|
天気が続かないこの頃ですが
今日は薄曇りでも雨の心配はないようなので
午後から
新横浜近くの小高い山の坂道や石段ある場所
昔々の城址は今は公園となって散策コースが
ありますので歩いて来ました
築城の年代は明らかではないそうですが
12世紀以降ではないかと思われるそうです。
(鎌倉時代前期かな?)
城もこの様に
想定と記されています
しかし 城跡は、本丸、二の丸跡、曲輪空堀や土塁も確かめられました
近くの丘には
小山
林ですね
頂上には
富士仙元大菩薩
富士山を信仰の碑
講をつくって参詣したようです
たぶん富士山も望める場所だと思いますが?
この城址はほとんど知る方は少なく地域の方々の
散歩コースではないでしょうか?
近年は城址祭りも催しされてるようです
!!!私が散歩に選んだもう一つの
目的は
よく路線バスを利用しているとバスから眺めると懐かしい
光景が観れるんですね
以前は木の柱に登る梯子もありましたが
コンクリートの柱に変わり、また梯子もなくなりました
そして点打の標示も(例OO−O-Oなど)あったようでしたが
これもありませんでした
昔半鐘。。。 今サイレン
↓
打打鐘
号kkkkkkk鐘
近くの市町村に出掛けても観たことありません
これからも残してほしいです
そして
この煙突
矢印先煙突
こんな感じの光景をバスから眺めました
この街はつまり城下町歴史もあるんでしょうね?
こんなのも
そばに
転轍器
ハンドルが付いて
古いのは確かなようだが?
日産スタジアムが左に見えます
新横浜駅の隣駅の「小机駅」
線路がいっぱいあるが錆びてるので使用していないようだが?
今日はあっちこっち覗いていっぱい、パチリ
いい散歩でした
長々とお付き合いありがとうございます。
|
遺跡
[ リスト | 詳細 ]
|
横浜山手あっちこっち!!!
続きです
この地にも立ち寄りました
文化遺跡碑
横浜山手
建立月日
場所赤丸印
関東大震災によって崩壊的な被害を受け山手工場は拡張の余地が
ないことから1926年(大正15年)横浜生麦工場を完成させました
(kirinnHPより)
公園となった跡地に
キリンビール発祥の地であることを記念して
石碑を建立されたものです
そばに
******************
記念碑
側面、大きいです
側面
自然石のようですが産地の記は見つかりません
少し緑色で関東の有名な石かなー?
***************
公道そばには門柱
「麒麟園」
と
石に刻まれている
(現在は閉鎖されています)
いつの時代に造られたかは知ることな出来ませんでした
後に調べることに。。。
以前投稿記事にも貼りつけました
HPです
興味がありましたら見て下さい
***********************
おまけ
頂きもの
近所の庭の甘夏ミカンと八朔(オレンジ○)
昔は酸っぱくて食べられませんでしたが
最近は甘くて美味しいです
植えてから約30〜40年位で古木で?
それとも温暖化?
当分食べられそうです
お終い
長々とお付き合いありがとうございます。
|
|
横浜市庁舎前緑化工事で旧庁舎の遺構発見とは聞いていました
いつ公開されたのはは知りませんでしたが
昨日(5/17)の朝刊に掲載されており見学してきました。
記事
記事によると現庁舎は7代目 驚き。。。
1911年(明治44年)魚市場跡に2代目として建てられ以後各地に移転したが
開港100周年(1959年(昭和34年)に再び2代目跡に戻ってきたそうです。
(一部記事より)
その2代目の基礎が見つかり保存されました
遺構展示場所全体
石とコンクリートに囲まれた中の部分
この新しい石はどこの産地なのでしょうか???
説明板にはかっての建物に白い自然石(白丁場石)を使用していたと記してあるが
(産地名大谷石にも似ている石ですね)? 遺構と保存された レンガ基礎一部
説明
明治44年(1911)6月25日に竣工し外観はレンガ造りのルネッサン様式
地下1階地上3階と記されています。
付近を パチリ
白丸印が昔の魚市場跡碑
赤矢印下横浜スタジアム(高くそびえる照明塔)
魚市場碑後方は市庁舎
付近の地図
矢印先黄色星印 遺構
白丸印 魚市場跡
いい散策でした
お終い
お付き合いありがとうございます。 |
|
昨日は(3/11)
ぽかぽか陽気!!!
前回フランス山散策でよく見れなかった場所午後から出掛けてきました。
幾度となく訪れていましたが今回は写真に収めて見ました。
フランス山の入口
(フランス橋)
現代風!なんか明治の面影が薄れた感じもしますね(笑)
フランス山とは!!!
その歴史からおさらいですね。。。
まず、フランス海兵隊駐屯され歴史の始まりです。
幕末の文久2年(1862)生麦事件
起こりは!
生麦村で薩摩藩士島津久光の行列を乱したイギリス人を藩士が殺傷した事件
及び横浜周辺で多くの襲撃事件が発生し江戸幕府は取り締まることが出来ず
イギリス、フランスは自国の居留地を防衛するため駐屯
その後フランスは領事館が建設され、関東震災や火事で焼失し、現在は領事館跡地
だけが残され保存されています。
(wikpediaなどより)
説明図
フランス橋を潜り目に映るのは!
公園と感じる中央に青い骨組?
近ずいて見ると!!!
鉄骨
アートかな。。。?
説明を読んでビックリ!!!
説明よく見えないんですよ!
拡大しての記
パピリオン、パタール
この純鋳鉄製組は1860年代(文久)フランスのパリ建てられ1973年(昭和48年)まで
100年余り存続した、パリ中央市場(レ、アール)地下の一部だそうです。
パピリオン、パタールとは設計者名
文化的遺産である為寄付を受けてフランス領事館のあったこの地に
復元設置したそうです。
他の説明
鉄骨は地下部分の材料のようです。
坂の階段を登ると領事館跡が見えてきました。
領事館一部です。。
壁柱
コンクリートと混じる石、川石のように見えますね。
当時は川砂だけ使ったんでしょうか?
頑丈そうに見えます。
右茶色はタイル
白いタイル
水を使う場所でしょうか?
タイルの間に配管銅でしょうか?緑青(ろくしょう)に見えましたが? 説明
イニシアルー プレート イニシアルー RFはフランス共和国 遺構に蔦が蔓延る感じかいいですね。
葉っぱの小さいフイッスプラミのようです?
**************
領事館の生活には水は欠かせません
その井戸、そしてくみ上げるポンプの動力は風車
前の記事で紹介しています。
↓
暖かい快晴の天気と日が伸びて夕方までゆっくりと散策出来ました。
お終い。
|
|
横浜、港が見える公園散策 (2/22)
帰り道、フランス山を通り見かけた一部の遺構です。
当時の井戸保存
井戸に蓋をしている 説明 フランス山とは!!!
幕末から明治初期にかけてフランス軍が駐屯したことに由来するそうです。
(観光ガイドなどより)
説明
1896(明治29)年に領事館と官邸が建設され井戸の水をくみ上げる
風車が設置されました。
風車
説明板当時の写真
風車はモニュメント 上写真左右の赤矢印当時のレンガ基礎及び下図
水色の矢印、井戸水を汲み上げ流す配管
元フランス領事館の遺構まだまだ多くあるようでいずれ散策したいと思ってます。
お終い |




