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京の紅葉2011

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 西国札所、今熊野観音寺と境内の紅葉
 
 
東大路通から泉涌寺へ向かう参道を上っていくと、泉涌寺大門前の駐車場の手前に左へ折れる道があり、この先に今熊野観音寺があります。
 
今熊野観音寺は泉涌寺の塔頭で、正式名は新那智山今熊野観音寺といいます。
 
平安時代に空海が庵を結び自ら観音像を刻んで安置したのが始まりと伝えられていますが、藤原緒嗣が伽藍を造営したともいわれています。
 
ここは西国三十三所観音霊場の第15番札所として、さらに中風や頭痛平癒、近年は、ぼけ封じのご利益で信仰を集め、年間を通じて多くの参拝客が訪れます。
 
年中行事としては、毎年9月に行われる四国八十八ヶ所のお砂踏み法要が有名です。
 
なお、本堂背後の墓地に、鎌倉時代後期のものとされる見事な石造宝塔が三基並んでおり、慈円僧正、藤原忠通、藤原長家の供養塔であると伝えられており、すぐ近くには、薩摩の島津義久の「逆修墓」と伝える大きな五輪塔もあります。
 
境内は秋の紅葉が見事なことで知られ、11月末に訪れたときには素晴らしい紅葉を楽しむことができました。
 
 
※場所
 
 
1 境内
 
鳥居橋を渡って境内にかけての紅葉
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 泉涌寺参道から左に折れ、今熊野川に架かる鳥居橋を渡り、観音寺の境内に入る。
 
子護大師と紅葉
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 境内に入って真っ直ぐ進み、石段を上ると、子護大師の前に出る。子護大師は文字通り子供達を護り育む「子護弘法大師」として信仰されている。
「南無大師遍照金剛」を唱えながら、大師像の周りをまわる。
 
 
本堂と紅葉
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 本堂を正面に見ると、右手に大師堂があり、右側の山上に多宝塔が見える。
 
≪本堂≫
本尊は、弘法大師作と伝えられる十一面観世音菩薩。
 
後白河法皇の病気治癒の伝説から、本尊は中風や頭痛平癒の観音といわれている。知恵授けでも名高い。
 
脇仏は、智証大師円珍作と伝えられる不動明王と、運慶作と伝えられる毘沙門天。
 
ぼけ封じ、頭痛封じ、智恵授けの枕カバーを授与している
 
 
多宝塔(医聖堂)
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 本堂東側の山上にそびえ立つ高さ16mの平安様式の多宝塔で、医界に貢献した多くの方々がまつられている。
 
 
五智の井(五智水)
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 本堂前方にある。
 
 弘法大師が当山を開かれるときに錫杖をもって岩根をうがたれて湧き出した水が五智水と伝えられている。五智の井は、五智水が井戸水として湧き出している井戸。
 
 
大師堂とぼけ封じ観音と紅葉
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 弘法大師を祀る。不動明王、愛染明王、また当山の伽藍を寄進建立された左大臣藤原緒嗣の像もお祀りしている。
 
 
鎮守社「稲荷社」「熊野権現社」と近くの紅葉
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 向かって左に稲荷社、右に熊野権現社が並んでいる。
 
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石仏と紅葉
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鐘楼と紅葉
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本堂背後の墓地にある、鎌倉時代後期のものとされる見事な石造宝塔
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 慈円僧正、藤原忠通、藤原長家の供養塔であると伝えられている。
 
 
 
2 年中行事
 
お砂踏法要 921日〜23
今熊野観音寺は西国三十三所観音霊場の第十五番札所であり、ここに、四国霊場八十八ヵ所の全ての砂が敷き並べられ、遍路の行程を一日で巡ることができるとされる。
 
 
 
3 祈願絵馬
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4 沿革
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・泉涌寺の塔頭で、正しくは新那智山今熊野観音寺という。西国三十三ヶ所観音霊場第十五番目の札所になっている。
 
・空海が自ら観音像を刻んで草堂に安置したのが当寺のはじめというが、斉衡年間(854857)左大臣藤原緒嗣が伽藍を造営したとも伝える。文暦元年(1234)後堀河上皇を当寺に葬るなど、歴朝の崇敬を得て栄えた。
 
・伽藍は応仁の兵火で焼失したが、その後復興されて現在に至っている。
本堂には空海作と伝える十一面観音像を安置。
 
・寺域は幽静で、郭公鳥の名所として昔から知られている。
 
・本堂背後の墓地には慈円僧正、藤原忠通、藤原長家の墓と称せられる見事な石造宝塔三基がある。
 
 
 
5 京都検定の出題歴
(1)平成16年度2
【問】西国三十三箇所巡礼は、平安後期に僧侶の間で始まり、室町後期には一般にも普及した。次のうち札所寺院でないものはどれか。
(ア)長楽寺 (イ)今熊野観音寺 (ウ)清水寺 (エ)善峯寺
 
【正解】(ア)
 
 
(2)平成18年度2
【問】9月、四国霊場八十八ヵ所の遍路を一度で巡るとされる今熊野観音寺の行事はどれか。
(ア)お練り供養法会 (イ)千日詣り (ウ)お砂踏法要 (エ)六斎念仏
 
【正解】(ウ)

山科の岩屋寺と紅葉

山科の岩屋寺と紅葉
 
 
 岩屋寺は山科盆地の西端、大石神社の境内から南へ、竹薮の間の坂道を上っていったところにあります。
 
 坂道をあがったところは平坦な高台になっており、かつて大石内蔵助は、ここに邸宅を建てて隠棲し、吉良邸討ち入りの準備をしたといわれ、近くには「大石内蔵助隠棲旧地の碑」や遺髪塚などがあります。
 
 また、石段を上がったところに岩屋寺があり、境内には本堂と浅野内匠頭の位牌をはじめ四十七士の木像、位牌、大石良雄の遺品などを安置した木像堂、大石内蔵助手植えの梅と伝える古木の梅の木などがあります。
 
 岩屋寺の前の高台からは東側に山科盆地を見渡すことができ、東端にある古木の大きなしだれ桜が咲くようすはとても見事です。眼下の町並み、さらに滋賀県境の山々をのぞみ、まるで絵画のようです。
 
 大きなしだれ桜のまわりに多くのカエデが植えられていて、1130日の早朝に訪れたときには、ちょうど紅葉が見頃になっていました。
 
 
●大石内蔵助隠棲旧地の碑
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●大石内蔵助遺髪塚
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●岩屋寺への石段
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 岩屋寺は境内には内蔵助の念持仏であったという不動明王を本尊とした本堂と、浅野内匠頭と四十七士の像を安置した木像堂があります。
 
 境内には京都でも早咲きの桜として知られるしだれ桜や大石内蔵助手植えの梅と伝える古木の梅の木があります。
 
 
 
 明治34年(1901)建立。浅野内匠頭の位牌をはじめ四十七士の木像、位牌、大石良雄の遺品などを安置。
 
 
●岩屋寺の前に広がる高台で見られた紅葉
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このあたりは、大石内蔵助の邸宅跡と伝える。
 
 
●石仏
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3 沿革
<説明板>
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・創建時は天台宗に属し、比叡山三千坊の一つであったが、現在は曹洞宗永平寺派天寧寺の末寺で、神遊山金地院と号する。
 
・古来は隣接する山科神社の神宮寺であったと伝えられる。
 
・赤穂義士・大石良雄(通称大石内蔵助)の隠棲地として有名で、大石寺とも呼ばれる。
 
・本堂に安置する本尊大聖不動明王は、智証大師の作とされ、大石良雄の念持仏であったという。
 
・大石良雄の遺髪塚および宅跡がある。
 
・大石良雄は、赤穂城明け渡しの跡、ここに隠れてひそかに討ち入りの準備をしたが、成就した後、邸宅・田畑等一切を岩屋寺に寄進した。
 
・その後、一時荒廃したが、嘉永年間に京都町奉行浅野長祚らの寄付を受けて再興した。
 
 
 
4 山科義士まつり
 毎年1214日に行われる。
 
 
 
5 練習問題
(1)山号:神遊山、本尊:不動明王。
 
(2)沿革
 嘉永年間(184854)、京都町奉行の浅野長祚が長く荒廃していたのを復興。
 
(3)赤穂浪士の( 1 )ゆかりの寺。
・内蔵助は、ここに邸宅を建てて隠棲を装っていた。
 
羽織、茶道具などの遺品などが残る。
 
四十七士の像を安置した木像堂と遺髪塚、碑(「( 2 )」書)があり、内蔵助手植えの梅も残る。
 
( 3 )(1214日)には内蔵助の羽織、浪士の遺品が公開される。
 
【正解】
1
大石内蔵助
2
北垣国道
3
義士忌
 
泉涌寺来迎院と境内の紅葉
 
 
来迎院は泉涌寺の塔頭で、泉涌寺の北側の出入口の近くに、石標と案内板があります。
 
・案内板
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ここは、寺伝によれば、空海(弘法大師)が806年(大同元年)に唐で感得した荒神像を安置して開創し、その後、藤原信房が泉涌寺第四世月翁和尚に帰依して諸堂を整備したと伝えています。
 
荒神堂に安置する荒神坐像は「ゆな荒神」と呼ばれて信仰され、荒神堂のかたわらにある独鈷水の井戸は、弘法大師が独鈷(仏具の一種)をもって、うがったと伝えています。
 
なお、来迎院は大石良雄が山科に浪宅を構えたころ、寺請証文を当院からうけた関係もあって、赤穂義士に関する遺品を蔵し、茶席含翠軒、勝軍地蔵尊はそれぞれ大石の寄進あるいは念持仏といわれ、他に大石良雄の画像などを伝えています。
 
大石良雄は、討ち入りまでの間、ここを隠遁場所の一つとし、茶室を自ら建造し、吉良邸討入りの密談をしたりしたと伝えています。
 
来迎院は泉山七福神の第4番「布袋尊」の札所となっており、毎年成人の日に行われる七福神めぐりでは大勢の参拝客で賑わいます。
 
 11月末の境内は、紅葉がとてもきれいでした。
 
 
※場所
 
 
 
1 境内
 
●山門
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 小川にかかった石橋をわたると山門があり、そこから石段上の荒神堂が見える。
 
 
●山門から見た境内
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 石段の上に見えるのが荒神堂。
 
 
●弘法大師像と独鈷水
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 荒神堂へ上がる石段の右側の霊泉から湧き出ている名水。弘法大師が掘られたと伝え、今でも水が湧き出している。
 
内蔵助は境内に湧き出す名水を気に入り、ここに茶室を建て、念持仏の勝軍地蔵大菩薩に祈願しながら、同士と密議を交わしたという。
  
●祈願の御石
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 独鈷水の近くにある。お願い事を書いた御石を持って、大師像の周りを3度廻り、石碑の梵字に御石を当てて祈念してから納める。
 
 
●荒神堂
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 木造の荒神坐像は空海(弘法大師)の作と伝えている。「ゆな荒神」とも称され、衣食住の3つの宝を授ける神であるが安産の御利益もあるとされて信仰を集めている。
 
 
●荒神堂の周囲の紅葉
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・荒神堂前の石段から見た山門と紅葉
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●本堂
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 大石良雄の念持仏と伝える勝軍地蔵を祀っている。
 
 
●庫裏
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 庭園「含翠庭」の拝観受付がある。
 
 
   
2 庭園「含翠庭」
山門を入って左奥には庫裏と書院、「含翠軒」と称する茶室、「含翠庭」と名づけられた池泉回遊式庭園がある。
 
忠臣蔵で有名な元赤穂藩家老大石良雄(内蔵助)が討ち入りまでの間、隠遁場所のひとつとしたところで、茶室を自ら建造し、吉良邸討入りの密談をしたりしたと伝える。茶屋の額は内蔵助の筆とされる。
 
 
●庭園「含翠庭」
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●石仏
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3 沿革
<説明板>
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・泉涌寺の塔頭で、藤原信房が泉涌寺の第4世・月翁和尚に帰依して一院を興したのが始まりと伝えられる。
 
・荒神堂に安置されている本尊の木造荒神坐像とその眷属木造護法神立像五体は、いずれも鎌倉時代の逸品で、重文に指定。荒神坐像は俗に胞衣(えな)荒神と呼ばれ、極彩色の玉眼に唐風の衣冠束帯をつけ、この種の木像では日本唯一のものという。
 
・荒神堂のかたわらに、弘法大師が独鈷(仏具の一種)をもってうがったと伝えられる名水・独鈷水がある。
 
・忠臣蔵で有名な大石良雄が山科に浪宅を構えた頃、寺請証文(寺の檀家であることを証明する文書)を当院から受けた関係から、大石の寄進による茶室・含翠軒や大石の念持仏とされる勝軍地蔵尊をはじめ赤穂浪士に関する遺品を多数蔵している。
 
・含翠の庭と呼ばれる池泉回遊式の庭園は、秋には見事な紅葉に包まれる。
 
京都の洛北・鷹峯にある吟松寺の紅葉
 
洛北鷹峯(たかがみね)には、源光庵や光悦寺、常照寺といった紅葉の美しいお寺がありますが、紙屋川沿いにあるレジャー施設「しょうざん」から川に沿って、10分くらい歩いたところにある吟松寺(ぎんしょうじ)は、知る人ぞ知る、鷹峯のおすすめの隠れ紅葉スポットです。
 
11月末の平日の午後に訪れましたが、境内の紅葉はとても素晴らしく、しばらくの間、見事な光景を独り占めさせていただきました。
 
1 場所
 
 
 
2 アクセス
「しょうざん」からではなく、光悦寺から行くのもおすすめです。
 
光悦寺の前の道から100m程西に行くと道幅が急に狭くなり、急坂になり、その坂道を下って突き当たりを左折して、紙屋川に沿ってしばらく行ったところにあります。
 
光悦寺から徒歩で10分くらいのところです。
 
 
 
3 吟松寺の紅葉
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4 吟松寺について
 
山あいにひっそりと佇む浄土宗の寺院です。
 
知る人ぞ知る隠れた紅葉の名所として、写真家の写真集やネットなどでも紹介されています。
 
観光拝観寺院ではなく、拝観料は無料です。静かに拝観しましょう。
 
駐車場は紙屋川沿いに5台分くらいあります。
 
拝観後は、急坂を登って、光悦寺方向に戻るか、紙屋川に沿ってしょうざん方向に向うか、どちらかです。
洛西・桂にある浄住寺と紅葉
 
 
 浄住寺は洛西にある「竹の寺」と呼ばれる地蔵院の南側にあります。
 
 このあたりは道路が狭く、駐車場も少ないので、歩いていくのがおすすめで、東方にあるダイエー「グルメシティ」から約10分で着きます。
 
・道路に面して立つ「葉室山浄住寺」の標石
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 ここは歴史をさかのぼれば、弘仁年間(810824)嵯峨天皇の勅願によって慈覚大師円仁が開創したと伝える由緒ある寺院で、宗派は黄檗宗です。また、洛西観音巡礼第三十番札所でもあります。
 
 普通の観光ガイドブックなどには掲載されていないところで、普段はほとんど訪れる人はいないのですが、洛西では知る人ぞ知る隠れた紅葉の名所で、このブログの管理人も洛西では一番のお気に入りの紅葉スポットです。
 
 12月に入って最初の日曜日の午前中に訪れたときには、青空を背景に空を覆うような紅葉が素晴らしく、今年いちばんの見頃と思いました。
 
 山門を入ると少し荒廃した感じの長い石段がまっすぐ本堂へと続き、その間、空を覆うような大きな楓の木々の紅葉が美しく、まるで別世界にいるような感じでした。
 
 あまり訪れる人もないところで、美しい紅葉に癒される、そんなことができる、最近の京都では数少なくなった貴重なところです。
 
 
1 場所
 
 
2 境内
・山門前から見た紅葉
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・長い石段と空を覆うようなカエデイメージ 16
 
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・本堂
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・扁額
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・本堂内
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・方丈と庭園
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・石仏
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・さざんかの花
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・境内から見た京都タワー方面の景色
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3 沿革
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・寺伝によれば、弘仁年間(810824)に嵯峨天皇の勅願寺として創建され、当時は常住寺と号した。
 
・「太平記」によると捷疾鬼(しょうしつき)という鬼神に奪われた釈尊の一本の歯が中国から日本に渡り、嵯峨天皇により当寺の石窟に安置されたと伝える。
 
・開山は円仁(慈覚大師)。
 
・弘長元年(1261)、公卿葉室定嗣が中興し、浄住寺と改められ、中興開山は奈良西大寺の叡尊。
 
・中興開山は奈良西大寺の興正菩薩叡尊(律宗)で、叡尊自叙伝の古写本である「感身覚正記」に当寺が律宗寺院であったことが記されている。
 
・永禄10年(1567)に炎上するが、2年後に葉室頼孝により再興され、黄檗宗の寺院となって現在に至っている。
 
・再興開山は、黄檗宗の僧鉄牛禅師。本堂には本尊釈迦牟尼仏坐像を安置し、本堂背後に位牌堂、開山堂、寿塔が並んでいる。開山堂には鉄牛禅師像を安置している。
 
・方丈は伊達綱村により幼少時の遺館を寄進されたもの。
 
・平成22年(2010)開山鉄牛禅師の石碑が境内に建立された。
 

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