京の紅葉2011
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東山七条にある平重盛の山荘庭園と伝える「積翠園」の紅葉
京都に在住している人でも余り知られていない、穴場ともいえる庭園が、東山七条にある妙法院の北側に隣接する東山武田病院(旧:京都専売病院)にあります。
・東山武田病院
この病院には附属庭園として池を主体にした回遊式庭園があり、「積翠園」と名づけられています。
歴史をたどれば、この庭園は平安時代末期の治承期に平清盛の長男重盛の山荘庭園「小松邸」として造られ、平家物語にも記されている「小松内府の園池」であると伝えています。
その後、江戸時代には妙法院境内の庭園となり、元禄期に改修され、今から約50年前に、旧日本専売公社が土地を購入し、京都専売病院を経て、現在は東山武田病院の庭園となっています。
平安時代末期に造られた庭園であるとすれば、京都市内でこの時代の庭園で現存しているのは数少ないことから、貴重な遺構であるといわれています。
また、この庭園は四季折々の美しい景観を楽しむ事ができ、地元でもあまり知られていないため、静かに散策する事ができます。
この庭園を見るには、病院の入口からいったん建物の中に入り、まっすぐ突き抜けると庭園に出ます。誰でも自由に見ることができますが、病院入口の受付で、「庭を見せてください」と一声かけてから入った方が良いと思います。
・庭園入口案内表示
秋の深まりとともに、庭園の広葉樹はきれいに紅葉していて、訪れる人もほとんどいないことから、落ち着いた庭をのんびりと散策することができました。
なお、この東山武田病院のある敷地を使って、2014年にフォーシーズンズホテルが進出する計画があり、地上4階、地下1階建てで、客室数は約200室、スパやレストランも併設されるそうです。
本格的な工事が始まれば、もうのんびり自由に庭園を散策することは出来なくなるかもしれません。
2 積翠園のようす
回遊式庭園で、東西に池が広がり、東側に大島、西側に小島と2つの島がある。
・「夜泊石」
大島の南側の水面には、「夜泊石(よどまりいし)」と呼ばれる5つの小岩がまっすぐに並んでいる。
夜泊石とは、中国の蓬莱思想に基づいて、仙人が住むとされる蓬莱山に島を見立て、不老不死の妙薬を積んで帰った宝船が港に一列に留まっている様子を石で表現したものといわれている。
苔寺や金閣寺の庭園にも見られる形式で、平安から室町期までの池泉式庭園の特徴の一つとされている。
3 沿革
・平安時代末期の治承期に、平清盛の長男重盛の山荘庭園「小松邸」として造られ、平家物語にも記されている「小松内府の園池」と伝えられている。
・江戸時代には妙法院境内の庭園となっており、元禄期に改修され、その後、旧日本専売公社が50年ほど前に土地を購入し、現在は東山武田病院の庭園となっている。
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京都・東山七条にある智積院の色づき始めた紅葉と本坊前のサザンカの花
東山七条にある智積院は、桃山時代に長谷川等伯らによって描かれ、祥雲禅寺の客殿を飾っていた金碧障壁画が残され、収蔵庫で拝観することが出来ます。
このうち、「楓図」「桜図」「松と葵の図」「松に秋草図」等は国宝に指定されています。
また、書院前の庭園はかつての祥雲禅寺の庭園として広く知られていますが、智積院の境内も近年整備が進み、早春の梅や初夏のキキョウ、紫陽花など四季折々の花のほか、紅葉も楽しめるようになりました。
東山七条かいわいでは、妙法院やその隣の積翠園庭園も紅葉の穴場としておすすめです。
11月に入って、鐘楼前などの紅葉がきれいに色づいてきました。
2 境内の紅葉(11月5日撮影)
●金堂と周辺の紅葉
●講堂と周辺の紅葉
現在の講堂は平成7年に再建された。
●鐘楼と周辺の紅葉
●収蔵庫と周辺の紅葉
桃山時代に長谷川等伯らによって描かれ、祥雲禅寺の客殿を飾っていた金碧障壁画が残されている。
●明王殿
・この建物はもと京都四条にあった大雲院の本堂で、智積院旧本堂が焼失した後、譲渡されたもの。
●本坊への参道
●本坊
・本坊前で咲いているサザンカの花
●総門
3 沿革
・真言宗智山派の総本山で全国に3000余の末寺がある。
・智積院は、もとは、紀州根来山の大伝法院の塔頭で学問所であった。近世に入って根来山の大伝法院は豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585)秀吉の根来攻めで全山炎上した。
・慶長6年(1601年)、関ヶ原の戦いの翌年、家康は東山にある豊国神社(秀吉が「豊国大明神」として祀られている神社)の付属寺院の土地建物を玄宥に与え、智積院はようやく復興した。
・さらに、元和元年(1615)に豊臣氏が滅び、隣接地にあった豊臣家ゆかりの禅寺・祥雲寺の寺地を与えられてさらに規模を拡大し、復興後の智積院の寺号を「根来寺」、山号を「五百佛山」とした。
・祥雲寺は、豊臣秀吉が、3歳で死去した愛児鶴松(棄丸)の菩提のため、天正19年(1591)、妙心寺の僧・南化玄興を開山に招いて建立した寺であった。
・現在、智積院の所蔵で国宝に指定されている長谷川等伯一派の障壁画は、この祥雲寺の客殿を飾っていたものであった。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
4 庭園
・利休好みの庭といわれる中国の盧山を形どって造られた池泉鑑賞式庭園。
・桃山時代の作庭といわれ、斜面を利用した植え込み、滝とその石組などが名庭と称されている。
5 収蔵庫にある豪華な襖絵(国宝)
収蔵庫では、桃山時代に長谷川等伯らによって描かれ、かつて祥雲禅寺の客殿を飾っていた金碧障壁画をみることができる。
●国宝に指定されている長谷川等伯・久蔵父子による襖絵
・「楓図」: ・「桜図」: ・「松と葵の図」 ・「松に秋草図」 等 ・「桜図」は等伯の長男、久蔵の遺作とされている。
6 京都検定の出題歴
(1)平成16年度2級 ①智積院の「楓図」(国宝)の作者は誰か。 (ア)長谷川等伯 (イ)海北友松 (ウ)雲谷等顔 (エ)狩野元信 【正解】(ア)
②文禄3年(1594)、淀君が父の浅井長政の菩提を弔うために建立し火災による消失後、淀君の妹の崇源院が再建した寺院はどこか。
(ア)智積院 (イ)養源院 (ウ)妙法院 (エ)即成院 【正解】(イ)
(2)平成19年度3級
【問】長谷川等伯と長男の久蔵が描いた障壁画「桜楓図」(国宝)は( )にある。
(ア)養源院 (イ)円徳院 (ウ)智積院 (エ)南禅院
【正解】(ウ)
7 練習問題
(1)真言宗智山派総本山。山号「五百佛山」。本尊「大日如来」 (2)沿革
①慶長5年(1600)、( 1 )が紀州根来寺の智積院玄宥僧正に、土地を与え、五百佛山根来寺智積院という坊舎を建立したことが始まり。その土地は、豊国社の坊舎の一部と祥雲禅寺であった。祥雲禅寺は、( 2 )が長男の( 3 )を供養するために建てたもの。 ②豊臣氏滅亡後の元和元年(1615)、祥雲禅寺の建物、障壁画、豊国社の堂舎、梵鐘を受け継いだ。
③後に、数度の火災、幕末には( 4 )の屯所となった。
(3)書院前の庭園
国の名勝に指定。祥雲禅寺時代の庭を修築したもの。
山は中国の「廬山」を、池は「長江」をモデルにしたとされる。
(4)「桜楓図」
国宝。( 5 )筆の「楓図」と、長男の( 6 )が描いた「桜図」、「松に草花図」など長谷川一派の筆による障壁画で有名。いずれも祥雲禅寺客殿に描かれていたもの。大和絵の大作。
【正解】
1 徳川家康 2 豊臣秀吉 3 鶴松 4 土佐藩 5 長谷川等伯 6 久蔵 |







