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京都の雪景色

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随心院の雪景色

随心院の雪景色
 
 
 立春を迎え、京都の雪景色シリーズ最終回として、 この冬の山科の随心院の雪景色の写真を御紹介します。
 
 随心院は、市営地下鉄東西線 の小野駅 から東に向かって5分くらい歩いたところにある真言宗善通寺派の大本山の寺院です。
 
 真言宗小野流の開祖として知られる仁海の開基で、本尊は如意輪観音です。
 
 このあたりは、かつて小野小町の住居があった跡と伝えるところで、境内には、小町が恋文を埋めたという「文塚」、「小町化粧井戸」と名づけられた井戸や深草少将の「百夜通い」の伝説のカヤの実が展示され、随心院から少し離れた所には、カヤの大木が残っていたりするなど、小野小町ゆかりの伝説を思い起こさせるものが伝えられています。
 
 ここはまた、「はねず梅」と呼ばれる遅咲きの薄紅色の梅のある小野梅園が広く知られています。
 
 急に降り出した雪が、みるみるうちにあたりを雪景色にしてしまい、随心院の書院や本堂の中から見る庭がとても見事で、京都の冬の素晴らしさを実感したひと時でした。 
 
 
 
 
2 境内の雪景色
(1)総門
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奈良街道に面している。宝暦3(1753)、二条家からの移築と伝える。
 
 
(2)総門から境内に続く参道
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参道は初夏にはつつじが美しいところ。雪化粧した参道も素晴らしい。
 
 
(3)薬医門
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寛永年間、徳川秀忠夫人天真院尼の寄進により建造されたと伝える。
 
・薬医門前と梅園の雪景色
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(4)庫裏
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宝暦3(1753)、二条家からの移築。同家の政所御殿であったもの。
  
(5)小野小町歌碑
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庫裏の前庭にある。
 
「花の色は移りにけりな いたづらに我が身世にふる ながめせし間に」
 
 
(6)表書院
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寛永年間(1624-1631)に徳川秀忠夫人天真院の寄進により建立。
 
・周囲の庭園の雪景色
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(7)表書院「能の間」
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九条家の寄進により宝暦年間(1753-1764)に建造され、平成3(1991)に改修工事が行われた。
 
・能の間からの庭園の雪景色
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(8)本堂
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桃山期(1599)の建築で寝殿造。

・本堂前の庭園の雪景色
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(9)大玄関
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寛永年間(1624-1631)九条家ゆかりの天真院尼の寄進により建立。
 
・大玄関から見た薬医門
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3 沿革
<説明板>
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・真言宗善通寺派の大本山。弘法大師の八代目の弟子に当たる仁海僧正が正暦2年(991)に創建した。
 
・もとの名は牛皮山曼荼羅寺といい、その名は、ある夜、亡き母が牛に生まれ変わっている夢を見た仁海僧正が、その牛を捜しあてて世話をしたものの、間もなく死んだため、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を描いて本尊としたことに由来する。
 
・その後、第五世増俊が曼荼羅寺の塔頭として随心院を建立し、第七世親厳の時、後堀河天皇より門跡の宣旨を受け、門跡寺院となった。
 
・この辺り小野は小野一族が栄えた場所であることから、絶世の美女として名高い小野小町ゆかりの寺としても知られ、境内には小町に寄せられた多くの恋文を埋めたという文塚や化粧の井戸などが残されている。
 
・梅の美しい寺としても有名で、三月の最終日曜日には、小野小町に恋した深草少将の百夜通いの悲恋伝説をテーマにした「はねず踊り」が披露される。
  
 
4 京都検定の出題歴
(1)平成16年度3
【問】 はねず踊りが行われる随心院は、( )ゆかりの寺として知られている。
 (ア)和泉式部 (イ)清少納言 (ウ)小野小町 (エ)式子内親王
 
【正解】(ウ)
 
(2)平成17年度3
【問】百夜通いとは、深草少将が(   )のもとに通い続けたという伝説である。
(ア)紫式部  (イ)清少納言  (ウ)小野小町  (エ)吉野太夫
 
【正解】(ウ)
 
(3)平成18年度2
【問】 「寺院」と「ゆかりの人物」の組み合わせ 誤っているものはどれか。
(ア)清閑寺小督局 (イ)随心院小野小町 (ウ)滝口寺横笛 
(エ)廬山寺和泉式部
 
【正解】(エ)
 
(4)平成19年度3
【問】小野小町に恋して伝説「百夜通い」の主人公になったのは誰か。
(ア)頭中将 (イ)在原業平 (ウ)大友黒主 (エ)深草少将
 
【正解】(エ)
 
 
5 練習問題
(1)真言宗善通寺派の大本山。山号「牛皮山」。本尊は如意輪観音。
 
(2)通称「( 1 )」
 
(3)東密(真言宗)の寺相である( 2 )の発祥の寺。
 
(4)沿革
・正暦2年(991)に( 3 )が当地に牛皮曼荼羅を祀り、曼陀羅寺を創始。
5世増俊の時に「随心院」に改名し、7世親厳の時に門跡寺院に。
・承久・応仁の乱後に衰退し、慶長4年(1599)に復興。
・明治41年に独立して真言宗小野派となったが、昭和6年に善通寺を本山とする善通寺派に所属。
 
(5)( 4 )ゆかりの寺
小野小町の住居跡と伝える。( 5 )の「百夜通い」。小町が恋文を埋めたという「( 6 )」。「小町化粧井戸」。遅咲きの( 7 )と「はねず踊り」(3月最終土・日曜)。
 
【正解】
1 小野門跡
2 小野流
3 仁海
4 小野小町
5 深草少将
6 文塚
7 はねず梅

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東福寺通天橋の雪景色

東福寺通天橋の雪景色
 
 
 雪の激しく舞う早朝、東福寺駅から慧日幼稚園や退耕庵の前を通って、駐車場わきから臥雲橋に向かいました。  
 
①臥雲橋
臥雲橋は東福寺三名橋の一つです。
 
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 臥雲橋からは、すぐ前に洗玉澗(せんぎょくかん)と名づけられた渓谷と通天橋を見ることができます。
 
・臥雲橋から見た洗玉澗と通天橋
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②通天橋
 
 
 通天橋は東福寺三名橋の一つといわれる、仏殿から開山堂(常楽庵)に至る洗玉澗(三ノ橋川の渓谷)に架けられた橋廊です。
 
天授6年(1380)、春屋妙葩(普明国師)が谷を渡る労苦から僧を救うため架けたと伝えられ、昭和34年(1959)に台風によって倒壊し、同36年(1961)に再建。歩廊入口に掲げられている「通天橋」の扁額は同国師の筆によるものです。
 
 
 洗玉澗一帯に植えられた約2000本のもみじの木は「通天紅葉」とも呼ばれ、開山の聖一国師円爾弁円が宋の国から伝えたものといわれ、このあたりの紅葉は京都の数ある紅葉のスポットの中でも特に素晴らしいことで知られています。
 
 雪化粧をした洗玉澗の木々と通天橋の光景は、とても素晴らしいものがありました。
 
 
なお、通天橋のさらに東には、東福寺三名橋の一つで、東福寺本坊から塔頭の龍吟庵・即宗院に至る三ノ橋渓谷に架かる木造橋廊である偃月(えんげつ)橋があります。
 
偃月(えんげつ)橋
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・東福寺塔頭の龍吟庵
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二寧坂(二年坂)から産寧坂(三年坂)の雪景色
 
 
 産寧坂(三年坂)は、清水寺の参道である清水坂の途中、北へ石段で降りる坂道を指して言われています。
 
 産寧坂(三年坂)を下りて石畳の二寧坂(二年坂)を通って、八坂神社、円山公園、高台寺方面に出る道は、坂の両側に土産物店、陶磁器店、料亭などが並び、年間を通じて観光客が絶えないところです。
 
 なお、産寧坂重要伝統的建造物群保存地区には北に二年坂までの緩い起伏の石畳の道も含んでいます。
 
 また産寧坂にまつわる伝説として、産寧坂で転ぶと、三年以内に死ぬ、とか、三年の寿命が縮まるという伝説があります。
 
 
 
 
2 二寧坂(二年坂)の雪景色
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・阪口
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・興正寺本廟入口
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・産寧坂(三年坂)
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3 「重要伝統的建造物群保存地区」
(1)発足の経緯
 昭和50年(1975)の文化財保護法の改正によって発足。
 
(2)目的
 日本の各地に残る歴史的な集落や町並みの保存を図ること。
 
(3)運用
 地方自治体の市町村は,伝統的建造物群保存地区を定め,国はその中から価値の高いものを重要伝統的建造物群保存地区として選定し,保存事業への財政的援助や必要な指導・助言を行っている。
 
(4)京都市内の伝建地区
 
祇園新橋伝建地区(昭和51年選定)
祇園の茶屋町。規模の大きな町家が通りに面して軒を並べて建つ。二階軒先にすだれを下げた独特の景観をもつ。
 
 上賀茂伝建地区(昭和63年選定)
上賀茂神社前の明神川沿いの社家町一帯
 
 ③産寧坂伝建地区:(昭和51年選定)石塀小路含む
円山公園〜高台寺下。八坂五重塔、二年坂を経て産寧坂に至る範囲
 
 嵯峨鳥居本伝建地区(昭和54年選定)
愛宕神社一の鳥居の前に形成された町並
八坂の塔(法観寺五重塔)の雪景色
 
 
八坂の塔は、京都の東山にそびえる高さ46mの五重塔です。東山周辺のランドマークであり、また、京都情緒を感じさせてくれる東山の象徴ともいえる五重塔です。
 
正式名は法観寺(ほうかんじ)といい、臨済宗建仁寺派の寺院です。
 
境内は狭く、塔以外に目だった建築物がないため、「八坂の塔」は、寺自体を指す通称にもなっています。
 
なお、法観寺は平安京遷都以前から存在した有数の古い寺院であり、当時このあたりに勢力のあった朝鮮半島系の渡来氏族・八坂氏の氏寺として創建されたという見方が有力だそうです。
 
 八坂の塔に雪が積もった様子は、なかなか京都らしい情緒ある光景でした。
 
 
 
 
2 八坂の塔の雪景色
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2 八坂の塔のいわれ 
<説明版>
イメージ 6・霊応山と号し、臨済宗建仁寺派に属する。
 
・寺伝によれば、聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げにより建立し、往時は延喜式七ヶ寺の一つに数えられ隆盛を極めたが、現在は八坂塔(五重塔)と太子堂、薬師堂の二宇を残すのみ。
 
・八坂塔は本瓦葺き五層、方6m、高さ46mの純然たる和様建築で、白鳳時代の建築様式を今に伝えるもの。創建以来たびたび災火により焼失したがその都度再建され、現在の塔は永享12年(1440)に足利義教(室町幕府第六代将軍)によって再興されたもの。
 
・塔内には本尊五智如来像五体(大日、釈迦、あしゅく、宝生、弥陀)を安置し、須弥檀の下には、古い松香石製の大きい中心礎石があり、中央には舎利器を納めた三十の凹孔が残っている。
 
・寺宝としては、塔を中心に当時の社寺を描いた紙本着色八坂塔絵図のほか、足利義教画像、法観雑記など貴重な文化財を蔵している。
大徳寺芳春院参道の雪景色  
 
 
芳春院は臨済宗大本山大徳寺の塔頭で、大徳寺本坊と聚光院の間の道をまっすぐ北に向かって歩いて行ったところに山門があります。
 
ここは、慶長13年(1608)に前田利家の夫人松子(芳春院)が玉室宗珀を開山として建立し前田家の菩提寺としたという歴史を持ち、開創期には多くの公家、武家、茶人等が集まり、寛永文化の発信地ともなったといわれています。
 
芳春院が広く知られているのは、境内に呑湖閣という金閣・銀閣・飛雲閣と並び京の四閣と称される楼閣があることです。
 
ここは通常は非公開ですが、最近では、毎年1回程度は特別公開されているようです。
 
雪の降りしきる参道のようすもなかなかのものですね。
 
 
1 場所
 
 
2 長い石畳の道
長い石畳の道は、普段でも自由に参観することができ、この道を歩くだけでも四季の移ろいを感じることができます。
 
<雪景色のようす>
・本坊(右側)と聚光院(左)の間の石畳の参道
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・雪の降りしきる参道のようす
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3 沿革
・慶長13年(1608年)に前田利家の夫人松子(芳春院)が玉室宗珀を開山として建立。法号をとって芳春院と名付け、前田家の菩提寺とした。
 
・開創期には多くの公家、武家、茶人等が集まり、寛永文化の発信地ともなったという。
 
・寛政8年(1796年)の火災により創建当時の建物が焼失するが、2年後に現在も残る客殿・庫裡・呑湖閣などが再建。
 
・明治期には廃仏毀釈の嵐の中で荒廃するが、明治8年(1875年)になってようやく復興される。
 
 
 
4 建造物
(1)本堂(方丈)
 
(2)呑湖閣
・元和3(1617)に前田利家の子・利長が小堀遠州に依頼して建てたものと伝えられる。
 
・呑湖閣は打月橋で結ばれ池中に建てられている二重楼閣建築で、春屋宗園の昭堂として庭と同年に建てられたが、現在の建物は1804年(文化1)に再建されたもの。

・呑湖閣は、金閣・銀閣・飛雲閣と並び京の四閣と称されている。京都府指定文化財。

・呑湖閣の意味は、遥か比叡山の向こうにびわ湖を飲むという意味だという。
 
(3)霊屋
芳春院尼・前田利長(まつの長男)・利常などの霊屋。京都府指定文化財。
 
(4)茶室
落葉亭、松月軒、如是庵がある。
 
 
5 庭園
(1)方丈前庭(花岸庭)
山渓から流れ出る水がやがて大海に帰る自然の大らかさを表現したものといわれる。
 
(2)客殿背後の庭園
・呑湖閣を中心とした楼閣山水庭園。元和3年(1617)、横井等怡と小堀遠州の作と伝える。飽雲池に打月橋がかかり、客殿と呑湖閣を結んでいる。
 
・「飽雲池」と称する池には、杜若や睡蓮が美しく映える。
 
 
6 文化財
絹本著色多賀高忠像・大燈国師墨蹟などが著名。
 
 
7 京都検定の出題歴
平成17年度1
(問)大徳寺の塔頭・芳春院にある「京の四閣」の一つに称される楼閣を何というか。
 
【正解】呑湖閣
 
 
 
8 練習問題
(1)沿革
慶長13年(1608)に( 1 )の夫人松子(芳春院)が、前田家の菩提寺として建立。開祖は玉室宗珀。寛政10年(1798)、前田家の援助により再興。
 
(2)創建当時の豪華な霊屋
前田利長の極彩色の霊屋、松子の白木の霊屋が現存。
 
(3)( 2 )
寛政10年(1798)再建。昭堂建築として異色。京都( 3 )の一つ。
 
(4)庭園
元和3年(1617)、横井等佔と( 4 )の作。呑湖閣を中心とした庭園。飽雲池に( 5 )がかかり、客殿と呑湖閣を結ぶ。
 
【正解】
1
前田利家
2
呑湖閣
3
四閣
4
小堀遠州
5
打月橋

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