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〇前々回から、東京の本駒込の養源寺にある安井息軒先生の墓に書かれている安井息軒先生碑銘を読んでいる。今回は、その第三回になる。
  【原文】
   先生諱衡字仲平號息軒先世出羽人有安東貞朝者為上野於徒其来安井村因更氏焉七傳至家朝西徒
  曰向事飫肥侯之先光臺公家朝十四世孫曰朝中朝中生朝長朝長子諱朝完字子全號滄洲以學行聞先生
  其次子也寛政巳未正月朔旦生於日向清武郷中野里明治丙子九月二十三日終於東京上手三番街僑居
  塟駒籠養源寺之塋享年七十有八娶川添氏生二男曰朝隆曰謙助並先歿以謙助遺孤千菊承後四女一適
  島原人北有馬太郎餘皆早亡先生篤信好古尤用力漢唐注跡參以衆説能發先儒所未發為文取法唐宋上
  潮秦漢古色蒼然旁暁算数嘗曰聖門六藝數居其一経國行軍莫不由焉近世學者高談性命曾不解二五為
  十沿流討源宋儒不得辤其責門人有問洋教是非者為撰辨妄一巻然至天文地理工技算數則参取洋説可
  以見其持論之公矣性淡泊倹素自奉特嗜圍棊其宰白河命始下吏胥来賀燦然華服各齋酒饌至先生垢衣
  敝氈延與對局供以踈糲乃愧赧去更相告誡未赴任而邑俗革奢靡云所著管子纂詁十二巻左傳輯釋二十
  一巻論語集説六巻息軒文鈔四巻梓行於世書説摘要四巻孟子定本六巻戦國策補正二巻読書餘適二巻
  靖海問答一巻料夷問答一巻外冦問答一巻軍政或問一巻忍草一巻睡餘漫筆三巻其他三禮毛詩諸書注
  釈未脱藳者又若干巻並蔵於家先是清國江蘇按察使應寶時讀管子纂詁左傳輯釋稱其精棪為製序文朝
  鮮禮曽参議金綺秀来聘告人曰吾聞日本有安井先生恨歸期已迫不得相見乃書息軒二字贈之鳴呼先生
  為外人所推服如此則海内之欽仰可知矣銘曰
    世尚新奇   我獨愛古   世趨浮華   我獨守素   卓哉先生   不愧儒行
    講禮治経   追踪馬鄭   先生在焉   師厳道尊   先生亡矣   孰與斯文
      明治十一年九月   修史館一等編修官従五位川田剛撰
      太政官大書記官従五位日下部東作書 廣群鶴刻字

  【書き下し文】
   先生の諱は衡、字は仲平、息軒と號す。先世は出羽の人、安東貞朝なる者有り。上野へ徒る為に
  其の安井村より来たる。因りて更に焉を氏とす。七傳して家朝に至り、西のかた曰向に徒り、飫肥
  侯の先、光臺公に事ふ。家朝の十四世孫を朝中と曰ふ。朝中は朝長を生み、朝長の子の諱は朝完、
  字は子全、滄洲と號す。學行を以て聞こえ、先生は其の次子なり。
   寛政巳未、正月朔旦、日向の清武郷、中野里に生まる。明治丙子、九月二十三日、東京上手三番
  街の僑居にて終り、塟駒籠養源寺の塋に塟る。享年七十有八、川添氏を娶り、二男を生み、朝隆と
  曰ひ謙助と曰ふ。並びに先に歿するを以て、謙助の遺孤、千菊承後四女一、島原の人、北有馬太郎
  に適ぐも、餘皆早く亡す。先生好古を篤信し、尤も漢唐の注跡を用力す。參ずるに衆説を以てし、
  能く先儒の未だ發せざる所を發す。文の為に法を取り、唐宋に秦漢の古色蒼然たるを上潮す。旁ら
  算数を暁かにす。嘗て聖門六藝を曰ひ、數、其の一経に居、國行軍の焉に由らざるは莫し。
   近世の學者は高談するのみにして、性命は曾て解せず。二五を十と為し、流れに沿ひ源を討ち、
  宋儒は其の責を辤するを得ず。門人に洋教の是非を問ふ者有り。為に辨妄一巻を撰ず。然も天文
  地理工技算數に至りては、則ち洋説を参取し、其の持論の公なるを以て見るべし。
   性は淡泊にして倹素、自ら奉ずるに特に圍棊を嗜み、其の白河を宰どるに、始め下吏胥に命じて
  来るを賀し燦然華服して各、酒饌を齋く。先生至りて垢衣し敝氈を延べて與に對局し、供するに踈
  糲を以てす。乃ち愧赧を去り更に誡を相告げ、未だ任に赴かざるにして邑の俗は奢を革たむ。
   靡し云ひ著す所は、管子纂詁十二巻。左傳輯釋二十一巻。論語集説六巻。息軒文鈔四巻。
   世に梓行せらるもの、書説摘要四巻。孟子定本六巻。戦國策補正二巻。読書餘適二巻。靖海問答
  一巻。料夷問答一巻。外冦問答一巻。軍政或問一巻。忍草一巻。睡餘漫筆三巻。其の他、三禮毛詩諸
  書の注釈、未だ脱藳せざる者、又た若干巻。並びに、家の先是の蔵。清國江蘇按察使應寶時の讀む管
  子纂詁左傳輯釋稱、其の精棪に製り為す序文。朝鮮禮曽参議金綺秀、来聘し人に告げて曰はく、
  「吾聞く、『日本に安井先生有り。』と。歸期の已に迫るに相見を得ずを恨む。」と。乃ち息軒の二
  字を書して之を贈る。
   鳴呼先生、外人の為に推服する所此くの如し。則ち海内の欽仰を知るべし。
   銘に曰はく、
     世は新奇を尚ぶも、   我れは獨り古を愛す。
     世は浮華に趨るも、   我れは獨り素を守る。
     卓なるかな先生、    儒行を愧ぢず。
     禮を講じ経を治め、   踪を追ひ鄭に馬す。
     先生の在るや、     師は厳しく道を尊ぶ。
     先生の亡きや、     孰れと與に文に斯からん。
          明治十一年九月   修史館一等編修官従五位川田剛撰
             太政官大書記官従五位日下部東作書 廣群鶴刻字

〇一通り、訓読したが、これはあくまで、便宜的な訓読に過ぎない。この後、詳細な検証を加える必要がある。それには、相応の時間が必要となる。なかなか、その時間が取れ無い。したがって、取り敢えず、簡単に訓読しておく。

〇安井息軒先生碑銘は、次のように構成されている。
  ・篆額:    8字
  ・前書:   23字
  ・後書:   43字
  ・銘文:   48字
  ・本文: 1397字
  ・全字数:1519字

〇全字数1519字は、何とも長い。うんざりするくらいの分量である。これっをものした川田剛については、ウィキペディアフリー百科事典には、次のように載せる。
      川田甕江
   川田 甕江(かわた/かわだ おうこう、文政13年6月13日(1830年8月1日) - 明治29年(1896年)
  2月2日)は、幕末・明治期の漢学者。本名は剛(たけし)であるが、これは師である山田方谷の命
  名であり、それ以前は竹次郎と名乗っていた。号は毅卿(きけい)。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/川田甕江

〇揮毫した日下部東作については、次のように載せる。
      日下部鳴鶴
   日下部 鳴鶴(くさかべ めいかく、天保9年8月18日(1838年10月6日) - 大正11年(1922年)1月
  27日)は日本の書家である。本名は東作。字は子暘。別号に東嶼、翠雨、野鶴、老鶴、鶴叟などが
  ある。
   中林梧竹、巌谷一六と共に明治の三筆と呼ばれる近代書道の確立者の一人である。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/日下部鳴鶴

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