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 フランス革命・序章

        フランス革命 

 序章 高き理想

 いよいよこの壮大かつ偉大、そして悲劇を含むテーマに触れていこうと決意した。
理由はあるが詳細は控える、初めて覚える感情なので苦しい。だがそれもまた、生きている証だ。きちんと向き合い、受け止め、時に、浸る自分を感じながら、人は成長していく。喪失感、それも突然の喪失感とは、これほど苦しいとは知らなかった。
 なお、様々な見解が現在でも続いているテーマなので批判や指摘などは歓迎する、コメントに匿名でもいいので遠慮せず、どんな意見も書いてほしてい。論争や他人意見への批判は削除するし、私もしないことはお約束する。それに、これはお互いに成長するために最も有効な方法であるからだ。多角的意見はあればあるほどよい。

 サン・ジュスト(1767-1794)断頭台=ギロチンに上ったのは彼が26歳の時である。古い体制を壊すのは、いつの世も若者だ。彼の国民公会での演説の一部を、

  国民のなかに、一人でも不幸な人や貧しい人がいるのを放置しておいて
  はならない。そういう人が一人もいなくなったときに、はじめて、諸君は、
  革命をなしとげ、ほんとうの共和国を建設したことになるだろう。…… 
  フランスの領土内には、もはや、一人でも不幸な人がいてはならないし、
  また、他人を抑圧するような者が一人でもいてはならないのだ。諸君がそう
  決意していることを、全ヨーロッパに知らせるべきである。どうか願わくは、
  このフランスの実例が、地球の上で豊かに実を結び、徳への愛と幸福とを地球
  の上にゆきわたらせることを、幸福とはヨーロッパにおいて新しい理念である。                     

 読んだとき、私は圧倒された。当時26歳である、これほどの演説を実際の議会でしたのだ。その知性はもちろんのこと、度胸、論理的思考、道徳、正義感、挙げればきりがないが、まちがいなく26歳の若者が発した言葉だ。どれほどの時代だったのだろう。想像しただけで好奇心が疼いてくる。しかし皮肉にもこの演説が決定打となって彼は断頭台に上がることになる。だが彼ら、革命初期に活躍した若者達が掲げた、
高き理想、が革命から100年の時を経て、根付くことにつながるのである。                 



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 阪神が苦戦している。前半はなんとか五分の線に食らい付いていた感があるが、ハッキリ言えばここまでであろう。予想を敢てすればAクラスに残る確率は20%もないだろう。理由はわかりきっている、金本だ。キム・ジホン/김지헌 である。

 朝鮮人の両親に生また。純血の朝鮮人だ。在日三世になる。代表経験ないよね。
生まれが違うのだ、育ってきた環境が違うのだ、血がちがうのだ。
私は金本が監督になると聞いたとき、絶対にうまくいきっこない、と確信めいたモノがあった(後出しじゃんけんみたいでなんだか、だが)理由は簡単で、あの性格で指導者に向いているはずがない、と思ったからである。

 元来、血が違う。持前のハングリー精神で記録を作り、片手でヒットを打つ男だ。
その辺の「ふつうのプロ」に同じものを、技術も精神も、求めては必ず溝ができる。
我慢しても顔に出る、その顔は不自然な作り顔に見える、あれなら我慢せず出した方がいいと思えるほど、そして当の本人はというと、我慢できる性分ではないのだ。
 
 そして懲罰交代もあった。今回はこの件に特に触れたい。私は、たとえ少年野球でも、いや少年野球から高校野球にこそ、声を大にして言いたい。この「懲罰交代」なるものに私は色濃い嫌悪感を持つ。高校野球で言えば、老害であった常総の木内。青年の人生をたった一試合で狂わせ、一生背負っていくレッテルを背負わせた明徳の馬淵。この二人は特に嫌いで一人はまだ現役で指揮を執っている。少々、熱っぽくなるが、元来、高校野球、というのは教育の場である。これは大原則だ。指導者たるものが決して忘れてはならない。それがこの二人は顕著に、その大原則を無視し、己の為に、己の評価の為に、選手が主役であるはずの舞台で、己を主役にする代表的な二人である。

 見せしめのように県予選決勝でエラーをした選手を、怒りの形相で交代させる木内。それも2人・3人だ、本当に書いている今でも不愉快でならない。私がなぜ、こんなに懲罰交代を嫌うのかには、勿論、明確な理由がある。ただの感情論だけではない。野球に限らず団体競技の経験がある方ならわかってもらえると信じているが、その理由は、一度の失敗で交代させられたら伸びる所も伸びなくなてしまうからだ。ましてやまだ子供である、ちょっと名の知れた監督に交代を命じられた選手は、その気持ちをどう整理つけるのだろうか。その子の性格にまで影響を及ぼしかねない。エラーやミスをした時こそ、指導者の力量が試される時、そのものなのだ。一言、「次に生かせ」となぜ言えない。人生も、たそがれ時にかかった年齢の人物が、なぜそんな小さな想像力を持てない。そのエラーをした選手は大事な県予選の決勝で、だれでもプレッシャーがかかる舞台で、点にもならないエラーをして交代させられたのである。その変えられた青年は一生その思いを背負って生きていくのだ。だが木内は己の評価しか頭にない老害だった。断じる、木内の為に選手はプレーしているのではない。老害という言葉は、木内のような人物のためにある言葉だ。学童野球を指導している通りすがりのそこのお父さん、どうかこの事だけは忘れないでください。子供に怒鳴っている大人を見たら、倍の勢いでその大人を注意してください。その子供の将来の為です。

 変わって明徳、馬淵。この男は私がいちいち説明しなくても皆さんご存知だろう。
(当時)星稜の松井秀喜を全打席敬遠。という指示をした男だ。ここでも私が言いたいのは同じこと。そのピッチャーは、チームメイトは、その後の人生をどう歩んでいく。その重いレッテルを馬淵、貴様は背負えるのか。背負えないだろう。いやでも背負うのはグラウンドでプレーした選手なのだ。そして、そのグラウンドは絶対原則として、教育の場、なのだ。明徳も明徳だ、なぜあんな無責任極まりない、教育者失格の男をいつまでも監督にしているのだろうか。不思議でならないし、何より我慢ならない。甲子園に出てくる度に、見ているこちらがムカムカしてきてしまう。あぁ〜不愉快きわまりない、ったらありゃしない、早く辞めることを願うのみである。

 ふぅ〜いかんいかん、金本だったね、とにかく「6」を背負うのはいけません。
選手に自分と同じ、を求めてはいけません。懲罰交代はいけません。以上だ。

 普通、というか通常は一年目というのは何をしても成功しやすいとされるプロの監督。だが金本は向いていない、これは一年や二年でよくなるものではなく、個人の性格、資質によるところがおおきすぎるので、私は金本には何も期待していないし、できない。この先、阪神以外でまたやるとなっても、結果は同じであると、ここに断言する。

 その点、やはり落合との差を感じざるをえない。落合の話は省くが同じ背番号を背負える器ではない。日本が誇る天才を、甘く見てもらっては困るのである。

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      いいじゃん、いい感じじゃん、君は若さを無駄にしていない。
その若さを、存分に使い切れる人が、この世にどれほどいるだろうか。
この種の才能は決して誰もが持てるものではない。写真からも伝わるその若さを、
   
    羽生の4連敗、公式戦に至っては6連敗の自己ワースト記録で迎えた本局。注目は高かっただろう。それほど羽生世代、ファンにとって、永瀬拓矢という男は怖い存在だ。彼の持つ将棋に対する姿勢、強烈なまでの真摯な姿勢。これがこの若者の最大の武器といってもいい。加えて大介を師と仰ぐ。その年頃で師、という存在を見つけられるかは、とてつもなく大きい。大介のアドバイスは、その強烈な姿勢で素直に聞いているようだ。振り飛車一本だった彼の棋風を変えたのも大介、その冷えピタも大介、よい師を得た。いや、自身でたぐり寄せた縁。というほうが正しいかもしれない。
 
 代わって羽生、まぁ〜6連敗ぐらい、なんてことないじゃん、と凡人の感覚で思っていたが、6がなんとワーストというではないか、いやはやなんと、まぁ〜・・言葉にできない。見つからない。棋士人生20年以上だろうか?そうだよね、中学でプロだから、いや、もう30年弱という計算になるか、んで6がワースト?形容の言葉を私は持ち合わせておりません、どなたか翻訳をお願いし致します。と、冗談はこの辺にして、ここを落とすと相手の若さという武器に、勢い、という盾が付く。まして相手は矛より盾を上手に扱う、その盾の使い方は独自のもので、今まで見たことがない。なんとか盾は持たせたくないところだ。


 矢倉のがっぷり四つ、お互いに力が出る形になった。今回の印象は「羽生の老獪」
経験がものをいわせた内容に思える。相手の呼吸を乱すような50手目△5四同金。
この一手で勝った、と思わせる内容だ。永瀬は血相を変えて一直線に踏み込んでくる、それを上手にいなす羽生、本人は納得する勝ち方ではないだろうが、そんな甘っちょろいことは言っていられない状況に追い込まれている、「僕もこの種の辛酸は舐めてきた」と言わんばかりの老獪ぶり、なんでもできる。ほんとに心が強くないとこんな変化は瞬時にできない。研究なのか、閃きなのか、ともかく50手目。この一言に尽きる。今回の対永瀬戦初勝利で何か掴んだ印象は私でも感じた、こうなにか相手の攻める糸口が見えた手ごたえみたいなものが、おそらくあったと思う。端的に言えば、一直線。これが今後のキーワードになりそうな予感。大介はなんと声をかけるのか、そこはすごく知りたいところだ。この師弟関係にはある種の美しさがある。鼻のいい記者なら一目散に大介の所に行くだろう、一部でもいいから記事にしてもらいたい。と、まぁ〜ともかくこれで五分、できれば三番見たいが、私は若き盾使いがどうやら好みらしい。奪取すると期待120%込めて予想を添えておく。彼には早く化けてもらいたいのだ。
     
      結果予想 永瀬六段の三勝一敗で初タイトル棋聖奪取。

 今、サーフィン中に以下の記事を発見・・。失望と、呆れと、失笑と、無力。
 大崎善生(2002)『聖の青春』講談社、 白状する、私が一番読んだ本だ。何度読んだろう、海外へは必ず持ち歩いた、満塁ホームランの描写を何度も読み返した、月夜の公園でのやさしさを何度も想像した、時計だらけの病室を想像できなかった。
珍妙な部屋で大人や師匠と語らう時間が、どれほど幸せだっただろう。書けば書くほど、次々に様々な個所が浮かんでくる。
 映画化されることは知っていた。主役がダイコンなのも知っていた。

 だが、だがしかし、百歩譲って(将棋しか知らない人達の集まりだもん、仕方ない)と半ば強引に蓋をした気持ちが、一気に爆発した。羽生善治。羽生善治なのだ。
東出が羽生を演じることなど、あってはならない。実物のメガネを、それを外して。
 以前TVで「渡辺が好き」と公言して、実際にサプライズ企画で合う、という番組を偶然見ていた。渡辺ファンには申し訳ないが、渡辺を演じるならいい、というか許せる。しかし、いくらリアルで将棋が好き、といっても、義理の親父さんが日本一でも、 絶対に譲れないモノが、そこにはある。そう、そこは日本一が座る座なのだ。

 二人とも大河で大コケしたダメダメコンビ。まるで喜劇だ、悲劇を通り越している。役作りで何キロ太っただの、幸せいっぱいで現場に入っただの、どうでもいい。
とにかくそこをどいてくれ、頼むから退いてくれ。と、私などがいくら叫んでも、この配役で決まったのだ。将棋ファンは失望の嵐に見舞われているに違いないだろう。

 もう、言葉を書く、気力すら失せてきた。連盟にマトモな人間はいないのか。
こんな配役を許す「日本将棋連盟」に対し、だんこ こうぎもうしあげます。
 
 P・s 著者の大崎も大崎だ、なんでこんなの許す、自作品に愛を持っておくれよ。
http://img-s-msn-com.akamaized.net/tenant/amp/entityid/AAh9zJr.img?h=551&w=728&m=6&q=60&o=f&l=f&x=271&y=250© Hollywood Channel 提供 瓜二つ? 羽生善治(左)と羽生氏役の東出昌大(右) 羽生善治 撮影:中野英伴 (C)2016「…
 100年に1人と言われる天才・羽生善治と「東の羽生、西の村山」と並び称されながら、29歳にして亡くなった実在の棋士・村山聖(さとし)が病と闘いながら将棋に全人生を賭けた一生を描く映画『聖の青春』(2016年秋公開)。松山ケンイチ演じる主人公・村山聖の最大のライバルである羽生善治を、東出昌大が演じることが分かった。

 本作は、29歳の若さでこの世を去った天才棋士・村山聖の生涯を描いた作家・大崎善生のノンフィクション作品『聖の青春』を映画化。幼いころより難病と闘いながら棋士としての道を突き進んだ村山の人生を、羽生をはじめとする同世代の棋士との対局や、彼を支える師匠や両親たちの愛を通して描く。

 東出が掛ける劇中の“羽生メガネ”は、羽生善治氏本人が1996年に史上初となった七大タイトル戦にて七冠を独占達成した時に、実際に掛けていたものを、東出が羽生本人から譲り受けたという。また東出は、徹底した羽生研究を実行、羽生本人と瓜二つの姿で撮影現場のスタッフたちを驚かせた。

 今回の出演オファーを受けた東出は、「とにかく素晴らしい原作と脚本で、現場に入る前からこの作品に携われることに大きな幸福感と闘志を抱いていました」と感想を明かしており、松山との共演については「元々、尊敬する大先輩だったので、松山さんとのお芝居の中で過ごせた時間が自分の宝になりました」と撮影時を振り返った。

 羽生も今回の映画化に関し「村山さんの生き様を描いた聖の青春が映画化されると聞いて、彼の存在の大きさを感じました。自分も出てくるので気恥ずかしいところもありますが、東出さんに演じて頂いたのはとても名誉なことだと思っています」と東出の演技を快く受け入れている様子だ。

 今回新たに追加発表されたキャストは、東出のほかに10代の聖を大阪に引き取り、共同生活をしながら彼を支えた師匠・森信雄役にリリー・フランキー、 竹下景子、 染谷将太、安田顕、柄本時生、北見敏之、筒井道隆ら豪華俳優陣が名を連ねている。

  春だ。出会いと、別れの時でもある。

「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛)
「雑誌のサクラは去年のサクラ。。。」(松本人志)ツイッターより

 さて、本題に入ろうと思っている、が、どの様に書けばいいのか、今日は筆の走りが頗る鈍い。渦に居る。ただ、これだけは言える。
     
    彼は、とてつもなく優しかった。
 
 去年か一昨年か、年は思い出せない、だがあんな優しい人間を見た瞬間の記憶だ、当然覚えている。全部覚えている。あの日、私は彼の将棋を夢中で追いかけた。一語一句書く気になれば書けなくもないが私らしくない。が今日はそれで書く。正確に言えば「書かなければならない」気がすまないのだ。写真を見て、今知ったから・・・全て・・・つながったと同時に大きな渦が起こった、どうやら相当デカイ、経験がそう伝えている、だから書く。この渦から出るために。。。

 秒に追われて一人の少年が将棋を指している。その名は阪本駿君。「宇都宮グランドホテル」大広間の隅にくろやまの人だかりが出来ている。皆、メインの棋戦などそっちのけで、頭を左右に揺らしながら後ろの人々らがその将棋を追っている。その時、私はメインの解説を聞いていた。が、その人だかりである。当然(なんだ?なんだ?)と私もなり足を運んだ。その人山の先にいた少年を見た時に合点がいった(あ〜なんだ、阪本君か)地元の栃木ではちょっとした有名人だ、彼が指した棋譜がよく地元紙に載る。彼に追いつけ追い越せで、将棋真っ盛りの少年達がその名をよく口にする、大人も口にする。

 ここで間を挟む。縁とは不思議だ、今、これを書いている私自身、震える思いだ。その阪本君と盤を挟んで座る者を私に教えてくれた。
日本将棋連盟特設サイト『弦巻勝のWeb将棋写真館』に感謝する。
なぜなら彼が自分の死期を知っていた人だった事。それが目前に迫っていた事。(あまりに手慣れたボードさばきに先天性のものかと思った)
本物の優しさを持つ限られた人を将棋を介して知れたこと。瞬間を見れた事。
いつもなら写真の添付ぐらい別に・・・、と思うが今回は順守したい。

 季節外れの黒のハイネック、体は細い、30歳前後か、だが髪は茶髪・・・
(なんじゃ?コイツは?)その時の偽らざる本音である。だが・・・強い。
一目で阪本君が苦しいとわかる、またさらに(なんじゃぁ?こやつは?)
となるのは当然で、地元の阪本君を応援するのは自然だし何より彼の強さを知っている。私などが指したら10番指して10番負ける。これは自信ある。
 
 でもよく見るとビニール盤の横に何やらボードが置いてある、正確言えば、そのボードを彼が使用した時に気づいた。彼は言葉をしゃべれない人だった。

 指し手が違う。黒のハイネックの勝ちだ。直感がそう伝える。私が見た時点ではもう勝負はついていた。だが簡単には投げない阪本君、何よりまだ中学生だ、必死に手を探す。その盤に食らい付いていく姿、若さ、それと、服に似合わなすぎるダサい汚れた白い靴に好感と羨望の眼差しが入り混じる。(私が中学生の時は、もっとセンスあったぞぉ〜!)って将棋の話ですね、はい。
 小刻みに揺れる白い靴の規則性を帯びた動きが速まっていく、時間がない、手もない、でも、それでもなんとか怪しい手を捻り出し、相手に応手させた所はさすがだなぁ〜と思ったものだ、だが黒のハイネックは、受けつぶしの方針を決めた様だ。何もさせないよ、存分にやってきなさい。指し手が語る。

 そんな時に「その瞬間」が来た。

 「ピーーーーーーーー」  阪本君の切れ負けだ。

 その場に居合わせた全員がそう思っただろう。それだけハッキリ切れていた。相手に応手させる所はさすがにすごいけど、これはもう負けだよ阪本君、
きちんと誤り、投了を告げなさい。そんな感情が私に沸き起こった時だった。

 黒のハイネックは手慣れた手つきで素早くボードを操り、自身の思いを相手の阪本君に伝えた。正確ではないかもしれないが内容は偏らない言葉だ。
 
 「やり直す?」「審判の人に聞いてみよう」「押したけどダメだったって」

 一言目の「やり直す?」この言葉は合っているとおもう。あまりに衝撃的だったから。それから2.3度、言葉とボードでやり取りして、審判に掛け合う事が決まった様だ。ここで想像してほしい、自分なら、アナタなら、その言葉が最初の一行目の頭に出てきますか?と。人が人なら声を荒げる人もいるだろう、そして大半の人は「これはもう切れ負けだね」と言うであろう。(実際の形勢に逆転はなかったが、そのブザー音の局面は、手がないと思われた局面からの十数手の応酬だったので、形勢が良い方は勝ちを譲らない雰囲気にはなっていた)将棋を指す人なら誰でも知っている、使いずらいあの青いやつだ。

 当然、場は騒然となった、そこに現れたのは栃木のアマエース桐山七段だった。桐山七段ならご存じの方も多いのではないだろうか?全国優勝も数度しているアマ強豪だ。自然その場で桐山さんを知らぬ者などいない、阪本君が時計を持って事の内容を伝えに行くと現れた桐山さんは相手のハイネックの了承を得ている事をきちんと確認し、互いに合意に至っている状態だ、と素早く判断し、要らんコトを言わずアッサリとそのやり直す提案を認めた。元々無口で小柄な人だが、私が審判部長を任されている立場だったら?あんなに早く切れ負けを許すだろうか?大勢の証人となるギャラリーもその場にいる、早!マジカ!切れ負けだぜよぉ、おぃおぃ、ハッキリ言おう、私なら許さない。

 将棋はその後、数十手で阪本君が投了を告げた。すぐに感想戦を始めた彼、
今思い返せばその態度も優しさに溢れていた。負けた相手を気遣い、声にならない声を絞り出し、ボードを懸命に使って意思を伝える。その一挙種一等速に私はいつしか目を奪われていた。もちろん将棋の指し手が全然違った(その時は元奨励会三段なんてことは夢にも思ってない)からだが、最初の一言が今も忘れられない。いや、忘れるつもりなんてない。私は生まれ変わってもあんな本物の優しさってヤツを持つことなんか出来ないだろう。今になって胸の渦が収まってきた、どうやら書いてよかったみたいだ。

 記事をあげても10人来れば多い!なんてこまいブログだが、その一人、二人にでも、この事実を伝えられたなら、私にとってもこんなに嬉しいことはない。拙い文を最後まで読んで頂いた方に感謝申しあげます。最後に彼の名前を
きちんと書いておこう。故・天野貴元(元奨励会三段)優しさをありがとう。

 

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