山のmochi・・・晴耕雨読と今日も山の話

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川村 湊著『戦争の谺こだま』をいつもの寝床の読書でえんえんと日数を費やして、先日読了。

この本の間に挟み込んでアッサリ読了できた井上ひさし『ボローニャ紀行』は先日ここに掲出済み。寝床の読書は睡眠導入のためなので、目方の軽い文庫・新書が重宝だが、この本はその目的に幾分叶わず。

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白水社 2015年8月発行   ¥2800+税

全12章中書き下ろしもあるが、殆どがこの15年ほどの間に発表の評論からなる。
今回の題「長崎の鐘」の歌詞の考察は本書の第1章と2章に関わって付けてある。
第1章 「トカトントン」と「ピカドン」 復興ヒロシマ論
第2章 ああ長崎の鐘が鳴る 復興ナガサキ論

この二つの章で、同じ被曝都市でありながら、今日に至るまでの戦後をリードしてきた思想には明瞭な差異があることを考察している。
その差異は市の復興政策にも具体的に現われていることが考察されているが、特に戦後の代表的歌謡『長崎の鐘』の歌詞にも如実であると、著者は特に、本書編集の過程で第2章をあえて書き下ろし、第一章の補論としている。

第2章から2ヶ所抜粋しておく。

40p〜(章の始め近く)
 今村政子という、終戦当時十二歳だった少女が、作文のなかでこう書いている。「浦上に原子爆弾が落ちたのは、伸さまの愛の摂理であったと、あのころ私たちは考えました。今、このように浦上が美しく復興するのを見るにつけても、すべては、神様の愛の摂理の現われであると考えずにはおられません」と。
 『長崎の鐘』で有名な永井隆が編集した子供たち(長崎市立山里小学校の生徒)の原爆体験の作文を集めた『原子雲の下に生きて』(1949、初版刊行)のなかの一編の一節である。
 これらの少年少女の作文に編者の手が入っていることは「序」で「編者(=永井隆)」が明らかにしている通りで、今村政子が本当に、自分自身で「浦上に原子爆弾が落ちたのは、神さまの愛の摂理であった」と考えたかどうか、実際は疑わしい。彼女自身は敗戟後に家族とともに満洲から長崎に引き揚げてきて、原爆そのものを体験してはいない。それにしても、破壊され尽くした原子野となった長、崎を見て、それを〝神の愛の摂理″と考えるはど、キリスト教的信仰が深かったとは思えない。これは、編者の永井隆が彼女の口を通じていわせた言葉ではなかったのか?
 現に、永井隆が書いた『長崎の鐘』のなかには、こんな言葉がある。「私はまるで反対の思想をもっています。原子爆弾が浦上に落ちたのは大きな神の摂理である。神の恵みである。浦上は神に感謝をささげねばならぬ」と、彼は妻子を原爆で失った知り合いに語っているのだ。
 永井隆の著作物を読んでみれば、こうした「原爆=神の摂理」の説に近いような表現にいくつも出会うことができる。ロザリオの鎖だけを残して、一片の骨すら残さずに原爆によって消滅させられた妻の悲惨な死を体験しながら、それを神の試練、あるいは愛の摂理、恩寵として受け止めるというのは、まさにニーチェのいうように〝奴隷の宗教″としてのキリスト教信仰の比類ない逆説にはかなるまい。

59p〜(章の終り近く)
 山田かんは、永井隆を「流行作家」と呼び、「マス・コミに乗った彼の著書は原爆の渦中を生きてきた人々の考え方に甚大な影響を及ぼしたであろう。怒りと良心を呼び起こすには余りに弱く、ロマンティックなキリスト教的抒情に訴えるには強かったために。それは『ロザリオの鎖』『この子を残して』と素地のもとに『長崎の鐘』 で一まず頂点に達する」と書く。「偉大な聖者は手段のための素材として、原子爆弾を自家薬寵中のものに丸めこんでしまったのだ」とも。
 この永井隆批判の言葉を吐いた山田かんが、長崎中学校三年生の時に、爆心三キロ圏内で被爆し、浦上を通り抜けて疎開した被爆者であり、幼児洗礼を受けたキリスト者であったことは注記しておく必要があるだろう。
   (中略)
 長崎医大放射線科教室で永井隆に師事した秋月辰一郎も、『長崎原爆記 被爆医師の証言』のなかで、「幾千と集まった浦上の信者の死者追悼のミサに(私が)出なかったのを私は残念だとは思わない。幾千人の前で、読みあげる慰霊祭文を聞きたいとも思わなかった。私は、永井先生の『神は、天主は浦上の人を愛しているがゆえに浦上に原爆を落下した。浦上の人びとは天主から最も愛されているから、何度でも苦しまねばならぬ』といった考え方にはついていけないものを持っている」と、書いている。
 また、この映画『この子を残して』(監督が木下恵介)の冒頭には、ローマ教皇のヨハネ・パウロ二世が、1982年に広島と長崎でミサを行った場面が実写フィルムとして挿入されているが、二月とはいえ、南国長崎とは思われないほどの猛吹雪のなかで、被爆地を初めて訪れた教皇は、「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命を奪います。戦争は死そのものです」という、広島でのミサの発言につながる〝反戦″の説教を行っている。戦争、そしてそれによる犠牲は、決して「神のみわざ」ではなく、「人間のしわざ」にほかならないこと。前任者の教皇の使者の枢機卿が永井隆を見舞い、その「神の愛の摂理」を肯定していたと考えられるのに対し、アウシュビッツを経験しているポーランド出身のヨハネ・パウロ二世は、「人間のしわざ」と「神のみわざ」とを戦争や原爆において明らかに峻別しており、それはキリスト教界側からの、永井隆的な言説への明瞭な批判と思わざるをえない。


若干の補足
 全文を読むと、この永井隆を見舞った昭和天皇のことば長崎大医学部の放射線についての見識(典型的には3,11後の放射線問題を政府がわでサポートした山下俊一教授)など、考察する上での言及は「神の恩寵」論だけでない
今回の題に関して、蛇足だが本章補注文にはこうある。
「(長崎を歌った戦後歌謡はたくさんあるが、と曲名列挙し、どれも原爆には一切触れてない、とした後) 『長崎の鐘』でも「召されて妻は天国へ」とか「片身に残るロザリオ」という暗示的な表現のみでヒバクが歌われているにすぎない」と書く。

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長崎の鐘、子供の頃はもっとのんきな歌だと思っていました。NHKのドキュメンタリー番組で、永井隆を取り上げた時に、「召されて妻は天国へ」が原爆由来であることを知って驚いたものです。

宗教学に全く疎い私には、神が、と人が、の違いさえよくわからないのですが、永井隆の発言は宗教学の枠からのとんでもない飛躍を含んでいるように直感として感じます。恐ろしい地獄を見てしまって神の存在自体の疑いと、信仰との整合性と彼なりに取った表現だったのでしょうか。

いや、ごめんなさい、私の知識では理解できる範囲を超えています。

2017/2/9(木) 午後 11:32 [ 三毛ジャガー ] 返信する

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> 三毛ジャガーさん
三毛ジャガーさんの考察
「永井隆の発言は宗教学の枠からのとんでもない飛躍を含んでいるように直感として感じます。恐ろしい地獄を見てしまって神の存在自体の疑いと、信仰との整合性と彼なりに取った表現だったのでしょうか」
は、全く適切な考察だとおもいます。
旧約聖書の「ヨブ記」が、信仰を持つ者への励ましとして知られていますが、キリスト教誕生以前のこのテキストの存在は、しばしばこの永井氏のような使われ方をしてきました。

2017/2/10(金) 午前 7:19 [ 山のmochi ] 返信する

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僕はこの歌を「愛唱」してきました
今、拝見して驚きました
僕は、この歌は、情緒的な反戦歌と思っていました
長崎の原爆を歌った歌と思い、即反戦歌と思っていたのです

2017/2/11(土) 午後 6:17 Obaa 返信する

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> Obaaさん
反戦も好戦もなく、人智を越えた「神の摂理」として受容すべし、と説いた人の「神」への奉祝歌なんですね。
昔、ボクの友人の結婚式で、プロに負けない声量で「長崎の鐘」をテーブルスピーチに代えて祝婚歌として歌い上げた人がいました。歌詞の内容からして結婚式でなんでこんな歌を歌うのかと思って聴きましたが、、、

2017/2/11(土) 午後 9:27 [ 山のmochi ] 返信する

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