日本古代史にロマンを求めて

縄文から弥生、古墳時代謎がいっぱいです

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アイヌ歳時記

萱野茂著「アイヌ歳時記」平凡社新書
 
お正月とお盆に先祖の供養をします。お墓参りという風習はないのだそうです。
柳の木を削って、イナウ(御幣)を20本も作り2日目から先祖供養のため山の神、川の神、それぞれの家の神、火の神などにイナウをたててお祈りします。粟やキビのお餅・りんご・みかん・菓子などを盛ったお膳と肉や魚の料理を盛った前を供えます。萱野家では父親が神主役を勤めました。
祭壇の杯にあふれるほど酒をついで、お祈りをささげます。
そのあと家の外の祭壇までお供物を運んでチェホロカケプというイナウに、ひとりひとり棒酒箸につけては触れるので30分ほどかかったそうです。
村の人が集まって家ごとにやるため神主役の都合などもあって2日に始まった祭りが20日くらいまではしご状態でつづいていたそうです。
昭和50年くらいまで、お正月の先祖供養が行われていたそうです。
 
アイヌは日本の古代のように山川草木はもとより普段使っている道具にまで神が宿っているとして、感謝するためお祭りをし、お祈りをします。
熊を神の国に送り返す祭り・イヨマンテはよく知られていますが、どんな動物も神の国から人間世界にやってきたものなので、死んだり殺したりすると神の国に帰すお祈りをし、お供物をたくさんあげて神の国で喜ばれるようにします。子供たちがおもちゃにしたすずめの子のすずめ送り、犬送り(いぬも食べることがあったんですね)などが書かれています。
 
村の人たちが大勢で山菜採りにでかけたとき、一番若い娘が河原で薪を集めながら野宿の準備をしていました。草むらに鹿の死体を見つけてうれしくなり川の流れを利用して野宿の場所まで運びました。
山からもどった人たちは驚きました!熊は自分が捕らえた獲物は絶対にほかのものには渡さないし取り返しにくるのだそうです。娘が生きていること自体、信じられない出来事でした。それからが大変です。熊が恐れる火を絶やさず、怒り狂って目の前まで襲ってくる熊と夜明けまで戦いました。明るくなってようやく山へ熊は帰り、だれも怪我をせずに村に戻ることができました。本が書かれたときから100年位前の出来事です。
 
娘が年頃になると母屋から離れたひとり部屋をつくり「嫁入り修行」をする習慣があったそうです。いわゆる夜這いのための部屋です。
また女系に代々伝わる玉飾りという宝物があり娘が居ない場合は一番近い姪に伝えられ嫁に伝わることはなかったそうです。
 
 

*********
中学校のとき同級生にアイヌの少年がいました。
小柄で控えめで影のうすい存在でした。
祭りのときなどアイヌの大人を見ることありました。
やはり遠慮深くおどおどしているように見えました。
終戦直後にたまに町を歩くアイヌの女性を見かけました。
顔に刺青をしていて不気味だったので、子供たちが後ろから石を投げたりするのを見たことがあります。
中学生になったころは刺青をした人は見たことがありませんが、スケートリンクなどに遊びに来たアイヌの少年を悪がきたちがリンクの外に放り出したりしていじめているのを見たことがあります。
それを止める人も居なかったのでかなり差別されていたのでしょう。
その当時のことを考えると、心が痛みます。
 
 
おごう2011年05月04日 15:29 
精霊崇拝し刺青をしてたというのは、元々は南方からやってきた縄文人の祖先なのでしょうかしら。
平安時代まで勢力をふるっていた北陸や奥羽の蝦夷は混血によって同化されてしまった。
次はファシズム期に同化政策により、混血し埋没して見えなくなったアイヌ民族・・悲しい事です。
紹介なさってる本のように、歳時や習慣を記録に残してるのは貴重ですね。
 
直角2011年05月04日 20:23 
真実は定かではありませんが、私の遠い祖先はアイヌだったと聞かされています。
本当かどうか・・・

花水の蛍2011年05月04日 21:41 
おごうさん アイヌは沖縄の人によく似ています。刺青は海洋民族に多い習慣ですね。
しばらく前に弥生時代が500年さかのぼることが話題になっていましたが、縄文時代から長い時間をかけて、日本全国に広がっていた旧モンゴロイドと大陸からわたってくる新モンゴロイドが混血をつづけていたと思われます。
九州から近畿の西日本はより混血が進んだ地域で、東日本は縄文の血統をより強く残した地域と考えられます。
萱野さんのアイヌ歳時記を見ると、日本の古代と共通するところが多いように思われます。
確かに記録を残してもらってよかったですね!
私たちが居た北海道の同時代に、古代に近い信仰や風習があったなんてかなりなカルチャーショックではあります。
 
花水の蛍2011年05月04日 21:53 
直角さん 東北の出身者は多かれ少なかれアイヌと共通のDNAを持っていることでしょう。
空海は佐伯氏の出身ですね。司馬遼太郎によると東北の蝦夷(おそらくアイヌ)大勢関西につれてこられ、意味のわからない言葉で騒ぐことから佐伯というようになり空海はその子孫であったのではないか?大和人と混血することによってとてつもなく能力の高い天才が生まれたのではないか?と考えて居られたようです。
もしかしたらもしかしますよ 天才直角さんと・・・・
 
 
みちこ2011年05月04日 23:08 
北海道に親友がいます。
アイヌの風習など、教えてもらっていますよ。
人間は、すべて地球人というスタンスで見ています。
差別、嫌ですね。
ヤクザさんの刺青は、、怖いですけど。

Tom2011年05月05日 02:49 
  アイヌのことは、ふだん考えることがないので、いい勉強になりました。
 頭の中にいろいろなことが去来します。その中の一部を思いつくままにメモしてみたいと思います。
 
 まず、思うのは、私という人間が生きている時間(時代)のことです。
(私が生きた時代)
 アイヌという生活様式(文化)の異なる人達が、この日本にかなりハッキリとしたアイデンティティーをもって存在した時代が私の人生の初めの頃まで細々とながらあって、それが消えていったということ。
(アイヌ文化があった)
つまり私の人生は、アイヌときわめて短い間ですがオーバーラップしていたことになります。アイヌの集団が北海道の一部に限られていたために、私はほとんど影響を受けませんでしたが。
(昔、北海道で暮らしたことのある祖母からアイヌの話は、ほんの少し聞いたことがあります。
  アイヌの人達は今でもいますが、今では「シャモ」に同化してしまっているのではないでしょうか。)
 (共存していた文化が消える)
 二つの文化が共存するということは、大きな意味を持つような気がします。それが消えていくということもまた大きな歴史的な事件のような気がします。
その歴史的な事件の中に私自身がいたということを改めて感じました。そして、この歴史的事件をほとんど意に介さない自分と日本人に、不思議な気持ちを抱きます。
(アイヌの風習への親近感)
 アイヌの風習の片鱗のそのまた片鱗をこうして紹介日記で読むと、私には、感覚的に理解できる部分が少なくありません。それは、私の生きた前半の時間が、彼らの文化がアイデンティティーを保っていた時期と、かろうじてダブっていたということがあるのかなと思います。
 
(私の原風景の中にあるもの)
 アイヌの風習は、本で知る知識のような乾いた知識でなく、もっと肌を通して伝わってくるような親近感があります。子供の頃、東北の田舎で育った私には、花水の蛍さんが紹介された内容は、私の子供の頃の、原風景の中の一部といってもいいのかもしれません。
(消えていった原風景)
 そうした原風景は、成長と共に私の中から消えていきました。それは、私が都会に出てきたことや、地方がすっかり姿を変えてしまったことが原因かもしれません。要するに、日本の発展と共に私の原風景は失われました。
それと軌を同じくするようにアイヌの文化も日本の中から姿を消していきました。
(原風景と文化・歴史)
 私は日本の歴史とか、文化というものを考えるとき、自分の中の原風景が、根底においてその理解に役立っているのではないかと思うことがあります。
(日本の文化・歴史と原風景としてのアイヌ文化)
 だとするなら、私の原風景につながりのあるアイヌの文化もまた、日本の文化や歴史を考えるときに、大切な意味を持つのではないかという気がします。では、具体的にどういう形で、といわれるといまのところ、はっきりとは言えませんが、どうもそんな気がしてなりません。
 
花水の蛍2011年05月05日 23:52 
みちこさん コメントありがとうございます。
北海道に住んでいてもなかなかアイヌと親しくすることはありませんでしたので同時代にまるで世界観の違う人たちがすぐ近くにいたなんて考えもしませんでした。
神の世界がアイヌでは大変身近で具体的に感じているようです。
日本は仏教・儒教・道教などが入って精神生活が複雑になっていますがアイヌはその影響をあまり受けていないように思われます。
  
花水の蛍2011年05月06日 00:49 
Tomさん 古代日本には100あまりの国があり、卑弥呼の時代には30くらいに統合されていたと魏志倭人伝にあるそうですね。
それらの国にはそれぞれ神がいて、地上の人間と神々とが祭祀でつながっていたことでしょう。
戦争に勝つことは同時に勝った国の神が負けた国の神を征服することにつながります。
あまり考えたことがなかったのですがアイヌが身近に神の世界を感じ、守ってくれる神に感謝したり、災難を起こした神に、抗議したりしています。これは大和の昔にも同じことがあったのではないかと考えずには居られません。日本の記紀にある神話は不自然で誰かが創作したのではないかと言う学者も多いのですが大和にも同じように身近な神の世界がったとすれば、それぞれの国に伝えられた神々が、戦いによって統合され、複雑な神話の体系ができて当然です。何しろ神の世界は誰にでも見える世界ではなく、シャーマンの霊媒を通して見られる世界です。
矛盾もあれば超自然な話もごちゃ混ぜになりそれが次第に物語として発展することもあるかと思います。
Tomさんの原風景にはとても興味があります。
山形県は大物忌神社・湯殿山神社・熊野大社など際立って個性的な神社があったり岩手・秋田と違った雰囲気がありました。(去年訪問時の感想)
先住民がアイヌだったことは間違いないと思われますが、混血したのか追い払ったのかははっきりしません。おそらく数千年の時間をかけて混血したのではないでしょうか。
支配者が天下りしたと言う伝説は鳥海山にもあり、貴種として、客人(まろうど)として受け入れる母系社会のような国が先行してあったかもしれません。
アイヌ文化の面白さは国家を形成する前の人類の文化を観察できることです。
沖縄は500年くらい前に、大和より1000年送れて国家を形成しました。
アイヌはついに国家を形成しないうちに大和に吸収されたことになります。
このあたりの比較も面白いテーマだと思います。

 

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日本列島では、後期更新世後半(約4万年〜1万年前)の人類の化石骨が、いくつかの場所から発見されています。
その大部分は、石灰岩地帯が多く人骨の保存に適した沖縄にあります。

沖縄県の山下町洞穴人骨とピンザアブ洞穴人骨は、やや原始的な特徴をもち、時代も2万年以上前です。
沖縄県の上部港川人骨と静岡県の浜北人骨は、2万年前より新しく、縄文人と似ています。

港川人は、顔は縄文人と似ていますが、前頭骨が小さく後頭骨の上半分が突出する点や四肢骨の筋肉付着部が発達していない点では、縄文人とは似ていません。

上部港川人や浜北人は、時代も新しく、大腿骨の筋肉付着部が発達しているところは縄文人とそっくりです。

港川人と同じような人々が、生活技術の発展あるいは環境の変化によって上部港川人や浜北人のような人々に進化し、さらに縄文人になったのでしょう。

やがて、縄文人は、日本列島各地で人口をふやし、独自の豊かな文化を築いていきます。

2012/3/24(土) 午後 3:42 [ 高砂のPCB汚泥の盛立地浄化 ]

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巨乳すぎだろ…
俺の人生で出会った中で、一番チチがでかい女と、
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2012/7/23(月) 午前 7:34 [ バスト98cm!? ]

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アイヌ・沖縄と古い民族のことを考えると、日本人の文化の元を感じます。

2015/3/19(木) 午後 7:09 [ ざしきわっぱ ]


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