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1984年3月に初めて北海道に行く前に「まつりばやし」で描かれているおまつりについて帯広市観光協会に問い合わせの手紙を出しました(その頃はメールなどはなかったので)。その返信には「特に『赤い花のまつり』と認識されているおまつりはありません。ただ秋口に開催されるおまつりの時には各戸に赤い造花を飾るのでそのことかもしれません」と書かれた後に「中島みゆきさんのことなら黙示録という喫茶店のマスターの渡辺さんがよくご存じですよ」と付け加えられていました。
その時以来、帯広を訪れるたびに黙示録にお邪魔していましたが、なぜかお店の写真が残っていない。
「黙示録」のマッチ。裏には「Jazz Audio B'」と書かれていますがみゆきさんが帯広で過ごされていたころは「黙示録」ではなく「Jazz Audio」という名前だったようです。
マスターの渡辺さんは「みゆきには『黙示録』って言ってもわからないよ。『Jazz Audio』って言わないと」と仰っていました。
お店ではみゆきさんのアマチュア時代のコンサートの音源など貴重な音源も聴かせていただき、帯広時代に掲載された新聞記事なども見せていただきました。
聴かせていただいたテープに収録されていたのは1974年11月22日に帯広ベルという商業施設の2階で行われたイベントにみゆきさんが出演された時のものでした。
渡辺さんは「アマチュア時代のみゆきは『あんなブスで気難し屋をスターにしてどうする?』って言われたもんだけど、才能があったから…」と仰り、盲学校に慰問に行った際に「『慰問なんだから暗い曲ばかりじゃだめだ』と言ったら一晩で『傷ついた翼』(『歌をあなたに』だったかも?)を作ってきた」と話してくださいました。
『黙示録』(当時は『Jazz Audio』)のマスター、渡辺晃さん。
1984年夏にみゆき仲間と再訪した際に、一緒に行った仲間のうちの一人がギターで歌を作っていてポプコンにも応募したりしているという話をしたら、ギターを貸してくれて「歌ってみな」と。歌を聴いた後、「詩がちょっと弱いけど、いい線いってる。帯広の子だったらスターにしてやるのに…」なんて言ってくださいました。
その後も帯広を訪れるたびに『黙示録』にお邪魔していましたが、社会人になってからは訪れる機会がないまま時が流れてしまいました。
今年聞いた話によればその後、渡辺さんは脳血管障害で倒れられて闘病生活を送った後、若くしてこの世を去られたとのことでした。もう一度お会いしたかったな…。
『黙示録』のあった場所は現在はパソコン教室の建物になっているとのことです。
おまけ
1986年8月に北海道を訪れた際に宿泊した釧路ユースホステルはペアレントの田中さんがみゆきさんのファンで起床時の音楽は「ホームにて」、就寝時の音楽は「時代」。宿泊者が集う夜のミーティングはランプのあかりの下で中島みゆきを聴くというものでした。
釧路ユースホステルの予約確認ハガキ。みゆきさんのイラストが…。
みゆきさん好きのペアレントさんとヘルパーさん。
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