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八王子城(2)

前回の続きです。
 
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八王子城は複雑に配置された「曲輪群」を見る限り、超実戦的な造りであり、織田信長が築城した「安土城」を参考にしたというのも頷けます。
永禄12年(1569年)に「武田信玄」率いる2万の兵に落城寸前まで追い詰められた「滝山城」で辛酸を舐めた「北条氏照」は、滝山城を捨て、自然の要害とも言うべき守りの強固なここ「八王子城」に居を移しました。
・・・・にもかかわらず、天正18年の豊臣秀吉による「小田原征伐」の一環として、前田利家、真田昌幸、上杉景勝らによるそ豊臣連合軍の総攻撃を受け、僅か一日で落城した八王子城は、徳川家康による領地統括以後、近世に至るまで国有地として一般の立ち入りが制限され、戦国の姿そのままの状態で現代まで残されている貴重な城跡なのです。
 
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(あしだ曲輪に繋がる沢筋、八王子城は防御のために天然の地形を大いに活用している)
 
山上の遺構群を一通り廻った後は、いよいよ八王子城探索のクライマックスというべき、「御主殿」を目指します。
「あしだ曲輪」から「山下曲輪」を抜け、橋を渡ると「大手門跡」が目に入ります。
近年の発掘調査で門の礎石などが発見されました。
豊臣軍の城攻めの際には、この大手門をはじめ、あらゆる方向から数千人規模の兵がなだれ込んだと思われます。
 
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(大手門跡。礎石などは保存のため埋め戻されている)
 
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(大手門へ繋がる道。この道を通って数千の兵が攻め込んできたのだろう)
 
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大手門を後にし、「古道」を通って城の中枢部である「後主殿」へ向かいます。
古道の左手はかなり急峻な崖が続き、崖上には「太鼓曲輪」が形成されています。
戦国期には崖上に城を警護するための兵が配置されていて、侵入者を弓矢や鉄砲で狙い撃ちしたのかもしれません。
 
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(後主殿へ通じる古道)
 
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古道を進むと「城山川」に架かる橋が見えてきます。
この橋は「引橋」と呼ばれるもので、現在の橋は固定されていますが、戦国期は敵が攻めてきたときなど、橋を引いて渡れないようにして敵の侵入を防いだとも考えられているようです。
明治期の鳥瞰図から推測すると、実際に戦国期では橋がもう少し奥に架かっていたとも言われてます。
 
 
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つづく
 

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ダイコウ軍曹さんこんばんは!明智日向守光秀です!八王子城跡のレポート本当に楽しく拝見させて頂いております!本当に素晴らしい山城跡ですね!探訪したいと思います!実際に見に行ったら鳥肌がたつと思います!八王子城跡の次回のレポート本当に楽しみにしております。

2012/6/18(月) 午後 7:40 [ 明智日向守光秀 ]

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明智日向守光秀様、コメントありがとうございます。
八王子城に関しては近年まで国有地だったために、一般の立ち入りが制限され、戦国時代のままの状態で保存されておりました。
ようやく昭和の終わり頃から本格的な発掘調査が行われ、多くの出土品が発掘されました。光秀様がこちらへお越しの際はぜひ案内させていただきたく考えております。

2012/6/18(月) 午後 11:43 [ 戦国時代調査隊のブログ ]


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