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結構日にちが開いてしまいましたね。まだ続きます。
前回の「水」と「water」の関係ですが、コメント欄でニナタカ・クララ様が正解をお書きになりましたので、それについて簡単に解説します。
英語のWaterは、日本語で水…ではなく、答は 「水またはお湯」になるわけです。
この仕事をしていると、よく
「カップラーメンを作ろうと思ったら熱い水がありませんでした」
と云う様な不思議な言葉を聞きます。
因みに「じゃ、何℃までが水で何℃からがお湯ですか」という質問もよくされますね。
私は
「入って(または手を入れて)温かかったらお湯、そうじゃなかったら水」
と答えます。
え?いい加減?そうですねwww
でも、良いんです。普通、そういう質問をする外国人は、別に 厳密な定義を求めている訳じゃ無く、ただ 目安が知りたいだけなのですから。
質問が「温度を聞く」と云う形なのも、多くの場合はそれが 彼らの日本語力で出来る質問だからです。曖昧な事と云うのは理解するにも表現するにもそれなりの語学力が要求されるのです。
ところで、前回コメント欄へのお返事に「ほぼ正解」と書きましたが、実は初級の学習者に対してなら上記の答えで「正解」なのです。
ただ、これが上級者になると様々な語彙が必要になります。
例えば
water pollution:「水質」汚染
water a garden:庭に「水を撒く」
my mouth started to water:「よだれ」が出る
の様に、waterには名詞、動詞、形容詞など様々な用法があります。
また日本語の「水」には「みず」と云う訓と、「すい」と云う音の二つの読み方があります。
他にも水を表す言葉に「み」「みな」等もあります。「水」「海」「港」「源」。これらの言葉に含まれる「み」または「みな」が全て共通の意味を持つと云う日本人ならすぐ理解できる認識も、学習で体得するには時間が必要です。
以上の様に、言語が異なると、単語一つでも複雑な違いがあるので、学ぶ方も教える方も十分な注意が必要です。
ではここで再び国語教育にお出まし願いましょう。
上記の様な問題が殆ど無く、(基本的に)意思の疎通に障碍の無いネイティブスピーカーへの「国語教育」の場合は何を教えるのでしょうか。
国語教育で重要なのは大きく分けると三つだと思います。
(1)言語と文化の繋がりの理解と、それを受容する感性の育成。所謂「感受性」の教育
(2)自分の意図を言語によって最も効果的に相手に伝える方法。所謂「修辞」の技法
(3)文章の裏にある、発言者の真意を読み取る力の育成。所謂「行間」の読み方
です。
(勿論、仮名や漢字の表記法の練習と言うのも重要な構成要素の一つですが、これは余りにも基礎であり、且つ日本語教育にも共通するものなので、ここでは省略します)
さて、この三つの分野について、皆さんはどんな教育を受けたでしょうか。
まず(1)ですが、国語の時間に先生が作品の背景や舞台となった場所について話して下さったことと思います。例えば与謝野晶子と日露戦争の話とか。歴史の話、風土の話、著者の略歴、etc.etc...
これは教師の総合的な知識(含むトリビア)と話術が必要になります。
私の個人的経験で言うと、この部分に関して今の国語教育はやや不足している気がします。
与謝野晶子や宮澤賢治の背景は詳しく語られるのに、寺田寅彦についてはあまり語られないのは何故でしょう。
正直言って「不倫で奔放」の与謝野晶子より、「物理学者で随筆家で多くの文人から一目置かれていた」寺田寅彦についての方が、ずっと興味深いし、教育的にも語るべき内容だと思うのですが…。
ところで寺田寅彦の随筆って、今でも国語の教科書に載っているんですかね?
実は国語の教科書に何が載っているかも重要なんですよね。
真に日本を愛する方々にも「歴史の教科書には非常に敏感」でも、意外に「国語の教科書は余り気にしない」方が多い様な気がします。
でも、例えば載っているのが「人間失格」「蟹工船」「太陽のない街」と云うラインナップだったら、教室で語られる「人生」や「社会」はどんなものになるでしょう。そんな話ばかり聞いて、自信に満ち溢れ、国を愛し、社会を守る人間が育つでしょうか。
勿論そういう作品が不要だと言うのではありません。
ただ、 「国語」と云う教科は、 日本人としての人間性、感受性を育てるという面があることを意識してバランス良く教育しなければならないし、教科書もそれを意識して編集されるべきだということです。
特に道徳教育が軽視されている昨今、
実は国語教育と国語教師の役割は、かなり重要なのです。
今日はここまでにしとう御座います。
書き疲れたら切ると云う形で書いている所為で、結構中途半端に切れていますね。
次回、終わるか!?(多分無理w)
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