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東華菜館とヴォーリズ
<しだれ桜が咲く鴨川の岸から見た東華菜館>
東華菜館は四条大橋の西詰にある北京料理店のお店です。
ここでは夏は納涼床、屋上ビアガーデンがあり、冬は中華鍋も堪能できることで人気があります。
この建物の設計者はウィリアム.M.ヴォーリズで、大正15年(1926)に建てられました。元は矢尾政レストランという西洋料理店でした。
屋上の尖塔が目立ち、エントランス周囲の装飾がとても凝っています。
なお、建築様式は、スパニッシュバロック様式というそうです。
1 東華菜館
(1)場所↓
(2)外観
・四条大橋と東華菜館
・先斗町から見た東華菜館
・側面外壁の凝った意匠
・エントランス周囲の装飾
ホタテ貝や山羊の頭が見えます。中に入るとタコがいるそうです。
・エントランス
・屋上の尖塔
2 ウィリアム・メレル・ヴォーリズについて
フリー百科事典『ウィキペディア』には、次のような記述があります。
・アメリカのカンザス州レブンワース生まれ。
英語教師として来日後、日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けた。学校、教会、YMCA、病院、百貨店、住宅など、その種類も様式も多彩である。
・ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。そしてまたYMCA活動を通し、また「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。
・1941年(昭和16年)に日本に帰化してからは、華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と名乗った。
3 京都市内にあるヴォーリズ設計の建物
・京都メソジスト教会(京都御幸町教会)1913(大正2)年
・バザール・カフェ 1919年(大正8)年
・東華菜館 1926年(大正15)年
・大丸ヴィラ 1932年(昭和7)年
・駒井家住宅(駒井卓・静江記念館)1927(昭和2)年
・同志社啓明館 1915(大正4)年
・旧京都帝国大学YMCA会館 1913(大正2)年
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京の近代洋風建築
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同志社アーモスト館とヴォーリズ
今出川通から相国寺に向かう途中、右側にある赤煉瓦の建物が同志社のアーモスト館です。
アーモスト館は新島襄の母校であるアメリカのアーモスト大学と同志社大学との交流のシンボルとして昭和7年(1932)に建てられたもので、現在は学生寮として使用されています。
設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズです。
ニューイングランド・ジョージアン様式という建築様式で、国登録有形文化財となっています。
しだれ桜が咲き始める春の様子はとても美しく、まさに感動もので、ヴォーリズの作品の素晴らしさを改めて実感しました。
1 アーモスト館
(1)場所↓
(2)外観
①8月撮影
②しだれ桜の咲き始める4月に撮影
2 アーモスト大学と同志社
新島襄はボストン西方にあるアーモスト大学で学びました。ここは、キリスト教に基づく宗教教育をベースとし、学業面では幅広い科目を学び、豊かな教養人の育成を目指すとともに、精神的な訓練や人格の育成にも力を入れていました。
人格教育の実を挙げるために、この大学は少人数教育に徹し、しかも学生全員と教師の家族が、ともにキャンパスに居住する全寮制を原則としていました。新島も3年間の寮生活を経験しました。
帰国後の新島が京都で立ち上げた同志社は、このアーモスト大学がモデルとなりました。1932年には、同志社大学に同志社アーモスト館が寄贈されました。一方、アーモスト大学には同志社教職員の宿舎として「同志社ハウス」が備えられています。
3 京都市内にあるヴォーリズ設計の建物
・京都メソジスト教会(京都御幸町教会)1913(大正2)年
・バザール・カフェ 1919年(大正8)年
・東華菜館 1926年(大正15)年
・大丸ヴィラ 1932年(昭和7)年
・駒井家住宅(駒井卓・静江記念館)1927(昭和2)年
・同志社啓明館 1915(大正4)年
・旧京都帝国大学YMCA会館 1913(大正2)年
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聖アグネス教会聖堂内部のようす
烏丸通に沿った京都御苑の向かい側、烏丸下立売の交差点の角に、レンガ造のゴシック様式の建物があります。
この建物は、明治31年(1898)に平安女学院のチャペルとして建設され、当時は聖三一大聖堂と呼よばれていましたが、大正12年(1923)に平安女学院関係者によって聖アグネス教会が組織され、現在では日本聖公会京都教区の大聖堂としての役割と聖アグネス教会の聖堂を兼ねています。
設計はJ.M.ガーディナーによるもので、昭和60年に京都市指定有形文化財に指定されました。
なお、京都の中心市街地にはJ.M.ガーディナーの設計による教会堂として、明治40年(1907)河原町五条に建てられた「聖ヨハネ教会堂」があり、現在は、博物館明治村に移築され、重文に指定されています。
また、円山公園の一角に建てられた「長楽館」(重文)もJ.M.ガーディナーの設計によるものです。
教会の内部の写真を入手しましたのでアップします。
①場所↓
②外観
・入口
②内部
写真はNPO都草の池田氏による撮影です。
●日本聖公会 聖アグネス教会聖堂について
<説明板>
[[attached(21,center)]]
・明治28年(1895)、大阪の照暗女学校が京都へ移り平安女学院と改称されたとき、その礼拝堂としてアメリカ人J.M.ガーディナーの設計により明治31年に建築された。
・この建物はさらに、日本聖公会京都教区の大聖堂としての役割も果たし、聖三一大聖堂とも呼ばれていた。
・現在は、京都教区の大聖堂と聖アグネス教会の聖堂を兼ねている。
・建物は、三廊式バシリカ型平面で、南西隅に八角平面の洗礼室、北東隅に三層の鐘塔、南東隅に司祭室を設けている。
・意匠的には、外観はやや重厚であるのに対し、内部は柱や小屋組の部材が比較的細く簡素なものとなっている。
・この聖堂は、煉瓦造の教会堂としては古いほうに属し、J.M.ガーディナー設計の初期の教会堂作品としても貴重であり、昭和60年6月1日、 京都市 指定有形文化財に指定された。
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聖アグネス教会聖堂とJ.M.ガーディナー
聖アグネス教会は、烏丸通に沿った京都御苑の向かい側、烏丸下立売の交差点の角にあります。
明治31年(1898年)に平安女学院のチャペルとして建設され、当時は聖三一大聖堂と呼よばれていましたが、大正12年(1923)に平安女学院関係者によって聖アグネス教会が組織され、現在ではこちらの名称で呼ばれています。
レンガ造のゴシック様式の建物です。
設計は立教学校(立教大学の前身、立教大学では初代校長)の第3代校長だったJ.M.ガーディナーです。
昭和60年に京都市指定有形文化財に指定されました。
なお、J.M.ガーディナーの設計による教会堂の一つに、明治40年(1907)京都の河原町五条に建てられた「聖ヨハネ教会堂」があり、現在は、博物館明治村に移築され、重文に指定されています。
また、円山公園の一角に建てられた「長楽館」(重文)もJ.M.ガーディナーの設計によるものです。
①場所↓
②外観
※写真はNPO都草の池田氏による撮影です。
●日本聖公会 聖アグネス教会聖堂について
<説明板>
・明治28年(1895)、大阪の照暗女学校が京都へ移り平安女学院と改称されたとき、その礼拝堂としてアメリカ人J.M.ガーディナーの設計により明治31年に建築された。
・この建物はさらに、日本聖公会京都教区の大聖堂としての役割も果たし、聖三一大聖堂とも呼ばれていた。
・現在は、京都教区の大聖堂と聖アグネス教会の聖堂を兼ねている。
・建物は、三廊式バシリカ型平面で、南西隅に八角平面の洗礼室、北東隅に三層の鐘塔、南東隅に司祭室を設けている。
・意匠的には、外観はやや重厚であるのに対し、内部は柱や小屋組の部材が比較的細く簡素なものとなっている。
・この聖堂は、煉瓦造の教会堂としては古いほうに属し、J.M.ガーディナー設計の初期の教会堂作品としても貴重であり、昭和60年6月1日、 京都市 指定有形文化財に指定された。
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京都御幸町教会(「日本基督教団御幸町教会会堂」)とヴォーリズ
京都の町なかには、ヴォーリズの素晴らしい作品があちこちに残っています。
押小路通から御幸町通を上ったところにある京都御幸町教会もその一つです。
大正2年(1913)竣工の煉瓦造平屋建の建物はヴォーリズによる初期の教会堂の作品であり、京都市内に残る数少ない煉瓦造の教会堂建築として貴重な建物とされ、平成9年には、京都市指定文化財として登録されています。
ゴシック様式を基調とし、窓には正面・側面とも、先の尖ったアーチを用いた建物で、外見だけを見ていても、時のたつのを忘れてしまいそうです。
また、すぐ、南側にはやはりヴォーリズ設計の木造2階建の講堂があります。
2 教会堂のようす
窓枠をよく見ると、木枠でできていることがわかる。
・側面
・建築された年「AD1913」
・「大正二年七月定礎 京都中央基督教会」
3 教会堂の詳細
<説明板>
・当教会は、1898年(明治31)に設立されたアメリカ南メソジスト教会神戸教区の京都講義所が起源。
・昭和16年(1941)にプロテスタント各派が合同して日本基督教団を設立したのを機に、翌年に京都御幸町教会となった。
・現在の教会堂は、大正2年(1913)に建てられた煉瓦造の平屋建で、背面に講檀を張り出す他はほぼ矩形の平面である。
・外観は、窓を尖頭形として側面の要所にバットレスを配するなど、ゴシック様式を基調としている。
・内部は西端に玄関を配し、その上部は中2階として北寄りに会談室を区画する。
・奥の礼拝堂は広い一室で、天井を張らずにキングポストトラスをみせ、最奥に講檀を設ける。
・なお、南接建物にある集会室との境には3連のガラス入り格子戸が装置されているが、これは上部の壁内に引き込む揚戸となっているが、これは集会室との一体的な利用を図るために設計されたもので、他にあまり例がない。
・この教会堂は、明治末から昭和初期にかけて活躍したW.M.ヴォーリズによる初期の教会堂の作品であり、京都市内に残る数少ない煉瓦造の教会堂建築として貴重な建物とされている。
4 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880年−1964年)について
近代建築に大きな足跡を残したことで、高く評価されている。
フリー百科事典『ウィキペディア』には、次のような記述がある。
・アメリカのカンザス州レブンワース生まれ。
英語教師として来日後、日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けた。学校、教会、YMCA、病院、百貨店、住宅など、その種類も様式も多彩である。
・ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。そしてまたYMCA活動を通し、また「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。
・1941年(昭和16年)に日本に帰化してからは、華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と名乗った。
5 このほかの京都市内の主なヴォーリズの作品
・日本聖公会京都復活教会
・東華菜館
・同志社アーモスト館・致遠館・啓明館
・大丸ヴィラ・大丸京都店
・京大YMCA会館
・京都府立医大基督教青年会橘井寮・主事宅
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