私が個人的に、今の日本の状況に非常に似ていると思っている時代が二つあります。
一つは昨日の記事にも書いた明治維新の前後、そしてもう一つは所謂建武の新政の前後です。
何が似ているかと言うと…
【1】外的要因が政権交代のきっかけに
鎌倉幕府崩壊のきっかけは文永・弘安の役。所謂 元寇ですね。
徳川幕府崩壊のきっかけは 黒船来航。
今回の与野党逆転のきっかけは アメリカ発の世界金融危機。
勿論原因はそれ以外にも複合的に存在しますが、きっかけと言う意味では外的要因と言って良いのではないでしょうか。
【2】前政権の政策には個別に見ると問題も多いが、大筋では間違っていない
これは異論も多いかと思いますが、私は政権が転覆する程の過失は少ないのではないかと思います。
例外としては井伊直弼の時の所謂 安政の大獄でしょうか。
北条時宗の外交政策に対する批判もあると思いますが、それまでのモンゴル軍の膨張主義、及び元の背後に高麗の皇太子(後の忠烈王)の暗躍があったことを勘案すると、やはり受入れは無理と言わざるを得ません。
麻生政権に関しては言わずもがなですね。
要するに政権転覆は、それによって利益を得る「現政権と対立している集団」による策謀によるものです。
政権を失った貴族集団と足利家、関ヶ原以来の不満を溜め込んでいる薩長(どちらかというと自業自得の気もしますが)、そして民主党とマスコミ。
【3】新政権は口先や理論ばかりで現実を見ていない
建武の新政が如何に失敗したかは歴史の教科書を紐解けば一目瞭然でしょう。
明治新政府も初期には私怨による佐幕派の処罰、薩長による政権独占、公約不実行、そして現実無視の新政策の強行等により社会は不安定になり、一揆や士族の乱などが多発しました。
民主党政権は……これも言わずもがなですね。まもなく産業界の乱や保守派一揆が起きることでしょう。
さて、では「建武の新政」と「明治維新」のどちらがより現在に近いかと言うと……多分「建武の新政」でしょうね。
明治新政府は、少なくとも現実を理解している為政者が若干おり、旧幕府官僚を再雇用するだけの度量がありました。(再雇用せずにはやっていけなかったと言うべきですが)
一方、建武の新政は上層部に政治経験ゼロの貴族を並べ、現実無視で自己満足の政策を次々に強行して民衆の支持を失います。そして最後は足利尊氏による政権再転覆に繋がるのです。
問題は、どちらも軌道修正までに長い時間がかかっていることです。当然その間に国土は荒れ人心は荒みます。
ただ、建武の新政は南北朝に繋がりそれが合一するまでに約60年掛かっていますが、明治新政府が軌道修正をして政治の独裁性が減り、国内が安定するのに十数年で済んでいます。
この違いには交通の問題と情報量の差が大きく寄与しているように思えます。
であれば、今回の民主党の乱は1年を待たず鎮圧されるのではないでしょうか。
最後に歴史から学ぶこと。
建武政権で起きた反乱は二つ。 中先代の乱と足利尊氏の反旗です。
この二つは 旧政権による新政権打倒運動と、 新政権内部の分裂と言い換えることが出来ます。(実際は尊氏は旧政権でもそれなりの地位を占めていましたが)
中先代の乱は、それなりの動揺を生んだものの鎮圧されます。
それに対して足利尊氏による内部からの反乱は結局政権転覆に繋がります。
明治新政府も、薩長の対立や薩摩閥の分裂、そして非主流派に置かれた各派の不満爆発が結局政府の変革に繋がります。
残念ながら奥羽越列藩同盟も蝦夷共和国も明治新政府を崩すには至りませんでした。
と言うことで民主政権を可能な限り早く崩壊させる為には、
1)小沢支配強化と鳩山派の不満蓄積による内部分裂促進
2)民主党内のまともな保守派を説いて分離独立させる
3)民主党支持者と党との間にある利害対立を明確にする情報を広める
この三つが早道です。勿論並行して自民党の保守政党としての意識統一も重要ですが。
こうやって書いてしまうと、当たり前の結論ですね^^; お恥ずかしい……
然し当たり前のことが歴史上で繰り返されているということは、やはりこれが王道と言うことでしょうか。
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