昔の話

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歴女。

私の周りでカミングアウトする人が徐々に出始めて。。
ほとんどは「戦国BASARA」から戦国時代に興味を持ち始めたグームやアニメ(声優)好きの女の子達なのですが。。

今、彼女たちの間で、流行ってるゲームがあるんです。
なんでも携帯のGPS機能を利用した国盗りゲームだそうです…。
現地に行って登録すると言うゲームらしいのですが、実際に現地に行くってのがたまらないんだって。


藤堂高虎の伊賀上野に行った。長宗我部元親の土佐に行った。織田信長の安土に行った。
と、週明けはみんなで報告合戦です。
そのまんま戦国話に花が咲きます。(声優さんの話になるときもあるけれど)

私も連れてって〜〜。春日山希望!
(そして「戦国無双3」が欲しいという話で盛り上がる。仕事中に。。いいのか。。。)



久しぶりなのに、こんな内容になってしまいました。。

これからもよろしくお願いします<(_ _)>

 私は好きか嫌いかで言うと、好きです。
 でも、やっぱりドラマなので、史実とは異なることもあるし、
 従来の説や自分自身の解釈と違ったりすると、違和感を感じることもあります。。。

 大河ドラマは、ドラマなんだから、
 史実そのものとは違っても「作り話」として楽しむべき存在なんだと、今年ようやく悟りました。。。

 とは言え、去年の「篤姫」は、文句無しに好きでした。私の中では一番かも。
 (それまでは「草燃える」が一番好きでした)
 だけど、原作でも小松帯刀は多分出てこなかったし、篤姫と尚五郎さんが友人だったと言う史実は無いです。
 (龍馬と尚五郎さんは確かに親交があったようですが。。)
 でも。
 この2人の物語があったからこそのドラマでもあり、間違いなくいいお話でしたよね。。


 今年の天地人。。
 上杉はめちゃくちゃ好きなので、毎週見てます。
 篤姫の流れをくんで「愛」をテーマにしているのでしょうが、う〜〜〜〜〜ん。。
 原作と全然違うのはいいとしても、何か違う。
 (「戦国BASARA」や「殿といっしょ」や「炎の蜃気楼」と重ねて見てる私も悪いけど…。)
 もちろん、最後まで見届けますぜ。。
 

 来年の龍馬伝。
 龍馬も高知も好きなので、やっぱりめちゃくちゃ楽しみです♪
 それに久しぶりに志士側の人物が主人公だし♪
 何と言っても主演・福山君だしね♪
 

 そして、新たな配役が、発表されてましたね。
 Wikipediaによると。。
 坂本龍馬    福山雅治
 坂本乙女(姉) 寺島しのぶ   
 坂本八平(父) 児玉清
 坂本権平(兄) 杉本哲太

 岩崎弥太郎(三菱財閥創始者) 香川照之

 武市半平太 大森南朋

 平井加尾  広末涼子

 近藤長次郎 大泉洋
 岡田以蔵  佐藤健
 沢村惣之丞 要潤
 溝渕広之丞 ピエール瀧

 楢崎龍   真木よう子

 千葉佐那  貫地谷しほり
 千葉定吉  里見浩太朗
 千葉重太郎 渡辺いっけい

 勝海舟   武田鉄矢
 西郷隆盛  高橋克実


 白状すると、私の今の龍馬のイメージってNHKアニメ・お〜い!竜馬の時のものなんです。。
 子供の頃は泣き虫で、大人になるにつれ、どんどん人としての幅が広がっていったと言うか。。
 (龍馬役が関俊彦さん。兄権平役が森川智之さんと言う、瑚籐さんや私にはたまらない配役でした。。)
 でも今回、私にとってツボだったのは、岡田以蔵役の佐藤健と沢村惣之丞役の要潤。
 佐藤健、電王です!野上良太郎ですよ!!(落ち着け、私。。)私の中では未だに彼は良太郎。。
(仮面ライダーの事です。。電王には好きな声優さんがいっぱい出てたものだから、一生懸命みてました。。
 関俊彦さん。鈴村健一君。遊佐浩二さんがレギュラー。時々三木さん、檜山さんなど…。毎回見逃せなかったです。。)
 要潤だって仮面ライダーアギトでは、刑事なのにライダースーツに着替えて戦うイケメンヒーローだったし。。
 ちょうど息子が小さい頃に一緒に見てたヒーローたちがこうやって大河で見られるってのも、
 大河ドラマが好きな理由の一つかもしれない。。
(義経の時も仮面ライダーが二人出てたし♡…子供をダシに自分が楽しんでたクチです。。)


 ニュース見て、あらためて気がついたけれど、龍馬って33歳で没してるんですね。。
 そんなに若くして、亡くなっていたなんて。。。
 その龍馬の33年の生涯を、経済人・岩崎弥太郎の視点で描いた龍馬伝。
 停滞する今の日本に、元気と勇気を与えてくれそうな予感がします。


 やっぱり大河ドラマが大好き♪


 長宗我部元親をやってくれたらもっと好きになるのにな〜〜!



 長宗我部元親。(先祖は秦の始皇帝との説あり)
 彼は去年の大河ドラマにも今年の大河ドラマにも来年の大河にも再来年の大河にも、少しだけ関係があるんです。。(無理矢理だけど…)
 
 と、言うのも、龍馬はよく「下級武士の生まれ」って言われかたをするんですが、正確に言うと、「郷士」です。
 郷士とは、とりあえず武士ではあるんだけど、殿様の直接の家来=藩士じゃない存在。
 
 龍馬の場合は、長宗我部家の旧臣であるその「郷士」の子孫。
 関ヶ原の合戦の際、元親の四男盛親が西軍に与したため、長宗我部家の所領は没収され、改易となりました。
 その領地・土佐を与えられたのが山内一豊。
 一豊のように他所から移ってきた場合、家臣も一緒に移動してくるんです。どの藩も現地の武士を採用することは殆どありませんでした。

 家臣は上士と呼ばれ、初代一豊が掛川城主だった時からの家臣と大坂牢人を取り立てられて家臣になった者に限られます。
 その上、長宗我部の旧臣たちは山内家を歓迎せず、抵抗・反乱を繰り返し、
 その結果郷士は徹底した差別下に置かれ、江戸時代を通して、上士とは対立・敵対関係にあったとされています。
 それもあって幕末には土佐郷士達の多くが尊皇攘夷志士になっていきました。。

 それから…。
 元親の側室の一人は、明智光秀の姪なんです。
 その縁で、秀吉と光秀が戦った「山崎の戦い」の後、光秀の家老・斎藤利三の娘である福(後の春日局)を自分の居城・岡豊城でかくまったとも言われています。

 さらに、本能寺の変の原因は、光秀の怨恨説が有力ですが、
 その一つに、長曽我部も絡んでいると言う説もあります。
 なぜならば..。
 信長は元親の四国統一を認めず、所領は土佐と阿波の安堵のみとし元親に臣従するよう迫るが、元親は拒絶。
 このため信長と敵対関係になり、信長の息子・神戸信孝を総大将とした四国征伐軍が編成される。
 元親との外交を担当していた明智光秀は心を苦しめ、本能寺の変に至ったという…。

 何しろ光秀の姪の夫君だからね。。
 真偽はともかく、信長の死で信孝軍が撤退したことで、元親は危機を脱したのは事実です。


 四国統一を成し遂げた長宗我部元親。直江兼続が主人公になるんだったら、元親も充分いけるんじゃないでしょうか〜。

 長宗我部元親、いつか大河でやってくれないかな〜。
 

大人買い♪

 新型インフルエンザの感染予防のための、外出禁止のお達しから二日目。
 今日は学校から子供たちの健康状態を尋ねる電話が入りました。
 「超元気です♡」お兄ちゃんが元気に答えてくれました。。

 立て続けに両方のおばあちゃんからも気遣う電話があり、
 そのたび、外に出た〜い。おばあちゃんちに行きた〜いと、彼は叫んでおりました。。

 元気なんだけどな〜。いいお天気なんだけどな〜。

 今週末に予定されていた田植体験も、中止とのこと。。
 楽しみにしていた子供たちが散々ぼやくので、マスク付けさせて、気分転換にと近所の商店街までお買い物に。。
 で、本屋さんでフト目に留まったのが、これ。

イメージ 1


  『殿といっしょ』
 1巻の表紙が伊達政宗と片倉小十郎。
 2巻の表紙が織田信長と明智光秀。
 3巻の表紙が直江兼続と上杉景勝。

 ドラマCD化されると聞き、読みたくてしょうがなかったんです。
 ここは迷わず大人買い。(3冊だけど)

 歴女の皆様にも超お勧め♪

 時は戦国時代。
 変わり者の「殿」=「ボケ」と常識人の「家臣」=「ツッコミ」が天下取りを目指す、
 史実を元にした(笑える)物語です。

 例えば、
 
 焼き討ちマニアの織田信長。合言葉は「点火ふぶ」
 お笑いで天下を目指す木下藤吉郎。
 我慢マニアの徳川家康。モットーは「ゆりかごから墓場まで我慢」天下人の条件「我慢値」は100との事。
 我慢値5の徳川秀忠。90以上になるまで後を継がせて貰えないらしい。
 我慢値98の真田信幸。その我慢ぶりのために、家康のお気に入り的存在。
 眼帯マニアの伊達政宗。
 主婦っぽい上杉謙信。
 女装癖のある長宗我部元親。
 漢字も空気も読めない武田勝頼。なにしろ「毘」と「屁」の区別がつかない。
 怠け者で眠ることだけが趣味の朝倉義景。
 被害妄想が激しい浅井長政。

 忘れてはならないのが天地人の2人。
 まずは、直江兼続。ひたすら「愛」を強調する男。片手を額にそえるポーズを得意とする。
 そして、上杉景勝。無口な笑わない男。兼続が表情を読み違えるため、本人も困惑している。

 と、こんな感じ。。
 一気に三冊読んじゃって子供たちもすっかり歴史好きに♪
 特に伊達政宗が好きになったのだとか♡
 よしよし(*^-^*)
 いつか行こうね仙台に!

 戦国BASARAとはあまりにも違う人物像がかえって笑えます。
 (でも台詞はBASARAの声で聞こえてくる。。。)


 それよりは明日だ。。今週いっぱいは休校だし。。
 引き続き明日も家の中…。何して過ごそうかな。。
 子供たちは単純に喜んでるけど、夏休みが短くなるんだろうな。。。

 息子はドラえもんを大人買いしたいと言い、娘はゾロリを大人買いしたいと言ってます。。
 私はグインサーガかな。。炎の蜃気楼とか。。

 図書館でも連れて行こうかな。。それぐらいだったら行ってもいいよね。。




 

京都・妙心寺にて。

 妙心寺に行って来ました。
 このお寺は、世界遺産にも認定されていますが、非公開の所が多く、
 それだけに、今も昔ながらの佇まいを残しています。。
 こんな感じ。。
イメージ 1


 妙心寺は鎌倉時代の最後の将軍・守邦(もりくに)親王の従兄弟・花園天皇の離宮跡です。
 花園天皇は、文人肌で信心深かったと言われていて、位を後醍醐天皇に譲った後出家し、離宮を禅寺に改めました。

 応仁の乱で荒廃し、その後、有力大名の貢献で復興しました。
 今年の大河ドラマ「天地人」の登場人物たちとも深くかかわりがあり、
 当時の妙心寺の長老・南化和尚と親交があった直江兼続もよく訪れていたそうです。

 三門は徳川家康により1599年、関ヶ原の合戦の前年に再建。ただいま、冬の特別公開中。
 写真撮影禁止でしたが、極彩色の天井画は迫力満点でした。

 それから、最近注目されているのが、浴室「明智風呂」。
 明智光秀を追悼するために建てられたとは聞いていたのですが、なぜお風呂なのかずっと謎だったんです。
 数年前、古文書が発見され、ようやく謎が解明されはじめました。
 それによると、本能寺の変に勝利した明智光秀が、今は廃寺となっている塔頭の住持を勤める叔父を頼って妙心寺に現れ、身体を清めたいと申し出たそうなんです。
 でも、ここは、禅宗の中でも、戒律の厳しいことで知られる妙心寺派の大本山。血みどろの武将をあげるわけには行きません。
 
 拒否された光秀は、安土城を目指します。
 (妙心寺の案内係さんによると、その時の光秀はかなり焦燥していたそうなんです。
 光秀は、やっぱり踊らされていただけで、本能寺の変の黒幕は、別にいるのかもしれない。。。)
 でも、光秀が安土城に入ったのはたった三日。豊臣秀吉との決戦の為に、城を去り、天王山にて破れ、死に至ったと。。
 その後、光秀から遺産を託されていたその叔父が、風呂の建設を思い立った。とのことでした。
 そのお風呂は、昭和の時代まで、使われていたそうです。

 そして。妙心寺で一番有名なのが、法堂の天井画「雲龍図」。狩野探幽筆。
 八方にらみの龍とも言われ、どこから見ても目が合います。しかも、入り口のほうから見ると、下がってくるように見え、出口のほうから見ると、昇っていくように見えるんです。
 とにかく大迫力!構想だけで3年。実際に描きあげるまでに5年かかったそうです。
 (角は鹿。目は牛をモデルにしているそうな。。。)

 



 妙心寺は、京都市内でも一二を争う広い敷地面積を誇り、塔頭の数も京都一です。
 国宝・重要文化財も多く、全山に狩野派の作品がてんこ盛り。
 (京都国立博物館では3月末から妙心寺展が開かれます)

 また、多くの戦国武将の帰依もあり、
 山内一豊・千代夫妻のお墓は塔頭・大通院に。
 福島正則のお墓は海福院に。
 織田信長・信忠 それに武田信玄のお墓は玉鳳院に並んでいます。
 前田玄以(石田三成の同僚・豊臣秀吉の五奉行一人 石川五右衛門を捕まえた人)は蟠桃院。
 戦国武将ではないけれど、春日の局のお墓は麟祥院。
 幕末に活躍した佐久間象山は大法院。
 西田幾太郎(京大の哲学者・哲学の道の名前の由来になった人)のお墓は霊雲院。
 まだまだあります。秀吉の長男とか堀尾吉晴とか…。
 でも、残念ながら、すべて非公開。
 極まれに特別公開されるけれど…。(春と秋の特別公開の時期に。。大河ドラマに合わせるような…)

 そしてそして。
 今回、私が目指したのは塔頭・隣華院!

 ここに、直江兼続のお墓があるそうなんです。
 ですが…非公開です。
 門外から、そっと、手を合わせてきました。。

 そのあと、枯山水の石庭でおなじみの竜安寺にも足を運びました。
 このお寺も妙心寺の塔頭の一つ。非公開ながら、真田幸村のお墓もあります。
 また、ツクバイ(手を洗うための石造物)も有名です。
 真ん中が口と言う字になっていて、その口と言う字を4つの漢字の一部「口」の部分を共有して「唯吾足知」(我、ただ足るを知るのみ)と刻まれているんです。水戸黄門こと水戸光圀寄進だそうです。
 「大切なことは満足するという気持ち」と訳せばいいのでしょうか。今の時代にもぴったりの言葉ですよね。。
 
 この「虎の子渡し」の石庭、配置されている15個の石は、庭をどちらから眺めても、必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されているのですが、
 息子は動き回って数えてたから、意味なし…。
 あいにくの工事中でしたが、一日訪れる日が違っていたら、石庭は公開されていなかったのだとか。。 石庭と工事現場と言う取り合わせもまたオツだよね〜と、満足して参りました。。。


 余談ながら…。
 禅といえば、茶道のイメージが強いですが、妙心寺では修行僧の茶道は禁止だったそうです。
 茶道は引退した住職さんとかが細々とたしなむ程度だったらしく、塔頭・海福院には、蘆雁の間にある押入仕込みの隠れ茶室があるそうです。(非公開)
(その上、海福院には狩野探幽が上記の「雲龍図」を描く際に逗留し、
 いたずら描きして住職から叱責されたという「猿回しの図」なども残っています。)
 
 妙心寺がどれほど厳しいかと言うと、
 稀代の名僧ともも評された昭和を代表する禅僧・山田無文(やまだ・むもん)が、
 チベット探検で有名な河口慧海を頼って出家したものの、あまりの厳しい生活のため、
 結核になってしまったというエピソードもある程です。。


 追記。妙心寺は世界遺産ではありませんでした<(_ _)>
 塔頭の一つ、竜安寺のみ世界遺産だそうです。ごめんなさい。。




 
 

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