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今宮神社とあぶり餅
今宮神社は平安時代の創建以来、疫神を祀る神社として信仰を集めてきました。
毎年4月の第2日曜日に行われる「やすらい祭」は、桜の花が散るころに疫神が分散して人を悩ますのを鎮めるための病鎮めの祭事で、10月の鞍馬の火祭、太秦の牛祭(現在は行われていない)と並び京の三大奇祭の一つといわれています。
境内の東側の門前に、「かざりや」と「一和」の二軒のあぶり餅のお店があり、厄除けのご利益があるとして、いつも賑わっています。
※場所↓
1 境内
南側にある楼門から境内に入り、神楽殿の横から本殿の前に進む。
●楼門
・扁額
●神楽殿
●本殿・拝殿
社殿は明治29年に焼失し、同35年(1902)の再建。
●疫神社
本殿に向かって左隣(西側)に疫神社がある。本社が鎮座される以前からあったといわれ、素盞嗚尊を祀る。
●今宮の奇石「阿呆賢さん」
この「阿呆賢さん」は古くから神占石ともいわれ、病弱な者はこの石に心をこめて病気平癒を祈り、軽く手のひらで石を撫で身体の悪いところをなでれば健康回復を早める。
また、「重軽石」ともいわれ、まず軽く手のひらで三度石を叩いて持ち上げると重くなり、次に願いを込めて三度撫でて持ち上げ、軽くなると願いがかなうといわれている。
●東門と神橋
・東門は元禄時代の遺構。
・神橋は元禄7年の遺構。
●織姫社
江戸時代に西陣の機織家が堀川の東西に織物の神としてまつられていた女神を、おまつりしたもの。
七夕伝説の織女に機織をお教えになられた神とも言われ、織物の祖神とされている。
毎年11月11日は「西陣の日」として、織姫社で式典が行われる。
2 沿革
①本社には大己貴命(おおなむちのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)摂社、疫神社には素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る神社で、紫野神社ともいわれている。
②正暦5年(994)、都で疫病が流行した折に、船岡山で疫病の退散を祈った。これが紫野御霊会であり、今宮祭の起源とされる。この時、京中の老若男女は神輿に供をして船岡山へ登り、綾傘に風流を施し囃子に合わせて歌い、踊り、病魔のよれる人形を難波江に流したといわれる。これが夜須礼(やすらい祭)の起源とされる。
③長保3年(1001)に現在の地に遷座し、「新たに設ける宮」という意味から今宮神社と称し、以後、疫病が流行るごとに御霊会が行われ、疫神を祀る神社として信仰を集めてきた。
④徳川綱吉の生母桂昌院は、荒廃していた社殿の造り替えや寄進、途絶えていたやすらい祭の復興などに尽力をし、神社は再び活況を取り戻したと伝えられている。
3 桂昌院と「玉の輿守」
・桂昌院の像
桂昌院は、徳川3代将軍・家光の側室で、5代将軍綱吉の生母。名を「玉」と称した。
西陣の八百屋の次女として生まれたと伝えられ、寛永16年(1639)に御小姓として家光の側室のお万の方に仕え、その際に春日局の部屋子として家光に見初められ、家光の側室となり、正保3年(1646)に綱吉を産んだ。
桂昌院は京都の多くの社寺の復興に貢献しているが、西陣の産土神であるこの今宮神社の復興にも大きく尽力した。
今宮神社では、桂昌院の碑のほか、「桂昌院のように玉の輿にのれますように」という願いを込めた「玉の輿守」というここでしか買えないお守りも売られている。
<玉の輿守>
4 「やすらい(安良居)祭」(4月第2日曜日)
御霊会を現代に伝えて、毎年桜の開花のころに行われてきた病鎮めの行事。行列の花傘の下に入ると病気にかからないといわれている。
この祭りは、太秦の牛祭・鞍馬の火祭 とともに京都三奇祭の一つ。
5 あぶり餅
東門を出た所に、名物「あぶり餅」を売る2軒の店、「かざりや」と「一和」が向かい合って、昔ながらの神社の参道の風景を今に伝えている。
・かざりや
・一和
日本最古の和菓子屋とされ、今宮神社参道で応仁の乱や飢饉のとき庶民に振舞ったといういわれがある。
●「あぶり餅」
きな粉をまぶした小さなお餅を、竹串に刺して炭火であぶった後、白味噌の甘だれをかけた餅菓子。
竹串は、今宮神社に奉納された斎串をもちい、病気平癒や厄除けの御利益があると伝えられている。
6 京都検定の出題歴
(1)平成16年度3級 今宮神社のやすらい祭の名物として古くから知られ、今でも門前で売られて疫病を祓うといわれる餅はなにか。 (ア)うぶ餅 (イ)稚児餅 (ウ)あぶり餅 (エ)鎌餅 【正解】(ウ)
(2)平成18年度3級
平安時代から疫病退散の神として信仰され、「やすらい祭」で知られる神社はどこか。 (ア)今宮神社 (イ)晴明神社 (ウ)護王神社 (エ)八坂神社 【正解】(ア)
(3)平成19年度3級
桜の散る頃に疫病が流行したため、花の霊を鎮め無病息災を祈願したことに始まる今宮神社の祭はどれか。 (ア)八朔祭 (イ)やすらい祭 (ウ)五月満月祭 (エ)幸在祭 【正解】(イ)
7 練習問題
①祭神:「事代主命」ほか。摂社の「疫社」にスサノオノミコトを祀る。
平安初期に疫病を払うために京中の人々が( 1 )を祀ったのに由来する。紫野社、今宮社と呼ばれる。 ②「( 2 )」:門前で売られている。古くから祭りの名物として知られ、これを食べれば疫病が祓えると伝えられる。 ③( 3 )祭:疫神を鎮める鎮花祭として始まった。行列の花傘の下に入ると病気にかからないといわれている。( 4 )の牛祭(現在は中止)、鞍馬の( 5 )とともに京都三大奇祭の一つで、毎年4月の第二日曜に行われる。「( 6 )」と呼ばれる。 ④多数の摂末社:境内には疫社、若宮社などがある。西陣織業者が祀った( 7 )神社もある。 ⑤「( 8 )」:不思議な石。この石は手のひらで軽く三度たたいて持ち上げると大変重くなり、次に願いを込めて三度なでて持ち上げ、軽くなれば願いがかなうといわれている。 【正解】
1 疫神 2 あぶり餅 3 やすらい 4 広隆寺 5 火祭 6 やすらい花 7 織姫 8 阿呆賢さん |
京の社寺めぐり
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京都検定のため、必要最小限の重要事項の整理を加えました。
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梅雨時の錦天満宮の境内
錦天満宮は新京極通と錦市場のある錦小路通が交差するところにあり、通称「錦の天神さん」と呼ばれて親しまれています。
・新京極通
ここは菅原道真を祭神とし、知恵・学問・商才と招福・厄除け・災難除けのご利益があるとして信仰され、多くの参拝客が訪れるところです。
6月には修学旅行の生徒さんたちの姿も見られ、梅雨時の境内ではあじさいなどが雨に濡れて、落ち着いた雰囲気でした。
※場所↓
●一の鳥居
ここは、門前の錦小路通と新京極通の間にある一の鳥居の両端が、建物の中に突っ込んでいるのが有名です。これは、一の鳥居が参道に立てられた後で両側にビルが建てられたため、このようなことになったのだそうです。
●新京極通に面した入口
●拝殿
・内部
古い狛犬や随神さんがいます。
●ご神水「錦の水」
境内には、京の名水「にしきの水」が湧き出し、水を汲みに来る人訪れます。
●手水
●牛の像
●祈願絵馬
●錦天満宮の末社
豊臣秀吉の都市計画による移転の際に、他の諸神社もここに移転されている。このため、小さいながらも由緒ある複数の神社が祀られている。
また、境内末社として安産の塩竈神社、商売繁盛の日の出稲荷神社、白太夫神社、七社などの由緒ある末社が祀られています。
①塩竈神社
「六条河原院」が寺とされたとき、源融を弔うため創祀られたもの。秀吉の都市改造で移転したときに天満天神と共に移されたという。安産のご利益があるとして信仰されている。
②日の出稲荷神社
③白太夫神社
④七社
「八幡神社・床浦神社・市杵島神社・熊野神社・事比良神社・竈神社・恵美須神社」
※末社「床浦社」
痘瘡よけの神として少彦名命を祀っている。
●梅雨時の境内で見られた花と木の実
●沿革
<説明板>
①平安時代の長保5年(1003)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸「菅原院」を嵯峨天皇の皇子である源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築して「歓喜寺」が創建され、その鎮守社として天満天神を祀って創建されたのに始まる。
②天正15年(1587)、豊臣秀吉の都市計画のため、寺とともに錦小路東端の現在地に移転した。
③その所在地名から「錦天満宮」と呼ばれるようになった。
④明治の神仏分離により歓喜寺は東山五条に移り、神社だけが残された。
なお、歓喜寺は、近年、山科区大宅に再び移転した。
錦天満宮は、もとは現在の下立売御門の向かい側にある菅原院天満宮神社の地にあったとされる菅家邸「菅原院」からはじまり、さらに現在の本覚寺から渉成園あたりにあったとされる源融の「六条河原院」に移して歓喜寺とその鎮守社としての天満天神の創建へつながり、その後、「六条河原院」が寺とされたとき、源融を弔うため塩竈社が創祀られ、さらに時を経て、秀吉による都市改造による移転の時に一緒に現在地に移ってきたとされています。
菅原道真と源融、さらに秀吉が結びつくスケールの大きな話になっています。
●練習問題
(1)祭神は菅原道真。通称「錦の天神さん」
(2)沿革
長保年間(999〜1004)に( ① )の鎮守として創建。知恵、文学、商売繁盛の神として信仰される。天正15年(1587)、( ② )により、現在地の錦小路東端に移されたとされる。
(3)( ③ )(末社)
疱瘡除けの神として信仰される。
【正解】
①歓喜寺
②豊臣秀吉
③床浦社
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藤森神社とあじさいの花
藤森神社は京阪電車墨染駅の北東、京都教育大学の西隣にあります。
社伝によれば、平安遷都以前からある古社であり、三韓征伐から凱旋した神功皇后が、山城国・深草の里の藤森に「いくさ旗」を立て、兵具を納め、塚を作り、祭祀を行ったのが当社の発祥であるとしています。
また、古来より勝運と馬の神様として信仰を集め、菖蒲の節句発祥の祭といわれる藤森祭と駈馬神事が伝わっています。
境内には京都では有数の規模を誇るあじさい園があり、6月中旬頃から7月にかけて3,500株に及ぶあじさいが見頃になり、このころには、多くの人が訪れます。
先週の週末に訪れると、まだまだ見頃といったところでした。
1 場所↓
2 あじさい園で咲き誇っていたあじさい
・入口
3 境内
●東側の入口の鳥居と参道
●拝殿
●本殿
正徳2年(1712)に中御門天皇より宮中内侍所(賢所)の建物を賜ったもので,現存する賢所としては最古のものとされている。
●八幡宮社(重文)
応神天皇を祀る。足利義教によって造営された。
●七宮社
●大将軍社(重文)
桓武天皇が平安遷都の折、王城守護のため四面に大将軍を祀った。その南面の守護神がこの社とされる。古来、この神は方除けの神として崇敬を集めている。
現在の建物は室町時代の影響10年(1438)、時の将軍足利義教の寄進によるもの。
●霊験天満宮
●祖霊社
●手水舎
この手水鉢の台石は、石川五衛門が、宇治の浮島十三重塔の上から5番目の石を持ってきたものだと、伝えられている。
●旗塚
神功皇后が旗や武器を埋めた場所とされる。木をさすって、その手で身体のわるいところをさすると治ると伝えられている。
●名水「不二の水」
二つとない良い水という意。
●絵馬舎
●祈願絵馬
3 沿革
<説明板>
・平安遷都以前に建立された古社。素盞鳴命、神功皇后、日本武尊など十二柱に及ぶ神々をまつり、洛南深草の産土神として崇敬されている。
・「菖蒲の節句」発祥の神社として知られ、菖蒲が勝負に通じること、毎年五月五日に行われる藤森祭で曲乗りの妙技で有名な「駈馬神事」が行われることから、勝運と馬の神社として特に信仰が厚い。
・また、日本書紀の編者であり、日本最初の学者である舎人親王を祭神としていることから、学問の神としても信仰されている。
・本殿は、正徳2年(1712)に中御門天皇より賜った宮中内侍所(賢所)の建物といわれる。
・また、本殿背後東にある八幡宮は応神天皇を祀り、西にある大将軍社は磐長姫命を祀る。どちらも重要文化財に指定されており、特に大将軍社は平安遷都のとき、王城守護のため京都の四方に祀られた社の一つであるといわれ、古来より方除けの神として信仰されている。
・本殿東の、神功皇后が新羅侵攻の際に軍旗を埋納したといわれる旗塚や、二つとない良い水として名付けられたという名水「不二の水」は有名である。
・六月の紫陽花が見事で、「紫陽花の宮」とも呼ばれている。
4 藤森神社の社地について
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、つぎの記載がある。
・藤森の地は現在の伏見稲荷大社の社地である。その地に稲荷神が祀られることになったため、当社は現在地に遷座した。そのため、伏見稲荷大社周辺の住民は現在でも当社の氏子である。
・なお、現在地は元は真幡寸神社(現 城南宮)の社地であり、この際に真幡寸神社も現在地に遷座した。
5 年中行事 「藤森祭」5月5日
①端午の節句に武者人形を飾る風習(菖蒲の節句)の起源、由来となる行事
朝からみこし3基が氏子内を巡行し、武者行列が練る。
②駈馬神事
一字書き、藤下がり、さか乗りなどの馬上妙技が披露される。
6 宝物殿
同神社に伝わる社宝に、宮司が集めた古今の武具を加えた百数十点の他、博物館も併設されている。
7 あじさい園
6月上旬から7月上旬。3,500株に及ぶあじさいが見頃になる。
8 京都検定の出題歴
①平成17年度1級
(問)菖蒲の節句発祥の神社といわれ、勝運と馬の神社としても知られている神社はどこか。
【正解】藤森神社
②平成19年度2級
(問)「神社」と「花」の組み合わせ 誤っているものはどれか。
(ア)大田神社 ― カキツバタ (イ)藤森神社 ― 蓮
(ウ)地主神社 ― 桜 (イ)長岡天満宮 ― 霧島つつじ
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建仁寺禅居庵摩利支尊天堂とあじさいの花
建仁寺は四条通から花見小路を南へ歩いたつきあたりにありますが、その境内の南西端近くに、禅居庵という建仁寺の塔頭があります。
禅居庵は建仁寺境内から山門が開かれていますが、禅居庵の摩利支尊天堂へは、南側と西側に山門があって、直接お参りすることができます。
摩利支尊天堂境内には、狛犬ではなく、狛イノシシがいます。また、手水舎にもイノシシがいます。イノシシの像があちこちにあるのは護王神社みたいです。
ここでは、イノシシが尊天の使いとされています。
※場所↓
1 建仁寺禅居庵について
建仁寺の寺域の南西にある建仁寺の塔頭で、元(中国)の禅僧、清拙正澄禅師が鎌倉時代末期(1333年)に創建。
2 摩利支尊天
禅居庵の鎮守として祀られ信仰されている。ここには海北友松の代表作といわれる重文の書院襖絵(松竹梅図12面)がある。
●摩利支尊天堂
<周辺地図>
①南側の山門
②摩利支尊天堂
③境内のイノシシの像
尊天の使いとして、境内にはあちこちで狛犬ではなく、狛イノシシやイノシシの置物、祈願絵馬が見られる。
・手水のイノシシ
・狛イノシシ
・イノシシとアジサイの花
・イノシシとバラ
3 沿革
・開山の大鑑禅師は執権北条高時により、嘉歴元年(1326)秘仏摩利支尊天像を袈裟に包み、元の国より来朝し、翌年、当庵鎮守の摩利支尊天堂に祀った。
・現存する堂宇は天文16年に織田信長の父、信秀によって建立された。
(現地の説明板を参考にしました)
※摩利支尊天堂と摩利支天
・本尊は摩利支天というインドの軍神。
・日本三大摩利支天の一つ。
金沢の宝泉寺、東京の徳大寺並び称される。
・府指定文化財
<摩利支天>
・陽炎を神格化した女神で、七頭の猪に乗った三面六臂の本尊が祀られている。
・護身・得財・勝利などを司る神で、日本では中世の武士の間に広まり、江戸時代には民衆に広く信仰された。
・現在は開運を願って祇園花街の芸・舞妓や多くの人たちのお参りが絶えない。
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大原の実光院と初夏の庭園
大原の三千院の前の道をさらに奥に行くと、突き当たりが勝林院ですが、その手前の左側にあるのが実光院です。
※場所↓
5月末の週末に訪れましたが、ちょうど山門の工事が行われているため、拝観の出入口は川沿いのところに変更されていました。
・工事中の山門(パンフレット)
実光院は勝林院の塔頭であり、庭園では年間を通じて様々な茶花を咲かせています。
ここでは2つの庭園を客殿の中から柱を額縁に見立てて「額縁庭園」として楽しむことができます。
客殿で絵画のような庭園の景色を眺めながら、抹茶とお菓子(八ツ橋饅頭)をいただきました。
●抹茶とお菓子(八ツ橋饅頭)
お寺のスリッパに履き替えて、庭園を散策してきました。
1 旧普賢院庭園「契心園」
客殿の南にある池泉鑑賞式の庭園。「契心園」とよばれ、江戸時代後期の作庭。
律川から導いた滝の水が流れ落ち、池の手前を俗世間、向こう側を仏の浄土に見立てて作られている。
2 旧理覚院庭園
・客殿の西側に広がる池泉回遊式の庭園。
・ご住職の手づくりの庭園
元々理覚院があった土地に、現在のご住職が手づくりで造り上げたもの。西の金毘羅山や小塩山を借景に取り入れている。
・茶花
園内には茶花が多く、たえず何か花が見られる。特に、秋から春にかけては「不断桜」という、桜でありながら、11月頃に満開になり、春にもまた咲くという珍しい桜の木がある。
●部屋の中から見た庭園
●モクレンと茶室「理覚庵」
庭園の西北隅にある。
●三寸あやめとナルコユリ
●オオデマリ
●スズラン
●そのほか、咲いていた花
3 沿革等
・延暦寺別院勝林院の塔頭で、大正8年に同塔頭の普賢院と理覚院を併合して実光院として現在の地に再興された。
・この地は天台声明といわれる仏教音楽伝承の中心地で、客殿の床の間に陳列されている楽器は声明研究のため住職が収集したもの。
・客殿の欄間の三十六詩仙画像は江戸時代中期の狩野派の画家の手によるもの。
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