やまめのスナップ集

すっかり秋めいてきました、朝夕はストーブの世話になっています。

歴史・人物

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山王坊日吉(ひえ)神社

安東水軍が勢力を誇る中世津軽の衰退

現内閣総理大臣、安部晋三が父故阿部晋太郎と二人で、安東氏をルーツとして
津軽中山山脈の山中に有る荒吐神社に参拝した事が有る。

鎌倉時代から室町時代にかけて湊町として栄え、海外との貿易も行っていた中世都市、十三湊。
地方豪族「安東氏」の存在とともに記録されている。(市浦村)

山王坊遺跡、安東氏の寺社跡で京都の大比叡に相当する大社殿跡が確認された
津軽三千坊の拠点、この鳥居は重層で日本に現存する唯一のものだ。
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連なる鳥居をくぐり杉の大木林を進むと中腹に清水寺を思わせる社殿が見える。参道の苔。
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安部、安東氏の居城福島城は十三湖に面した壮大なものである、常時70艘の軍船が駐留する
海上交易の要所だった。後の調査で平安時代の築城と判明した。
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リカイさん>日本人の祖先はリカイさんの大陸から渡って来た人々との混血が最も有力視されています!その後日本の環境に適した独自の発展が有ったようです。従って同じ民族だと考えられています♪

2006/12/3(日) 午後 9:51 流れ星

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akiさん>1枚目の画像が重要なんです!蝦夷民族と熊襲民族の日本海交易、更に大陸との貿易で莫大な財政を築いたようです。しかし内戦戦略には勝てなかった!今で言う中央の末端、南部氏によって蝦夷地に逃れざるを得なかったとか・・・。

2006/12/3(日) 午後 10:19 流れ星

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安倍総理は安藤(東)一族とは関係ないですね。多分、安東一族は貞任が末裔だから、安倍総理は宗任が末裔で九州の方に同じ様な一族を作り、九州水軍も利用して、そして松浦に苗字が変わった人こそ松浦党の祖で明治維新に入り安倍に苗字が戻ったと歴史は探ると面白い、このブログ良いな!写真も綺麗だし、参考になります。

2006/12/3(日) 午後 10:26 [ 一太郎 ]

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akiさんが言っている通り蝦夷は南部氏(源氏)と北畠が手を組み、殆どが南部氏の領地になりました。それより、どうにもならない事が十三湊で有りました。歴史上、稀に見る大津波が安藤一族を襲ったのです。でも、安藤一族はその前から出羽(秋田県)に進出してました。南部氏に津軽を攻められても、安藤一族は安藤水軍を使って、出羽に上陸し、待っていたのは、アイヌ民族との戦い、コシャマインの乱です。安東一族が苦戦の苦戦で勝ち、逆にアイヌ民族と仲間になり領土を少しづつ拡大していきました。

2006/12/3(日) 午後 11:27 [ 一太郎 ]

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先月、津軽の藤崎町に行きました。藤崎町が安藤の発祥の地で、貞任(さだとう)の子、高星丸(たかあきまる)がその地に逃げて来て・・・安藤を名乗り藤崎城を建て・・・・十三湊にも拠点を作り福島城を建て安藤水軍で日本海全土を貿易に使いました。十三湊で安藤康季(あんどう やすすえ)が奥州日ノ本将軍を名乗りました。十三湖は見る価値があります。★

2006/12/4(月) 午後 8:01 [ 一太郎 ]

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一太郎さん>文献によって主張は様々です、十三湊も発掘調査の段階で確証は得られていません。私の記事と矛盾するかもしれませんが、福島城は平安時代の築城で安東水軍以前に既に存在していたようです。

2006/12/4(月) 午後 9:56 流れ星

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始めまして、確かに文献を見れば、場所も違えば文献も違います。桧山秋田家の参考です。福島城に高星丸が逃げていたのはどうなんでしょう。平安時代はその通りでと思いますが、どうなんでしょう。専門家の意見が聞きたいですね。十三湊遺跡は九州王朝みたいな所があり蝦夷の前はモンゴロイドの進化した文明見たいな物が十三湊で都で栄えていたと考えるのは、私の推論ですけどど?金山もあり、栄えた都があったと思いたいです。

2006/12/4(月) 午後 10:37 [ 一太郎 ]

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やまめさん>十三湊遺跡には話によると、研究や専門家が100人位来ていると聞きましたが、安日と言うことは討論されてませんか?日本書記には神武天皇と戦い負けて、津軽にと、そいて、自ら、アラハバキの神として安東一族も我らの後裔を安日王と、もう1つは孝元天皇の子、大彦命(四道将軍)が始祖と北に言ったとか。安倍の旧姓は(神氏)・・阿毎(あめ)氏、九州王朝の委国の王とまで書かれてます。

2006/12/4(月) 午後 11:55 [ 一太郎 ]

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一太郎さん>詳しいですね!私は専門家ではありません。ただ近くに藤崎城址が有ります、参考までに。 前九年の戦で安倍氏は源頼義と清原武則の連合軍に破れ、首領貞任は戦死した。貞任の遺児高星丸は津軽に落ちのび安倍十郎貞義と名乗り、後の安藤(安東)氏の祖となる。その子尭恒が寛治六年藤崎の地に藤崎城を築城、安藤氏の津軽における基盤を確固たるものとした。

2006/12/5(火) 午前 10:08 流れ星

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一太郎さん>安日彦、長髄彦兄弟の名前は見ます。しかし二人は同一人物で弟の長髄彦ではないかとの推論も有ります。神武天皇に敗れたのは長髄彦で宮城県塩釜に逃れ塩釜神社の祭神になったとか本州北端の津軽まで逃れたとの説も有ります。

2006/12/5(火) 午前 10:28 流れ星

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rieさん>先日久しぶりにブログへお邪魔したら大変な事になっていましたね! プロフィルまで書き換えられたんですか?お気の毒です。何の権限が有ってこんな悪戯をするんだろうか。私のようにyahoo内で別のブログを作るとか、最終的には他のブログに引っ越すという手段も有りますよ。ポチありがとう♪

2006/12/5(火) 午後 4:13 流れ星

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やまめさん>参考になります。大阪府に阿倍野区があるのは安日がいた事を物語ってます。歴史を見れば土地の由来が分かってきます。ナガスネヒコとアビヒコは神話ともいたとも言われてます。

2006/12/5(火) 午後 6:35 [ 一太郎 ]

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一太郎さん>コメントは嬉しいのですが、此方からもアクセス出来るオープンな状態で交信したいですね! 今後同様のコメントには応じられませんので悪しからず。

2006/12/5(火) 午後 10:12 流れ星

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なんだか奥が深そうな雰囲気ですね。苔むしたお庭、重層の鳥井初めて見ました。

2006/12/7(木) 午後 2:34 マリリン

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マリリンさん>全国の史跡に比べるとたいした事ではないと思いますが、歴史上で重要な部分も含まれている項目も有るようです。おっしゃる通り奥深いですね。

2006/12/7(木) 午後 7:33 流れ星

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かなり広そうに見えますね。一度歩いてみたくなりました。重層の鳥居に「ポチ☆」

2006/12/8(金) 午後 0:23 ひらめ♪

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ひらめさん>広いですよ〜山全体が境内で比叡山に相当する規模です! 礎石を荒らさないように遊歩道が設置されていて、苔の合い間を歩いていると渓流の音と野鳥の鳴き声が聞こえて癒されます♪ ポチありがとう♪

2006/12/8(金) 午後 9:51 流れ星

3番目の写真は、すごく戦国時代の雰囲気が出ていて、ちょっとドキッとしてしまいました。歴史と自然に囲まれたところ、行って歩いてみたくなりました。

2006/12/11(月) 午後 8:30 qkf**768

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じゃんさん>今では本丸跡の広い敷地しか残っていませんが、発掘調査が始まると何が出てくるか期待しています! 繁栄の後には衰退が繰り返されるんだな〜とガラにも無く考えています。

2006/12/11(月) 午後 10:05 流れ星

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師走は やまめさんも 皆さんも お忙しいでしょうね 風邪など召しませんように!!

2006/12/11(月) 午後 10:42 [ mama ]


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