さぶやんの”山梨歴史ジャーナル"

山梨は歴史・伝説・民話のふるさとです。

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一、秋元但馬守 湯原氏日記   一話一言(大田南畝)  元禄四年未 二月七日
 聖堂遷座今朝卯刻大久保加賀守 秋元但馬守右為御迎参上
 一、柳澤出羽守 湯原氏日記   一話一言(大田南畝)  元禄四年三月廿日辰の下刻柳澤出羽守亭へ始て被為 成  一、南条山人手書詩稿   
  甲陽道中
 曾堤鐵騎倚 關。叱吐軍前刀抜山。安識千秋曠原暮。哀歌唯有牧童還。
 一、山口素堂 立軸(紙地)臺表具 一話一言(大田南畝) 白字不詳
 
   瓢銘  芭蕉庵家蔵
   一 瓢 重 泰 山
   自 笑 稱 箕 山
   勿 慣 首 陽 山
   這 中 飯 顆 山
貞享三年秋後二日

  素堂山子書 我思 
古人
   白地
 一、山口素堂   一話一言(大田南畝)   立軸 紙地 杉風畫素堂賛
  寒くとも三日月見よと落葉かな 素堂
   横幅
  別紙に申達候其以後堅圍之番所に承及候
  江戸表變地先々驚候事共に御座候此度萬
  句廻状所々へ出申候所別而貴翁御事御取
  持奉頼候此筋文艸出来浪地地上□在打つ
  づき御果候而今は殊更心細き折節何事も
  先輩失候てちからなき心地仕候此度萬句
  巻頭に深川御連衆にて出し申し度願望に
  御座候尤先師奮住之地と申貴翁先達之よ
  しみ旁々難默止奉頼度存候此旨猶萬千公
  へもなげき遺候此序の事は此方に御入候
  間素堂へ頼候へば書て可給候旨に御座候
  返事萬部ひとつ御発句にて頼上候以上
三月十八日 支 考
 杉 風 様












 一、曲淵甲斐守   一話一言(大田南畝) 天明四年三月新御番佐野善左衛門若年寄田沼山城守殿中手疵一件
   町奉行 曲淵甲斐守
 一、堤氏蔵書目録   一話一言(大田南畝)   武田勝頼滅亡記(尼理慶)
   武具要説(高坂弾正)
   甲府家分限帳
 一、山口素堂  随庵諧語抄   一話一言(大田南畝) 随庵諧語(二巻)夏成美輯録
 上野館林松倉九皐が家に芭蕉庵再建勧化簿の序素堂老人の眞跡を蔵す。所々虫ばめるまゝをこゝにうつす。九皐は松倉嵐蘭が姪孫なりとぞ。
□は庵裂れて芭蕉庵を求十□を
二三年たのまんやめぐみを数十
生を侍らんや廣くもとむるは□
つて其おもひやすからんと也甲を
このまず乙を耻る事なかれ□各志
の有所に任すとしかいふこれを清
貧とせんやはた狂貧也と貧のまた
ひん許子之貧それすら一瓢一軒の
もとめ有雨をさゝへ風をふせぐ備
なくは鳥にだも及ばず誰かしのび
ざるの心なからぬ
是草堂建立のより出る所也
 天和三年秋九月□汲願主之旨
 濺筆於敗荷之下   山素堂
 《以下略》


 一、続群書類従合戦目録(抜粋)  一話一言(大田南畝)   甲亂記。
   武田勝頼滅亡記。
   川中島合戦記。
 一、平岡平八郎   一話一言(大田南畝) 甲州代官の弟也。法花宗善立寺の甥異名をめうはちと申候。 一、集千家註批點杜工部詩集   一話一言(大田南畝)  巻之一 
  七八ノ巻  信州主将
   永禄二年菊月日   板垣駿河守信方
  三四ノ巻  甲州
   ゝゝゝゝゝゝ   春 圓 房
 右は堀口幽谷の家蔵なり其書古訓點にて板垣信方の手書とみえたり亂世にかゝる風がもめづらし闕巻あり全からす
 一、鎧巧明珍家譜并功拙之評   一話一言(大田南畝)  元祖    明珍出雲守紀宗介
   十六代 甲上頬中   住相州鎌倉 文明之頃
   左近大夫義通 又四郎勝義
 武田信玄令作諏訪星盛冑此時賜信字
   十七代 甲上頬中上中 住上州白井或甲州府中
永世享禄弘治大永天文頃
   同左近将監信家
   永世の頃    住甲州府中 信忠清七郎
   弘治の頃    住甲州府中 信光
   大永の頃    住甲州府中 信綱丹下
   住甲州府中
 一、七不思議(甲斐七不思議)   兎園小説(瀧澤馬琴) 寛政三年、甲斐国に六奇異あり。遠江に一奇異あり。合わせて七奇異とす。当時ある人の消息に云く、
一、甲州善光寺の如来。當春二三月汗かき、寺僧両人づゝにて  日夜拭ひ候事。
一、甲州切石村百姓八右衛門家の鼠、大さ身一尺餘、為猫之聲  候事。
一、右村より一里許山に入石畑村に而、馬為人話候事、尤一度  切りにて後無其事。
一、同八日市場村切石村荊澤村にて、牝鶏各化為牡鶏候事。
一、同東郡一町田中邊三里四方許之間、五月雹降り深さ三尺餘、  鳥獣被打殺候事。
一、同七面山鳴御池の水濁渾候事。
一、遠州豊田郡月村百姓作十郎方の鍬に草生候事、刃先より三  寸、一本枝十六本、如杉形三日にて花を開、似桜花枝木花  共に皆鍬のかねなり。

 一、根わけの後の母子草   兎園小説(瀧澤馬琴) 文政四年の春二月晦日の黄昏ごろ、元飯田町の中坂にゆきたふれたるおうな(老女)ありとて、これを観るもの堵の如し。(中略)旅寝すること九年に及べり、今は既に巡り盡して、廻国すべきかたもなけば、ふたゝび江戸をこゝろざして、岐岨路をくだり、甲斐が峰をうち遶り、よんべは両郷(ふたご)の渡りとかいふ川邊のあなたなる里に宿とりつ。かゝりし程に、あの御坂のほとりにて、俄に足の痛み出でゝ、一歩も運ばしがたければ、思はず倒れ侍りきといふ。
 按ずるに、ふたごの渡りは、江戸を距ること西のかた四里許りにあり、この地は甲州街道にあらず。大山道なり。かゝれば甲斐より相模路を巡りて、江戸へ来つる成るべし。
 一、曲淵甲斐守   兎園小説(瀧澤馬琴) 天明七年の飢饉
 (前略)このときの町奉行は曲淵甲州と、山村信州なりしが、信州は新役にて、甲州は故臈なり。この夏の五月の頃にやありけん。甲州、件のねがひ人等をよびのぼして、汝等が願ひにより、米商人等を穿鑿したけれど、彼等に米はなしといへり。
云々
 甲州に蝗(いなご)風聞のある事まで、悉くしるし盡さば、云々。
 

一、新羅明神《新羅三郎義光が元服した場所》
  兎園小説(瀧澤馬琴) 新羅明神は三井寺北院現在谷に鎮座也。祭神は素盞鳴命(須佐之男命)也。此神五十猛神を師て新羅国に至り、智證大師唐土より帰朝の時、船中の佛經を擁護して日本に帰り給ふに依て、新羅明神と崇め現在谷に鎮座也。其後永正十年九月二十一日、明尊始めて祭祀せしにより、今なお九月二十一日佐竹家より供物有。新羅法楽の歌の會に、俊頼褒貶の巻有。それより今に至るまで、和歌の法楽を供するを式とす。卜部兼邦が歌に、
  新羅より三井の流れにやどり来て
 いく代住むべき神のこゝろを

 


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