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12月24日に、鹿屋、吾平、高山と通りながら見ました。
鹿屋では、昔、一番の中心地だった懐かしの場所を近くで見ました。
桜デパート跡地
肝属川、水辺ステージ
鹿屋市役所跡地
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こんにちは、ゲストさん
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12月24日に、鹿屋、吾平、高山と通りながら見ました。
鹿屋では、昔、一番の中心地だった懐かしの場所を近くで見ました。
桜デパート跡地
肝属川、水辺ステージ
鹿屋市役所跡地
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「ちまき」、「あくまき」→あっまっ(こう言う人は、相当な鹿児島語)
端午の節句に合わせて、4月末〜5月始めに義母がおいしく作ります。
売り物よりおいしいと言われています。
長さは20㎝くらいで、普通より大きめです。
厚みもあります
あくまき(あくまき)[ 日本大百科全書(小学館) ]
鹿児島県の郷土菓子。粽(ちまき)の一種であり、もっとも粽の原型に近い。本来は家庭でつくられたもので、菓子というよりは主食の性格をもち、古くから薩摩兵児(さつまへこ)の携行食として用いられた。竹皮に糯米(もちごめ)をといで盛り、よくくるんで3か所を竹皮で縛る。一方、クスの根を焼いて灰をつくり、これから灰汁(あく)の上澄み液をつくっておく。竹皮包みのもち米を上澄み液に一昼夜浸したあと、4時間ほどゆでると、飴(あめ)色半透明の餅(もち)に仕上がる。餅には、きな粉と黒糖蜜(とうみつ)があう。
あけるとき
小屋に大きな釜があります。
嫁の私は、一度も作るところを見たことがなく、
義母は最初からあきらめていたような感じでしたし、
私も田舎にしかないような、大きな釜を相手にするのは向いていなくて、
申し訳ないですが、もらって食べているだけです。
私の祖母も大きな釜で作っていましたが、もらうだけで、
作るところを見たことがありませんでした。
母(そこの嫁)も、向いていない人で、一度だけ手伝ったことがあったそうです。
私が向いていないのは、母親ゆずりもあるかもしれません。
同じように、祖母も母のことを、こういうことに関しては、
あきらめていたと思います。
作るためには、竹の皮をもらってきて、用意していなければなりません。
田舎でないとできないことと思います。
田舎では、我が家のちまきを食べてくださいの、
やったり取ったりの風習があるようです。
かなりの数を作るようです。
中でも義母の作ったのは、本当にやわらかくて、おいしいと評判です。
私の聞こえない所では、これを嫁さんが引き継いでいけばいいのに・・・と、
田舎の人達が言っているだろうと、嫁にいった頃から感じています。
義母は何も言わないし、私も教えてくださいと言ったことがなく、
離れて暮らしていたり、時代も変わっていくし、仕方ないで済ませています。
楽しみのない嫁に見られているはずです。
しかし、できることでしていますから、これで良しと思うことにしているのです。
きなこ、黒砂糖を半量ずつ混ぜたものです。
義母のちまきは、やわらかいため、手で切ることができます。
本当は、裁縫で使う糸を口にはさんで、ちまきを手に持ち、
糸だけで切ります。
私の母は、祖母(母の義母)の作ったものと、とても似ていると言います。
そうだった記憶があります。
まぶして、いただきます。
毎年、5〜6本もらい、冷凍庫に入れ、
明日に食べようと思う前夜に出しておくと、
ちょうどよい、やわらかさになっています。 |
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毎年、お彼岸には、義母が作った「よもぎ餅」が送ってきます。
よもぎを摘みに行き、ミキサーで細かくし、家庭用の餅つき機で作るそうです。
トースターで焼いて、私はあずきを乗せるのが好きですから、
てっとり早く、カップに入った甘いあずき煮を乗せて、おいしくいただいています。
(2013年3月20日撮影)
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私の故郷は、こんなにも・・というくらいに様変わりしました。
鹿児島県の大隅半島のほぼ中央にある鹿屋市は、
↓の交差点付近が一番の賑わいでした。実家から徒歩12分の所です。
大隅半島では “都会人” だったんです。
写真の横断歩道は4つだけですが、その中に×印の横断歩道もあり、
人通りがなくなったために、×は消されてしまいました。
スクランブル交差点だったのです。
左奥の角にバスセンターがあり、それだけでも賑わいが見えてくるでしょう?
バスセンターの隣には増田菓子店があり、
誕生日には毎年、祖母がバースディケーキを注文してくれており、
白いバタークリームの上に、ピンクのバラの形がきれいに作ってあり、
板チョコに「りえこちゃん おたんじょうび おめでとう」と書かれてありました。
右奥の角一体も、東郷青児の大きな絵が飾ってあった、あみやレストランがあり、
三楽寿司も「はい、いらっしゃい」の大きな声にびっくりして笑い、
鹿屋で初めての本格的なパン屋さんはベルンといい、奥山レコード、
田中製菓堂のケーキやその2階も今で言うカフェで・・・
この思い出のあるお店は、ぜ〜んぶ、なくなってしまいました。
では、交差点の手前、左角はというと・・・
ここが5階建ての桜デパート。
大隅半島でいっちばん有名な、人の集まる所でした。
子どもの頃は、買物はどうでもよく、お子様ランチを食べたくて、
親に連れられて行ったものでした。
チキンライスに旗が立ち、フライにホワイトソースのおいしかったこと、
食べている様子の写真がアルバムに貼ってあります。
ミキサーで作る生ジュース、中でもミックスジュースのおいしかったこと、
母は作るおばちゃんと必ずおしゃべりでした。
母は桜デパートは、久しぶりにバッタリ会う人もいて社交場だったと言います。
1994年に、ものすごく惜しまれて閉店しました。(理由はのちほど)
皆に思い出の詰まった場所だったのです。
エレベーター、エスカレーター、ありました。
屋上は小動物園で、小さな乗り物もありましたね。
次に、交差点の右下には・・・
この敷地には、何本も路地があり、たくさんのお店や民家がありました。
おもちゃ屋、薬屋、書店、美容院、喫茶店、文具店、医院、蒲鉾店、
回転寿司屋(初めて見た小学生のときはビックリ)、順番は思い出すままです。
屋と店の違いは何なのでしょう(笑)、そう呼んでいました。
いったい何十軒なくなったでしょうか・・・・。
Renewal Active City (リニューアル・アクティブ・シティ)を略して「リナシティかのや」
(正式名称は鹿屋市市民交流センター)が2007年にオープンしました。
オープンの日は、ちょうど帰省しており、弱った父と1階のソファーに座って、
何を話すこともなかったような、ただ二人で座っていたことを思い出します。
いつまで一緒にいられるだろうという気持ちで。父もだったことでしょう。
その2年後に他界しました。一昨年です。
リナシティの横には、肝属川(きもつきがわ)が流れ、駐車場になってしまったここに
鹿屋市役所、隣に消防署がありました。
写っている手前の道路は、移転してから作られました。
市役所は、1991年に鹿屋駅の跡地に移転し(このときも、まさか!の思い)、
同じく、1991年に熊本で例えると、ゆめタウンですね、「プラッセ だいわ」ができ、
1992年には、鹿屋バイパスが開通し、その沿線に店舗が次々と建ち始めました。
このようなことで、あの桜デパートが、まさかまさかの閉店になってしまったのです。
現在、鹿屋はどこが中心地と言えなくなったと、みんな言います。
点在してしまったのですね。
昔のように、ここに行けばという地がなくなり、少し車を走らせると何かある、
ある点だけに人が集中していない気がします。
それにしても、この交差点付近だけは、以上のように、
あまりにも変わってしまい、昔の賑わいは全くなくなり、シャッター通りでもあります。
その変わりに、川辺が整備されて水辺ステージができ、
イベント会場に使われるようになりました。
とっておきの音楽祭の様子(オハイエ)→http://blogs.yahoo.co.jp/yamarietide/21594730.html
(2011年10月9日撮影)
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雪で年越しを親たちと一緒にできなかった実家へ、二泊で行ってきました。
夫の実家には、ウサギもいます。
こんなに大きく出したのは、卯年だからです。
以上3枚は、♂の「ウサ太郎」。一匹だけ入れてあります。
もう一匹♂がいますが、一緒に入れると喧嘩をするそうで、この下にいます。
囲いがしてあって、見えませんでした。
♀の「リンゴ」です。
毛がふさふさで、お正月前に動物病院から来てくださり、カットしたそうです。
カットしないと、ウンチやいろんなものを付けているそうです。
♀は5匹おり、ウサギは増えやすいため、♂と♀と分けて入れてあります。
他の♀は、すぐに逃げてしまい、リンゴちゃんだけブログに登場です。
小屋は、義母がトンテンカンして自分で作りました。
動物が好きな人で、木材も見つけて、歴代の犬小屋も義母が作ってきたそうです。
それとは正反対な私の実家では、話の内容もまったく違ってきます。 |
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