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 【坂本龍馬】
 天保6年(1836)年11月15日生まれ。
 父は土佐藩郷士・坂本八平、母は幸の次男として生まれる。 
 兄は権平、姉は千鶴、栄、乙女(おとめ)。妻はおりょう(本名は龍子)
 龍馬は通称。他に才谷梅太郎などの変名がある。
 慶応3年(1867)11月15日没 
 諱は直陰のち直柔。 没後、贈正四位を贈られる。

  その功績に『薩長同盟』や『大政奉還』などが挙げられる。

 慶応3年の11月、京都は『近江屋』で中岡慎太郎と共に暗殺され(実際には、中岡慎太郎は何日間か生きていた)表舞台から消えてしまった龍馬さんは、それからの時代、全く忘れられた存在だったようです。その龍馬さんがどのように名誉を回復していったのでしょうか。
 順を追って、追いかけたいと思います。まず、

◎1883年(明治16)坂崎紫瀾(高知出身)が書いた『汗血千里の駒(かんけつせんりのこま)』が、高知の『土陽新聞』に掲載されました。これは、自由民権運動に参加していた坂崎が、薩長に牛耳られていた明治政府に、忘れられた土佐藩の立場を再認識させる意味もあったようです。

◎明治37年、日露開戦が目前に迫った頃、昭憲皇太后の夢の中に武士が現れ「微臣はこの魂魄を皇国海軍の上に宿し必ず勝利へと導き奉る。」と奏上したという報道が全国新聞に掲載される。皇太后陛下はこの人物を知らなかったが、当時の宮内大臣の田中光顕(高知出身)が、龍馬の写真を見せたところ、間違いなくこの人物だということになり、龍馬は一躍、海軍の神様となって脚光を浴びました。
 これも最初の坂崎と同じく、海軍は薩摩、陸軍は長州に牛耳られ、入る余地のない土佐が龍馬を利用したものと思われます。

◎大正デモクラシー。
大政奉還の基となった『船中八策』の第二条目に、「万機宜しく公議に決すべき事」とありますが、これがデモクラシーの先駆と考えらています。更に、大政奉還により平和的に倒幕を成し遂げた『平和革命論者』のイメージを定着させる。

◎昭和3年に桂浜に銅像が建立された時には、除幕式に海軍・陸軍両方の兵士が参列し、駆逐艦まで碇泊しました。さらに、第二次世界大戦中は県下の銅像はほとんど提供されたにも関わらず、坂本龍馬と中岡慎太郎は天皇の為に働いた人物ということで、二人の銅像は残されました。(西郷さんの銅像は壊されたのに)

 こうして龍馬さんは政治的に4度も利用され、された事によって人物の研究・功績が評価、一躍時の人となったのです。

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