ここから本文です
ぱっしょん・ぱっしょん・ぱっしょん。

書庫全体表示

記事検索
検索

全32ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

 言えないこと、とは何なのか?渡辺本人は「フリーソフトしか使用していない」。とハッキリ述べている。しかし、先の記事にも書いた、語るに落ちる、で感じた、相当ソフトを研究に充てているな、と推測できる。その中でも渡辺らしい「何百万円もするソフトなんて買いません、(か、買えません)だったか」そんなアホみたいなことを言っている。アナタ、竜王何期取ったんですか?読んでいる全員が思う感想だろう。さらに続けて、「もし、その何百万円もするソフトを、くれるのであれば、導入しますよ」と語る。私に言わせれば、(だとさー)ってなもんである。よくもまぁ〜いけしゃあしゃあと、嘘こきやがるな、人バカにするなー、ってなところが私の素直な感想であった。

 後の章で登場する村山慈明とは昵懇の仲である。この事が、今後の渡辺に大きな変化をもたらすと予想する。何故なら、2015年1月、王将戦第一局、中盤で渡辺の指した意表の銀捨ては、ソフト発の手で、郷田はその手を知らなかった。そこを境に渡辺に形勢が傾き、そのまま押し切った事実がある。実はその手は村山から聞いていたのだ。

〈2015年王将戦第一局〉問題の局面は▲59手目、確かに、この発想は浮かばない。
  1つ下の盤面に、一手づつの棋譜あり→ http://6shogi.com/64oushousen1/

  詳しい部分解説あり→http://www.2004catalyst.me/archives/7754409.html


 ソフトに対する知識、主に切り捨てる部分は、自身の棋風にも似た感性を持っている。なので、使い方が上手いのだと思う。(相当に使っていると私は思っているので)ましてやタイトル戦の第一局という大舞台で功を奏した事実があるのだ。渡辺の性格を鑑みれば、ソフト使用がこれから増えていくのは、想像にやさしい。

 後、触れておきたいのが、やはりこの男は「金」である。二言目、いや、一言目で、もう金の話になる。そりゃ〜「金稼ぎ悪いことですか?」と言って逮捕された方もいたが、悪いことではない、お金を稼ぐために、皆必死で生きている。

 だが、日本には独特の美徳がある。武士道から伝わるものであろう。悪い言い方をすれば、本音を言わない国、であるが、渡辺は人から嫌われる勇気は持っているのでバンバン、金、金、金、という。「金懸かってない将棋なんて、指したくね〜よ」これが彼の本音だろう、どっかの雑誌にも書いてあった。ここが、羽生と大きく【違う】ところだ。羽生なら「お金なんかいりません、強い人と指せるのであれば、むしろ私の方から出向きます、どうぞよろしくお願いします」というであろう。

 つまるところ、ソフトの開発者と棋士が貰う金額には現在においては開きがあるので、フェーアーとは呼べない。とはっきり述べる。

 文量も多く、一流の棋士であるので、読んでいて正しい、と思えるところはいくつか存在する。特に谷川に似た感性というか、鋭い線を持っているのは確かだ。ソフトに対する感覚や現在の状況など、とても正確に把握している印象を強く受けた。

 総じて、天才ではあるが、羽生には遠く及ばないのは、こんな感性だからだろうなぁ〜、という印象である。いつぞやに佐藤相手に指した、7九角。あんな素晴らしい手を、自らの「感性」で渡辺ファンに見せてもらいたい、というのは、もはや不可能になるかもしれない。

     つまるところ、渡辺明、という人間は、「ケチ」なのである。
 第二章に登場するのは、2007年3月、当時竜王3連覇中のなかにあって、ソフトの先駆けといっていい「ボナンザ」と対局し、見事勝利を収めた、渡辺 明。
 羽生と並んで、現在の将棋界を背負って立つ男といってもいいだろう。それほど、竜王9連覇という数字は立派であり、見事な実績だ。

 だが、性格がハッキリしていて、正味な話、物凄く好みが分れる棋士であることも事実。それは言動や棋譜にも表れていて、見ているものを不快にも快にもさせる。ここは個人の好みの問題なのでこれ以上は触れない、だが、私は嫌いな棋士である。生意気の一言(オマエが言うなっ、てのは重々承知)。あと、お金に執着しすぎる所が嫌いだ。

 本書の取材に対して「言えることと、言えないことがある」とかなり念を押された。とあった。ここはハッキリ記事にしないでください。と著者は強く言われた、という。

 それを踏まえて読んでいくと、前記事で少々触れた記憶があるが、「語るに落ちる」という印象がくっきりと浮かび上がる。(これは相当、ソフトを導入しているな)偽りない私の印象である。話の始めに「ソフトの弱点を探るほど暇じゃない」と言いつつ、会話に入ると、かなり詳しいことがわかる。「GPS将棋」「エイプリー」(Apery)など、具体的な名前がドンドン渡辺の口から出る。

 「ソフトと指すためにプロになったのではない」と見出しにあるが、これは最もな理屈だろう、渡辺世代ではソフトはまだ弱く、悪まで羽生、谷川、を始め、トップ棋士の棋譜を並べて強くなった世代であることは間違いない。小学4年で小学生名人を取った事実を見れば、天才、であることは誰もが認めるであろう。

 NHKで「居飛車・振り飛車」という講座をしていた時、先に書いた「ボナンザ」戦直後の収録で、かなりプレッシャーがあったことを素直に吐露している。実際、受けられていたら勝負の行方は分からなかった、ことは素直に述べているのは周知の事実だ。その時の手ごたえは、奨励会初段、位だそうだ。手合いでいうと1/20で負ける手合い、という。その一回が恐ろしく怖いのだ、と述べている。

 それと触れておきたいのが、第一回の叡王戦にエントリーしなかった理由だ。
これは他の棋戦と重なってスケジュールの調整ができなかったこと、と述べている。
羽生とまったく同じ理由だ。ここからは私の推論だが、やはり第一回は両名に、待った、がかかったと思う。両者とも用意していたかのごとく、機械的に同じ答えを、羽生と渡辺が答えている事実に、非常に強い違和感を持つ。対象的な2人であるのに、だ。

 今日はこの辺で筆を置きたい、読んでみると、本当に、口のきき方を知らないなぁ〜、と思う。著者との仲が悪いのだろうか?と思ってしまう。少なくとも両名、仲が良い、はずはない、のはわかる。後半に行くにつれ、著者の質問がとてつもなく淡泊になる、これは、(ウソばっかこきやがって)との著者の心の声の表れである、と感じることができる。

『不屈の棋士』 1

 「フラッドゲート」この名を聞いて、知っている。と答える人はどの位の割合だろうか。ちなみに私は知らなかった。そして昨日初めて覗いてみたが、そこは、・・・

 本章の一番に登場するのはご存知、「羽生善治」その人である。
言わずと知れたスーパースターであり、将棋有史以来の大天才。言葉が許せば文字通り、神が選んだ男、である。
 先崎の言葉を借りれば、「彼はシェイクスピアであり、ニュートンだった。」「彼はたった一人で世界を変えて見せた。」この形容や比喩に異論を挟む者などいまい。古い将棋界を相手に、一人で全てを薙ぎ倒し、道を切り開いた。
 今でこそ、語られはしないが、出る杭は打たれる。羽生もその例外ではなく、嫌がらせの類や番外戦など、私が知る限りでは、彼もその叩きは食っている。
 しかし、盤上のみに集中し(島朗九段の功績は多大なものであると認識している)米長の口撃にも耐え、大山の政治にも文句を言わず、全てをその手で跳ね除けてきた。

 そんな彼はコンピューターには詳しい。持前の好奇心で、あらゆる分野に、その手を伸ばしてる。当然、彼の業績から歓迎を受けるケースが多く、コンピューターの領域もその中に入る。はっきりと言葉には出さないが、その節々から滲み出る匂いまでは隠せない、本書にも「どんな基準(評価関数)で相手(ソフト)が判断を下しているのか、その辺りがわからないと、研究、対策のしようがない」と述べる。

 ここで1つ面白い話が出る。実際の話だ。コンピューターにバッハの曲をインプットし、コンピューターに作曲させる。一方、人間が実際のバッハの曲、又バッハに似せた曲を作曲する。その両方を、音楽愛好家300人に聞かせる。どちらがより本物のバッハかと。結果は……コンピューター(エミー)だったのである。その結果を知った愛好家たちは衝撃と共にコンピューターに強い嫌悪感を持った。結果、そのコンピューターを制作したカリフォルニア大学サンタクルーズ校音楽部、デビット・コープ名誉教授は、開発を断念せざるをえない状況へと追いやられてしまった。

  つまり、人間は機械に対して、アレルギーを持っているのである。

 自身は終盤、それも、詰み、があるか、ないか、そこにしかソフトは使わない、という。ちなみに羽生は、自身の言葉の影響もしっかりと考え「使っているソフトはいいません」とキッパリ述べている。その名を口にすれば、と自身の言葉の重みを重々承知している。

 ちなみに、ソフトを最も多く使う局面は、と問われれば大概の棋士は、中盤、と答えるであろう、懸案の局面、定石の局面、そこをソフトにかけ、「評価値」で判断するのだ。
 
 しかし、羽生はその中盤ではまったくソフトを用いない、という。なぜだろうか。
それは本書で羽生は繰り返した「ソフトと人間の将棋は異質なもの」この言葉に起因すると思われる。確かに、異質である。

 後はたいした事は書いていない、というかここまでもたいした事はない、いつも通り、羽生はのらり、くらり、と言葉をかわし、その実態をつかませない。ほんといつも通りだ。

 最後に「フラッドゲート」のURLを貼っておく。そこは……未知の病原体を見るかのようだった。気持ち悪い。これが私の第一感である。ご覧になったことない方は是非、未知の世界を覗いてみてほしい。この元になるものは、人間からきているのは間違いない。進化の先にあるのもは……こんなものではない、と信じたい。

イメージ 1

 今、読み終えた。大川慎太郎(2016)『不屈の棋士』講談社、この本を元に、様々な愚見を述べていく。アッと思う、ウ〜ンと唸る、なるほどと頷ける、などなど、
とにかく様々な興味を持っていただけるよう書いていくつもりだ。
 尚、批判や指摘は歓迎する。悪まで個人的見解であることをここに明記しておく。
 
   棋士、及び連盟が直面するソフトに対する脅威と実情

    序
 
 2015年に情報処理学会が「トップ棋士との対戦は実現していないが、事実上ソフトはトップ棋士に追い付いた」と声明を出した。勿論、レーティングなどの事実的根拠があってのものだが、それとは別に、この声明の裏には、一体ナニがあるのか。ご想像いただきたい。
 ここ十数年、連盟はソフトの脅威と実情を、将棋ファンに対して、ひた隠しにしてきた。ところが激動化する情報社会に(もうこれ以上隠すのは無理)と判断し、新たなスポンサーを得て、新たな棋戦を興した。「電王戦」から始まり、「叡王戦」がそれである。主たる新聞社の経営が厳しい今の世で、新たなスポンサーの獲得は、棋士及び連盟の存続に関わる重大な問題であることは理解できる。

 しかし、その棋士や連盟を支える将棋ファンにとって連盟がこでまで行ってきた運営・姿勢・理念、といった類のものは、不誠実である。と言わざるを得ない。連盟のトップである谷川浩司は、とても運営・経営に向いた人物とは思えない。それに加え(実力が全て)という棋士が本能的に持つ感情が、周りにいる補佐役であろう人物の助言や提案を阻んでいるように思える。
 やはり閉鎖的で狭い将棋連盟には、第三者、外部の人間の必要性を、ここに明記する。将棋が強いだけでは、組織の運営や経営はできない。激動化する情報社会に対して、それに対応する人物は、どうしても必要である。

 棋士はコンピューターに負けたのか。の問いに、明確に答える者は少ない。理由は明白で、あの男、がいるからだ。自身の研究に、ほぼ10割合でソフトを導入している棋士ですら、あの男、だけは「条件次第」と前置きを置く。

 連盟を上げて、棋士の既得権益、存在意義、価値、などを、様々な理由をつけて守ってきた、隠してきた、古く巨大な牙城に、ソフトという怪物の爪がとどきつつある。

 本書の帯に書かれた
「人工知能に追い詰められた『将棋指し』たちの覚悟と矜持」
これは本書の内容には適さない。追い詰められてなどいない。将棋指し、は、とうの昔に追い抜かれていたのだ。私の解釈で正確に言えば、2013年に完全に抜かれた。
 名人がソフトの手を採用し、その将棋で名人防衛を決めた、その時に。

 エントリー制、という特殊な制度で行われている叡王戦。今回そこに、あの男、がエントリーしたのは周知の事実。我々人類最後の砦、ともいうべき、あの男、が。
 仮にもし、負けた時、我々ファンが受ける衝撃は、計り知れないものであろう。
 しかし、その時は必ずおとずれる。もはやおとずれている、といっても過言ではないかもしれない。

 本書は、もはや、ここしか、今しかない、というタイミングで出された本である。
特に面白い棋士がいるのは確かだが、本ブログでは、本書の章順に、愚見を述べる。

イメージ 2

イメージ 1

     大注目の最終局。4局は羽生が勝ち、文字通り、ここが関ケ原の一局。

 まず、私の少ない読者には、謝罪しなければならない。私の予想は外れた。
上の写真が物語るように、爪を噛んで悔しがる永瀬、残念だった。敢て言わせてもらえば、ここは取らなきゃいけなかった。豊島然り、中村然り、まだ若い、なんて言い訳をする棋士ではないが、次こそ、君は、タイトルを取らないといけない棋士だ。
 そして羽生、まだまだ健在の存在感に、本棋譜に、底知れぬ恐ろしさを感じる。なんなんでしょう、あの最終局の爆発ぶり。暴れに暴れて、相手をねじ伏せた、いや殺戮した。これで永瀬はしばらく、休みをイヤでも取らされる、この将棋は一生残る。
 恐ろしい、あんな五体バラバラにするような棋譜を今見た。ただ、恐ろしい。

 
 永瀬が左右と玉を揺らして間合いをはかっていると、いきなり激戦の火蓋が切られた、いや、結果から見れば、殺戮の始まりであろうか、とにかく若き挑戦者は血祭の生贄にされた。負けは負けでも、この負け方は辛い、なんてもんじゃないだろう。
 私などが代弁するのは、おこがましいのを百も承知でいえば、立ち直るのにどれだけ時間がかかるか心配になる程だ。以前、羽生の強さは、の問いに木村八段の答えで「切り替えのスゴさ」という答えを書いた。早さではない、スゴさ、である。
 
 いくら若い、といっても生身の人間、もし、私ならば一年や二年は、まともに勉強できない程だろう。今書いていて、永瀬本人はどんな気持ちだろう、とそれを考えただけで、胸が締め付けられるおもいだ。しかし、勝負の世界。そんな個人的感傷は一笑にふされ、止まらぬ今は、棋士を次の戦へ、いざなっていく。

  永瀬よ、忘れろ、など生ぬるいことはいわない。
  忘れるな。この将棋忘れるな。二度とこんな恥辱は受けまい、と忘れるな。

 さて、変わって羽生。羽生持ちの方は、ホッと胸をなで下ろすと共に、強い、と再認識したことであろう。また別の記事で書く予定だったが、先崎の現代のコラムで、
羽生の名人戦について書かれた記事がある。これには、賛否評論あるのは承知、しかし、私は、彼の文才に心酔する一人である。そこに多少の私怨があろうが誇張があろうがそれが人間である。だが、そんな彼の記事を、彼の言葉を、この将棋で否定した羽生は、やはり将棋有史以来の巨星であり、俄然、照る、太陽であることを証明した。

 いやぁ〜強い、ただ強い、どれだけ強いのだろう。本気でそう思ってしまう。
とりあえず、これでしばらく羽生健在、ということは、これ以上ない形で証明した。
 もう、私は、記録がどうとかは、もういい。こんな棋譜、人間臭い棋譜を、これから沢山見たい。ただそれだけだ。

 近頃、珍しく将棋の関する本を新書で買った。『不屈の棋士』大川慎太郎、2016、講談社、を読んでいる。著者の文は面白くもなんともない。しかし、内容は棋士のインタビューが中心でテーマは「ソフト」それがメインだ。言葉を選び、時にやんわり応対する羽生の言葉と、金、金、金と、言葉使いを知らず、著者の嫌悪感が出る渡辺の言葉はくっきり対照的に映る。なんか渡辺語るに落ちてね?と思わせる、とにかく著者と渡辺が不仲なのはわかった。そんな中、対照的な2人の間で、初回の不参加の理由だけは合致、やはり裏で何か動いたか、を窺わせる。

「時間の問題」と、たれもがおもう昨今、こんな人間臭い、血みどろな、残酷な、棋譜を、一つでも多く見たい。それにはやはり、人の情動が欠かせないのである。

全32ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事