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昨日本屋をのぞいたら、ランドヌールの第三巻が発売されていました。 今回のランドヌールにも亀太郎メンバーがたくさんでています、特にフレッシュの記事にはIKE3さんが書いたチーム亀太郎の走行記が堂々の掲載。みんなかっこいいゾー! PIPIさんもKAさんも出てるよ。まだ見てない人はぜひみてください。楽しい本です。
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好きな本と映画
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この本は童話といったほうが良いかもしれません。 チカは27歳になる日本人のプロ・ロード選手。フランスのチーム「パート・ピカルディ」のアシストとして、人生初めての、そして最後となるかも知れないグランツールに挑戦する。 ツールの途中でチームスポンサーの撤退が決まり、プロ選手としての自分自身の生き残りと、チームエースのアシストという責任の択一に迷いながら、ツアーが続く。 第15ステージ、ラルプ・デュエズを登る坂で、ついにチカは自らのステージ優勝とエースアシストの責任の選択を迫られる。そのとき、チカはラルプ・デュエズの勝利を一瞬想像して、目がくらむような気持ちとなる。そしてチカの選択は・・・。 近藤史恵 著 「エデン」。 淡々とした自然な文章を読み進むうちに、自転車に乗った時の風を感じたような・・。 読んで損はないと思います。
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この本は題名に惹かれるところがあり、自転車を始める前から読みたいと思っていたが、先日たまたま立ち寄った書店で文庫版が平積みにされたので、早速購入して読んだ。 読んでみると、あまりにも盛りだくさんの内容なので、テーマが一体何なのか判らなくなりそうな懸念はあるものの、そういう懸念を吹き飛ばすような力強い文章が面白く、一気に読み通してしまった。 ただし、実際に読んでみて感じた面白さは、期待とは随分違ったものだった。 著者はランス・アームストロング。睾丸ガンによる生死の瀬戸際から復活して、世界最高峰の自転車レース「ツール・ド・フランス」を7連覇したアメリカ人である。 読み終えてから、内容を要約するとこの本のテーマは以下の4つとなる。 1.逆境に耐えながら、個性の強い子供をのびのびと育てあげたシングルマザーと、 たくましく育った息子との深い愛情 2.ガンと闘い生還した人間の成長と、それを支えた沢山の人の見事な誠意と努力 3.有り余る能力を持ちながらその能力を出し切れない男の不安と葛藤。 そして結果のでない男を信じて支える妻と友人 4.自転車競技(特にツアー)の厳しさと喜び 並べてみると、この本の結論は、いかにもアメリカ人らしい月並みな結論だ。 「みんなの助けがあったから、私は偉大な成果を出すことができた。 みんな、ありがとう!」 しかし、私が本当に面白かったのはこんなありきたりな結論ではなく、この本の全編に存在している、ランスの持つあきれるほどの自信とそれを裏打ちする人間離れしたパワーだった。 まるでE・R・バローズやE・E・スミス(しかし、ネタが古いね〜!!)のSFに出てくるような、爽快であっけらかんとした、現実離れしたような力が現代に実在した、ということが私の心をうきうきさせる。 そういう意味で、これは大変面白い上級のエンタテイメントだと思う。 講談社文庫 ただマイヨ・ジョーヌのためでなく
ランス・アームストロング著、安次嶺佳子訳 2008年6月13日 第1版発行 定価 762円(税別) |
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城山三郎の遺作「そうか、もう君はいないのか」を読んだ。城山が亡くなる八年前に先立った、彼の最愛の妻・容子の思い出をつづった記録である。 容子はどんなときでも、あくまでも明るく、ちょっとふざけており、城山にとっては自分の心の中のもっとも柔らかい部分を安心して預けられる女性だったようだ。 この本の最初に、もっとも容子らしいシーンが書かれているので引用したい。 ・・・・ 司会者による紹介が終わり、拍手に迎えられた私は、考えながら演壇に立った。 いつものことながら、話し出してしまえば何とかなるのだが、心も表情もまだ硬い。それを振るい落として、口を開こうとした瞬間、二階席最前列の端に居る女性客に気付き、声がでなくなった。 妻の容子が来ていた。しかも、目と目が合った瞬間、容子は両手を頭の上と下に持ってきて、ふざけた仕草で「シェー!」。当時の人気マンガの登場人物のポーズであり、テレビのコマーシャルなどでも知られていた滑稽な仕草であった。それを、人もあろうに、場所もあろうに。・・・中略・・・・ 講演を終えて戻った控え室に、容子が小さくなって訪ねてきた。もっとも、「ごめんなさい」を繰り返すものの、顔にも体にも笑いを残している。 「参ったなぁ」 「ごめん、もうしませんから」 「あたりまえだ」 ・・・・・引用終わり 城山は、初めて会った頃の妻のことを「妖精か天使か」と感じていた、と臆面もなく書いているが、何十年の結婚生活を過ぎても、その気持ちは強まりこそすれ、薄れることは無かった。 以下は、城山が妻のことを書いた詩である。すべてを信じた女性をやさしく見つめる男の姿が見える。 ・・・・・ 枕もとで何かが動いている 小さく呟くような音をたてて 何者かと思えば 目覚まし時計の秒針 律儀に飽きることなく動く その律儀さが 不気味である 寝返りを打つと 音は消えた しばらくして おだやかな寝息が 聞える 小さく透明な波が 寄せては引く音 これも律儀だが 冷たくも 不気味でもない 起きている間はいろいろあるが 眠れば 時計より静か 「おい」と声をかけようとして やめる 五十億のなかで ただ一人「おい」と呼べるおまえ 律儀に寝息を続けてくれなくては困る ・・・引用終わり 容子も、生涯、城山に恋をしていたようだ。容子は死を目前にした時期に娘にこう語っている。城山の次女・井上紀子さんのあとがきから引用する。 ・・・・・ 「私の人生の中で一番ショックだったのは、パパが三十代でガンの疑いがあるって聞いたとき・・・」という言葉は本当に衝撃だった。母性の固まりのような人で、常に子供のことが一番と思われる人だったから。その言葉のあとは、「もちろん、あなたたち子供のことも大事だけれど、やっぱりパパのことがね・・・」と、申し訳なさそうに続いた。 ・・・・引用終わり> お互いを大切に思う夫婦が、何気ない冗談を言いながら、一緒に生きてきた。なんとすばらしい人生だったのだろう。
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見たときはとても感動し良い映画だと思ったのに、時が経つと段々印象が薄れてくる、ということがある。残念ながらこの映画がどうやらそうらしい。 映画の出来は良かったと思うので、私の興味が薄れていく原因は(おそらく)題材となった岡田資の生き方だろう。やはり広田弘毅の生き様と比べてしまうと、根元に抱えているものの重さが違うと思った。 故人に対して大変失礼な言い方だが、岡田資は自己完結することを目標にした人間だったと思う。軍司令官として数万人の人の命をあづかる責任というより、軍人という限られた機能を全うすることを考えて、そのとおりに実行した人だ。広田のように日本の行く末を見ているわけではなく、疑いを持たずに戦争という時代を生きた人だったのだろう。だから戦争が終わった後の軍事裁判を法戦として戦う余裕が残っていた。軍事法廷における岡田の戦い方は、自己矛盾の発生しないようにあらかじめ自分で戦う範囲を決め、その範囲で戦い、、その判りやすい生き方は、裁く側の人たちにも共感を与え、結局、彼は勝利した。 一方の広田は、昭和の初期から、軍国主義と戦い続け、敗退を重ね、終戦を迎えたとき彼の神経は消耗しきっていた。そして外交官として日本が戦争という泥沼にのめりこんでいくことを阻止できなかった自分を責めていた。軍事裁判での沈黙は、すでに彼に対する判決を彼自身が下していたためだろう。 やはり私は自己満足に陥らず、苦闘する広田の行き方に共感を感じる。 「明日への遺言」・・・大変良い映画だったが、私の求めていた答えはこの映画にはやはり無かった。
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