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柳沢村
あれこれ話をしているうちに、早くも柳沢村の入り口に至る。星山という古城あり。左の方に黍( )畑の中に、竹を割って板をはさんで立ててある処、これが先祖の柳沢兵部丞信俊太守の屋敷跡という。その西の方角十歩ばかりにところに、昔大きな柳の樹があり、これにより柳沢の名が生まれたという。その来も今は枯れて姿は見えない。
『風流使者記』
山経の丹穴世間に少なきも 茂卿
甲斐武川に鳳凰有り
識らず聖明年久遠なるも
九苞彷彿として朝陽に立つ
鳳凰天より下るは何歳の日ぞ 省吾
山は人世より巳に多時
枝峰、蔓壑相奔り去り
蓬瀛に東海に随はんと欲するに似たり
行語する間に忽ち柳沢村の界に至る。林樹蔚然として数十人の路側林奔の間に俯伏するを見る。驩呼の声遠近に震動す。初め看るに其の何の故なるかを知らず。徐々に聴げば則ち村人二使臣の命を奉じて旧蹟を斗訪ふを聞き、懽抃し来り見ゆるなり。二子因りて藩主・先世諸府君皆此の地に邑居し、村民恩に霑ふこと久しきを思ふ。今其の雲仍吾輩を見て尚ほ嬰児母を見るの嬌態を作す。此れ以て徳沢民心に入るの深きを想ふ可し。覚えず涙下る。
一路荒菁なり武水の浜 茂卿
路傍に男女車輪を擁す
布衣縄帯、君笑ふこと休れ
昔日吾が公家裡の人
車遙かに駕し民族を問う 省吾
民族猶ほ在す昔日の風
相見る 来り迎ふ牛酒の者
倶に言ふ使者旧儀豊かなりと。
茂卿一入の前に在る者を召して之を訊ぬれば則ち、共の姓を水石にす。細かに其の由を詰すれば、乃ち其の受くる所の田疇の名を姓にするなり。因りて兵部使君の旧封券中に地名の水石なる者有りしを憶ひて又問ふ。「汝頗る兵部使君の事を識れるか」と。則ち云ふ。
「小人の先世兵部使君に山中の旧塁に従ひ、塁中に子を産む。故に字して塁児(コヤボウ)と日ふ。即ち小人が祖父なり。」と。茂卿職を史較するに在りて頗る祖父の時の事に熟す。乍ち此の言をを聞き、乃ち旧識相兄る者の状の如し。
行傍の草莱に遺氓を問ふ 茂卿
塁児の孫子可憐の生
相逢ふて怪しむことなかれ相識に似たるを
曾て邦乗る向かって姓名を記したり
鉄衣の 虱英雄を識る 省吾
輌を推し粮を荷ひ爾が忠を称す
今日相逢ふ塁児の子
知る是れ幾人か草奔の中
乃ち水石姓なる者、連喚して処々を指点す。指点を左して云ふ。「是の山は星山故城と為す。三吹、横手の界に中山故城有るも基址皆已に浬滅す。唯だ山頂の平かなる処、認む可きも誰某の拠る所なるかを識らず。」と。想ふに亦た祖宗の時の事ならん。
東方の神将人寰に下り 茂卿
十二の小宗忽ち班を作す
応に足れ霊蹤泯び得ず
今に至るも西郡に星山を識るべし。
英雄割拠して中原を擾す 省吾
到る処の山河に旧塁存す
今日公田は 麥熟し
蘇・張の舌有るも亦た煩わす無し。
村の入口の左側の黍田の中を指さし、是れ省吾使君の旧壮なりと謂ふ。方僅かに百歩、竹を地上に挿して以て標識と為す。柑伝ふ後武川水漲り襄陵の災有り。乃ち宅を原上に移す。
柳沢郷南 旧荘に接す 茂卿
郷民語を奇す君王に報ぜよと
行春若し麾旄の駐するを得ば
為めに枌楡の寵光有りと道はん
山野渓荘悉く湮没す 省吾
茫々たる禾黍晩風寒し
指点に煩憑して経界を間へば
□々たりタ陽一竹竿。
其の西十歩許りに旧く大柳樹有り。乃ち邑名の係る所、今村枯れ僅かに其の処を識るのみ。
悉く言ふ名柳死と 茂卿
何ぞ識らん霊根有ることを
近く聴く京南の黄檗寺
化して神将と為りて山門を鎮すと。
何ぞ須ひん故国喬木多きことを 省吾
已に済々たる賢大夫有り
若し衛侯淇上の竹を間はば
入間自ら是れ腐儒の論。
旧侯の荘を左にして村戸に入る。無慮七十五、山谷の間に散居す。人煙頗る蕭条たり。一亭有り薬師仏を奉ず。云ふ、 「是れ柳沢寺の奉ずる所なり。寺亡びて後、移して此に在り。後、像亦た倫児の為めに奪ひ去らる。今則ち新たに塑せし者のみ。
二子常光寺の亦た瑠璃光仏を奉ずるを憶ひ、其の或は縁由有るやを疑ふ。又一祠有り。祠中に木刻の神像有り。朝官一般の如し、抱袖裳皆腐壊して存せず。之を訊ぬれば則ち菅神なり。亦た云ふ、祖宗の時の崇奉する所なりと。
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