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京都の桜2012

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随心院と境内の桜

随心院と境内の桜
 
 
 随心院は、市営地下鉄東西線 の小野駅 から東に向かって5分くらい歩いたところにある真言宗善通寺派の大本山の寺院です。
 
 このあたりには、かつて小野小町の住居があったという伝承があり、境内には、小町が恋文を埋めたという「文塚」、「小町化粧井戸」と名づけられた井戸、書院には深草少将の「百夜通い」の伝説のカヤの実が展示され、随心院から少し離れた所には、カヤの大木が残っています。
 
 随心院はまた、「はねず梅」と呼ばれる遅咲きの薄紅色の梅のある小野梅園が広く知られていますが、梅が終わると桜、さらにシャクナゲ、ツツジ、サツキと境内の花が咲き継いで行きます。
 
 4月半ばの週末に訪れたときは、境内の大きなソメイヨシノの花が終わりかけでしたが、薬医門から中を見ると、しだれ桜がとてもきれいでした。
 
 また、シャクナゲが咲き始めていました。
 
 今年は梅や桜の開花が遅れましたが、もともと初夏の花は例年同様の時期に咲くことになりそうです。
 
 
※場所
 
 
 
1 境内の桜
●小野梅園わきの大きな桜と薬医門と醍醐の山並み
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・散り敷いた桜の花びら
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●薬医門から門の内側、大玄関方面を見たところ
・しゃくなげ
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・しだれ桜
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 薬医門は、江戸時代の寛永年間に、徳川秀忠夫人天真院尼の寄進によって建造さ
 
・大玄関は寛永年間(1624-1631)九条家ゆかりの天真院尼の寄進により建立。
 
●庫裏とその前の小野小町歌碑
 庫裏は宝暦3(1753)、二条家からの移築。同家の政所御殿であったもの。
 
 ここから拝観料を払い、表書院、本堂などを拝観する。
 
・咲き始めたしゃくなげ
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・小野小町歌碑
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 庫裏の前庭にある。
 
「花の色は移りにけりな いたづらに我が身世にふる ながめせし間に」
 
 
 
≪有料拝観部分≫
・表書院
寛永年間(1624-1631)に徳川秀忠夫人天真院の寄進により建立。
・表書院「能の間」
九条家の寄進により宝暦年間(1753-1764)に建造され、平成3(1991)に改修工事が行われた。
 
・本堂
桃山期(1599)の建築で寝殿造。
 
 
 
2 沿革
・真言宗善通寺派の大本山。弘法大師の八代目の弟子に当たる仁海僧正が正暦2年(991)に創建した。山号「牛皮山」。本尊は如意輪観音。
 
・もとの名は牛皮山曼荼羅寺といい、その名は、ある夜、亡き母が牛に生まれ変わっている夢を見た仁海僧正が、その牛を捜しあてて世話をしたものの、間もなく死んだため、悲しんでその牛の皮に両界曼荼羅の尊像を描いて本尊としたことに由来する。
 
・その後、第五世増俊が曼荼羅寺の塔頭として随心院を建立し、第七世親厳の時、後堀河天皇より門跡の宣旨を受け、門跡寺院となった。
 
・この辺り小野は小野一族が栄えた場所であることから、絶世の美女として名高い小野小町ゆかりの寺としても知られ、境内には小町に寄せられた多くの恋文を埋めたという文塚や化粧の井戸などが残されている。
 
・梅の美しい寺としても有名で、三月の最終日曜日には、小野小町に恋した深草少将の百夜通いの悲恋伝説をテーマにした「はねず踊り」が披露される。
 
泉涌寺新善光寺のしだれ桜
 
 
 泉涌寺塔頭の新善光寺は、東大路通から泉涌寺道を上がっていくと、戒光寺と今熊野観音寺の間の左側に幼稚園があり、そのわきの道をまっすぐ下っていくと山門が見えるお寺です。
  
●山門
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・標石
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・山門から泉涌寺道方面を見る
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 ここは、泉涌寺道からは坂の下にある山門の内側のようすが分かりません。
 
 でも、思い切って坂を下り、山門をくぐってみると、中門までの間に見事なしだれ桜があります。
 
また、中門の奥には観光客にはあまり知られていない新善光寺の境内がひろがっています。
 
本堂、書院と池のある庭園などがあり、庭園の一角に愛染明王堂があります。
 
ここに安置された愛染明王が泉山七福神の番外とされていることから、毎年成人の日に行われる泉山七福神めぐりのときには大勢の参拝客でにぎわいます。
 
 なお、新善光寺は、後嵯峨天皇が信濃の善光寺の阿弥陀如来像を模刻鋳造させ宮中で祀っておられたのを、都の人々が遠い信濃まで参詣に行くのが大変であろうと、これを本尊として、一条大宮に寺院を建立したのが始まりと伝え、その後、応仁の乱で焼失後、泉涌寺の山内に再建され、現在に至っています。
 
 ご利益は「除災招福」、「家庭円満」。現在では「恋愛成就」の祈願も多いそうです。
 
 
 
●場所
 
 
●しだれ桜のようす
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 早朝だったこともあり、他に誰も見に来ている人もなく、しだれ桜を独り占めして堪能することができました。
宇治の放生院(通称「橋寺」)と境内の桜
 
 
 宇治川沿いの桜はとても美しく、この時期は観光客もいない早朝に訪れて、この景色を楽しんでいます。
 
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 宇治橋から宇治川の東岸(北側)を川に沿って歩きはじめてすぐ左側に、通称「橋寺」と呼ばれている放生院という真言律宗の寺院があります。
 
 放生院は、推古天皇12(604)に聖徳太子の発願により、秦河勝が建立した地蔵院が始まりとされる古い歴史を持ち、鎌倉時代後期の弘安4(1281)、大和西大寺の僧、叡尊が現在地に再興したと伝えています。
 
 叡尊は、宇治川で亡くなった人馬などの霊を慰めるため、中洲(浮島)に高さ約15mの十三重石塔を建立し、また、盛大な放生会を営んだことから寺名を「放生院」と称するようになったといい、後宇多天皇は叡尊のこうした行いを褒め、寺領を与えるとともに宇治橋の管理を任せたことから、放生院は、以後「橋寺」と称されるようになったと伝えられています。
 
 放生院の山門をくぐって石段を上がると境内が広がり、ここには「宇治橋断碑」という、宇治橋創建の経緯が記されたという有名な石碑があり、日本三古碑の一つとして大変価値の高いものとされ、重文に指定されています。
 
 境内には橋懸観音と十二支・守本尊、「橋寺」と彫られた標石などとともに、織部灯籠が立っています。
 
4月半ばの週末に訪れてみると、境内は桜がきれいで、しだれ桜も咲いていました。
 
 
場所
 
 
1 境内のようす
山門
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 石段を上がると境内が広がり、左手に宇治橋断碑(重文)があり、奥に本堂が見える。
 
 
境内の桜の古木と宇治橋断碑(重文)
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・宇治橋断碑(重文)
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 宇治橋創建の経緯が記された石碑。
 
・もとは橋畔にあったが、その後流出して行方がわからなくなっていた。1791年に付近の土中から断片(石碑の上から1/3くらいのところ)が発見され、「帝王編年記」という書物に収められていた碑文の全文により、欠如していた石碑の下の部分を補って再建されたという。
 
・碑文の内容から宇治橋は大化2(646)に初めて架けられたとされる。
 
・見学できるのは、3月、4月、5月、9月、10月、11月の午前9時から午後4時まで。
 拝観料200円。
 
※日本三古碑
①多賀城碑(宮城)
②多胡碑(群馬)
③宇治橋断碑
 
 
本堂
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橋寺の古い標石と織部灯籠
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十二支・守本尊
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●橋懸観音
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しだれ桜 とあたりに散り敷いた桜の花
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3 沿革など
①真言律宗の寺院。寺名は放生院常光寺。
・本尊:地蔵菩薩(鎌倉中期、重文)
・不動明王像(重文)
 
②由来
・推古天皇12(604)、聖徳太子の発願により、秦河勝が建立した地蔵院が始まりとされる。
 
・その後、宇治川橋が架けられたが、大雨のたびに洪水が起き度々流失し、地蔵院も次第に衰退していく。
 
・鎌倉時代後期の弘安4(1281)、大和西大寺の僧、叡尊が現在地に再興。

・叡尊は、宇治川で亡くなった人馬などの霊を慰めるため、中洲(浮島)に高さ約15mの十三重石塔を建立。(現在の十三重の石塔はその後の再建)
 
・叡尊は、寺で盛大な放生会を営んだ。このことから寺名を「放生院」と称するようになったという。
 
・後宇多天皇は叡尊のこうした行いを褒め、寺領を与えるとともに宇治橋の管理を任せた。以後「橋寺」と称されるようになったと伝えられている。
・宇治橋はその後も織田信長や徳川家康などによって架け替えられている。
 
 
 
4 練習問題
①正式名:雨宝山常光寺。本尊:地蔵菩薩。
 
②通称「( 1 )」。ここで大放生会を営んだことから、「( 2 )」ともよばれる。
 
③沿革
推古天皇12年(604)に、( 3 )の発願で、( 4 )が開創。その後、宇治橋の管理寺となり、弘安9年(1286)、西大寺の( 5 )が宇治橋の架け替えにあたり、当寺を修復。寛永8年火災で被災後復興。
 
④( 6 )(重文)
646
年に宇治橋が初めて架けられたことを記念する石碑。
 
⑤( 7 )
宇治川の中洲。高さ15m。日本最大の石塔。弘安9年の宇治橋再興の時に、( 8 )が建立。
 
【正解】
1
橋寺
2
放生院
3
聖徳太子
4
秦河勝
5
叡尊
6
宇治橋断碑
7
浮島十三重塔
8
叡尊
 
養源院と境内のしだれ桜
 
 
養源院は、蓮華王院(三十三間堂)の東向かいに位置する浄土真宗遣迎院派の寺院です。
 
文禄3年(1594)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の供養のために秀吉に願って成伯法印(長政の従弟で比叡山の僧)を開山として創建し、その後、火災による焼失を経て、元和7年(1621)、淀殿の妹である徳川秀忠の正室・崇源院(江)の願により再興され、以後は徳川氏の菩提所となりました。
 
本堂は、元和5年(1619)に破却された秀吉の伏見城の殿舎を移築したものとされ、左右と正面の廊下の天井は血天井として知られています。
 
また、俵屋宗達筆の襖絵や獅子麒麟、白象の杉戸絵があり、重文に指定されています。
 
 本堂内はすべて写真撮影禁止です。
 
ここを訪れる大半の人たちは、参道をまっすぐに上がって本堂に入って、その後はまたまっすぐ参道を戻っていきますが、参道の脇の方や鐘楼、ヤマモモの木など、ぜひ周りをみていただきたいところです。
 
こちらの境内は、とりわけ春のしだれ桜の頃が素晴らしく、そのほか、参道のカエデの新緑や紅葉の頃、初夏のヤマモモ、夏の百日紅、秋の彼岸花など、四季折々の花が訪れる人を癒してくれます。
 
 4月半ば、本堂前の大きなしだれ桜が咲いているのを今年も見ることが出来ました。ただ今年の花は去年よりもボリュームが小さかったのが少し残念でした。
 
 
※場所
 
 
1 境内
 
●本堂への参道と参道脇に咲いていた桜
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●本堂と本堂前の大きなしだれ桜
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●境内としだれ桜
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養源院の南隣は後白河天皇法住寺陵ですが、休日は御綾の参拝はできません。そんなときには、養源院の鐘楼から塀越しに隣を見てみましょう。
 
鐘楼から後白河天皇法住寺陵のお堂が見えます。
 
 
●境内社
 山門から参道を入って右側に白衣弁才天があり、参道途中の左側に毘沙門天を祀ったお堂がある。
 
・白衣弁財天
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2 沿革
 
・元和5年(1619)に破却された秀吉の伏見城の殿舎を移築したものとされる。左右と正面の廊下の天井は血天井として知られる。
 
・血天井とは、関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城の戦いで鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し,最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。同じ血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもあるが、生々しさでは養源院が一番といわれる。
 
・鶯張廊下は、日光東照宮の眠り猫で有名な江戸初期の大工・彫刻師である左甚五郎が造ったものと伝わる。
(フリー百科事典「ウィキペディア」より抜粋)
 
 
 
3 重文
・金地着色松図(襖8面、戸襖4面)12面、
 
・着色杉戸絵(表獅子・裏波に麒麟図、表獅子・裏白象図)4枚(8面)、俵屋宗達筆
 
 
 
4 庭園
小堀遠州の作庭で東山連峯の阿弥陀ケ峯を遠景とし、水が北の池より南の池へ注ぐ風景を造作したもので、築山部分の涸滝石組のすばらしさ、南の池には海辺の奇石を多く用いた珍しい庭園で都林泉名勝図会に見られる。園内の一文字、十文字の手洗鉢は有名である。(お寺のパンフレットより)
 
 
 
5 沿革
・豊臣秀吉の側室淀殿が、父、浅井長政の追善のため、文禄3年(1594)に成伯法印(長政の従弟で比叡山の僧)を開山として建立した寺で、長政の法号「養源院」を寺号とした。
 
・建立後、まもなく火災遭ったため、元和7年(1621)に、淀殿の妹で徳川秀忠夫人の崇源院が伏見城の遺構を移して本堂を再建し、以来、徳川家の菩提所となり、歴代将軍の位牌を祀っている。
 
・本堂の廊下の上の天井は、関ヶ原の合戦の前、家康の命を受けて伏見城を死守した鳥居元忠以下の武士が自刃した時の廊下の板を天井に上げ、その霊を弔ったもので、俗に「血天井」として知られている。
 
・本堂の杉戸および襖の絵(ともに重文)は、俵屋宗達の筆によるもので、杉戸には唐獅子、白像、麒麟等の珍しい行動が描かれており、奇抜で新鮮味にあふれ、中学、高校の美術の教科書にも用いられている。
 
 
 
6 京都検定の出題歴
【問】平成16年度2
 文禄3年(1594)、淀君が父の浅井長政の菩提を弔うために建立し火災による焼失後、淀君の妹の崇源院が再建した寺院はどこか。
(ア)智積院  (イ)養源院  (ウ)妙法院  (エ)即成院
 
【正解】(イ)
 
 
 
7 練習問題
(1)沿革
①文禄3年(1594)に、豊臣秀吉の側室淀君が父の( 1 )の菩提を弔うために、成伯法印を開山として建立。

②焼亡後、元和7年(1621)、淀君の妹の崇源院が、夫である( 2 )に願い、( 3 )の中御殿の遺構を移して再建。以後、将軍家の位牌所、皇室の祈願所に。
 
(2)本尊「阿弥陀如来」
 
(3)「( 4 )」
伏見城落城時に自刃した家康の家臣( 5 )らの血で染められた廊下の板を、供養のために天井板に用いたもの。
 
(4)( 6 )の杉戸絵:重文。
「獅子図」「麒麟図」「白像図」8面。
鳥居元忠らの慰霊のために描いたもの。
 
(5)襖絵:重文
「松図」12
 
(6)庭園
( 7 )によるもの。
 
【正解】
1
浅井長政
2
徳川秀忠
3
伏見城
4
血天井
5
鳥居元忠
6
俵屋宗達
7
小堀遠州
 
山科にある勧修寺(かじゅうじ)としだれ桜
 
 
 勧修寺は京都市営地下鉄東西線の小野駅から西に向って山科川を渡ったところにある、真言宗の寺院です。正式名は「かんしゅうじ」ではなく、「かじゅうじ」です。
 
※場所
 
 
 ここは、かつては代々法親王が入寺し、門跡寺院として格式を誇った寺院で、境内には江戸時代に御所から移築された宸殿、書院、本堂があり、建物内は通常は非公開ですが、門跡寺院の風格を感じさせるところです。
 
 境内にある氷室池を中心とした庭園では、初夏のかきつばた、黄菖蒲、花菖蒲、睡蓮、夏の蓮など四季を通じて様々な花が見られ、また、早春の梅、春のしだれ桜、初夏の紫陽花、秋の菊花展、紅葉などもきれいなところです。
 
 
 山門へ至る参道の両側には白壁の築地塀が続き、門跡寺院の格式の高さを表わし、春にはこの築地塀に沿って、しだれ桜があでやかに咲くことで知られています。
 
 今年も4月半ばに訪れてみましたが、しだれ桜の美しさには感激してしまいました。
 
 
●山門まで続く築地塀としだれ桜
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 門跡寺院の風格を感じさせる。春にはしだれ桜がきれい。
 
 
●山門と桜
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 山門を入って左手奥に拝観受付があり、その横に中門がある。
 
 
●中門
・山門から見た中門()、宸殿(中央)、書院()
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・中門としだれ桜
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●境内のしだれ桜
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●境内のソメイヨシノ
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●ボケの花
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3 主な歴史的建造物
●宸殿
 元禄10年(1697)、明正天皇の御殿を下賜されたもの。江戸時代初期の御所の建物。
 
 
●書院(重文)
・貞享31686)年に、後西天皇の仮内侍所を弟帝・霊元天皇から賜って移築したものといわれる。(明正天皇の宮殿ともいわれる)。
・一の間の違棚は「勧修寺棚」として知られる。障壁画は土佐光起・光成父子の作といわれる。
・御座所の違い棚(西桜棚)は、冠を置くため中央部が下がった珍しいもの。
 
 
●本堂
・寛文21662)年造営の仮皇居内侍所仮殿の旧材を用いて、同12年に灌頂道場として建築されたもの。
 
 
●観音堂(大斐閣)
・昭和101935)年に建築。
 
 
 
4 庭園(京都指定の名勝)
(1)池庭
 平安時代以来と伝わる「氷室池(ひむろいけ)」を中心とする庭園
 
①「氷室」の名
 平安時代、池の氷が五穀の豊凶を占うために宮中に届けられたという伝承があるためで、庭園は別名「氷池園(ひょうちえん)」と呼ばれている。
 
②「捨遺都名所図絵」に、「氷室十五勝」が掲載
 天明6年(1786)の「捨遺都名所図絵」に、「氷室池」を中心に、「氷室十五勝」と名づけられた中島や池の周囲の亭や橋、滝石組などの様子が描かれている。
 
 
(2)平庭
 貞亨3年(1686)に賜った書院の南に広がる庭園
 
①樹齢750年と伝える偃柏槙(ハイビシャクシン)
 
②徳川光圀が寄進したと伝わる勧修寺灯篭(水戸灯篭)
 
③樹齢350年と伝わるヤマモモの老木
 
④徳川吉宗の寄進という半月の水盆
などが見どころ。
 
 
 
5 練習問題
(1)真言宗( 1 )派の大本山。山号「亀甲山」。本尊は千手観音。
 
(2)沿革
 昌泰3(900)に藤原胤子(醍醐天皇生母)の願いで、藤原定万(胤子の弟)が祖父の( 2 )の邸宅跡に開創。承俊律師を開山に迎え、のち( 3 )の勅願寺に。15世の寛胤法親王が入寺以後、明治維新までは親王が住持する格式ある門跡寺院だった。
 
(3)千手観音
 本尊。( 4 )の等身大。
 
(4)書院
 重文。元禄10(1697)、( 5 )の旧殿を外賜されたもの。( 6 )作の
襖絵がある。
 
(5)( 7 )
 平安時代の作庭。睡蓮の名所。書院前庭には( 8 )より拝領の勧修寺型灯籠がある。樹齢750年の名木( 9 )。
 
(6)( 10 )
 国宝。勧修寺繍帳とよばれる。現在奈良国立博物館の所蔵。
 
(7)( 11 )
 鎌倉時代の作。
 
【正解】
1
山階
2
宮道弥益
3
醍醐天皇
4
醍醐天皇
5
明正天皇
6
土佐光起
7
氷池園
8
水戸光圀
9
ハイビャクシン
10
刺繍釈迦如来説法図
11
蓮華蒔絵経筥

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