史跡碑

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続きです。

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いなむらがさき


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駅ホーム椅子
木作り現役でレトロさを感じます



小さな駅です
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駅前はこの様な感じです
(合成写真)
駅入口反対側
緑→先、丸ポスト
(再投稿です)
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現在の車両や付近の建物のの多くは新しくなりましたが
まだ懐かしい光景残されており観ることができます。


さて
てくてくと歩くこと数分
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稲村ケ崎を西側から望む

余談
砂浜が黒っぽく見えませんか?
昔〜し、良質の砂鉄が採取たそうです
(wikipediaより)


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砂浜から岩石海岸へ
近ずくと
打ち寄せる波凄い〜〜
(13時頃)

中潮で満潮が14時頃です


道路沿いには
公園があり
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国の史跡に指定されています。
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説明
(記大正6年)

元弘3年(1333年)今から680数年前
鎌倉時代の末期に、新田義貞が鎌倉に迫り稲村ヶ崎海岸を渡ろうとしたが
切り立った崖で越えられなかった、義貞は潮が引くのを念じて
刀を海に投じて潮が引いてから鎌倉攻めに入ったという伝説が
記されていたそうです。
(wikipediaより一部抜粋)

興味がありましたらHPを見て下さい。


公園からは西の遠望が素晴らしい〜
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特に富士山
関東の富士見百景にも選ばれています

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西方面
赤→下、江の島



そばには
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ボート遭難の碑
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よく読めないが歌詞が刻まれているようです!
歌謡曲
「真白き富士の根」

事故は明治のこと
逗子開成中学校の生徒12人を乗せたボート転覆、全員死亡した事件の碑




この公園の周囲は海岸で良く見られる自生の植物が多くありますが
大きく育ち目立つのが
ハマウド(浜独活)
セリ科
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花も終え緑の実となっていました
変な虫!!!
アクスジカメムシ
セリカ科の植物に集まるそうです
(HPによる)
小さな植物で珍しい種類多くあるようです
後の機会に



山、高台には見晴らし台
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黒松の間に見える
江の島いい光景




山を下り東海岸へ
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東側の岩石海岸




そばの階段
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これは?
潮風さらされた鉄骨
(立入禁止場所)
無残な姿!
人工に作られたものいずれこうなるものですね。

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東、鎌倉よりから眺めた
稲村ケ崎
立派な遊歩道が整備されてあります。




そして海上を眺めると
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カラフルなヨットの帆


かっては戦いの場も
現世代では娯楽の映画などの舞台にもなりました。

終わり

今回の目的は
電車の山手区間線路沿いをただのんびりと歩くだけ(笑)
稲村ケ崎〜長谷駅間へ
続く

長々とお付き合いありがとうございます。
昨日(6/28)の
散策 
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乗り物は安全が第一ですね。
電車ストッパーで見守り続けている
カエルちゃん
この季節、すげ笠だけでは寂しいのか?
葉っぱの下は落ちつくようですね(笑)
カエルちゃん
これから稲村ケ崎へ行ってきます

あららーー
ホーム人ひといっぱい
乗車待ち何時まで???
人のいない降車ホームをぶらぶら???
ホームから見えるのは?
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たぶん構内でしょう!
ミニ田圃 パチリ 

青々と成長しています
江ノ電さん空地を利用してのアイデア流石です
ここで遊んでいては夕方まで電車に乗れませんね(笑)
ホームに並びます

始発一回見送り次やっと乗れました



稲村ケ崎へ
(新田義貞鎌倉の戦い)

続く
吉田橋 (昔〜今)
 
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大岡川の分流、かっての吉田川に架かる現在の吉田橋
 
日本で最初の「鉄橋」が架けられたが時代とともにその姿を代えてきた、地上を歩いては普通の橋だが!
  川が地下高速道路、橋の下が伊勢佐木町と関内の連絡通路の地下商店街と三階構造と一変していた。
  *写真下側:青く広がる高速道路天井(防護ネット?) 中央柵丸穴、商店街の窓
  *写真上側:現在の高欄は「鉄の橋」をイメージして復元したものです。説明、橋之図
 
 
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橋の上には史跡碑
吉田橋関門跡
 
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 関門跡説明プレート
 
  吉田橋が設置されてからは、当地は交通の中心地となり、その治安を図るため橋のたもとに関門を設け、
  武士や町人の出入りを取り締まりました。関門を境に、馬車道側を関内、伊勢佐木町側を関外と呼んだ。
  その関門は文久4年(1864)〜明治4年(11871)に廃止されました。 その主な説明。
 
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鉄(かね)の橋、高欄展示
 
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説明と橋之図
現在の高欄は「鉄の橋」をイメージして復元したものです。などの主な説明
 
 
 

史跡 旧相模川橋脚

                   現在の相模川北東小出川そばに橋脚があった場所を史跡として保存されています。
 
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史跡碑
 
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               浅い池に橋脚を出した姿が見られます、橋脚は「レプリカ」です。
               現物は地中(水面下)に保存されているそうです(説明板より)。
 
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説明板一部
関東大震災(大正12年)の液状化現象によって水田から出現した
               中世前半代の橋脚跡などを記されています。
 
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当時の水田が液状化現象によって出現した橋脚、場所の説明写真です。
 
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史跡場所には詳細な説明や写真があります。
場所、国道1号線新湘南バイバス茅ヶ崎西インター近くです。
相模川沿い厚木市内の散策
 
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厚木市側のあゆみ橋
 
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1996年(16年前)に開通
 
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あゆみ橋上流から
川にはあゆ釣人も・・・
 
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相模川右岸に厚木の渡し碑
 
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碑、説明板
 
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説明板
厚木市指定史跡 (昭和36年に指定)
厚木村渡船場跡
この地は矢倉往還や藤沢道が相模川を渡る渡船場で
旅人などに利用されていました。
その後明治41年(1908)年に相模橋の開通によって
この渡船場は廃止され、その役目を終えましたなど
記されています。
 
 
 
 
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  その後小さな橋が架けられた碑
 
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碑の説明
相模橋のこと言う。れっきとした名前がありながら
庶民の思いにより愛称された「じょう橋」昔は渡船で
渡ったが明治期に常設橋が架かり常に在る橋常に
渡れる待望の橋そんな思いから自然に言い伝わって
きたロマンを秘めた橋。現在はあゆみ橋。
と刻まれています。
 
また上流に小さい橋も架けられてありました、増水すると
沈んでしまい通称「もぐり橋」夏のあゆ釣りころはよく利用
した時代が思いだします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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近くには今も使用されている丸ポスト
昭和の時代が・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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ここにもありました
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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                          近くの厚木神社に参拝
 
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                                 厚木神社
 
 
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厚木神社を参拝して散策終了し本厚木駅前近くで見かけた
丸ポスト、これは利用していない「展示品」のようです!
 
丸ポストが多くある町でした。
 
 
 

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