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花のチカラを信じて!
大東亜戦争(第二次世界大戦)が終わり、アメリカ軍が我が国に進駐して以降、初めてフラワーギフトが日本に根を下ろしていくことになり、その結果、花屋は大きな変貌を遂げてまいりました。

では、それまでの日本の花屋は、どのような商いで生業を続けてきたのでしょうか。大きく「素材」と「お供え」の二つに分けて考えることができます。「素材」は主に「いけばな」を中心とした用途目的で、「お供え」は神仏にお供えする供花で葬儀用のお花も含まれています。

本稿では、現代に残る供え花の原点であり、今日の花店の礎を築くもとになったとも言える「お三日(さんじつ)」を取り上げてみましょう。現在でも一日・十五日には、榊や仏花を神棚や仏壇に供える風習が残っていますが、もともとは二十八日も含めて「三日(さんじつ)」と呼ばれていたのです。神事ですから古代より神社などで常盤木を供える儀式は執り行われていたのですが、こうした神事が民衆に降りて行ったのは江戸時代になってのことです。

三日は神事以外の意味では、参勤交代で江戸の屋敷に駐留していた諸大名や旗本が、登城を義務付けられていた式日を指すもので、一日・十五日・二十八日がその日でした。徳川将軍家を神格化したことにより、三日には大名達はこぞって麻裃(かみしも)を身に付けて一斉登城をしたのです。これを驚いて見ていたのが町民です。それぞれの藩では威厳を示し強大な力を持つお殿様たちが、威儀を正して月に三日も将軍を詣でる様子を見て、礼節をわきまえることの重要さを学んだのです。

武家との交流の深い豪商がこれを習って先祖や神仏への「お参りの日」として取り入れ、やがて小商人や町人にも広がっていきました。さらに、江戸時代の文化伝播の特徴ですが、一定期間の江戸滞在を終えた諸国大名がそれぞれの国元に帰ると、必ず当時の江戸の流行を持ち帰りました。そして、それが諸国での風習に根を下ろし伝播していきますが、この三日もその一つでした。こうして日本中に月に三回、榊や仏花を供える風習が根付いたのです。それに伴って花店が各地に増えていったのは当然ですが、お三日の「花」を買いに来たお客様が、そのついでに自宅用の飾り花をお求め頂いたお陰で花屋さんは今日までこの商いを続けてくることができたのです。

余談ですが、三日のうちの二十八日は一日に近いので花の痛みが少なく、取り替えるには勿体無いことから供花の三日(さんじつ)は、近代になって一日と十五日の二日間に省略されたのです。そして、お客様からよくお尋ねいただく「傷んだ榊は間で取り替えるべきなのか?」という件にお答えいたしましょう。三日にお参りする行為が重要であり、神棚には常盤木(榊)をお供えすることが大切なのです。ですから、仮に色が悪くなっても中途で取り替える必要はありません。でも、お水の交換は毎日の習慣にしてください。

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これからの花店Ⅱ
 
日本の食文化はミシュランガイドなどで紹介されて以来、いまや世界中のグルメから評価されていますが、何故ここまで成長したのでしょうか。


今日、繁華街に出ると外食産業は専門店で溢れています。1970年代まで、食堂や洋食レストランの他には蕎麦や鮨、天ぷらなど古来伝わる僅かな専門店という括りでしかなかった外食業界は、日本料理、中華料理、イタリアン、フレンチなどの各国料理店が覇を競いあいながら日本料理なら懐石料理・茶懐石や郷土色豊かな料理に細分化され、その他のジャンルでも、たこ焼き・ラーメン・ハンバーガー・カレー・ピザ等々、書き出したらキリがないほどに特化・分化が進みました。そして、専門店の中でもさらに区分けが進みます。餃子で有名な宇都宮には数百件の餃子屋が軒を連ねていますが、酒類やご飯を提供しないで餃子しか出さない店が長蛇の行列で客を集める繁盛店になっている例もあります。
そして、近年では「俺のフレンチ」などで注目を集めるスタンディング(立ち食い)による回転率と低コスト化で高級料理を低価格で実現するレストランも現れました。前者の餃子しか提供しない店からは、日本人特有のこだわりの世界が垣間見えます。そして、両者ともにお客様を翻弄させながら、お店が主導権を持つ優位な立ち位置を確認できます。


筆者がこれまで訪問した北海道から沖縄の花店の多くは立地や規模こそ異なるものの、店の構え方や商品の並べ方はほとんど同様でした。率直に言えば、「どこを切っても金太郎」のような無個性の花店集団が現状の立ち位置のようです。店頭には苗物から花鉢、ミニブーケが並び、店内には溢れんばかりの切り花と観葉植物が店を埋め、キャッシャー横には最高級商品である胡蝶蘭がうやうやしく置かれています。ほとんどの店が園芸店と花店、カジュアルから高級店の顔を持っています。若しかしたらこの60年で日本中の加盟店に、「JFTD(花キューピット)の店はこうでなければならない!」と、誤解を植付けてしまったのかもしれません。なんでも用意する業態を外食産業に例えれば、昔のデパート内にあった「お好み食堂」のようです。「どんなお好みにも対応します」と標榜し、多岐にわたる品揃えでお客様を待つのは現状の我々、花店と類似します。
しかし、今やデパート内のレストランフロアはテナントとして専門店が軒をつらねる形態に変化しています。この事例は、全方位でお客様の要望に向けて店舗を展開させたら利益が出にくいことを教えてくれています。花店のこれからの展望も、外食産業の専門店のように店主それぞれが持つ「こだわり」を前面に出していくことが必要ではないでしょうか。どうやらこれからの店創りのキーワードは「選択と集中」のようです。利益が出る店を目標に掲げ、得意なこと好きなことを前面に打ち出した個性的な店がファンを集め、支持されるのです。
ここで「利益を上げること」について触れたいと思います。我々の組織は「親和と誠実」を理念に掲げ、同じように「奉仕の精神」も強く求めてきました。これは、物価の異なる遠隔地間の取引で同じ価値を届けあう組織内の哲学であり、道徳観念とも言えます。しかし、それが60年の間に、加盟する花店経営者の理念になってしまったような気がしています。儲けること自体が罪なことのように考えられてきたのではないでしょうか。それぞれのお店の商いで奉仕を貫いては儲かるどころの話ではありません。
商いは慈善事業ではないのですから。とはいえ、お客様本位こそが商売の絶対的大原則です。お客様をだましたり裏切ったりするような行為は商道徳上あってはなりません。お客様には、私たちが提供できる最大限のパフォーマンスをお示しして、その対価として頂戴する代金に十分な利が含まれるべきです。商品である植物をお渡ししてお客様が笑顔になり、お代金を頂いて私たち商人が笑顔になる互恵関係が求められます。来店客数が減少傾向にある時代の花店経営は一つ一つの商いにしっかりと利が勘定されるよう配慮すべきなのです。


いま私たちは組織を再編成して新たな歴史に踏み出そうとしていますが、残念ながら現時点で組織の将来像や花店の在り方について踏み込んだビジョンが明確に示されていません。ネットワーク全体の改革と再編成を掲げるのならそれを構成する花店の未来像や組織としての好ましい形態を示す必要があると思いますが、どうやらこの点は明らかにされないようです。しかし、リーダーシップが示されず、変化の先がわからずともそれを待つことなく我々花店は変化に踏み出さなければなりません。
誤解を恐れずにいえば、我々は組織保全のために加盟しているのではなく、自店に利益をもたらしてくださるお客様と自店の為に加盟している筈です。組織が変わるためにも、それを構成する加盟店が自由な発想で挑戦し、個性的な花店集団になってこそ、私たちが求める真の組織再編成が完成すると思います。ここで筆者がその指針を語ることは控えます。それを考えるのは花店一軒々、店主一人々がそれぞれ独自の考えで個性的な展開を図らなければなりません。
3600店の花店があれば3600通りの変化形が考えられるのです。より多くのお客様に「花のチカラ」味わっていただくために、そして私たちが愛してやまない植物とそれを作る生産者のためにも自らの英知で輝かしい未来を切り開いてまいりましょう。

 
(これからの花店Ⅰ・Ⅱは、日本最大の花店ネットワーク「花キューピット」加盟店向けの機関紙に掲載された内容のままです。)

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これからの花店Ⅰ
 
花文化探訪は今回と次回で完結です。これまで、深遠な日本の花文化の一端をご紹介してまいりましたが、筆者の知識ではもうこれ以上は語れません。最後の締めくくりに花店の将来について触れておきましょう。

その前に少々過去を振り返ることにします。商店の形態は江戸時代中期から末期にかけて確立されました。商品を並べた棚板をおいて、見せることから始まった店の形態(見せるという動詞から見世【店】という言葉が生まれ、棚板で見せることから店がタナと読まれる語源でもある)は、今日まで長く続き現在でも多くの商店が「いつ来るか分からないお客様といつ来るか分からない注文」に備えて商品を陳列しています。食料品とならんで生鮮品のひとつに数えられる「花」を売る花屋もその多くが同様の形態です。そして、商店街から消えて行った店屋の多くがこの形態を変えることなく姿を消していきました。

古来、店や会社を「三代目で潰す」といわれていますが、この意は、甘やかされて育った三代目が放蕩を尽くして店を傾ける、という事ではありません。「創業者の創った売り先(マーケット)は、三世代に渡って続かない」と教えているのです。(欧米には企業の寿命100年説もあるようです。)三代にわたって上得意で在り続ける個人客は年齢的にも稀有であり、企業であってもその存続には保証がありませんからそれも当然です。花店と同様に在庫を並べていた他の多くの小売店が姿を消していったのは、それぞれの小売店のマーケットと需要の仕組みが壊れたにもかかわらず、創業以来の手法を変えずに商いを続けたからなのです。JFTD・花キューピットは栄光の歴史を編み続けながら、2013年で60周年を迎えましたが残念ながら業績には翳りがみえています。
これは組織を構成する加盟店が力を落とした結果に他なりません。小売業の歴史とほぼ同じ歴史で100年に及ぶ近代花店の業界も、これまでのマーケットが変化・縮小して、今おかれている状況はいわば必然なのです。それに気が付かず、業態の進化に向かわずにきた結果が現在の花き業界の構造不況の原因といえます。

稽古花主体の花店はいうに及ばず、ブライダル主体の業態も既に古いビジネスモデルになり、葬祭業との提携は過当競争と価格破壊で活路が見いだせません。現在、ようやく政治が安定して経済の活性化に期待が寄せられていますが、好景気になれば花は売れるのでしょうか。もちろん、好景気に沸けばパーティの装飾や企業からの依頼が増えるとは思いますが、花店の店頭にどれほどの効果があるのかを想像すると、案外お寒い状況ではないでしょうか。
お三日の習慣や節句の花文化が壊れ、いけばなを嗜む人たちさえも減った結果、お客様の来店機会が激減した構造はもはや修復不能と考えた方が自然のようです。私たち花店が何もせずともお客様のほうから店に来ていただいた夢のような時代には戻れないのです。花店の黄金時代は仏花・榊の需要の他に、いけばなを嗜む女性たちが家庭に花を生けることがごく自然で当たり前でした。そうした後ろ盾をいつの間にか私たちは「永久不変」と錯覚し、甘えて商売をしていました。売れるものさえ並べて置けば何でも売れたのだから仕方がありません。いつの間にか花店は「花を扱う単なる物売り」になってしまったのです。
お客様の動向に変化が生じたのなら、私たちは近未来を予見し自らを変化・進化させる必要があります。今後、私たちは業界をあげて新たな花文化を切り開き、お客さまをはじめ世の生活者に啓蒙していかなくてはなりません。しかし、それには相当な時間が必要でしょう。
お客様はときとして残酷な存在です。春先、花店の店主がスイトピーの彩りを揃えてお客様を待つと、来店するお客様はそこにない色を求めます。「〇〇色はないの?」と。傷心の店主は翌日市場に行きその色を仕入れます。そして残念ながらそれが売れることは多くはないのです。誰しもこの様な経験はあるでしょう・・・。
そうしたことから「日本で一番花を消費するのは、花屋だ!」という笑えない話もあります。たしかに、花店の商いはロスとの戦いです。新たな花文化を私たちが構築するまでの間も、これまで同様の店の構えを続けていてはどれだけ花を捨てることになるか解りません。私たちは受け身の商売によるお客様に翻弄される側ではなく、花店の魅力でお客様を惹きつけ、ある時は翻弄し、指導教育する立場に回らなければなりません。新たな発想で攻勢に転じてロスを軽減して高収益を目指すことが現状の環境下で商売を守ることではないでしょうか。
ここは花店の業態を変える挑戦が必要なのです。例えば、筆者の店の様な完全予約制の花店がもっと増えても良いのではないでしょうか?
                    次回 これからの花店に続く
 

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店の語源
 
店は「見せる」が語源と言われています。「見世」とも書き、本来は「見世棚(みせだな)」と呼ばれていたものの下略です。見世棚とは商品を並べて見せる棚の意味ですから店の語源は動詞「見す(見せる)」の名詞形「見せ」と考えられます。「見世棚」の上略語「棚」も店と同じ意味で用いられ、店を「たな」と読ませることがあります。江戸古典落語では、丁寧語で「おたな」という表現がよく使われていますが、その意味がここから読み取れます。
 
江戸時代、長屋の窓近くに置いた棚板に商品を並べて売っていたところから「見世棚」という言葉が生まれました。そして、在庫がどれくらいあるかを確認するため、棚板をおろして数えることから「棚卸」とい呼ばれるようになりました。いつの世も商売の基本は在庫の確認だったことが理解できます。
 
店の発展は、古典落語などから読み取ることができます。引き売りや丁稚(でっち)奉公から、やがて裏通りの長屋に「裏店(うらだな)」と呼ばれる店を構え、棚板を並べて商売をはじめます。棚板を上手に並べて「見せる」ことが商いの基本で棚の集合体が「店」としての機能そのものでした。客が見やすく、手に取りやすいように棚板そのものが取り易く、戻し易い構造になっていました。
裏店でしっかりと商売をして蓄財し、やがて表通りに「表店(おもてだな)」を構えるのです。そして、大繁盛の結果「大店(おおだな)」と呼ばれる豪商に発展すると、江戸名物の火事に際して建物の延焼防止の「卯建つ(うだつ)」をあげて世に威厳を示したのです。
 
「見世物」という言葉もありますが、遊びも情報も乏しい時代、見せるだけで商売のネタにもなっていたのです。江戸時代には、遊郭で遊女が客を誘うための道路に面した格子構えの部屋も「見世」や「張り見世」と呼ばれ、格子の中から客を引く下級の遊女を「見世女郎」と称していました。
さて、浅草といえば浅草寺参道の商店街が有名ですが、寺院の門前や境内にある商店街を「仲見世(中見世・仲店)」と呼びます。場所を転々と変える露天商や行商人と区別するために「店」という言葉が派生したようです。
 
蛇足ですが、「商い(あきない)」とは、農民の間で収穫物や織物の交換をする商的行事が農繁期を終えた「秋」に行われたことから「秋なう」となって動詞の「あきなふ」が生まれ、「あきない」になったそうです。
 

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ちょい不良オヤジ
 
日本人男性の多くは自己表現が上手ではない。以前にもFBのノート、「日本人はシャイなのか」で書いたが、侍社会のいわゆる「武士道精神」の影響により、喜怒を表さないのは日本人の最大の特徴ともいえる。
そのくせ、酒が入ったり集団になると途端に品の無い行為を平然と働く、妙な一面を持ち合わせる者が案外多い。切り捨てるようにいえば、格好悪い事は平気で、格好よく振舞うことが苦手な男性が多いのだ。
従って当然、花を持ち歩く事など想定の範囲を超えた行為だから、「墓花」以外の花を持ち歩いた経験のある男性は稀有ではなかろうか。
もし日本人男性の半数が、チョットした機会に花を贈るようになったら、花業界が構造不況から脱する事も夢ではない。そう言えば最近、「ちょい不良オヤジ」と言う人種が増殖しているが、もし劇的変化あるとするならば、この辺が案外一役買ってくれそうな気がしている。

それでは、ちょい不良オヤジとは、自己主張とお洒落が上手。
女性のエスコートが上品(決して邪[ヨコシマ]な感情を表さない)。歩く姿や立ち居振る舞いがスマート。等など、旧型には見られない性能(個性)を備えた男性が増えてきている。そう、「エー格好しー」と揶揄されるべき人々なのである。自らを、格好よく見せることを美学として生きる人々が「ちょい不良オヤジ」なのだ。

当然のこと、このニュータイプともいえる人種は「目立ちたがり屋」だから「花」を持つことなど朝飯前で、予算さえあれば100本の赤バラの花束くらい持ち歩きたいと考えている筈だ。ただ然し、案外持ち方で困るのだ。実際、花の持ち方は難しいもので、花のプロでさえも自らプライベート時に持つと、イケテナイ場合が多い。花屋が配達で花束を持ち歩くとき、これは大切な商品を持つのだから両手でしっかりと抱える事がベスト。

然し、プライベートで持ち歩くなら片手で花を上に向けながら持ったり、小脇に抱えたりするとかなり格好よく見えてくる。
見せびらかすように持ち歩く事が肝要なのだ。「どうだ!いいだろー。綺麗な花だろー!」くらいの勢いで持っていただきたい。当然のこと、こういう事が平気でできる人種とそうでない人種に分かれる訳で、それができるのが目立ちたがり屋の「ちょい不良オヤジ」と言う事なのである。
 

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