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京の社寺めぐり

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京都検定のため、必要最小限の重要事項の整理を加えました。
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哲学の道沿いにある大豊神社と初夏の花
 
 
哲学の道のほぼ中間あたりに大豊橋があります。
 
・大豊橋
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・大豊橋近くの哲学の道
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ここから大豊神社の参道が山のほうに向っていて、ここを少し歩いていくと、大豊神社の境内に出ます。
 
 
この神社の創建は平安時代前期に遡り、昔は、現在の地よりさらに東の椿ヶ峰山中にあったのが、寛仁年間(10171021)に現在地へ移転し、応仁の乱による荒廃の後に再建されて、現在に至っています。
 
大豊神社は、現在でも、鹿ケ谷、法然院、南禅寺一帯の地主神として信仰されています。
 
 大豊神社で特に有名なものは、末社の大国社の前にいる可愛らしい狛ネズミで、子年の正月には大勢の参詣客が訪れます。
 
また、末社の日吉社の前には狛サルが、また、愛宕社の前には狛トビがいます。
 
 なお、こちらの境内は、四季折々にさまざまな山野草や木々の花が咲く、まさに花名所といわれ、初夏の今頃は、あじさいのほか、シモツケなど珍しい花も咲いていました。
 
 
1 場所
 
 
 
2 境内
 
参道
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●椿ヶ峰のご神水
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●舞殿
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●本殿
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主神が少彦名(すくなひこな)命で、応神天皇と菅原道真を合祀している。
 
 
●末社「大国社」
  大国主命が野火に遭って危険にさらされた時、ネズミが現れ、洞穴に案内してくれ、命拾いをしたという伝説に基づき、ネズミを狛犬としたという。
 
 
<狛ネズミ>
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   お腹が膨れているネズミと巻物を持つネズミがいる。
 
※ご利益
お腹が膨れているネズミは子宝、巻物を持つネズミは学業成就のご利益があると信仰されている。
 
 
●末社「日吉社」と「愛宕社」
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 本殿に向かって左側。
 
・日吉社の前の狛サルと愛宕社の前の狛トビ
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●美田稲荷社
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 五穀豊穣と商売繁盛の神
 
 
境内で見られた花
 
・シモツケソウ
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・ハコネウツギ
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・京鹿の子(つぼみ)
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・アジサイ
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・紫ツユクサ
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3 祈願絵馬
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4 沿革
<説明板>
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・仁和3(887)、宇多天皇の御悩平癒祈願のために、贈正一位尚侍藤原淑子が勅命を奉じて、少彦名命を東山三十六峰、第十五峰目の椿ヶ峰に奉祀して創建された。
 
・後に応神天皇と菅原道真公が合祀された。
 
 
 
5 練習問題
(1)祭神:少彦名命、応神天皇、菅原道真。
 
(2)沿革
鹿ケ谷の産土神で、創建は平安中期。当初は( 1 )天神と呼ばれ、椿ケ峰山中にあった。その後、山麓の現在地に移った。大宝大明神とも称し、円城寺の鎮守社であった。
 
(3)ご利益:治病健康、長寿、学問、縁結び
 
(4)石造の( 2 )
( 3 )を助けたという故事にちなむ。境内の大国社の前に狛犬代わりに鎮座。
そのほか、狛ネズミ、狛サル、狛トビ。
 
(5)椿やしだれ紅梅の名所。
 
【正解】
1
椿ケ峰
2
狛鼠
3
大国主命
 
哲学の道の南の起点にある熊野若王子神社
 
 
哲学の道は、銀閣寺橋から若王子橋まで、疏水に沿って約2km続く散策道ですが、その南の起点に熊野若王子神社があります。
 
<神社近くの疏水と哲学の道>
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ここは、後白河法王が永暦元年(1160)に禅林寺の守護神として熊野権現を勧請したのが始まりで、熊野神社・新熊野(いまくまの)神社とともに京都三熊野の一つに数えられています。
 
神社は“若王子さん”と呼ばれ、道中安全祈願や進学、縁結びの神様として人気で、哲学の道の散策とあわせて訪れる人も多いようです。
 
・若王子山にある同志社墓地への案内標石
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 なお、この神社の御神木は「椰(なぎ)」という木で、この木の葉で作られたお守りは、あらゆる悩みをナギ倒すとして参拝者に人気だそうです。
 
このあたりは紅葉の名所として知られるところですが、今は、青もみじがきれいです。
 
 
 
※場所↓
 
 
1 境内
●入口の鳥居と石橋
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●本殿
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●恵比須殿
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恵比須大神を祀る。かっては西洞院中御門(椹木町)あたりの蛭子社で祀られていたが、応仁の乱で神だけ残し焼失、その後この若王子で祀られるようになったという。
 
 
 
2 祈願絵馬
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3 沿革
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ここは、後白河法王が永暦元年(1160)に禅林寺の守護神として熊野権現を勧請したのが始まりで、熊野神社・新熊野(いまくまの)神社とともに京都三熊野の一つに数えられている。
 
 若王子神社は祭神として、天照大神、伊佐那岐(いざなぎ)命、伊佐那美(いざなみ)命、国常立(くにとこたち)命を祀る。社名は、天照大神の異名「若一王子」からとったものと伝える。
 
この辺りは、室町時代に足利尊氏・義政が花を愛でる宴を開いたといわれる桜の名所。また秋は紅葉の名所でもある。
 
 
京都の通称寺と真正極楽寺(通称「真如堂」)
 
 
京都ではお寺を通称名で呼ぶことが多く、金閣寺、銀閣寺も正式名称はそれぞれ「鹿苑寺」、「慈照寺」といいます。
 
<通称寺の例>
鹿苑寺「金閣寺」
慈照寺「銀閣寺」
金戒光明寺「黒谷」
蓮華王院「三十三間堂」
教王護国寺「東寺」
行願寺「革堂」
頂法寺「六角堂」
禅林寺「永観堂」
引接寺「千本えんま堂」
大報恩寺「千本釈迦堂」
護浄院「清荒神」
仲源寺「めやみ地蔵」
勝持寺「花の寺」
法観寺「八坂塔」
 
 
今回は、神楽岡に建つ、通称「真如堂」をご紹介します。
 
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 総門前に立つ標石には、「真如堂」の上に「天台宗 真正極楽寺」と書いてあります。
 
 
ここは、正式名称は「鈴声山真正極楽寺」と称する天台宗の寺院です。
 
なお、京都の通称寺はたくさんあり、「通称寺の会」が組織されているくらいです。
 
 
1 真正極楽寺(通称「真如堂」)と青もみじ
 
 
 
 真如堂は、総門から本堂に向かって三重塔を右に見て正面の幅の広い坂道があり、広い境内には本堂や三重塔、鐘楼などが建ち並び、春の桜の咲くころ、秋の紅葉の頃には多くの観光客が訪れますが、それ以外の季節は落ち着いて境内の散策ができます。
 
 
1 境内
総門(赤門)と参道
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 総門は元禄8(1695)建立。赤く塗られているので赤門とも呼ばれています。
 
 
総門を入ったところから続く本堂への緩やかな参道と三重塔 
 
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本堂(重文)
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  元禄16(1703)建立。享保2年(1717)再建。
 
京都市内の天台宗本堂として最大規模。
 
 
●  三重塔と青もみじ
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 文化14(1817)再建。
  
鐘楼
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 境内と墓地の境目にある。元禄年間建立。梵鐘は宝暦9(1756)作。
 
 
<鐘楼のわきで咲いていたあじさい>
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銅製の阿弥陀如来露仏 
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 木食正禅上人(16871763)が造立した
 
 
本堂と青もみじ
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新長谷寺
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 平安時代、神楽岡に九条家の祖といわれる藤原山蔭卿が邸宅を構え、そこに新長谷寺を建立。明治期に真如堂境内に移転。本尊は十一面観音。 
 
 
2 京都の通称寺
次の通称名で呼ばれる社寺がそれぞれ何という正式名なのか、いくつわかりますか?
 
 
《問題》次の通称で呼ばれるお寺の正式名称は何か。
 
次の通称で呼ばれるお寺の正式名称は何か。
1 世継地蔵
2 まるしてん
3 目疾地蔵
4 革堂
5 因幡堂
6 鳴虎
7 千本えんま堂
8 釘抜き地蔵
9 千本釈迦堂
10  
だるま寺
 
 
《正解》
1 上徳寺
子授けや安産のご利益。
 
 
2 禅居庵
摩利支天の訛りが通称に。狛猪が有名。
 
 
3 仲源寺
四条通に面している。
大雨で鴨川が氾濫しそうになり、雨止みを祈願「雨止み地蔵」さらに、目の病に効験があったという縁起話が広まる「目疾地蔵」
 
 
4 行願寺
行円上人が寒暑を問わず、鹿革の衣服を着て遊行民衆から「革聖」と呼ばれる「革聖のお堂」がいつしか、「革堂」に。
 
 
5 平等寺
狂言「因幡堂」の舞台。庶民の町堂。本尊の薬師如来は、藤原時代の一木造りで、重文。
 
 
6 報恩寺
寺宝の虎の図を秀吉が聚楽第へ持ち帰ったところ、夜毎に虎がほえて眠れず、寺に返したことから「鳴虎」と名づけられた。

平安時代の梵鐘(重文)は、撞かずの鐘と呼ばれる。黒田長政が死去した部屋がある。歴代の観世流家元の菩提寺。
 
 
7 引接寺(いんじょうじ)
周辺は、蓮台野と呼ばれる葬送の地。視野を回向するため千本ともいわれる多数の塔婆が立てられ、いつしか「千本」の地名が生まれた。
ここに、比叡山の定覚上人が引接寺を開山。
 
本堂に、鎌倉時代の仏師定勢による閻魔王像が祀られている。境内に紫式部供養塔。「千本えんま堂大念仏狂言」(5月1〜4日)
 
8 石像寺
地蔵堂に、弘法大師自ら刻んだとされる石造地蔵菩薩立像がある。当初は、苦しみを取り去ってくれる「苦抜き地蔵」と呼ばれていたのが、いつしか「釘抜き地蔵」に。
 
 
9 大報恩寺
千本通の近くにあり、本尊が釈迦如来像であることから、「千本釈迦堂」と呼ばれた。

本堂は、鎌倉時代の創建当時のもので、京都市街地で最古の建物。国宝に指定。
柱の多くに、応仁の乱の傷跡が残る。おかめ塚。陶器市。厄除け大根炊き。
 
 
10 法輪寺
享保年間に創建当時からの本堂の他に、達磨堂があり、全国から奉納された1万数千点もの達磨像や達磨人形が並ぶ。キネマ殿には、映画関係者の霊が祀られている。
 
山科川の土手で見たかりんの実とネムノキのつぼみ
 
 
 京都でも梅雨入りをして、蒸し暑くなってきました。
 
山科川の土手では、かりんの実が大きくなり、ネムノキのつぼみも目立ち始め、タイサンボクも咲いています。
 
花の移り変わりを見ていると、季節の移ろいがよくわかります。
 
 
●山科川
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●かりんの実
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<かりん>
原産は中国東部。花期は3月〜5月頃で、5枚の花弁からなる白やピンク色の花を咲かせる。
 
花・果実とも楽しめ、さらに新緑・紅葉が非常に美しいため家庭果樹として最適である。
 
カリンの果実に含まれる成分は咳や痰など喉の炎症に効くとされ、のど飴に配合されていることが多い。
 
 
●ネムノキとつぼみ
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<ネムノキ>
ネムノキ科(広い意味でマメ科)の落葉高木。別名、ネム、ネブ。
 
花は夏に咲く。淡紅色のおしべが長く美しい。香りは桃のように甘い。果実は細長く扁平な豆果。マメ科に属するが、他のマメ科の植物とは花の形が大きく異なる。
 
ネムノキ属は主として熱帯に150種ほどが分布し、温帯で広く栽培され、一部で野生化している。
 
和名のネム、ネブは、夜になると葉が閉じること(就眠運動)に由来する。漢字名の「合歓木」は、中国においてネムノキが夫婦円満の象徴とされていることから付けられたものである。
 
 
●タイサンボク(泰山木)
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<タイサンボク(泰山木)>
・モクレン科の常緑高木。
 
・北米中南部原産。花期は57月頃。葉の表面には光沢があり、裏面は毛が密生しており錆び色に見える。
 
・日本では公園樹としてよく植栽される。放置すると樹高20m以上にもなるが、よく分枝して剪定にも耐えるため、庭木として植えるところも多い。
 
・タイサンボクはアメリカ合衆国南部を象徴する花木とされ、ミシシッピ州とルイジアナ州の州花に指定されている。
 
法然院の白砂壇と谷崎潤一郎の墓
 
 
法然院は、哲学の道近くにあり、正式な寺名を「善気山法然院萬無教寺」と号する浄土宗系の単立寺院です。
 
茅葺のひなびた山門から白砂壇の間を通ってお参りします。
 
ここは境内の拝観は無料ですが、本堂などの建物内は通常は非公開です。しかし、毎年、春と秋には建物内の特別公開が行われ、重文の狩野光信筆による襖絵などが拝観できます。
 
また方丈前には「善気水」と名付けられた名水が湧き出していますが、通常非公開です。
 
 
※場所↓
 
 
 
1 境内
●山門への参道
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●山門と白砂壇
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 山門は茅葺でひなびた趣きがある。
 
山門を入ると、両側に「白砂壇」という白い盛り砂がある。季節毎に模様を変えている。
 
水を表わす砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味している。
 
●池にかかる橋
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●本堂前の石畳の道を歩いて本堂へ
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・本堂
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    本尊は阿弥陀如来坐像であり、法然上人立像なども安置されている。
 
 
●方丈
 襖絵(重文)は、狩野光信筆。
 
・方丈方面の眺め
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●「善気水」
 名水として有名な湧き水。方丈庭園内にあり、普段は拝観できない。
 
 
 
2 法然院墓地にある谷崎潤一郎夫妻の墓と紅しだれ桜の木
 
ここの紅しだれ桜は、京都の風物を愛した潤一郎が生前買い求めたもので、こよなく愛していた平安神宮の紅しだれ桜と同じ桜だそうです。
 
墓石は「寂」「空」の二基の墓石が据えられてあります。「寂」は潤一郎・松子夫妻の墓で、「空」には松子夫人の妹重子夫妻が眠っています。
 
この寺の墓所は、潤一郎は代々谷崎家が日蓮宗であることを嫌っていたことから、自分で生前に求めたものであったそうです。
 
 
●谷崎潤一郎夫妻と夫人の妹夫妻の墓と紅しだれ桜の木
 
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 <法然院の沿革>
 ・鎌倉時代の初め、法然上人は、鹿ヶ谷の草庵で弟子の安楽・住蓮とともに、阿弥陀仏を昼夜に6回唱える六時礼讃を勤めていた。
 
・建永元年(1206)の12月、後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中に、院の女房松虫・鈴虫が法然上人の弟子の安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れるという事件により、法然上人は讃岐国へ流罪、安楽・住蓮は死罪となり、その後草庵は久しく荒廃することとなった。
 
・江戸時代に入り、延宝8年(1680)、知恩院第三十八世萬無和尚は、元祖法然上人ゆかりの地に念佛道場を建立することを発願し、弟子の忍澂和尚によって、現在の伽藍の基礎が築かれた。
 
・昭和28年(1953)に浄土宗より独立し、単立宗教法人となり現在に至っている。
 
 
 
<練習問題>
 
(1)浄土宗単立寺院。山号:善気山。寺号:( 1 )。本尊:阿弥陀如来。
 
(2)沿革
①浄土宗の祖、( 2 )上人が弟子の住蓮、安楽とともに、六時礼賛(昼夜6度にわたる阿弥陀仏の礼拝・賛美)を勤めた鹿ケ谷の草庵が法然院の始まり。
 
②「( 3 )の法難」
承元元(1207)年、後鳥羽上皇の女官であった松虫姫・鈴虫姫が法然の教えに感化され、法然の弟子の住蓮房・安楽房の元で出家してしまったのが発端となり、そのことが( 4 )の逆鱗に触れ、安楽・住蓮を打ち首の刑に、時に75歳の法然を讃岐への流罪の刑に処した事件。その後、荒廃。
 
③延宝8(1680)、忍澂(第三十八代知恩院・萬無心阿上人の弟子)によって、宗租法然上人ゆかりの地に、念仏道場を再興し、善気山法然院萬無教寺と称された。
 
④境内の一角は、明治34年から大正2年の間、現在の大谷大学の前身となる「浄土宗専門学院」が置かれていた。
 
(3)( 5 )
 茅葺きの山門を入ると、両側に白い盛り砂がある。水を象徴しているとされ、砂壇の間を通ることは、心身を清めて浄域に入ることを意味するそうで、白砂壇の波模様は、45日おきに季節に合わせ、描きかえられるという。
 
 模様は定まっておらず、水の流れが描かれた横に、季節に合わせて、桜の花びらや、いちょう、楓の落ち葉などが描かれることもある。
 
(4)本堂
 堂内には、( 6 )の作といわれる阿弥陀如来像と、法然上人の木像が安置されている。
 
(5)方丈
( 7 )筆の襖絵は重要文化財に指定されている。庭園は浄土式庭園。本堂と同じく春と秋の特別公開のときのみ公開。
 
(6)「( 8 )」
 方丈庭園内にある。洛中名泉の一つ。
 
(7)( 9 )の墓
「寂」の文字が描かれている。
境内の墓地には他にも、経済学の河上肇、東洋史学の内藤虎次郎、考古学の浜田耕作など学者・文人の墓が数多い。
 
【正解】
1萬無教寺
2法然
3建永
4後鳥羽上皇
5 白砂壇
6 恵心僧都
7 狩野光信
8 善気水
9 谷崎潤一郎

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