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文久3年(西暦1863年)に【8月18日の政変】が起こりました。 尊皇攘夷派は公武合体派(会津藩、薩摩藩連合軍)により京都を追放されます。 首謀者たる長州藩士らは尊攘派の七人の公家(七卿落ち)を擁して長州に逃れれるも翌年(元治元年)7月、藩主父子の赦免などを求めて【蛤御門の変】を起こすが敗北を喫します。 その際、御所へ発砲したとして朝廷は、幕府に長州征討の勅命を下します(第一次長州征伐) しかし長州藩内では強硬派と保守派とで藩論が割れ、保守派が政権を握り恭順を示したのです。 その後、七卿の錦小路頼徳は元治元年(1864年)に病没し、澤宣嘉は平野國臣(福岡藩士)と共に生野の変で挙兵します。 残る五卿(三条実美、東久世通禧、三条西季知、壬生基修、四条隆謌)は福岡藩預かりとなり、筑前太宰府【延寿王院】に移送されたのです。 彼らは厳しい監視下の元、3年間この地で幽閉生活を送ったのです。 慶応3年(1867年)12月、王政復古の大号令の前夜、朝議にて赦免された五卿らは直ちに帰京します。 そうして彼らは、歴史の表舞台に戻ったのでした。
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福岡歴史探訪(増えるのか?)
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