福岡歴史探訪(増えるのか?)

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平野國臣

まさか近所に史跡があったとはね。

仕事帰りに、友人と食事を取る為に自転車で走っている途中で発見しました。

『平野國臣』とは、福岡出身の幕末の志士です。

攘夷派志士として奔走し、西郷隆盛ら薩摩藩士や真木和泉、清河八郎ら志士と親交をもち、討幕論を広めました。


『平野國臣』生誕地

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現在は『平野神社』

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追慕碑

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誕生之碑

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歌碑

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  わが胸の
  
   燃ゆる思いにくらぶれば 
   
    煙もうすし桜山島

この歌は、薩摩の島津藩主に義挙の要請をする為に入国するも願い適わずに詠んだ歌だそうです。

敷地は狭いながらも、きちんと清掃され綺麗でした。


次に、西公園にある銅像へ。

春だったら、桜が咲いて綺麗だったろうな〜という感じの丘に寂し気に建っていました。

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後ろの方に回ると、碑文が。

とりあえず、全文載せますね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
 先生は文政十一年(一八二八年)三月二十九日、福岡地行の地 筑前藩士の家に生まれた。少壮のころからも古文を研究し史書を読みまた詩歌にひいでていた。時はあたかも明治維新の前夜、勤皇・佐幕の対立はげしく内外騒然たる時代であった。
 先生は、つとに国事を憂える志士となり、決起して脱藩、同志を倒幕を策した。しかし志士弾圧がいびしくなるや、僧月照に従って薩摩にのがれた。
 『わが胸の 燃ゆる思いにくらぶれば 煙はうすし桜島山』は当時の詠歌である。
 先生は薩摩藩主に再度義挙を説いたが、実を結ばず、筑前藩主にも時勢を論じて、捕らえられて下獄。獄中、こよりを作って歌をつづり、多くの書を著した。文久三年(一八六三)十月 先生は中山忠光の大和義挙に呼応、但馬の生野銀山で兵を挙げたが事ならず、捕らえられて京都六角の獄舎で新選組の手により志半ばにして無念の最期を遂げられた。
 時に元治元年(一八六四)七月二十日、年は三十七才。明治二十四年 先生の誠忠を嘉し、正四位を贈られた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

同じ文が、平野神社にもありますが、こちらのはより分りやすくした書き下し文ですね。

注目したいのは『新選組』の名前が彫られていること。

福岡の地で、この名前を見られるとは思ってもいませんでした。

しかし、平野國臣を殺したのは『新選組』ではないですよね?

確かこの頃の『新選組』は長州征伐の関係で伏見方面へ出向いていた筈。

禁門の変に端を発した火災により、逃亡を恐れた幕吏達の手によって他の囚人達と共に斬首されたのが真実だと。

この碑が建てられたのは、昭和三十九年ですからもしかしたらまだ真相は分って無かったところがあったのかもしれませんね。

それまで、『新選組』の手に掛かって〜いうのが定説だったのでしょうね。

有意義な休日でしたw

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