YAMATETSU物語

明日になれば明日の風が吹く 〜Don't Think Twice〜

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秀秋は慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは当初、西軍として伏見城の戦いに参加した後、本戦では1万5,000の軍勢を率いて関ヶ原の南西にある松尾山に布陣した。
関ヶ原本戦が始まったのは午前8時ごろであり、午前中は西軍有利に戦況が進展する中、傍観していた。度々使者を送ったにも関わらず傍観し続ける秀秋に家康は苛立っていたといい、秀秋の陣へ鉄砲を撃ち掛けたとも言う。ただし、この点について現代の実地調査では、地理的条件や当時使用されていた銃の銃声の大きさや、現場は合戦中であり騒々しいことから推測すると、秀秋の本陣まで銃声は聞こえなかった、もしくは家康からの銃撃であるとは識別できなかった可能性が高いことも指摘されている。
こうしたやり取りはありながらも、秀秋は最終的には家康の催促に応じ、松尾山を下り、西軍の大谷吉継の陣へ攻めかかった。この際、小早川勢で一手の大将を務めていた松野重元は主君の離反に納得できなかった為、無断で撤退している。秀秋に攻めかかられた大谷勢は寡兵ながらも平塚為広戸田勝成とともによく戦って小早川勢を食い止めたが、秀秋の離反から連鎖的に生じた脇坂安治朽木元綱小川祐忠赤座直保らの離反を受け、大谷・平塚・戸田の諸将は討死した。
これにより大勢は決し、夕刻までに西軍は壊滅、石田三成は大坂を目指し伊吹山中へ逃亡した。なお、翌日以降に行われた石田三成の本拠佐和山城攻めなどでも秀秋は出陣している。(Wikipedia)


動画は大河ドラマの葵・徳川三代の関ヶ原のクライマックス、小早川秀秋の裏切り?あるいは寝返り?とされている場面です。最近は裏切りではないという評価もあります。
大谷吉継の最期・・・「三年のうちに・・・」と言っていますが、その祟りか?二年後に死んでしまいます。
 
その小早川秀秋の墓所が岡山市の瑞雲寺に有るのは以前から知っていて訪れたこともあるのですが、
先月30日、京都にも秀秋の木像と墓があるとの情報を歴史サークルの人から頂き、同行してもらいました。
場所は地図の通り、五条堀川の交差点近くです。
イメージ 1
その寺は「瑞雲院」。秀秋の菩提寺です。
イメージ 2
瑞雲院に入り、住職の方に説明をして頂きました。
イメージ 3
小早川秀秋の木像。戒名は「瑞雲院秀巌日詮」。
この木像・・・過去には唯一の寺外出張で岡山城の特別展に出品されたとか。
特別展行ったような・・・忘れましたが。
イメージ 4
木像のアップです。下の一般的に知られている肖像画と似ていると思いませんか?
住職の方に案内して頂き、秀秋の墓所に向かいます。
イメージ 5
小早川秀秋の墓。ちなみに墓碑に刻まれている「黄門(こうもん)」の文字。中納言という意味です。
だから水戸黄門(徳川光圀)も中納言です。
秀秋の死因ですが、備前・美作の太守となったものの・・・
裏切りという行為にともなう精神病説。あるいは、家康による暗殺説。等がありますが・・・
岡山領内でのこと、秀秋が鷹狩りの時にとらえた百姓を斬ろうとして、怒った百姓に股間を蹴られて即死説・・・というのが凄く印象的な・・・というか悲惨な最期ですね
 

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訪問履歴から来ました
小早川秀秋ですか。本当は家康に多少恩があり東軍に付きたかったけど、秀吉の甥ということで予め東軍に付くことはできなかったんですね
人物の印象はまったくありません
ねね側を除けば秀吉の親戚は無能の人ばかりの印象が強いです
弟の秀長を除けば。
秀秋の病死で小早川家は改易になりますが、浮かばれないのはその秀秋に小早川を譲った小早川隆景でしょう
ただ考えてみると、毛利元就が自分の息子を小早川家の養子にし、乗っ取ったのだから因果応報といえなくもないです
吉川家は幕末まで残りますけど。

2011/11/6(日) 午後 9:25 [ ふるふ ] 返信する

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訪問とコメントありがとうございます♪
ふるふさんの意見に同感です。
小早川家も、ほんとに因果応報ですよねえ・・・。

2011/11/6(日) 午後 10:15 YAMATETSU 返信する

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実子秀頼が誕生した秀吉は、〕椹婿厂擴悉┰咾僚莇に困ったことと、⊆分の勢力拡大のため秀俊を毛利の養子としようとしましたが、暗愚の秀俊(後の小早川秀秋)を毛利本家の当主とされることを防ぐため、隆景は自分に実子がないのを幸い、秀秋を(小早川家を犠牲にし毛利本家を救おうと)養子に申し受けたわけです。毛利が改易になることから防いだわけで、隆景の深慮遠謀は成功、最も重要な実家である毛利家を救ったわけで むしろ本望だった、浮かばれたと考えていますが どうでしょう?小早川隆景の策で外れた例は なかったと考えています。

2011/11/7(月) 午後 8:48 [ miy*ke*k*th1*4 ] 返信する

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miyakeさん、ありがとうございます(^-^)v
そのように考えると、ご意見の通り、隆景の策は成功したと言えるでしょうねえ。本家は存続し、幕末には活躍でしましたので。

2011/11/7(月) 午後 11:38 YAMATETSU 返信する

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>住職の方に説明をして頂きました。
えぇっ!?
いいな、そんなんアリなんや・・・(笑)

私は二回も行ったのに
外観のみで、手を合わせただけでした。

木像にお墓・・・
ここに眠ってると知りながら見れなくて・・
羨ましいデス(x_x)

2012/1/6(金) 午後 10:18 着物で巾着♪ 返信する

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巾着さん。たしかに、この寺は中に入りにくいですよね〜。
ほんとは予約したほうがいいみたいですけど、
たまたま住職の方がいて時間があったみたいですよ。

2012/1/7(土) 午後 1:16 YAMATETSU 返信する

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