|
長楽館(旧村井吉兵衛京都別邸)
八坂神社から円山公園に出ると、公園の一角にひときわ目を引く西洋館があります。
・長楽館
現在は長楽館という名称で知られていますが、ここはかつて明治時代の実業家で「煙草王」と称された村井吉兵衛の京都別邸として建てられた建物で、今ではレディースホテル・喫茶店として使われています。
内装はとても豪華で、ここでは贅沢なひと時を過ごすことができます。
「長楽館」という名称は、伊藤博文が宿泊した際に付けられたそうです。
(八坂神社から円山公園に向かう途中にあります)
1 長楽館(旧村井吉兵衛京都別邸)について
●設計 J.M.ガーディナー
●竣工 明治42(1909)年
●沿革
<説明板>
・もとは、明治時代の実業家で「煙草王」と称された村井吉兵衛の京都別邸として建設された。 ・外観はルネッサンス様式を基調にし、1階部分が石張り、2階及び3階部分がタイル貼りとなっている。
・明治・大正期には著名人が多数来訪し、京都の迎賓館として華やかな集いの場となっていた。
・現在はレディースホテル・喫茶・レストランとして使用されている。
・昭和61年6月2日に京都市指定有形文化財に指定。
<外観>
2 京都検定関連出題
<平成17年度2級> 【問】明治初年、井上万吉が安養寺の塔頭を買収し、洋風に改造したホテルを何というか。
(ア)吉水園 (イ)常盤ホテル (ウ)也阿弥ホテル (エ)長楽館 【正解】(ウ)
|
京の近代洋風建築
[ リスト | 詳細 ]
|
京都聖母女学院本館(旧陸軍第十六師団司令部)
京阪本線の藤森駅の東側に出て、琵琶湖疏水を渡ると、南から北へ一方通行の本町通に出ます。
この通りを北に向かうと、右側に京都聖母学院の正門があります。
正門からは、正面奥に、京都聖母女学院本館の建物が見えます。
・正門から見た本館
・案内図
この建物は、旧日本陸軍の第16師団司令部庁舎で、京都の近代洋風建築を代表する建物の一つといわれています。
1 建物の外観
<データ>
・竣工 明治41年(1907年)
・設計 陸軍省
・構造 煉瓦造二階建
2 深草と旧軍施設
深草の町を歩いていると、かつてこのあたりに旧日本陸軍の施設が置かれていたことを感じさせる名残を見つけることができます。
日露戦争の末期の明治41年、陸軍の兵力増強の一環として、それまで置かれていた軍の部隊を統括する第16師団指令本部が京都深草に設置されました。
その後、その他の連隊や病院が次々と併設され、深草に軍の関係者が増加していき、第二次大戦の終結までは、深草は軍人の町という色彩が濃いところでした。
京阪電鉄藤森駅は開業当初は「師団前」という名称でしたが、昭和16年に現名称に改称されました。この藤森駅付近の師団街道・第1軍道・第2軍道・第3軍道と呼ばれる道路や、琵琶湖疏水に架かる師団橋という橋梁も第16師団の設置に伴い整備されたもので、京阪電鉄が開通時、踏切が訓練の支障になると京阪本線を跨ぐ高架橋が3箇所に設置されました。
現在、深草には、京都教育大学や、医療センター国立京都病院、龍谷大学、青少年科学センターなど、広い敷地を使った施設がありますが、それは戦後、軍の施設があった敷地を引き継いだものです。
明治41年(1908)に完成した第16師団司令部庁舎は後に学校法人聖母女学院が本部として利用し、師団練兵場は龍谷大学・京都府警警察学校が利用することになりました。
3 京都検定出題例
●平成19年度3級
【問】明治40年(1907)に、伏見に完成した陸軍第十六師団司令部は、現在( )の校舎になっている。
(ア)京都教育大学 (イ)聖母女学院 (ウ)龍谷大学 (エ)種智院大学
【正解】(イ)聖母女学院
|
|
五龍閣カフェ(旧松風嘉定邸)と武田五一
清水寺へ向う坂の途中、石畳の奥に、大きなレトロな洋館があります。
ここは国の登録有形文化財にもなっている「五龍閣」です。
この建物は最近まで湯豆腐で有名な清水順正として使われていましたが、2009年11月、五龍閣は、順正経営の「五龍閣カフェ」としてオープンしました。
湯豆腐は、向かいに移って、「清水順正 おかべ家」としてリニューアルオープンしています。
五龍閣は、もとは、清水焼から事業を起こし,義歯や碍子で財を成した明治の企業家であった松風嘉定の邸宅として、大正10年(1921)頃までに建てられたとされています。
設計をしたのは、明治・大正期の著名な建築家で、京都大学建築科の創始者としても知られている武田五一です。
外観は,和風と洋風が自然に入り混じった折衷様式で、国の登録有形文化財に指定されています。
建物の内部はステンドグラスなど見どころが多く、店内には竹久夢二の作品が展示されています。
②外観
③説明板
④店内
●武田 五一(明5.11.15 〜 昭13年.2.5)
・広島県福山市生まれ。関西を中心に活躍した日本の建築家。 ・京都帝国大学(京都大学)に工学部建築学科を創立し多くの後進を育成した。
・よくアール・ヌーボーを日本に紹介した建築家、とも言われる。フランク・ロイド・ライトとも親交があり、国会議事堂建設をはじめ多くのプロジェクトに関与している。
<主な作品>
・同志社女子大学ジェームス館 ・京都市役所(東半分1927年、西半分1931年)
・島津製作所河原町別館(1927年、京都市) ・旧毎日新聞社京都支局(1928年、京都市) ・京都大学人文科学研究所東洋学文献センター(旧東方文化学院京都研究所)(1930年、京都市) ・同志社女子大学栄光館(1932年、京都市) |
|
大丸ヴィラ(旧下村邸)とバラの花
地下鉄烏丸線 の丸太町駅 の北西出口を出ると、洋館があります。
この建物は、もともとは昭和7年当時に(株)大丸の社長であった下村正太郎氏の自宅として建てられた住宅で、現在は(株)大丸が所有者です。
塀に沿ってバラの花がきれいに咲いていました。
(1)場所↓
(2)設計 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ/ヴォーリズ建築事務所
(3)竣工 昭和7年(1932)
(4)施工 清水組
(5)構造 鉄筋コンクリート3階建
●大丸ヴィラ
・もともとは昭和7年当時(株)大丸の社長であった下村正太郎氏の自宅として建てられた住宅。 ・ヴォーリズが16世紀頃にイギリスで流行した様式であるチューダー様式で、建物と家具も一緒に設計。
・ほぼ純粋なチューダー様式による、昭和初期の京都を代表する邸宅の一つとして貴重なもの。「チューダー」にちなんで「中道軒」とも呼ばれていた。
・昭和59年6月1日、京都市登録有形文化財に登録。
<大丸ヴィラとバラ>
●京都市内にあるヴォーリズ設計の建物
・京都メソジスト教会(京都御幸町教会)1913(大正2)年
・バザール・カフェ 1919年(大正8)年
・東華菜館 1926年(大正15)年
・大丸ヴィラ 1932年(昭和7)年
・駒井家住宅(駒井卓・静江記念館)1927(昭和2)年
・同志社啓明館 1915(大正4)年
・旧京都帝国大学YMCA会館 1913(大正2)年
|
|
西本願寺伝道院
西本願寺の御影堂門から堀川通を隔てて東へ向う正面道の入口に総門があり、ここから仏具屋さんが建ち並ぶ通りの先に、レンガ造りのドームのある建物が見えます。
この建物は、明治45年(1912)に当時の真宗信徒生命保険株式会社の社屋として建築されたもので、昭和63年(1988)に、京都市の指定有形文化財に指定されました。
設計者は、京都では祇園閣の設計をした東京帝国大学教授の伊東忠太です。
ここは、何年も前からブルーシートがかかり、修復工事が進められてきたのが、今年の春にようやく姿を現しました。
近寄ってみると、なかなか個性的な建物です。
また、妖怪好きであったという伊東忠太らしい、面白い姿の石造怪獣なども柵の上の柱に取り付けられていたりします。
1 場所↓
2 伝道院
①西本願寺境内から見た伝道院
②総門
③御前通と伝道院
④全景
⑤側面
⑥石造怪獣
3 由来
<説明板>
京都市指定有形文化財
本願寺伝道院
この建物は、明治28年(1895)4月に設立された真宗信徒生命保険株式会社の社屋として、明治45年に東京帝国大学教授伊東忠太の設計、竹中工務店の施工により建築されたものである。当初は「本館」のほか「付属室」、「倉庫」の2棟。「物置、人力車置場、便所」、「屋根付伝ひ廊下」が建っていたが、現在は「本館」のみが残る。
伊東忠太は明治41年、日本建築もこれからは石材・鉄によらねばならず、しかもその建築様式は欧化でも和洋折衷でもなく、木造の伝統を進化させることにより生み出さなければいけない、という「建築進化論」を提唱し、日本の建築界に大きな影響を与えた。 建物はこの「建築進化論」の考え方を明確に表現した作品で、外観は古典様式基づくものの、開口部まわりや軒まわり、塔屋の形態などにサラセン洋式、日本の伝統的な洋式が用いられており、日本の近代建築の発展を知るうえで貴重なものである。 昭和63年5月2日指定 京都市 4 伊東忠太
・明治〜昭和期の建築家、建築史家
・山形県米沢市出身。日本建築史を創始。建築界ではじめて文化勲章を受章
なお、フリー百科事典「ウィキペディア」によれば、伊東忠太は妖怪好きで、兼松講堂や震災祈念堂などには摩訶不思議な動物の彫刻が付けられているといい、また、もともと画家(漫画家)になりたかったということで、本格的な日本画や、妖怪などを描いた軽妙な漫画も多く残しているという。
●主な作品
<京都>
・祇園閣
・豊国廟
・平安神宮(共同設計)
・伝道院(真宗信徒生命保険株式会社社屋)
<関東>
・大倉集古館
・震災祈念堂
・築地本願寺
・東京商科大学兼松講堂 現・一橋大学兼松講堂
など
|


