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京都の桜2012

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妙心寺退蔵院と庭園「元信の庭」、「余香苑」としだれ桜
 
 
 
退蔵院は臨済宗大本山妙心寺の塔頭で、妙心寺三門の西側に位置しています。
 
ここは室町時代の創建で、初期水墨画の代表作といわれる、如拙の描いた国宝の『瓢鮎図』を所蔵することで知られています。
 
また、庭園は、室町時代の画家、狩野元信が築庭した枯山水の庭で、「元信の庭」と呼ばれる庭園と、中根金作が作庭し、昭和の名園と呼ばれる回遊式庭園「余香苑」があります。
 
今回は、4月半ばの庭園で、しだれ桜がひときわきれいだった頃の写真をアップします。
 
 
 
※場所
 
 
1 境内
 
方丈(重文)
 内部の襖絵は狩野光信の高弟であった狩野了慶の筆によるもので、桃山後期の優れた遺品とされる。(内部は通常非公開)
 
国宝「紙本墨画淡彩瓢鮎図」(方丈前に置かれた模写)
 (原品は京都国立博物館に寄託中)
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 室町水墨画の先駆者・如拙の作。如拙筆の確証がある数少ない作品の一つで、日本の初期水墨画の代表作の一つとされる。また、室町幕府4代将軍足利義持の命で制作されたものとされる。
  つるつるの瓢箪でぬるぬるしたなまず(「鮎」は「なまず」の古字)を捕まえるにはどうすればよいかという、およそ不可能な問いかけを図示したものであり、禅の公案を絵画化したもの。
 
 ことわざとして世俗的に解釈すると、その意味は、瓢箪で鯰を押さえるように、のらりくらりとして要領を得ないということ、また、骨折って功なく到底その目的を果たせないさまをいう。
 
 
杉戸絵
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3 庭園
 
(1)元信の庭
 室町時代の画家、狩野元信の作と伝わる枯山水の庭園で、方丈の西に面して作庭。史跡名勝。「都林泉名勝図会」には狩野元信作庭と記載。「元信の庭」と呼ばれる。
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・池の中央部に中島を配した亀島を、西側に三尊石、南西部に蓬莱島、手前に鶴島、北西部築山の奥には立石の段落ちの枯滝を組み、栗石を敷いて、渓流を表現している。
 
・中島の岬には2ヶ所の石橋が渡され、石組みの表現は豪華華麗の中に、閑静な趣きがある。
 
・枯滝・蓬莱山・亀島と石橋など多数の庭石が豪快に組まれている。
 
 
(2)余香苑
 造園家で「昭和の小堀遠州」と称えられた中根金作が、昭和38(1963)から3年の月日を費やして作庭した、昭和を代表する名園といわれている。
 
回遊式庭園で、桜、つつじ、藤、紫陽花など四季折々の花が美しい。
 
 
●しだれ桜 
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●山吹
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●ボケ
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●庭園「余香苑」
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中根金作が関わった京都市内の主な庭園
 余香苑のほか、城南宮神苑「楽水苑」がある。また、御香宮神社の石庭復元も中根金作によって行われた。
 
 
●水琴窟
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4 沿革
 
 応永11年(1404)に越前の豪族・波多野重通が妙心寺第三世・無因宗因(むいんそういん)を開山として千本通松原に創建し、日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)により妙心寺山内に移される。
 
 一時期衰退するが、後奈良天皇の帰依が深かった亀年禅愉(きねんぜんゆ)により中興される。
(フリー百科事典「ウィキペディア」参照)
 
 
 
5 京都検定の出題歴
(1)平成16年度2
【問】退蔵院の「瓢鮎図」(国宝)の作者は誰か。
 (ア)如拙  (イ)周文 (ウ)雪舟 (エ)墨渓
 
【正解】(ア)
 
(2)平成18年度1
【問】妙心寺の退蔵院にある如拙が描いた国宝の水墨画を何というか。
 
【正解】「瓢鮎図」
 
 
 
6 練習問題
(1)( 1 )の塔頭。
 
(2)沿革
応永11年(1404)に、波多野出雲守重通が、下京区千本松原に建立。開山は( 2 )。
応仁の乱で焼失後、現在地に復興。
 
京都御苑の旧近衛邸跡の紅しだれ桜
 
 
<説明板>
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 京都御苑の北側を占める地域は、江戸時代末まで、五摂家の一つ近衛家の屋敷があったところで、今でも当時の庭園の遺構が残り、池を中心に築山、橋などが柵越しに見られます。
 
近衛邸の庭園の遺構
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 かつては、庭園の池の西側に近衛家の大きな屋敷があり、御所炎上の際には仮の皇居として使われたと伝えられています。
 
 
 かつての近衛家屋敷跡に、明治になって「糸桜」という早咲きの品種の大きなしだれ桜の木が何本か植えられ、毎年、京都の桜のシーズンのさきがけとして、例年、ソメイヨシノが咲く前に見事な花を咲かせます。
 
 今年は42日には見頃になり、45日のこのブログにアップしました。
 
 その後10日が過ぎ、15日に訪れた時には、糸桜は葉桜になりかけていましたが、紅しだれ桜が満開になっていました。
 
 
 
 
1 旧近衛邸跡と桜
 
 ここの「糸桜」は昔から有名で、孝明天皇も次の歌を詠まれました。
 
「昔より名にはきけども今日みれば むへめかれせぬ糸さくらかな」
 
 現在見られる桜はどの木も大木で勢いがありますが、いずれも明治以降に植えられたものだそうです。
 
 それでも、在りし日の近衛邸の春の光景を想像させてくれます。
 
 
糸桜のようす
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葉桜に近い状態でしたが、まだまだ見ごたえがありました。
 
 
紅しだれ桜
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上賀茂神社と境内の桜

上賀茂神社と境内の桜
 
 
上賀茂神社は正式には賀茂別雷神社といい、下鴨神社と並んで京都で最も古い神社の一つです。
 
下鴨神社の祭神・玉依姫命(たまよりひめのみこと)の子、賀茂別雷神が祀られています。
 
平安京造営以前から先住していた賀茂族の氏神として祀られたのがはじまりといわれ、7世紀後半の天武天皇の時代に社殿が造営され、平安時代には皇城鎮護の守護神として尊ばれたと伝えています。
 
境内には重文指定の社殿が60棟あまり建ち並び、そのうち三間社流造の本殿と権殿は文久3年(1863)に造替されたもので、国宝に指定されています。
 
また、世界文化遺産に登録されています。
 
賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称されていて、京都三大祭の一つ、葵祭は賀茂神社両社の祭事です515日には王朝絵巻さながらの「葵祭」の祭礼が行われます。 
 
今年の上賀茂神社の桜は、みあれ桜、御所桜、斎王桜ともに、同時期に見頃を迎え、4月半ばに訪れた時には、これらの名だたる桜を一緒に楽しむことができました。
 
 
 
 
 
1 境内
 
一の鳥居
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 二の鳥居をくぐると、左側に拝殿(細殿)とその前に立砂が、またその右に舞殿(橋殿)が見えます。
 
 
拝殿(細殿)
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 奥に見えるのは舞殿(橋殿)
 
 
立砂と拝殿(細殿)
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立砂
 
・神代の時代、神が降臨したと伝える神山を模したもの。
 
・神山は、神社の北2kmほどのところにある。
 
・立砂の頂点には神が降臨するための目印として松葉が挿されている。
 
・鬼門にまく清めの砂の起源とされる。
 
 
 楼門と「玉橋」
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 樟橋(長寿橋)をわたり御物忌川にそって歩くと、楼門の前に出る。楼門の前には朱色の「玉橋」があります。
 
 
 楼門は、左右に回廊をめぐらした朱塗りの門で、寛永5年(1628)の建築です。
 
 楼門をくぐって、石段を上ったところが中門で、普段はここが拝所となっています。
 
 
中門(参拝所)
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 中門には、氏子たちによって作られたお正月飾りの宝船が事始めの1213日から飾られています。
 
 
本殿と権殿(国宝)
・中門を入って正面右奥側に、「本殿」、左奥側にあるのが「権殿」。
 
・現存の建物は文久3年(1863)の建てかえ。流造りで、国宝に指定。
 
・神社のご神体は「神山」。「本殿」と「権殿」は神山の遥拝所という位置づけ。
 
 
 
2 境内のしだれ桜
 
みあれ桜
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風流桜
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御所桜
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●斎王桜
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3 沿革
宇治の恵心院としだれ桜
 
 
 恵心院は、宇治川のほとりにある、年間を通じてさまざまな花が見られる、植物園のようなお寺です。
 
 京阪宇治駅方面から橋寺の山門前を通り宇治川に沿って進むと、宇治神社の鳥居を過ぎたところに、恵心院へ向かう緩い坂道の参道があります。
 
 
・宇治川畔の桜
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 参道を上っていき、突き当たりを右に折れると正面に恵心院の表門とその向こうに本堂が見えます。
 
 
 恵心院は弘仁13(822)、弘法大師が開基した龍泉寺を源とするという古い歴史を持ち、真言宗智山派に属する古刹で、戦火による荒廃の後、寛弘2(1005)、比叡山の恵心僧都(源信)によって再興されたと伝えられています。恵心院という名はそれにちなんでいます。
 
 江戸時代には淀藩主永井氏の庇護を受けて伽藍が整備され、徳川家康らの庇護を受け繁栄したと伝えられています。
 
 現在では表門と本堂だけが残っており、本尊の木造十一面観音立像は平安時代の作で、宇治市指定文化財になっています。
 
 境内に、福島の有名なしだれ桜で、「三春の滝桜」の子木があり、4月中旬に訪れたとき、見事な花を咲かせていました。
 
 
 
※場所
 
 
1 境内の庭園で見られた花
 
 境内には四季折々にさまざまな花が咲き、ここを訪れる人たちの目を楽しませてくれます。
 
 ここのしだれ桜は福島の有名な「三春の滝桜」の子木です。
 
 4月15日に訪れた時、きれいに咲いていました。
 
 
山門と桜
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●山門とあせび
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●本堂としだれ桜」
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ボケの花
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・?
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3 沿革等
・弘仁13(822)、弘法大師が開基した真言宗智山派に属する宇治の古刹。
 
・はじめ、寺名は唐の青龍寺に似ていることから、龍泉寺と呼ばれた。
 
・その後の戦火で荒廃したが、寛弘2年(1005)、比叡山の恵心僧都(源信)によって再興された。恵心院という名はそれにちなんでいる。
 
・その後豊臣秀吉,徳川家康らの庇護を受け、伽藍の整備が行われた。
 
・現在は、永禄2(1559)造営の本堂及び表門だけが残っている。
 
 
千本えんま堂と「普賢象桜」
 
 
 千本えんま堂は、千本通に沿った千本寺之内と千本鞍馬口の間の西側にあります。
 
 正式には「引接寺」という真言宗の寺院ですが、仏師定勢作と伝える閻魔王(本尊)をまつり、古くから「千本えんま堂」と呼ばれてきました。
 
 このお寺を開いたのは、小野篁(802853)で、あの世とこの世を往来する神通力を持ち、昼は宮中で仕え、夜は閻魔庁に仕えていたと伝えられています。
 
 また、お寺の始まりについては、平安京の朱雀大路の起点であるこの地に閻魔王が安置されたことが始まりと言われ、その後、寛仁元年(1017)に定覚上人がこの地に引接寺を開山したと伝えています。
 
 かつて、この地は京の葬送の地の一つ、蓮台野に接し、死者を弔うために鐘をついていたのが、いつしか死者をこの世に迎えるためにお盆に境内の迎え鐘を撞くようになりました。
 
 今でも87日〜15日のお精霊迎えは、境内の迎え鐘を撞きに大勢の人が訪れます。
 
 境内の奥には紫式部供養塔と伝える十層の石塔があり、国の重文の指定を受けています。最近補修工事が行われ、かたわらには紫式部の像が建てられました。
 
年中行事としては、毎年51日〜5日に行われる大念仏狂言が有名で、京の3大念仏狂言の一つとされていますが、ほとんどの演目にセリフがあるのが特徴です。
 
 ここの境内の奥に「普賢象桜」と名づけられた八重桜があり、424日に訪れた時には満開でした。
 
 
 ※場所
 
 
1 境内
 
●千本通に面した入口から見た境内
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 左側に本堂、右側に鐘楼、中央奥に「普賢象桜」などの八重桜が咲いている。
 
 
●本堂
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 長亨2年(1488)に定勢によって造られたという閻魔王坐像を本尊とし、脇侍を左に司命、右に司録を安置。
 
 
鐘楼
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 87日〜15日のお精霊迎えは、境内の迎え鐘を撞きに大勢の人が訪れます。
 
 
 十重石塔(重文)と紫式部像
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 十重石塔は至徳3年(1386)の銘を持つ。紫式部の供養塔とされている。
 
 
2 境内で咲いていた桜
 
●普賢象桜
遅咲きの八重桜。咲いた時に双葉を持ち、散る時にはひらひらと落ちるのではなく、花冠のままぼとりと落ちる。 
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●関山桜
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「普賢像桜」の名の由来は、花の中央に見える葉化した雌しべが、普賢菩薩の乗る象の牙に似ている事からこの名で呼ばれているそうです。
 
足利義満の時代に後小松天皇がその美しさを激賞したと伝えられ、以来この地で咲き続けています。
 
また、この花は椿の様に花ごと落ちる事でも知られ、むしろその落花の風情にこそ真価があるとまで言われます。
 
 
 
3 沿革
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・正式名称は、光明山歓喜院引接寺という。
 
・本尊に閻魔王をまつり、一般に「千本えんま堂」と呼ばれている。
 
・開基は小野篁(802853)で、平安京の朱雀大路の起点であるこの地に閻魔王が安置されたことが始まりと言われている。
 
・その後、寛仁元年(1017年)に定覚上人がこの地に引接寺を開山した。
 
 
 
4 年中行事
千本えんま堂大念仏狂言
・毎年51日〜4日に行われる。
 
・京の三大念仏狂言の一つ。
 
・能・狂言の影響を強く受ける環境にあり、念仏狂言の中にセリフがはいる特殊な形態をとるようになった。
 
・京都市の無形民俗文化財に指定。
 
 
 
5 練習問題
(1)通称「( 1 )」
 
(2)高野山真言宗、本尊は閻魔王。開基は( 2 )。
 
(3)お精霊迎えの行事。(87日〜15日)
( 3 )鐘。かつて、葬送の地である( 4 )に死者を葬るときに撞いた。
 
(4)( 5 ):51日〜4
京都の三大念仏狂言の一つ。室町時代は民衆の町堂だった。
 
(5)( 6 )桜
後小松天皇ゆかりの名木。現在の桜は佐野藤右衛門の寄進。
 
(6)閻魔王
仏師の( 7 )の作。応仁の乱以後。
 
【正解】
1
千本閻魔堂
2
小野篁
3
迎え
4
蓮台野
5
閻魔堂大念仏狂言
6
普賢象
7
定勢
 

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