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洛北・西賀茂にある正伝寺と紅葉
正伝寺は洛北西賀茂、五山送り火の一つ「船形」のある船山のふもとにある臨済宗南禅寺派の寺院です。
吉祥山と号し、正式名は正伝護国禅寺といいます。
創建は鎌倉時代にさかのぼり、本堂は伏見城の殿舎を移築したものと伝え、広縁の天井は伏見城落城時の血痕が残る廊下を張った血天井といわれています。
また、襖絵は狩野山楽による逸品といわれています。
本堂前に広がる庭園は小堀遠州による枯山水の庭園と伝え、比叡山を借景としたサツキの刈り込みを七五三調に配植し、築山風に表現したもので、「獅子の児渡し」といわれています。
11月末の週末に訪れた際には、本堂は11月30日まで工事のために拝観停止となっていました。
鐘楼わきの紅葉がとても鮮やかでした。
2 境内
●山門と紅葉
・紅葉とサザンカ
●参道途中にある中門と石仏
●参道と庫裏
●庫裏と本堂(方丈)
●庫裏と南天
●鍾楼と紅葉
●土塀の周りの紅葉
・土塀越しに見える本堂(方丈)
※本堂(方丈)
・承応2年(1653)に伏見城の殿舎を移築したもの。重文。
・広縁の天井は伏見城落城時の血痕が残る廊下を張った血天井といわれる。
・方丈襖絵は、狩野山楽が描いた「淡彩山水図障壁画」(重文)
※本堂(方丈)前の庭園
・小堀遠州の作による、白砂を敷き詰めた枯山水庭園。
・サツキの刈り込みを右から七五三調に配植し、築山風に表現している。この皐月の刈込で、七五三調に「獅子の児渡し」を表現しているという。
・正面に見える比叡山を借景としている。
・月見の名所でもある。
3 沿革
<説明板> ・正伝寺は吉祥山と号し、その創建は鎌倉時代にさかのぼる。
・国の重文に指定されている本堂(方丈)は入母屋造、こけら葺きで、寛永年間(1624〜1644)に伏見城の遺構を移建したものと伝えられる。
・また、本堂の襖絵は、桃山時代の絵師、狩野山楽の筆になる逸品である。
・さらに本堂前庭は、白砂敷にサツキを中心とした三群の刈込みを配した枯山水で、土塀越しにのぞまれる比叡山が美しい姿を見せている。
・この庭園は、京都における代表的な借景庭園として、昭和60年6月1日、京都市指定名勝とされた。
※補足
・鎌倉時代の弘安5年(1282)に烏丸今出川に創建し、室町時代には天皇家、将軍家の帰依を受けたが、応仁の乱(1467〜1477)の兵火により衰退し、その後、豊臣秀吉・徳川家康の援助を受け復興した。
・東山にある長楽寺の本堂は、西賀茂にある正伝寺の法堂(元伏見城御成門中にあったのを正伝寺に移したもの)を明治23年に譲り受けたもの。
4 練習問題
(1)臨済宗( 1 )派。山号「吉祥山」。本尊「釈迦牟尼仏」 (2)正式名「( 2 )」
(3)沿革
・文永10年(1273)に東巖慧安が師の兀庵普寧を開山として烏丸今出川に創建。 ・後醍醐天皇の勅願所となった後、暦応3年(1340)には十刹に加えられ、足利義満の祈願所に。 (4)本堂:重文
( 3 )の殿舎を移築したもの。( 4 )の傑作といわれ中国の風景を描いた襖絵「淡彩山水図障壁画」(重文)が見られる。 (5)「( 5 )」
広縁の天井。伏見城落城の折に、鳥居元忠らが自刃した血痕が残る。 (6)庭園
・( 6 )を借景とした庭園。 ・白砂の枯山水で江戸初期の小堀遠州の作。 ・つつじの刈り込みを七五三調に配植し、築山風に表現した名園。( 7 )の庭といわれる。 (7)五山送り火の一つ「( 8 )」のある船山のふもとにある。
【正解】
1 南禅寺 2 正伝護国禅寺 3 伏見城 4 狩野山楽 5 血天井 6 比叡山 7 獅子の児渡し 8 船形 |
京の紅葉2011
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泉涌寺新善光寺と境内の紅葉
東大路通から泉涌寺道を上がっていくと、戒光寺と今熊野観音寺の間の左側下方に山門が見えるお寺が泉涌寺塔頭の新善光寺です。
後嵯峨天皇が信濃の善光寺の阿弥陀如来像を模刻鋳造させ宮中で祀っておられたのを、都の人々が遠い信濃まで参詣に行くのが大変であろうと、これを本尊として、一条大宮に寺院を建立したのが始まりと伝え、その後、応仁の乱で焼失後、泉涌寺の山内に再建され、現在に至っています。
新善光寺の境内は、早春の梅、春のしだれ桜、初夏のしゃくなげ、アジサイ、夏の百日紅、睡蓮、秋の紅葉、サザンカ、冬の千両や椿など、四季折々の風情がすばらしく、庭も書院前には苔庭が広がり、普段は鳥の鳴き声しか聞こえないほどの静かで落ち着いたところです。
また、境内に愛染明王堂があり、ここに安置された愛染明王が泉山七福神の番外とされていることから、毎年成人の日に行われる泉山七福神めぐりのときには大勢の参拝客でにぎわいます。
ここは知る人ぞ知る紅葉の美しいところで、11月末、朝8時頃に訪れ、本堂前で手を合わせ、お寺の方としばらくお話をしてから、境内を歩かせていただきました。
境内に植えられた大きなカエデの木々が赤や黄色に色づき、まるで計算してそこに植えられたようにも思われ、その美的なセンスの素晴らしさに感心しながら、目の前に広がる感動的な光景に酔いしれていました。
1 場所↓
2 境内
●山門
●中門までの参道わきの紅葉
・手水とサザンカ
・苔庭と灯籠
・灯籠と紅葉
●本堂と黄葉
御本尊は、後嵯峨院の御念持仏であった善光寺阿弥陀如来の模刻鋳造仏と伝えられている。
●書院
・書院とセンリョウ
●十三重石塔
●愛染堂
ご利益は「除災招福」、「家庭円満」。現在では「恋愛成就」の祈願も多いのだそうです。
●愛染堂わきの石仏
●境内の紅葉
●山階宮家墓地
4 沿革
・後嵯峨天皇が信濃の善光寺と同体同仏の阿弥陀如来を模刻鋳造させ宮中で祀っておられたのを、都の人々が遠い信濃まで参詣に行くのが大変であろうと、これを本尊として、一条大宮に寺院を建立したのが始まり。
・南北朝、室町時代に入ると庶民の崇敬を受け、寺領も整って寺勢は盛んであった。しかし応仁の乱で灰燼に帰し、その後、泉涌寺の山内に再建した。
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京都の山科にある大石神社と紅葉
赤穂義士を祀る神社といえば、赤穂にある大石神社が有名ですが、京都の山科が大石内蔵助ゆかりの地であることから、昭和の初期に浪曲会の重鎮奈良丸等が中心となり、内蔵助を祭神とした神社の建立を関係方面に働きかけて、昭和10年に山科に大石神社が創建されました。
京都の大石神社の場所は、山科区の稲荷山トンネル入口の南側です。
ここは主君の仇討ちという大願を果たした祭神に因み、「大願成就」のご利益があるとして、広く信仰を集めています。
拝殿の前には、「大石桜」と名付けられた京都でも早咲きのしだれ桜があり、京都で人気の花見スポットの一つとなっています。
遅れていた京都の紅葉もようやく市内でも見ごろになり、11月最終日の今朝早く、ここ大石神社を訪れてみると、本殿前のカエデがきれいに色づいていました。
1 場所↓
2 朝の境内
●社務所前から見た石段と拝殿
●大石内蔵助胸像
●拝殿と紅葉
●狛犬
●義人社
3 大石神社の沿革
<説明板> ・大石内蔵助隠棲の地
大石内蔵助は、赤穂城の明け渡しの後、元禄14年(1701)6月下旬に、以前からこの付近に田地・屋敷を持っていた親類の進藤源四郎の世話でこの地に移り、翌15年9月まで京都に隠棲し、浅野家の再興をはかり、吉良邸討ち入りの準備を進めたところとされる。 このあたりは交通の要所ではあったものの閑静で人目に付きにくく、密かに大事を計るに最適であったという。
・創建の経緯
昭和初期、赤穂義士を熱心に崇拝していた浪曲師の吉田奈良丸が、内蔵助ゆかりの地に神社を創建することを計画し、関係方面に活動を行った。
この結果、府知事を会長とする大石神社建設会などが設立され、募金によって昭和10年に社殿が竣工した。
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西賀茂にある神光院と境内の紅葉
神光院は、五山の送り火の「船形」が灯される西賀茂船山のふもとにある真言宗の寺院です。
ここは東寺、仁和寺と共に京都三弘法の1つ、「西賀茂の弘法さん」として親しまれ、信仰を集めています。
年中行事として、諸病封じの「きうり加持」が毎年7月21日と土用丑の日に行われることで知られ、境内には「きうり塚」があります。
神光院は、江戸時代末期の歌人太田垣蓮月が晩年を過ごしたところであり、草庵や歌碑など、蓮月をしのぶ史跡が残されています。
ここはまた、境内の紅葉が美しいことで知られており、池の畔には樹齢200年という白い八重の花を咲かせるサザンカの古木があることでも知られています。
京都市内の紅葉はようやく見頃になり、11月27日に訪れたときは、境内の紅葉はとても見事で、白い八重の花を咲かせるサザンカも沢山の花を咲かせていました。
1 場所↓
2 境内
●山門
●「蓮月庵」と紅葉
・ 「蓮月尼旧栖の茶所」と彫られた石柱
山門を入った左側に草庵がある。ここは、幕末から明治の女流歌人大田垣蓮月尼が、慶応2年、76才の秋から明治8年、85才の臨終までの10年間、隠棲したところで、「蓮月庵」と呼ばれている。
蓮月は市内を転々と居を移した。これは、勤王の志士たちとの交流が深かったため、幕吏の目をくらますためだったのではないかともいわれている。
●「蓮月碑」
※富岡鉄斎との関係
蓮月が60才の頃、侍童として預かったのが後の富岡鉄斎であった。 ●本堂と紅葉
・扁額
このあたりの紅葉は、まだこれからという感じ。
●庫裏
●「きうり塚」
●境内の紅葉
●境内の庭園の池と紅葉と白い八重のサザンカ
●白い八重のサザンカの花
3 寺宝
・「仏眼曼荼羅図」(重文)
ほか 4 沿革
<説明板>
・以後、密教の道場として栄えたが、天保年間(1830〜43)火災により焼失
・明治11年(1878)和田月心により再興され、現在に至る。
・弘法大師像(本堂に安置)は、大師が自ら刻んだものと伝え、「厄除け大師」の名で知られる。
※東寺・仁和寺と並ぶ”京都三弘法”の一つ
・「西賀茂の弘法さん」として市民に親しまれている。 ・本尊は弘法大師像。大師自作の像と伝えられ、厄除大師として信仰されている。
5 京都検定の出題歴
(1)平成16年度2級
【問】「歌人」と「その歌人が詠んだ歌碑の建っている場所」の組み合わせのうち、誤っているものを選びなさい。
(ア)上田秋成・梨木神社 (イ)太田垣蓮月尼・神光院
(ウ)吉田兼好・仁和寺 (エ)与謝野鉄幹/晶子夫妻・鞍馬寺 【正解】(ウ)
(2)平成18年度2級
【問】「寺院」と「行事に関係する野菜」の組み合わせのうち、誤っているものを選びなさい。
(ア)神光院−きゅうり (イ)安楽寺−かぼちゃ (ウ)了徳寺−なす (エ)千本釈迦堂−だいこん 【正解】(ウ)
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京都の西賀茂にある西方寺の紅葉
西方寺は、北区西賀茂にある「来迎山」と号する浄土宗の寺院です。
ここは、五山の送り火の一つ、「船形万灯籠」が点火される船山の山麓にあり、近くには神光院や大将軍神社があり、少し歩けば正伝寺があります。
今年の京都市内の紅葉がようやく見頃を迎え、11月27日の日曜日、北区にある西方寺では境内のカエデがとても見事に紅葉していました。
本堂前に広がる庭の奥には、紅葉しているカエデの木の下に古い石仏がたたずみ、静かな境内でしばらくながめていました。
なお、五山の送り火の一つである船形万灯籠は、西方寺が船形万灯籠保存会とともに、古くからその伝統を守ってきました。
また、船形万灯籠終了後に境内で行われる六斎念仏は、重要無形民俗文化財に指定されています。
2 境内
●山門と紅葉
●本堂
●リチャードポンソピーの碑とカエデ
リチャードポンソピーは、昭和初期に来日した英国人で、京都府立第一中学で英語の教師として英語を教える傍ら、日本に関する多くの論文・随筆を発表した。
●太田垣蓮月尼の碑
3 沿革
<説明板>
・承和年間(834〜848)に円仁(慈覚大師)が創建したと伝え、もとは天台宗山門派に属していたが、正和年間(1312〜16)に道空上人が中興して浄土宗に改められた。
・六斎念仏の寺として知られている。
・毎年8月16日には、五山送り火の一つである船形万燈籠が点火される。
五山大文字送り火の「船形万燈籠」は当山を菩提寺とする旧家が中心に連綿として維持されている。 ・船形万燈籠終了後、境内で六斎念仏が行われる。当寺の六斎念仏は、鉦や太鼓を使って念仏を唱える極めて古風なもので、六斎念仏の古態を今に伝えるものとして重要無形民俗文化財に指定されている。
・境内には、皇室制度や神道史の研究家として知られるイギリス人リチャード・ポンソンビーの碑がある。
・また、背後の小谷墓地には、幕末の歌人太田垣蓮月尼や上賀茂神社の祠官賀茂季鷹、また著名な料理人で陶芸家でもある、北大路魯山人の墓がある。
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