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邪馬台国=大和 はどうやらかなり古い時代から連合国家の元締めのようなかたちで存在したようです。 長い縄文時代からつらなる母系制社会から中国風の父系制先進文化を取り込んで思想転換を図ったときに辻褄の合わない歴史観を整理しきれないで、日本固有の古代社会のあり方が歴史書から抹殺されてしまったのではないかという印象があります。 建前として神武天皇を紀元前660年に置くと、歴史の編纂は難問山積になったことでしょう。 卑弥呼は王となったのは西暦170〜180年とされます。 卑弥呼が王になることによって倭の騒乱が収まったとされています。 だとするとこの時代には大和朝廷は無かったか、あるいは連合国の中の一国だったことになります。 もしかしたら邪馬台国に対立していた狗奴国=大和と言う構図もあるかもしれません。 いずれにしても万世一系の構想からは外れてしまいます。 韓国の古代に加羅の国として小さな国が連合国の様に存在していたのは日本の古代と同じながれになりそうです。もしかしたら任那日本府があったとされる加羅、伽耶は邪馬台国連合に所属していた可能性があります。小国連合の中から、中国文明と衝突影響を受けて、馬韓から百済、辰韓から新羅が近隣小国を併呑して成長、邪馬台国連合も大和朝廷という形で近隣小国を併呑して日本が成立したのではないか。 本来ならば加羅、伽耶の弁韓地区も大和朝廷が併呑すべきところを、大伴金村の時代に百済に併呑されてしまった。そのために大伴金村は失脚してした。 その後九州から本州の大半を大和=日本が支配して、大陸との地縁が切れた。 中国文明に接するまでは、小国が100以上有り、卑弥呼の時代に30くらいにまとまったとされるがおそらく加羅、伽耶の小国群もその中に入っていることも考えられそうです。 中国文明の思想で、国家観が大幅に変更され、大王=天皇(父系社会)、の世界観に変わったときに、それまでの母系社会の名残で女性天皇が中国ではありえない形で存在しました。 祭祀を天皇がとり、政治を最初は有力豪族(平群氏、葛城氏、曽我氏)、あとには官僚(藤原氏を中心とする)、ついで武家政権(鎌倉幕府、室町幕府、徳川幕府)に政治が引き継がれてゆきます。 日本の古代史の解りにくいことは、中国文明のイデオロギーでは、説明困難な、母系社会の伝統がありそこでは、酋長=大王の世襲が、まったく違った原理で行われたと思われます。スサノオは櫛稲田姫んの家に婿入りし、大国主はスサノオの家に婿入りしています。 ニギハヤヒはナガスネヒコの家に婿入りして、神武天皇はおそらくニギハヤヒの家に婿入りしたのが本来の姿でしょう。この辺りから以降は、婿の血筋で家系を記述するようになったのではないでしょうか。 物部神社の祭神はニギハヤヒからあとで、そのまえのナガスネヒコの一族はまつられていません。 氷川神社ではスサノオ、大国主、櫛稲田姫はまつられていますが、スサノオが婿に入った家の両親までは知られていますがそのまえの長い先祖はどこにいも祀られていないようです。族譜とか家系という考え方がこの時代から採用されて、そのまえがわからないということでしょう。 古代の歴史は難しい!!
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日本古代史
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メーリングリストで日本の神社のほとんどは朝鮮文化に基いて居るという、妙な御仁がいました。 日本の神様のほとんどが朝鮮から渡ってきたというのです。 韓国には神社どころか、鳥居もないし、注連縄だって無いだろうに、何を言ってるんだ? ところが 講談社学術文庫 金達寿著「古代朝鮮と日本文化」を読むとまさにそのようなことが書いてあります。韓国人らしく日本文化の起源は朝鮮にあると、盛んに議論しています。 天の日楯や都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が日本書紀に書いてあることなどを根拠に、百済、新羅、高句麗から、日本各地に残っている痕跡をたどっています。 日本人としては大陸からの文化といえば中国から入ってきたという意識はありますが、朝鮮から入ったといわれても、それでは朝鮮の文化はどこからきたんだと考えます。 韓国人は自分のところの文化は自分の発明だと疑わないところがあって、日本はもとより、中国さえも弟子扱いにしたがる、妙な自信にあふれている。 そのために常に井の中のかわず状態になっており、日本人には信じがたい議論を吹きかけてくるようです。 スサノオや大国主を朝鮮半島出身の神様だとして、その祀る神社まで、朝鮮の影響のしたにあると偉そうなことを恩付けがましく論じている。 たとえスサノオ、大国主が朝鮮人だったとしても、神社と言う信仰のシステムは日本側で進化発展したものであって、韓国にはまったく存在しないものです。 日本の学者は文化を考えるとき、縄文土器であっても、よそから来たのではないかと調べるが、恐るべき韓国の学者はどんなことであってもまず自国が起源だと、論証し、主張しようとする。 歴史問題なども多分に、韓国は自己を主張する一方で、日本はただただ唖然としているように見えますね!!
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NHKブックス 篠田謙一著 「日本人になった祖先たち」DNAから解明するその多元的構造 かねてから欲しいと思っていた情報を持った本です 人類の歴史がアフリカから始まった。 ゴリラやチンパンジーが生息することからダーウインはアフリカが人類発生の地であると考えていたそうです。 DNAレベルで見ると確かにアフリカの人類は多様な広がりを持っているのに対してアジア、ヨーロッパの人類は変異がすくなく,少数のグループがアフリカを出て中近東に渡りそこから広がっていったと見られるそうです。
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人物日本の女性史1華麗なる宮廷才女 集英社 額田王 大伴坂上郎女 斎宮の系譜 小野小町 和泉式部 清少納言 紫式部 蒼蒼たる才女たちです。 斎宮の系譜では六条の御息所の伊勢に下る場面のモデルになった斎王を書いています。 小野小町の謎めいた生涯、紀貫之に良い女が恋に悩んでいる弱弱しくうつくしくなまめいている和歌がよいと言わせた。 思いつつぬればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを なんだか夕顔のたよりないイメージが重なってはいないでしょうか? 人物日本の女性史6日記につづる哀歓 集英社
藤原道綱の母(蜻蛉日記) には兼家の北の方()時子と妾であった道綱の母の車が争ったことがあり、六条御息所と葵の上の車争いのモデルになっているとか! 道綱の母は蜻蛉日記の中ですでに正妻のいる兼家から求婚されて悩んだ挙句に承諾、最初に危惧したとおり、大勢妻の居る兼家はなかなか来てくれない上に新しい妻を獲得していったらしい。ヤキモチで血が頭に上っている彼女は折角訪ねてきた兼家を門前払いにして戸をあけなかったり、そうすると兼家のほうも次にはわざと門前を通っていやみな張り紙をして他の女のところにいったりいろんな駆け引きをしたのだそうです。一夫多妻の時代にもヤキモチは盛んに焼き続けたようでそれはいつの時代にも変らぬ男女の性だったのでしょう!! |
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面白い本を見つけました! 「縄文人はるかなる旅の謎」前田良一著 毎日新聞社 縄文人が太平洋をテリトリーとして航海をしていた海洋民族である。 南米のエクアドルをはじめ各地に縄文土器の痕跡をのこし、時代がことなる土器などから航海路線があったのではないかと推測しています。 古代からオーストラリア沿岸など太平洋の各地から真珠を採取してきた形跡があり、江戸時代にもひそかにオーストラリアまで真珠を取りに行った伝承がひそかに伝えられているそうです。 正倉院などに使われている校倉作りの建築物がツングース族の展開した地域から西に点々と痕跡を残していること、同じ地帯に魚を発酵させて食べる特殊な習慣が見られること、ストーンサークルもまた似たような展開をしていることから、縄文人そのものかそれと同じ文化をもった民族が関係しているのではないか? フン族の民族大移動がツングースや縄文人の移動をきっかけに始まり、フン族に押し出されるようにゲルマンの大移動が有ったのではないか? ものすごい飛躍した展開ではありますが、三内丸山古墳にいた縄文人がいきなり居なくなった謎に挑戦しています。
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