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A級プレオフと渡辺明

 順位戦も終わり、A級のプレーオフを残すのみの今日、豊島の進撃が続いている、開き直りの境地か、自力か、恐らく双方が相まって、最初は絶望的に見えた山頂も見えてきた。もともと普通に指せば挑戦している自力は持っているので驚かない。やはり「ここ一番」の自爆が弱点というイメージはまだ拭いきれない。勝率だけ見れば8割超える。初タイトルや挑戦が懸かると大抵の棋士は一度や二度は緊張や外野に押されて退くのがほとんどだ、しかし豊島ぐらいの経験値を持ってすればそろそろ十分すぎる。王将戦も負けた、棋譜はまだ見ていないが、久保には相性がよくないので責めることはしないが、名人挑戦権を手にすれば少なからず化けるだろう。谷川がよく言う「若いうちにチャンスをものにすることの重大さ」との言葉が頭をよぎる。今はただ応援している。遅すぎるぐらいなのだが。

 もう一人、谷川の言葉少なからず当てはまる、と私が思う棋士がいる、名は渡辺明。

 デビューしたころは金看板である「中学生棋士」を担ぎ、期待されだが、どうも目立った活躍はなかった。この頃の渡辺のことを老師は「敗け過ぎだ」と書いている。この一言のキレのよさに私は見事に真っ二つにされた、のはもうウン十年も前のことだ。だがしかし今になってみると、あたってる。チャンスはまた来る、とおもう若い頃は、実は短い。

 谷川に本の中で「活躍が足りない」とお叱りを受けたとブログにあったが、あのにくったらしい狐目の少年も33歳である。デビューから必死で将棋をしとけばよかった、と何千回、何万回ぐらいは思ったとおもう。つまるところそれも才能だと気づくのは大抵その大事な時が去った時だ。

 そしてその彼が今、経験したことのない不調に陥っている。それは勝率が5割前後を推移と、数字が物語っている。理由は明白だろう。

 彼のブログを読んで思ったのだが、はやり以前、以後では口調が違う。天彦をナベが「天彦さん」などと呼ぶだろうか?まさか〜ないない。読んでいて気持ち悪ささえ覚えた。どうも第三者が入っているような感じがする。大本の文はナベのものだろうが、チェックが入っているように思う。もし全文彼が書いたものだとしても、その傷の大きさは隠せない。だが今は、応援してくれるファンは少ない。返上してもいい、とまで啖呵を切ったのだ、それだけは、ナベ自身が「一番言われたくない言葉」なのか、とブログを読んでいて思った。

 元々シャープで歯に衣着せぬ物言いが特徴である。だが今はその切れ味のよい刃が自身にもグサグサと向けられ、血だらけでへたり込んでいるようだ。正直、折れたか、折れる寸前か、そんな状態だと想像させられる、あのブログを読んでいると、

 一過性のものか、ズルズルこのまま落ちていくのか、そんな言葉があったが33歳でいう言葉ではない。そんな老け込むような年齢ではなく、むしろ指し盛り、といっても過言ではないだろう。森内は30歳で名人になり、40歳で竜王・名人の二冠となった。なんで順位戦引退したかね〜ほんとわからん。まあ今はナベだ。

 ここからはあくまで想像だが、原因は自身に課したソフトとの決別、とまではいわないが、調整法、モデルチェンジの真っ最中であること。三月のライオンでの島田開の不調の原因をいう柳原の言葉、あれがそっくり当てはまると思う。
 そして言いたかないが、一番はやはりあのことが原因であろう。便利な時代にはなったが、便乗した心ない言葉が氾濫するネット社会において、その言葉を読んでしまっていたら(読んでいるだろう、そんな風なことも書いてあった)凶器と化した言葉の数々にズタズタになっただろう。今も。
 
 自身の言葉に責任を持つ、という強い姿勢と反比例する内なる自分、その内なる自分が勝手に敵を大きくしてしまっているように思う。今までのナベではないのは誰が見ても、読んでも、明らかなのだ。元には戻らない、と私は思う。人間は変わる。

 とどのつまりは本人次第だが、変わることは悪いことではない。

 今ふと思ったが、昔は将棋雑誌や新聞が力を持っていて、羽生なんか随分、口撃されたようである。それを思うと羽生からやはり変わったんだなあと、伸び伸び指している、きた、面々だと思った。

 

7年と10年と

 あれから7年の年月が経ちました。

 正直、僕も周りも、忘れ始めてきているように感じることが増えたように感じます。でも忘れられない人達も多くいることも、忘れてはならないことです。
 
 ですが、去年あたりからでしょうか、現地でも前向きな言葉が聞かれたのをはっきり覚えています。年月にして8年、気持ちが、気持ちの落としどころができて、というより、勝手にできて、作らされて、そんな気持ちに少しずつなっていくのでしょうか、でもこのことは、大袈裟にいえば人間の力であろうとも思います。そして実際に行動に移せるのは2,3年といったところでしょうか。そう考えると、やはり10年。やっぱかかっちまうんだなあ〜と思いたくないけど、事実思っちまう。

 その日私は経験したことのない地震の只中にいました。初売りで勝ったばかりのTVがあり得ないぐらいぐらんぐらん揺れて、それを手で押さえて踏ん張って耐えました。とても普通には立てません。家は壊れるな、2階だからうまく倒壊から逃れ外に出なければ、とそんなことを考えてました。揺れが収まって部屋を出ると全てがめちゃくちゃ、内も外も、形が戻ったのは2か月ぐらいたってから、基礎も壊れたし、

 しかし現地の復興は全くと言っていい程進んでいません。陸に上がった船を見世物に観光地化しようとか、意味のない盛り土で予算を使い、一部の人間がほくそ笑んだり、高い壁を作ってせっかくの海沿いの町なのに海が見えなくなってしまったり、個人の住宅間ではどこからどう、とかモメたり、なかなか外の人が思うように進まないのが現地のようです。若者は町や村を離れ、また来るところに家建ててどうすんだ、と吐き捨てます。言葉はキツイかもしれませんが、的は得ています。しかし捨てられない、ここでしか生きられない、という人達がいるものまた真です。 

 時折考えていますが、答えは出ません。数百年に1度来るか来ないかの天災を恐れて故郷を捨て去るのか、伝統の漁業で海の恵みを受けて生活していくのか・・・・・・。どちらのも十分な言い分があるで、こうしたほうがいい、などと軽々しく口を出せません。結局自己決定権に委ねるしかない、という俗なこたえに行きつきます。本人が納得しているかどうか、という一言に尽きます。

 もう一つの問題は原発ですが、この問題には触れません。不毛な議論をする気はありません。国会の前で叫ぶ気力もなく、(社会的活動は時間とお金がとてもかかり、生半可な覚悟ではとてもできるものではない)かといって読売の社説に乗っかる気もありません。

 ただ、当事者でないにしろ、あの「虚無感」は忘れないでしょう。

 子供大人、男女、善悪人、問答無用で飲み込んでいきました。時の天下人ではないですが、まさしく夢幻の如くなり。明日なんかあるようでないんだなあと、だったら今を悔いなく生きた方がいいんじゃないか?これって間違いなのか?計画立てて目標に向かうのが正しいのか?う〜ん、わからない……。なんとも締まりの悪い結びですが、わからんものはわからん。

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長谷部新四段誕生

  数日前のアクセス数が見たこともない数字になっていた。理由はこの度、新四段に上がった長谷部浩平君に関するヒットだ。めでたく栃木県初(戦後)のプロ棋士が誕生した。勝負は最後の最後までわからない。なるべく見て見ぬフリをしていた。結果を受けて本当に喜ばしい限りだ。おめでとう!長谷部君。実際に会う機会があったらメンタル面の改善方法を是非聞かせてほしい。もう君は立派な「棋士」だ。これからは堂々と胸を張ってもらいたい。君はもう棋士の分際なのだ。普及も大切だが、タイトルを視野にこれからも成長してほしいと思う。23歳は棋士としては若くないかもしれないが、晩学の手本である木村九段のように、今までの苦労を思いっきり発散させるような勝ちっぷりを期待したい。重ねて本当におめでとう。

 来季からの活躍を期待して結びとしたい。

 

 対戦相手はどんな気分で少年と向き合うのだろう。

 ここまでのフィーバーで何かと記録、記録と中身のない下品な質問ばかりする記者にうんざりしてしばらく見ていなかった。キッカケになったのはやはり佐々木勇気戦。彼の準備に目が留まり、動画を追っていくと様々なことが見えてきた。とにかくマナーだ。

 佐々木勇気に関しては賛否あることは想像に易しい。だが若者らしく、私は好きである。生意気が通るうちは、思いっきり生意気すればいい。小奇麗な若者など何の魅力もない。若くて強けりゃ踏ん反り返る、その方が人間として自然だ。

 肝心の動画は1-3まであるのが、だんだんとスイッチが入る勇気は面白い。

この動画を全部見てみれば、藤井聡太が持つ様々な「クセ」に気づく。それをなんとなくほのめかす勇気、そう、目の前に座る中学生はちょっとしたPC並の速度で手を読むことができる「特技」を持つ少年なのだ。これは努力とかの部類でどうこうなる領域ではない。どうも「普通」ではないのだ。その様子は彼の対局姿勢を見ていれば自然とわかってくる。そして、私が一番言いたいのは、彼の持つ集中力がもたらしてしまう、マナーの悪さである。これが故意ではないのが始末に悪いのだ。これは師匠杉本の責任と言わねばならない。

 だが、ライオン風に言えば「金のガチョウ」に泥を塗ることは、どうも今の将棋界は厳禁らしい。

 皆、口を揃えて「すごい」「考えられない」そして「完成度の高さ」をいう。
そんな右ヘならえ、の空気に真正面からアゲインストの立場を取るのがこの時の勇気なのである。その反抗心と勝った実績からくる、漲る自信、が手に取るようにわかってこの頃の勇気は面白いオモシロイ。

 クセ、及びそれらを裏付ける事実

 ・絶えず手に取り、開閉の連続を繰り返す扇子。相手の手番でも絶え間なくその動作を繰り返す。その音がうるさい、私が相手なら恐らく我慢できない。それは他の動画を見て確認した。これは現在でも見られる。
 ・口周りの行儀の悪さ。下唇をブルル、パッパッと鳴らし、唾を飛ばす。不快な音が出る。相手の手番でも。(この動作は現在では見られない初期のもの。瀬川戦なので見られる。瀬川の休憩時のカメラに対するリアクション、投了時の口元にワザとらしく添えるタオル、記録里見のマスク、などがそれを物語る。)口元にハンカチを当てるようになったのはこの後のこと?。
 ・対松尾八段戦、局後の松尾の別室への誘導。対応が大人だが、その事実が見える。全ては見ていないが、その後の対局は大部屋ではなく個室で対局が行われているように思う。報道陣への対応が主な理由なのであろうが、音の問題もあると思う。
 ・読む時、左前傾姿勢になり盤に没頭する。
 ・自分が悪いとダレる。深浦戦が如実。
 ・詰み、読み切り、全てわかった時は背筋が曲がり、まるで「もう終わったよ」といわんばかりの態度が子供の様に出てしまう。(今は知らないが連勝中は見られる。)
 ・勇気の言う通り、相手の手まで読んで、それが態度に出てしまう。難しければ読む姿勢になり、答えが出ていれば、子供が出る。
 ・佐藤真一五段戦、扇子の音全開。口癖のブルル、パッパッも聞こえる。解説が読み切れない詰みを瞬時に読み切る。(イヤホン推奨。8:40から扇子→口ブル→指すのリズムがハッキリとわかる。昔は佐藤の黒いボヤキがあったように記憶している。32:55ぐらいの「簡単には折れないよう」は相手に対してではないか?現に将棋の内容は圧倒なのだ。)↓この動画は音のすごさがハッキリわかる。

 とまあ、ざっと挙げてみたが、これらは動画を見ただけで推測した私の主観である。が、そんなに遠い事実ではないと思う。もっと精査すればまだあると思うが、大体わかったのでこれ以上は調べていない。とにかく今の問題は扇子の音。

 動画を見ているこちらですら「うるせ〜な〜」となるのだ。対局者なら迷惑千万だろう。先にも書いたが、これは師匠がキチンと指導すべき躾の問題。相手の手番でもお構いなしの姿勢はさすがによくない。ようは、お行儀が悪いのである。

 おいおい直るとは思うが、相手が考えているときは邪魔しない、はスポーツマンシップならぬ最低限のルールとマナー、というか原則に近いものだと思う。これは年齢は関係ない問題なのであえて書いた。今はブームに乗っかっている連盟もそろそろ姿勢を正してもらいたい。棋士間から溜まった不満が出るのは時間の問題なのだ。

 世間の評価は将棋が強い天才少年だが、私にその印象はとっくにない。今はただ、特殊能力を持つ人間である。対局者、これからガチで当たりそうな面々は今、虎視眈々と人間的な弱点を探っている真っ最中だと思われる。そのPCに有効なウィルスを研究中なのだろう。そう、読みではもう勝てないとわかりきっているのだ。

 今までの棋士とはまるで違う、作りが違い過ぎる、ライバルは……現るか。
 

その男 高橋道雄

 最近高橋九段の将棋を見ている。訳は色々ある、それが重なる、それが訳だ。
藤井九段の解説や雑談をユーチューブで見たり、羽生の昔の映像を見たり、んでもって一番印象深いのは「私は名人に成り損ねた人間ですから」と俯きながらいった姿。
全ては過去のことで、遠い昔を回想するような語り口と表情、(僕の全てはあそこにあった)と言わんばかりの口ぶりに思わず見入った。後はこの理由に周りの彼に対する反応を追っていけば、あ〜これは全棋士、それもトップが高橋の将棋を見てきたんだ、とわかる。米長・加藤らをストレートで破って防衛とか絶頂期は結構すごい。んで今日はまだ数局だが、高橋らしい、と唸るような将棋を見つけたので紹介したい。

 谷川がウサギなら高橋はカメ、誰もが疑わないだろう、これほど俗な例えがしっくりくる2人も逆に珍しい。そしてこの時ウサギはカメの恐ろしさを身をもって知った。このシリーズは3-1で高橋がタイトル奪取。谷川がはじめて後輩に抜かれた瞬間ともある。

1987年棋王戦第三局 58手目
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4筋で銀交換をした直後、後手の谷川は狙いの一手を指す。端から香を入手して4四から打つ狙い、対して高橋の次の一手は観戦記者中平邦彦によると「谷川には絶対指せない手」と記している。『棋士ライバル物語』強者たちの盤上盤外、参照。
 高橋は黙って4八に飛車を引いた。以下△9六歩に▲9八歩と受けた。中平は無条件の屈伏、と書き、屈伏を二回重ねた後に「これが高橋将棋の強さ」と述べている。
 プロにとってはそんなに指しにくい手らしい、だが高橋は「この手が一番粘れる」と忍んだ。非を認め、砦一個タダでやった、って感じだろうか?まぁ〜私の感覚などどうでもよいが、ともかくこの飛車引きを堺に谷川がおかしくなったらしく、形勢は高橋へと傾くわけだが、そこはプロ、そんなに簡単ではない。

 図から高橋が放った一手に驚愕しこれを書いているわけなのだが、さぁ〜果たして当てられる人はいますかな?まぁ〜難しいと思う。
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  30秒〜













  55秒〜  7.   8.   9.



 87手目 先手▲3九角  打てる?これ。

イメージ 3

打たれてみれば、なるほど納得できる理屈は見えてくる、が8四とか8二とかが自然で、もしこの角が空ぶったらそれでおしまいである。ギャンブルするには、にしてもこの角は打てない、まぁ〜すごい感覚だ。5七の銀を取ってしまえば話が早いということだが、それにしても、まだ6三歩成りとかのがわかる。谷川にしてみれば文字通り、一秒も読んでない手であったであろう。事実この二十手後に谷川は投了に追い込まれる。

 全盛期を知る人ならタイトル獲得数5期の実力は承知だろうが、今はアニメ好きのオッサンである。そして謙虚でいつも所在なげなやさしいオッサンである。当時の読み物を見ると、相当無口だったらしい、中原曰く「あんまり無口なのもね」と周囲に愚痴をこぼしたらしい。なんでも自分が勝った感想戦でも喋らず、指摘されると黙って駒を動かすだけだそうで、なるほど、それはちょっと困る。藤井九段戦の藤井の敬意の態度とか、羽生のコンピューターのデータにやたら高橋の文字が並んでいたとか、理由はそんな小さな断片が積み重なって私はこの角に行きついた訳だが、そんなことで、次の一言で締めたいと思う。

 「流行の雁木より終わった矢倉」

 増田君、アマにも捻くれた意地は確実に存在するのだよ。タイトル5期以上取って高橋に言ったら認める、今は勝って当たり前の時期、履いた唾呑むんじゃね〜ぞぉ。と嫌味を言いつつ、純文学の再ブームを待つとしよう。

 以下はその棋譜です。↓

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