|
09年7月22日(水 高曇り) 百名山、99座目の朝日連峰、大朝日岳を登り残った百座目の飯豊連峰へ向かう途中、かねてより念願の上杉家城下町、山形県米沢市に立ち寄った。 yamajiがファンの戦国武将、上杉謙信は越後国、春日山城(新潟県上越市)にて天正六年(1578年)三月十三日、四十九才にて早逝した。 謙信の居城、春日山城祉に yamajiはこれまで三度足を運んだ、幼少時代勉学に励んだ林泉寺も訪ねた。 しかしここには謙信以後の上杉家はないのである。 謙信没後跡を継いだ二代目景勝の時代、越後から会津へ、そして米沢へと移封された。以来上杉家は五百年にわたり今日へと続いている。 ちなみに窮乏に陥った上杉家を再興し、中興の祖と慕われる九代目、鷹山(ようざん)公は、故ケネディ米大統領が心酔し最も尊敬する日本の政治家と称えた名君であった。 現放送中の大河ドラマ「天地人」は、上杉家の礎を築いた「謙信と景勝、景勝の家老兼続」の時代の物語である。 そんな想いの上杉家城下町米沢市である。 1) 天地人博開催中の上杉博物館 2) 同博の展示物、(兼続のドラマ用、本物は上杉神社所蔵) 3) 上杉記念館(旧上杉伯爵邸) 4) 上杉神社正面参道(米沢城祉の堀に架かる舞鶴橋) 5) 米沢城祉公園(松岬公園)案内板 6) 上杉神社参道一ノ鳥居付近 7) 同、二ノ鳥居付近 8) 同、本殿参道 9) 同、本殿 10) 同、境内伊達政宗生誕地標柱 11) 同、神社、神楽田 12) 同、城祉公園のお堀
|
ドライブ、旅と観光
[ リスト | 詳細 ]
|
09年7月18日(土 ☂/☁/☂ ![]() 雨があがれば月山へピストンの予定であったが生憎の雨、出羽三山・鶴岡・山形観光に切り替えた。 途中通過した月山牧場は緑の牧草地が広がり和牛がのんびりと草を食んでいた。 食いしん坊のyamajiは、この牛たちも米沢牛になるのかなあ〜なんて見とれていました。 1) 月山道から見下ろす牧場風景 2) 同、牧場内のレストラン屋と駐車場 3) 牧場内車道より放牧牛(バックの白線は月山道のガードレールです) 4) 同、やわらかく茂る牧草地
|
|
09年5月7日(木 ☂ ![]() 江戸から東京に京都から東京に首都も政治も東京に移った明治、産業革命以来格段の進歩を遂げた西欧列国に比べ「鎖国」による日本の立ち遅れを取り戻す当時の国家戦略は「富国強兵・殖産興業」であった。 「富岡製糸場」ガイドブックによれば「生糸の輸出振興と品質向上」の模範工場として明治三年(1870)二月政府決定により明治四年(1871)着工、当時世界最大規模の製糸工場として翌五年(1872)七月完工、10月には、模範工女404名が本格的な機械製糸技術を伝習すべく全国から集められ、創業開始。 明治26年(1893)三井財閥に払い下げられ、明治35年(1902)原合名会社に譲渡、昭和14年(1939年)には日本最大の製糸会社「片倉製糸紡績会社」に譲渡、昭和62年(1987)3月まで営業した。現存する遺構はフランスの技術を基本に日本の建築技術を大胆に取り入れ「礎石・木材・レンガ・瓦」を主材料とする貴重な建築物とか、現在「国指定史跡・国指定重要文化財」で世界遺産登録をめざしているとのことです。 1) 正門を入りまず目に付くのが長さ104.4mの「東繭倉庫」が 2) 東繭倉庫をくぐると広い敷地の先に「東繭倉庫」と対の「西繭倉庫」が 3) 西繭倉庫と東繭倉庫の間に長さ140.4mの「繰糸場」と高さ36mの鉄製煙突が 4) 操糸場の外観 5) 同、内部 6) 同、天井部 7) 操糸場前の「女工館」(操糸技術を教えるフランス人女性教師の住居) 8) 女工館に隣接する診療所 9) 診療所斜め向かいの「ブリューナ館」(指導者ポールブリューナと家族の住居) 10) 同、外観(後に女工の読み書き、和裁などを教える夜間学校に、工場教育の先がけに) 11) 東繭倉庫内の展示写真(工場の操業風景) 12) 同、操糸工場内風景
|
|
09年5月7日(木 ☂ ![]() 1) 麓から見る表妙義(左から金鶏山・金洞山・白雲山) 2) 妙義山ふるさと美術館駐車場から見る妙義山(白雲山、画面右岩峰下に白い大の字が見えます) 3) 妙義山神社総門(神社彫刻は日光東照宮の彫刻師作とか、一見の価値ありです) 4) 本殿参道石段(ドラマ「天地人」で幼い与六が雲洞庵に預けられる際、父と涙の別れをしたロケ地です。災害復旧工事で立ち入り禁止でした) 5) 妙義公園駐車場から見る妙義山(金洞山) 6) 中ノ岳神社大鳥居と金色の大黒様 7) 中ノ岳神社併社、大黒神社 8) 中ノ岳神社参拝道石段(轟岩を本殿に見立、本殿の建屋を持たない珍しい神社だそうです) 9) 中ノ岳神社・大黒神社縁起 10) 貫前神社(富岡市、徳川家光の肝いりでどこか日光東照宮風) 11) 同、参拝殿の彫刻 12) 貫前神社縁起
|
|
09年5月7日(木 ☂ ![]() 明治26年、碓氷峠に鉄道が開通した。 横川から軽井沢間の勾配がきつい区間には、ドイツ山岳鉄道の「アプト式」(線路中央部に歯車をかみ合わせて進む特殊軌道を施設)」を採用し山峡をトンネルと橋梁でつないだ。 昭和38年、同区間に碓氷新線が施設され廃線となったが「鉄道文化財として保存」されており一部を見ることが出来る。(横川からめがね橋までのアプトの道は遊歩道が整備されている、R18号線と並行しておりドライブで立ち寄るほうが効率が良い) 1) アプトの道基点、横川駅に隣接する「鉄道文化村」 2) R18号線より見る同所の展示車両 3) 同、横川〜峠の湯までのトロッコ列車線路(峠の湯付近) 4) 同、 5) 碓氷湖、山女・岩魚などを狙って太公望が釣り糸をたれている。 6) 同、赤いアーチ橋が静かな湖水に影を写す 7) 碓氷湖近くの2号隧道(1〜10号まで国、重文指定) 8) めがね橋へ続く4号隧道 9) 遊歩道終点の6号隧道(通行禁止)前からめがね橋遊歩道、5号隧道方向に向かって 10) めがね橋橋上からR18号線を見下ろす 11) R18号線より見上げるめがね橋(重文指定) 12) 碓氷峠から軽井沢へR18号線の緑のトンネル 今は難所の碓氷峠もバイパスが通り上信越自動車道がより短時間で碓氷峠を抜ける。
184ヶ所のカーブが続く峠道、旧国道18号線は柔らかい緑に包まれて美しく静かだ。 |







