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甲斐の夜明け
山梨の中心地の甲府は周囲を山に囲まれてています。国道でも電車でも、塩山を通過するあたりから、山が急に広がってきて、桃の花の時期には、花の中に甲府付近が遥か下に現れます。
甲府盆地には全国各地ある湖水伝説があります。大昔は犬湖水であったといわれています。時代を少しだけさかのぼれば、現在の中央市付近には小さなため池がたくさんあり、地面を少しほれば水が溢れたものです。
そのころは、甲斐の人びとは、湖水の周辺の山腹や小高い丘に住んでいました。人々は大きな湖水を眺めながら、湖水の水を払い、そのあとを田や畑にLたいと願っていました。
。そこで人びとは神の助けをかりて、下流の岩を切りひらいて、流水の道を広げ、少し筒田畑を増やしていきました。
その内容にはいろいろな説がありますが、蹴裂明神(けさきみょうじん)という神があらわれ、湖水の水の出口をふさいでいた大岩(南巨摩郡鰍沢町付近)をやぶって富士川へ落したため、盆地にはじめて人が住めるようになったという。
ある神社に伝わる話では、むかし甲斐の国は海国が一面湖水であったころ、二人の神が力を併せて岩石を取り除きました。溜まっていた水は水路を通Lてから、しだいに湖水のしたの部分が見えてきました。
こうした神々に感謝した人々は神様に感謝して神様を神社に祀りました。大昔の人々は植物でも動物でもどんな小さい生き物にも神様がすんでいると信じていました。人々が困ったり悩んだりしていると、神様が救ってくれたのです。
現在はこうしたこともなくなり、科学な判断が目立ち、ものに感謝するという気持ちが薄れてきています。
湖水を平野にしたのは元正天皇の養老年間に行基(ぎょうき)が甲斐国に遊行したとき、南の山を切りひらいて水を富士川に流したので、国びとがその徳を感謝し、中国の萬王の徳にたぞらえて「兎の瀬(うのせ)」と命名したも伝わっています。
こうした話とは別に、甲府盆地の周囲には、大昔の人々の住んだ跡がたくさんあって、中には全国でも有名な遺跡もあります。(これは「歴史さんぽ」でどうぞ。)
上流にたくさんの雨が降り注ぎ、漏斗(じょうご・入り口が広く出口が狭い容器)の
ような状態を入り口と同じように出口を広くしたために、川の流れがよくなったことの伝説であり、これはその周辺に住む人たちが長い歴史の中で工事に携わった結果であり、人も神もひとつになって、成し遂げたものと考えます。
皆さんの地方にも同じような話がありましたらお聞かせください。
写真は私の紹介です。普段は製材所を経営していて林業全体にかかわっています。
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