ここから本文です
ぱっしょん・ぱっしょん・ぱっしょん。

書庫全体表示

記事検索
検索
  なんというか、来るべき時が、来てしまいましたね。

 今、巷を賑わせているM九段、『不屈の棋士』の出版時期が、いかにギリギリのタイミングだったかが将棋ファンならずとも、容易に想像できる。ここではM九段の件については、深く触れない。他に詳しく書いている人もいるし、週刊誌のネタになるぐらいだ。私などの一個人が太刀打ちできるはずもなく、する気もない。
 
 M九段の棋士生命は、もう終わったも同然だからだ。
 たとえ公的に許されても、周りが許すはずがない。

 部屋に入る時・席につく時・終盤の一手争いの時・すれ違った時・一人になった時。

 認めれば、認めてしまえば、……。そのことが、瞬時に理解できたから、否定するしか道がなかったのだと思う。仮に、認めてその場で謝ったとしても、彼の生きる世界での状況が変わっていたか、と問われれば、そうは思わない。それほどの差はなかったと思わないだろうか。軽蔑と便乗した悪意、それらを周りの棋士から、対戦相手から、関係者から、これから先、一生向けられる。耐えられる人間がいるだろうか。
 今は、ただ、静かに経過を見守りたい。別にM九段を擁護しているわけではない。不正疑惑のことではなく、居並ぶお偉いさんを前にして、彼の立場になって問い詰められた時、もし自分がM九段だったら、同じ決断をしたかもしれない。という自分を完全に否定できないからだ。ワレオモウ・スルト・オナジカモ。という自分があるからだ。

 だが、罪は重い。今は事実ならば、という前提付きだが、白だと思っている人は、恐らくいないだろう。そして事実ならば、永遠に、汚点として将棋史に刻まれることになる。正味のところ、冷や汗を掻いた者もいるだろう。だがそれは彼だった。
 ソフトという怪物に、礼を見失った者として。

 それでも私は、人間の将棋はなくならない。と信じている。
 
 
  さて、少々長くなったが西尾の続きに入る。
 自身の研究にソフトは欠かせない、と言い切る西尾。研究会で感想戦はあまり好きではない、とまで言う。「ソフトを使って解析する方が精度の高い検討を行えるので」。端的に言えば、時間の無駄ということだ。それも立派な意見の一つといえる。個人の時間をどう使うか、はその人の生き方そのものだ。
 だが将棋は2人で行うゲームだ。半分は相手を尊重するのが、正しいといえるのではないだろうか。後は好き嫌い、相性の問題になる。

 2015年に行われた「電王戦ファイナル」では、棋士側のアドバイザーになった。
その仕事内容は凄まじい。「2ヶ月間、連日10時間以上5台のパソコンを動かしていて、外出中もスマートフォンで遠隔操作をしていたくらいです(笑)。とにかくデータを取り続けました。ただ私からは『こういう線型にしたほうがいい』とは言っていません。あくまで依頼があったものに協力するという姿勢です」。pp129-130.
 中でも村山慈明には相当手を貸したようで、村山の相手ソフトは「ポナンザ」
持ち時間5時間が本番の持ち時間だが、練習ではとてもじゃないができない。しかし、持ち時間が増えると、ソフトもそれだけ思考し、手が変わるのだという。それなら、ということで考え出したのは、ポナ対ポナ。それを5時間で100回とか対局させてデータを取ったそうだ。実際、それが実って有利な局面に誘導できる道は見つけていた。
 だが、ポナンザ開発者の山本一成 氏は20%の確率で自力思考するプログラムを組み込んでいて、本番ではその20%をポナが選び、村山は敗れた。
 
 ここで私は大いなる疑問を抱いた。将棋は平均で100手弱まで指す。100回の半分の50回、50回の20%は?そう考えると、作戦そのものが破綻している。本著や他の記事では「運が悪かった」などと言っているが、20%という数字は、運、という言葉で片づけられる数字ではない。むしろ、ある、と考える数字だ。村山対ポナ戦に関するこの種の類の言い訳は、言い訳にもならない暴論に思えた。

 後は、チェスに関する話が多い、1997年、ガリル・カスパロフが「ディープ・ブルー」に敗れたのは将棋ファンならずでも記憶にあるのではないだろうか。それだけ大々的なニュースになった。ついこの前、という感覚だが、もう20年近く時が経っている、あぁ〜無常。彼はそのチェスに関する論文(英文)を読み漁り、多くのチェスプレイヤとフェイスブックなとを利用して交流を深めているそうだ。ヒントをもらうこともたくさんあるという。

 後は、たいした話はなく、謙虚で自分の意見はあまり口にしていないが、一つドライな面があった。ニーズが全てを決めるので、棋士の存在意義もその範疇。将棋は文化、とかそんな言葉を簡単に口にする人は、仮にそうだとしても、知ってもらう努力をすべき。と、こんなところがあった。

  そして棋士の魅力は。の質問には、強さが一番。

  憧れの棋士は、山崎隆之八段。
 
 アドバイザーまで務めるソフト代名詞である西尾の憧れは、最も人間らしく、反骨心の塊のような独自性、棋譜に名が見える強烈な個性。私の一番好きな棋士であった。

 人間とは不思議なものである。

 

 僭越ながら今回は、私の実践譜から次の一手を皆さんにお尋ねしたく、恥ずかしながら局面をご覧いただきたいと思います。本来、居飛車党の私なのですが、四間飛車の良い本を購入して(『ホントに勝てる四間飛車』先崎学、河出書房新社、2002/12/30)【アマゾンレビュー満点は嘘を吐かない{一度だけ嘘がありましたが}】いい物にはやはり、理由があります。というわけで今は、四間飛車一本で将棋を嗜む日々を送っています。図は私の方が優勢と思う局面、ここで手番が私にあるのが全てです。逆なら劣勢でしょう。歩成や3五桂の筋も残っており、攻めを間違えると怖い局面、アマの将棋はこれからといった局面でしょうか。
 持ち時間は30秒。ご覧になった方は、どんな手を指しますか。

イメージ 1
 
 理想的に左桂がさばけて相手の銀と交換になり、不満などあろうはずがなく、優勢を意識していました。故に、とても迷いました。実戦は▲7二銀と打ち飛車の捕獲を目指し、結果的に成功し勝つことができましたが、指した瞬間に(最善手ではない)と電気が体中を走りました。よって、もっといい手がある。と、ここ2・3日考えています。どうか、よきアドバイスを、よろしくお願いします。

開くトラックバック(0)

  
  西尾の章に入るまえに、前回の記事の最後の一行に、まず触れていきたい。

 勝又曰く「本当にソフトに勝ったのは、永瀬さんだけだと思う」という一言。
他にもソフトに勝った棋士は数名いる。だが、ここで言わなければならないことが一つある。ご存知の方も多いかもしれないが、私は知らなかった。何よりとても重要な事なので書いておく。それは、2014年の電王戦からルールの改正があり、対戦者=棋士に、その戦うソフトを事前に貸し出す。というルールだ。内容は以下の2つ。本文通り。
 
  ①使用するハードを統一する。それによって、コンピューターを何台もつなぐこと
   はできなくなった。要は単純なプログラム勝負にしようということだ。
  ②出場棋士へのソフトの事前提供が義務付けられた。さらに開発者はソフトを提供
   後、手を加えることができない。

 
 本来ならもっと早くに、この事実を書いておかねばならなかったが、最初の2名が、羽生、渡辺、と関わりない2人だったので省いた。
 
 「提供」と「提供後、手を加えることができない」。②のこの2点。どう考えても、どの角度から見ても、棋士側に有利な条件、と言わねばなるまい。ハッキリと「ハンデ」と言う者もいる。まともにやったら勝てません。と宣言しているようなものだ。
事実そうであろう。すると当然の疑問が浮かび上がってくる。
 私は、ここからはもう、将棋ではない、気がするのだ。
たかだか初段の私が、恐れず言わせてもらえば、本来、将棋は、本筋や新手を追及するもの。であるはずだ。現在そこにソフトという新しいツールが導入されて、棋士間では、常識になっている者もいる。そこに口を挟むつもりはない。時代と文化はある。当然、「勝負」という括りで見れば、相手の弱点を狙うのは常道だ。しかし、腑に落ちない感覚を覚えるのは、私だけではないだろう。敢て、天才達に申したい。機械のバグを探すことは、棋士の仕事ではない。美しい棋譜を残すことだ。

 この事実を加味しても、次に行われた第3回電王戦は1勝4敗。輝く星は豊島七段のもので、勝利後のインタビューを今も決して忘れない。本番まで1000番の稽古をした。というものだ。驚かれた方も多かったのではないだろうか。さすが豊島、やっぱモノが違うわ。と当時は思ったものである。早く本来の才を開花させ、爆発を期待したい。このままくすぶってもらっては困る存在である。実際、ライバルであった天彦は「名人」になった。
 っと、話が逸れそうなので戻ります。つまり、参加出場した棋士には、怪物ソフトが手元に残るのだ。これは、大きい。実際、この事実を鑑みれば?思い当たる棋士が2・3名出てこないだろうか? そうそう、あの人とかあの人です。
 
 2015年の電王戦FINALで、第一局が斎藤慎太郎。第二局が永瀬拓矢。
勝又は以下を述べた。[水平線効果]は専門用語なので調べると、より具体的に理解できます。以下本文。pp.101-102

  斎藤君は普通に勝ったように見えるかもしれませんが、やはり事前貸し出しがな
  ければ違ったことは間違いありません。彼は実に巧妙で、評価関数の水平線効果
  を狙っているんです。まず穴熊に囲おうとする。プロの穴熊の勝率は6割を越えま
  す。穴熊に囲った瞬間に価値が高くなるので、ソフトは「やられたらいやだ」と
  ばかりに暴れてくる。それを想定していたんです。しかも途中で斎藤君が長考し
  ているのですが、これはわざと時間を使って、ソフトに先読みをさせている。
  人間が考えている間にソフトも読みますよね。ちょうど玉を穴熊に潜る直前の
  局面で、ソフトは潜られたらまずいと思うから、ますます暴れてしまう。
  これは典型的な水平線効果です。で、その無理攻めをきっちり受け止めて勝つ。
  ズバッとはまりました。

 第二局での永瀬の△2七角不成の方が何かと注目されるが、さすがの視点という他ない。穴熊に潜る直前に長考するのは変に映るが、何かを考えているのかも、と素人目に、そこまで見抜く人は、極僅かだろう。この一節は本書で印象に残る一つだ。

 その後、勝又本人は、後輩に後を託し自身の道を進んでいるようで、ソフトとのこれから、とか、棋士の存在意義は、とか、この本のお決まりの質問を受け終了する。
だがやはり最後には、人間との将棋が一番、という胸の内を述べている。
 やはり、言動と行動が一致しない人である。

  そしてソフトといったら、の代名詞の一人。西尾明の登場である。

 まず、東工大にストレートで入学、物理好き、学歴=知性、で冒頭は入っている。
否定はしないが、将棋が強いか?と問われれば、ほぼ全員が、弱い。と答えるであろう。米長の有名なセリフ(兄はバカだから東大へ行った、僕は天才だから棋士になった)。があるが、学歴が高くても仕事の出来ない人はゴマンといる。一般社会においては、一つの目安になるだろうが、将棋に学歴は関係ない。片上など最たる典型だ。
 今でこそソフトといったら、と言われているそうだが、以外にもコンピューターに興味を持ったのは遅いという、2007年のボナンザvs渡辺を見て少し興味を持ち始め、本格的に強くソフトを意識するようになったのは2012年だという、これは以外だ。2011年はそう強くは感じなかったそうだが、翌年には相当強くなっていて、これはヤバイ。と思ったそうで、ある棋士は、もう抜かれたな。という者もいたそうだ。

  西尾はハッキリと言った。現状トップ棋士よりソフトの方が強い。と。

 2012年から本格的にソフトに触れ始め、今や代名詞の一人だ。この辺は理系に強い人ならではだろう。そのソフトも使い方次第と述べ、認知科学。なんて言葉が出てくる。(認知科学については、アドラー辺りを読めば理解しやすいです)要は共感できるものは、理解も早い、先入観はあまりよろしくない。っといったところ。(もっと詳しく書けますが、ここは哲学・心理学の時間ではないので省きます)そして、西尾自身が使用しているソフトはフリーソフトの「エイプリー」という。そして各自各々が使用するソフトについては、自分が共感しやすいもの(この辺も認知科学に通じる)が良い。と、単に強いソフト(たとえばポナンザ、鬼攻めの棋風)ではなく、好きなものが良い。と述べる。自身の勉強にも多くソフトを導入して、懸案の局面や詰みまで、幅広く活用しているという。

 そして、その知識から電王戦の棋士側のアドバイザーになっている。
事前貸し出し、それに加え、プログラムや評価関数などの知識を持つ西尾が棋士側の味方になって、様々な対策を施すのだ。この様な事実があるから西尾=ソフト代名詞になっているのだ。

 それでは今日はこの辺で、西尾の後編については後日また。


開くトラックバック(0)

 本当に久々の更新。物事を続ける、やり遂げる、などの類のものは、つくづく大変なことだと、とっくの昔に知ってはいるが、改めて認識する頻度が多い。継続は本当に力なのか?人によっては、それに縛られて、壊れてしまうことはないのか?と、ついつい疑いたくなる性分なので、なんというか、まぁ、疲れるのである。

   今回は新章に入る。第2章 「先駆者としての棋士の視点」 

 先頭で登場するのは、東大の客員教授という肩書も持つ勝又清和六段。
コンピューター将棋の黎明期から携わる人物である。最も、最初は連盟の方から棋譜の整理の為、データーベースを、という理由で連盟から近づいた経緯があったので、携わるきっかけになったという。実は先に手を差し伸べたのは連盟の方だったのだ。

 ここで、ブラックな私。名付けて、ブラックテイル。の時間です。
私の持つ勝又の第一印象は、言動と行動が一致しない人物。将棋は弱くて口は達者。実際に話したことは、勿論無いが、悪い人ではないのはわかる。それと関係があるのかわからないが、魅力という要素は、将棋でも言葉でも全く感じない。

 それと!ここで著者、大川慎太郎。についても述べる。
この著者は、元新聞記者で現在はフリーという。正直よくまぁ〜こんな文才でフリーで食えるなぁ〜と心の底から声がする。年は私の2コ上。ふむ〜会社に居ずらくなったか、出世を諦めたか、まぁ〜そんなところだろうか。偶々将棋関係の仕事が新聞社の時にできて、その人脈で現在がある、といったところか。それが彼の人生においての大きな幸運であるだろう。
 だが、だがである。
この勝又ページの見出しは「羽生さんがいきなり負けるのは見たくない」
である。その部分は、情報処理学会が例の、トップの棋士には追いついた。発言を受けて、三浦が負けた時に(これは私もおったまげた)あぁ、もう勝てないな、と思ったそうだ。それで2015年の「第1期叡王戦」羽生・渡辺の両名が不参加だったのをどう感じたか。という質問。ここから本文通り写す。

  勝又は「まあ、僕も見たくないところはありましたからね」
  著者−それはつまり……。
  勝又「ソフトと戦っても勝てない、と予想しています。トップ棋士とソフトが戦う
  時機 を逸してしまった感はありますね。2013〜14年ぐらいにきちんと
  スポンサーをつけてやっておきたかった。その頃なら羽生さんは勝ったかなあ。
  1回勝ったうえで負けるならいいんだけど、出場していきなり負けるのは
  見たくない」。
 
 どうだろうか、まるでTVのワイドショー。安っぽい演出法の様である。
人の目を引くように、羽生というビックネームを出して、そこだけ抜き取る、ならまだしも、書き換えている。書き換えてんじゃね〜よ!インタビュー整理したぐらいで本出すなら、せめて最低限のルールは守れ。ゴルアァァァ!お前の言葉なんか読んでんじゃね〜んだよ。棋士の生の声を読んでいるんだ。そこに勝手に手を加えるなど許される行為ではない。
 というのも、この私の怒りは、後の章で登場する山崎八段の章でも山崎が可哀そうになるぐらいの演出方法がとられて書かれているからだ。山崎は私が一番好きな棋士である。男性・女性問わずファンが多く、魅力に溢れる棋士だ。山崎の仲間で、家の鍵まで持つ千田・糸谷(両名後に登場)に、ソフトの事など聞いているはずだ。それなのに・・・んなろぉ〜!と叫びたくなるような手法で書かれている。とどのつまり、
この著者、大川慎太郎の記事及び書物を、私は今後一切信用しない。

 さて、話を戻す。理系の大学を出ている勝又三段(当時)は、機械に強かった。
自然、棋譜整理に大変便利な物であるから大物棋士に頼まれるのである。「お〜い勝又君、すまないけど僕も頼めるかな、この年になると新しいモノはなかなかねぇ〜、しかもコンピューターとなると・・・悪いけどインストールやセットアップ諸々、頼めるかな、勿論、それ相応のお礼はさせてもらうよ」。と、まぁ〜こんな感じだろうか。
奨励会三段の勝又は、高橋九段、森下九段、島朗九段、と層々たる面々に頼まれては、自宅に赴きチャチャっと仕事を終えると、将棋を教わったそうである。特に高橋九段には、矢倉をみっちり教えてもらったとかで、当時矢倉真っ盛りの時代で、奨励会で矢倉は負けなしだったそうだ。なんとも羨ましい話だ。自身でも分不相応と言っている。こんな事情があると狭い将棋界で生きていくのに俄然有利になるのは必定。めでたく「棋士」になれば、あっち行って、こっち行って、となり、コンピューター将棋の歴史と共に、歩んできた棋士になったのだ。

 最初は、棒銀の手筋を、どうプログラムするのかで苦労したとか。駒の損得が一番簡単な数値化であり、先に損をする棒銀は難解だったらしい。結果的に無理やり組み込む手段をとったそうだ。最初にソフトが棒銀を指したとき拍手が起こったという。と金も価値が高く、と金の残骸も多かったとか。

 そして一つの転機ともいえるソフトが現れる。そう「ボナンザ」である。
これまでの常識を覆し、駒損から始まる、駒の働きや玉の堅さなどを重視する、など今までとは、全く異なるプログラムで飛躍的ともいえる上昇曲線を描いたソフトだ。それと、開発者である保木邦仁氏が全てをオープンソースにしたことが将棋ソフトの歴史における一つの革命といってもいいだろう。今までアルゴリズムだけだったのをソースコードまで全て公開したことにより俗にボナンザチルドレンと呼ばれるソフトが多数出ることになった。良いアイデアを皆で出し合っては突き回す、を繰り返す。そうして飛躍的進化を遂げた。この点、保木氏の功績は、とてつもなく大きい。もし彼が全てを公開していなければ、10年違ったかもしれない、とまでは言い過ぎだろうか。
 
 その昔、東京オリンピックで多数の外国人が日本にやって来ることを想定して、勝見勝が若手デザイナーを集め世界に誇る「ピクトグラム」を開発デザインした時に、一緒に携わった若者達に、ある一枚の誓約書を書かせた。その内容は、「これを今後決して特許申請しないことを誓う」。という内容のものであった。若く、野心も才能もある若者達が成し遂げたモノを、今後一切お金にしないと誓ってくれ。と。当然反発もあった、だが、「良い物は、みんなで使ってもらうべきだ」。と勝見は説得し、全員が署名捺印した。私は、この話をTVで見た時、溢れるものを堪えた、だが堪えても堪えても、溢れた。

 少し逸れた、そして話は、あの男に触れる、羽生善治。その人である。
ソフト開発者の中でも、やはり別格らしく、数字も抜きんでているとある。YSS開発者の山下宏氏の「将棋名人のレーティングと棋譜分析」という論文がネットに出ている、(私は読んでいない)そこには、羽生が持ち時間20分でもタイトルが取れる、とあるそうだ。つまり、相手は5・6・7・8時間あって羽生が20分でも、ということ。

 それと触れておきたいのは、ソフトに本当に勝ったのは、永瀬だけだという。

 長くなったので、今日はこの辺で筆をおく。最後の一行を書くのは次回以降、結構大変なのだ。次回は、ソフトといったらこの二人、の代名詞にもなっている一人が登場する。いつになるかは、わからないが(笑)期待しないでお待ちいただきたい。

開くトラックバック(0)

 先崎の文は面白い。度々書いてきたが、読み直してみると、やはり面白い。
 彼の書く文には、大きく分けて3つの型がある。と、私は思っている。

 1.一般向けのノーマル型。(いつものフツーに面白い先崎の型)

 2.自身の内を曝け出す自虐的・メランコリー型。(私が最も好きな型、先崎の結晶)

 3.羽生を題材にした時に現れる特殊型。(意識・虚勢・曲がった彼がもろに現れる)

どれも紛れもない彼であり、全てひっくるめて、彼の文が存在する。
態度がデカいとか、腹立つとか、そんな風に思ったことは一度もない。

 今日は、今読んだ彼の代表的な著書『世界は右に回る』から「ここ数年のこと」
を写書してみようと思う。写しは、大変な作業になるが、得るものもある。感情の整理、忘れぬ為、など理由は様々。
 不屈の記事、とおもって来て頂いた方にも、箸休めにはなると思う。
 書いてある全てが、本当のことかは、先崎本人にしかわからない。
しかし、嘘が大半とも、とても思えない。彼の典型的2型が、色濃く写る文だ。


   ここ数年のこと
 
 三月某日ーこの日はハレの日である。順位戦C級2組の最終戦。何年このクラスにいたことだろうか。
 すいぶん前に、九戦目で、森内君と七勝一敗同士で決戦をしたことがあった。二月の寒い日の朝、何故か窓がかすかに開いていて、すき間風が絶え間なく流れてきたが、2人とも閉めることを忘れていた。
 彼は、今年名人挑戦者として檜舞台に立つ。あの時の結果が逆だったら今頃……とは思わないが、忸怩たる感情、たまりたまった憤懣は胃の下から右奥の肝臓にかけて伸縮を繰り返しつづけた。
 時にはそれが、胃を越えて、喉のところまで押し戻してくることもあった。すなわち、声に出そうなことがー。しかしそれは詮無いことだった。叫べば、必ず叫んだだけ蔑まれる。口惜しいと言える人間は仕合わせである。僕に出来ることは、常に声なき声を出しつづけることだけだった。
 それから数年、僕はいつもあと一歩で昇級を逸した。その度に、順位戦だけが棋戦ではないと分かっていながらも、軽く、やめちゃおうかなあ、と考えることがあった。棋士をというよりも、将棋を勝つことが喜びであるとする自分の心をやめてしまおうかと考えた。悩んで、いや悩んだつもりになって、保守的な傾向を持つようになったら、その場において、どれだけ楽なことだろう。僕は若い。まだ二十代である。若い棋士が、考え方を保守的にするということは、精神が自殺するようなものだ。願望こそあったが、実際に首を吊る勇気はなかった。
 僕は映画が大好きで、だいたいの男子がそうであるように、戦争物も好きでよく観る。前線に出て、弾に当たるのは、必ず若い男達である。たかだか五十年前、若者は、お国のために命を捨てた。アメリカ兵だって、ベトナムでは自由主義万歳と叫び死んでいった。上層部の権力者と呼ばれる者たちのくだらない意地のために屍の山が築かれた。運良く帰れたとしても大変である。『ディア・ハンター』という映画では、主人公の青年達が、ベトナムの後遺症に悩み、ある者は言葉を忘れ発狂する。
 二年前に佐瀬勇次先生が亡くなった。佐瀬先生は、若い頃、十年近く兵隊に行った。それから考えると、自分が、たとえ十年C2にいたとしても、戦争に行くことを思えば鼻クソみたいなものじゃないか、五年無駄を積んだなら、リタイヤするのをー 守りに入るのを五年遅くすればいい。ある日突然ではない。少しずつ、本当に少しずつそう思うようになった。佐瀬先生は、棋士としては弱かったが、仕合わせな一生だった。葬式の日に弟子の米長先生が泣いたからである。米長先生は、若い頃、佐瀬先生によくぶん殴られたそうである。多分、人には言えない感情もあったろう。でも泣いた。僕も泣ける生き方をしなければと思った。
 話は遡るが、新四段の年、十八歳で順位戦に臨んだ僕は、最終戦を七勝二敗で迎えた。上がり目はなく、消化試合だった。しかも、人数の多いC級2組では奇跡的なことだが、勝っても負けても順位が全く変わらないという状況だった。相手には、降級点が懸かっていた。師匠の米長先生にはこういう時は、必ず全力で指して勝つのだと教わった。だが、僕は、勝ちたくなかった。相手は、日頃から親しくさせて頂いている先輩だからである。負けようーと思ったが、十八歳の人間が、わざと負けようとするには、純粋な心との葛藤を避けるわけにはいかない。迷って相談すると、返ってくる答えは決まって「甘い」だった。僕も甘いと思った。
 僕は、どうでもいいやと思って指し、しかも勝ってしまった。対局後、猛烈に後悔した。はっきりいって、勝つつもりはなかった。指していたら、必勝形になってしまった。あっという間に終わった。なんで負けなかったんだろう。勝つ意味はなかった。本気でそう思った。以来、悔恨の念は、間欠泉のようにまばらに吹き出し、僕を襲った。迷ったことと、勝ったことのふたつが、複雑に絡み合い、揺さぶられつづけた。その度に、自分は甘すぎると思い反吐が出そうになった。
 ある日、尊敬する囲碁の小林覚さんにいわれた。「甘いんならば、甘いまま天下を取ればいい」。頭をガツンとやられた思いだった。そうなのだ。自分が甘いなどと恥じていてもはじまらない。過去を悔やんでも進歩はない。これから頑張ればいいのだ。
 一年ちょっと前だろうか。その頃から、やはり少しずつ、心が軽くなっていった。それと同時に酒の量も減り、体も楽になっていった。自分の中で、自虐的な発想が一枚一枚、まるで薄皮を剝がすようになっていくのが、気持ち良かった。
 去年の一月、僕はまたしても順位戦で上がり損なった。さすがにショックは大きかった。一月十七日、丁度阪神の地震の日だった。次の日、TVをつけると、真っ赤になった神戸の街があった。棋士や友人で、まだ行方のわからない人もいた。地元の街を歩くと、今まさに夕日が沈むところで、ビルが赤く染まりさっきまで見ていたTV画面のイメージに重なった。あわてて家に帰り、ずっと泣いた。
 気持ちの整理がつくや、僕には非常に珍しいことだが、負けた将棋を並べ返してみた。冷静な目でみると、どうしようもない将棋だった。駒が萎縮しきっている。僕の駒は、情けないくらいに生命感を持たず、後ろへ後ろへと沈むように下がってしまうのだった。
 これではいけないと自分なりに考えた結果、あれこれ悩むのは面倒くさいので、開き直ることにした。あと半年ー夏が終わるまで、将棋のことで、難しいことで悩むのを一切やめてみようと思った。
 具体的にいうと、定跡形なら、基本的な知識があり、先手番だから上手くいくが後手番では上手くいかないということをいっぱい知っているわけである。そのうえで手を読む。これが普通のやり方である。それを敢えて、知識を忘れ、局面を俯瞰的に見て、手を読まずに指してみようと思った。有り体にいえば、こう指したいな、と思った手を必ず指すことにした。
 負けても半年つづけようと思ったが、おかしなもので、却って勝率が上がった。駒に勢いがつき、魂がこもったからである。竜王戦で勝ち進み、遂に挑戦者を決めるプレーオフまでいった。僕は竜王になりたいと思った。
 碁の世界では、ずっと、普通の一流棋士だった小林さんが、突然棋聖を獲って一挙にスターになっていた。自分もあやかりたいと思った。
 力およばず佐藤康光君に負けたが、負け惜しみでもなんでもなく、爽快な気分だった。自分の信念通りに好きなように指せたからだ。取り戻した自信は計り知れなかった。
 勝って悩んだ人間が、数年後は、負けても爽やかにいた。なんという違いであろうか。
 もっとも、手を読まずに、いい加減に指すことは、すぐ辞めた。こんなことが長続きするわけはない。それは分かっていた。何故にあんな風に開き直れたのか、半年たった今では不思議に思えて仕方がない。
 九回戦が終わってから、最終戦までの一か月は、実に長く感じられた。出来るだけ出掛けることをやめ、家に居るようにした。こんなことははじめてだった。勝ったら嬉しいなとは思わなかった。負けたらどうしようーそればかり考えていた。このような気持ちになるのも、きっと僕にははじめてだった。
 それが、三日ぐらい前から、不思議に気持ちが穏やかになっていった。
 いよいよ当日がやって来て、僕はいつになく落ち着いていた。前日は燗酒をきゅっとやって十二時に寝たので睡眠も十分過ぎるほどだった。
 やけに胸がドキドキしたのは、駅を降りて、将棋連盟まで向かう道でのことだった。僕はことさら空を見上げて歩くようにした。今日はお祭りなんだといいきかせた。
 終わってみればあっけなかった。棋士になってから、最高の将棋を指すことができた。相手が投了した瞬間、全身の力が抜けていった。
 夕食前に終わったので、後輩達を連れて飯を食うことにした。ふと見ると、田村康介君がニコニコしている。昇級したら、田村君に1kgのステーキを奢る約束になっていたからである。
 十九歳、新四段の田村君は、野球のグローブもあろうかというステーキを、一心不乱に食べ出した。その怪獣のような食べっぷりを見ながら、僕はここ数年間という時間の苦味をかみしめていた。

 今の将棋界は、順位戦がすべてではない。順位戦で上がれなくとも、ほかで頑張ればいい。それは分かっていた。C2を抜けるということは、金でもなく、地位でもなく、僕にとっての、小さなこだわりだった。
 将棋指しにとって、地位は幻。喜びは一炊の夢である。これからは、こだわりつづけた季節が、無駄ではなかったと思えるように頑張りたい。
 
 


本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事