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ホテル・アイビースクエア西側入り口すぐにあります。 関が原の合戦で東軍が勝利を得てから、この地は徳川幕府の天領となり、寛永19年(1642)には倉敷代官所がおかれた、とありました。 代官所・井戸跡です。 当時の物がここまで綺麗に残っているのは珍しいですね。 説明板と井戸内部。 なんか白いものが出ていますが。。。蒸気ですよね、ははは。 いや、母がこの井戸にまつわるホラーな話をしてくれたのでちょっとね・・・ この地は、幕末時長州の第二奇兵隊(脱走兵)の襲撃も受けたことがあるそうです。 慶応2年4月― 当時の長州藩は、薩長同盟が成立したとはいえ、幕府の第二次長州征伐に対し恭順を唱えていた。 最も、その裏では軍備を整えていた事もあり大事な時期と言っても良い。 しかし、大洲鉄然が組織し白井小助、世良修蔵を軍監を務めていた第二奇兵隊が意見の相違から100人余が脱走した。 立石孫一郎を首領とした彼らは、倉敷代官所を一方的に攻撃。 目的は、代官を誅殺すること。 当時の代官・桜井久之介は広島へ出張中で不在。 突然の攻撃に、代官所にいた役人達が抵抗した為、死傷者十数人を出し放火した。 継いで総社・浅尾藩陣屋を襲った。 やがて岡山藩・備中松山藩の大軍に囲まれると彼らは四散した。 首領立石孫一郎は上陸した長州藩領浅江港で、命を受けた長州藩兵に謀殺されたのである。 ― ざっとこんなところでしょうか。 彼らは、ここからそう離れていない所にある観龍寺を本営としたそうです。 ここには隊士が付けた槍の傷跡が残され、史跡として保存されています。 私は、今回は雪に足を捕られ過ぎ&チェックアウトの時間が差し迫っていることもあり訪れませんでした。
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2008年02月10日
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宿泊は倉敷ターミナルホテルでした。 夕飯は、豪華にアイビースクエア内のレストランでディナーを予約。 当初こんなに雪が降るなんて思っていなかったので、食後は倉敷美観地区のライトアップを見ながら散策を、と考えていたのですが・・・・ 夜間になっても雪は降りやまず、逆にますます酷くなるばかり。 ディナー時間を1時間早めて貰い、食後はタクシーで。 残念でした。 そして翌朝― キレイな白銀の世界が出来上がっていましたw チェックアウトまで時間があったので、やっぱり見ておきたくて『美観地区』へ。 通常ホテルから、15分程で到着するらしいのですが、なんせ足元が悪いので、時間が掛かってしましました。 『倉敷・天領美観地区』 江戸時代初期、幕府の天領に定められた際に倉敷代官所が当地区(現・アイビースクエア 内)に設けられ、以来備中国南部の物資の集散地として発展した歴史を持つ。 倉敷川の畔から鶴形山南側の街道一帯に白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並び、天領時代の町並 みをよく残しています。重要伝統的建造物保存地区に選定。 平日のせいか、車が結構多かったですね。 でも、それに負けないくらい写真を撮っている人達が多かったです。 町並みが真っ白でキレイです。 しかし、電線が多くて景観的にどうかな、と。勿体ない感じです。 電柱を地中に埋める方法もあると思うけど。。。 大原家住宅 重厚な邸宅ですね。 倉敷川を挟んで商家や民家が残る。 結構、撮影ポイントの良い場所のようで、ここから撮影される人が多かったです。 こんなに雪が降るのは8年ぶりだとか。みなさん、雪掻きで大変そうでした。 テレビの撮影も来てましたよ。 薄桃色の梅の蕾に雪が。 キラキラしてました。
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