泉涌寺裏山に、円墳を模した後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしやまのみささぎ)が築かれた。ただし、葬儀そのものは泉涌寺において仏式で営まれた。
 
平安京最初の天皇・桓武天皇を祀る平安神宮へ、平安京最後の天皇として昭和15年(1940、皇紀2600年)に合祀された。
(フリー百科事典「ウィキペディア」参照)
 
泉涌寺新善光寺と境内の紅葉
 
 
東大路通から泉涌寺道を上がっていくと、戒光寺と今熊野観音寺の間の左側下方に山門が見えるお寺が泉涌寺の塔頭の新善光寺です。すぐ隣は泉山幼稚園です。
 
・参道入口
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新善光寺の境内は、春のしだれ桜、夏の百日紅、秋の紅葉、サザンカ、冬の千両や椿などが印象的で、普段は落ち着いた境内ですが、愛染明王が泉山七福神の番外とされていることから、毎年成人の日に行われる泉山七福神めぐりのときは大勢の参拝客でにぎわいます。
 
11月末の境内は静かで、紅葉がきれいでした。
 
 
1 場所
 
2 境内のようす
①山門
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②中門(右側)
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 この奥に本堂、書院、愛染堂、庭園がある。
 
 
③本堂
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④書院
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⑤十三重石塔
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⑥愛染堂
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 現在では恋愛成就の象徴になっているという。
 
 
3 境内の紅葉
・中門付近
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・書院付近
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・愛染堂付近
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4 祈願絵馬
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5 沿革
・後嵯峨天皇が信濃の善光寺と同体同仏の阿弥陀如来を模刻鋳造させ宮中で祀っておられたのを、都の人々が遠い信濃まで参詣に行くのが大変であろうと新善光寺を開き、本尊として、一条大宮に建立したのが始まり。
 
・南北朝、室町時代に入ると庶民の崇敬を受け、寺領も整って寺勢は盛んであった。しかし応仁の乱で灰燼に帰し、その後、泉涌寺の山内に再建した。
 

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