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「市原城跡」は「勝浦街道」の「山木三叉路」から入って、勝浦方面へ約100mほど行った左側に場所にある。
城跡と言っても「光善寺」という寺が建っている場所以外はほとんど宅地化されており、遺構らしきものはほとんど残っていない。
私も勝浦街道は何百回も通っているのに、今回が初めての訪問となった。
さて、この「市原城」は「里見氏」の家臣で「忍丹波守」という武将の居城だったらしいが、記録もほとんど残っておらず、詳細は分かっていないようだ。
ただ、「関八州古戦録」という「軍記」には、1554年(天文23年)の「北条氏康」による「久留里城」攻めの際、市原城主「芦野丹波守」の舎弟「丁民部少輔」が里見氏に従属していたということが記載されている。
ただ、市原城が戦国の争乱に関わってことは間違いないようで、平成9年に行った「市原市埋蔵文化財調査センター」による発掘調査では、「刀傷」を受けた15体分の「頭蓋骨」が周辺の土塁跡から発掘されている。
(市原城の中心部とされている場所に建つ「光善寺薬師堂」)
(千葉県下ではかなり古いとされている石塔)
(お寺の駐車場に接する隣家との境が土塁の名残か・・・?)
(城主「忍丹波守」の居城跡と井戸跡)
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