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第一次世界大戦後、各国において少年団の組織が続々と結成され、大正九年(1920)には英国ロンドン郊外オリンピヤにおいて、ボーイスカウト第一回ジャンボリー(ボーイスカウトのキャンプ大会)が開催された。
参加国は三十四ヵ国に上り、参加人数は6000人を超えたが、日本は一般的にボーイスカウトの認識が浅く、また組織も確立されていなかったので代表はわずか3名(東京少年団理事の小柴博氏・岩内少年団団長の下田豊松氏・横浜外人スカウト隊の鈴木慎氏)であった。
 
3人は英国到着後、ボーイスカウト本部へ挨拶に行ったところ、その応接間に各国の愛国者の油絵が多数掲げている中で【会津白虎隊自刃の図】の絵があるのを驚きをもって見た。
これは、ボーイスカウト創始者のペーデン・パウエル卿が世界各国を遊説中に東京で白虎隊の話を聞き、これこそボーイスカウトの精神であると非常に感銘を受け、自国に戻った時に油絵に拡大複製したものだった。
 
大会自体は大成功をおさめ、その様子はたちまち各国に広まった。
たった3人で出場した日本人の話にもっとも感銘を受けたのはイタリア首相のムッソリーニだった。
当時ムッソリーニは第一次大戦後の祖国を救う為、独裁政権を築くとともに青少年の教育にも力を注いでおり、白虎隊の武士道や忠勇の話を聞くに及んで、白虎隊の為に記念碑を贈りたいとの意向を示した。
この話を聞いた会津人は喜んだが、実際その後イタリアから具体的な動きはなかったのである。
 
そこで、白虎隊出身で東京・京都・九州三帝国大学総長を歴任した山川健次郎氏がイタリア大使館を訪問し記念碑の促進を申し入れた。
大使館は本国政府へこの話を照会し、ムッソリーニはこの機会にと駐日大使に赴任するアイロージ氏に建碑事業を命じたのである。
 
アイロージ氏は、ローマ府知事を尋ね【ローマの精神は、白虎隊の行為によって現された忠義犠牲の精神をよく諒解している。それをどう現すのが一番か】というムッソリーニ首相の言葉を伝えた。
そして、ローマ府美術院長と折衝し当時掘り出されたばかりの赤色花崗岩の古代円柱が選ばれ、記念碑の設計は有名なローマの彫刻家ディリオ・カンペロティ氏が行なった。
 
記念柱はアドリア海岸産出の大理石による碑文石の上に立ち、柱上にはイタリアのシンボルである青銅製の荒鷲が翼を広げ、ファシスト党章の斧と短杖(断行と団結を現す)を把握し威風堂々としている。
最下部の台石は日本産出の御影石である。
 
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 《 正面碑文 》
 文明の母たるローマは白虎隊勇士の遺烈に敬意を捧げんがため、古代ローマの権威を現す「フ ァシスタ」党章を飾り、永遠偉大の證(あかし)たる専念の古石柱を贈る。
 
 《 背面碑文 》
 「武士道の精華に捧ぐ ローマ元老院および市民より」
 
この碑文とファシスタの党章は、大東亜戦争終戦後、進駐米軍の意向により切削されたが古柱は文化財であり、鷲は西洋において尊崇される生物として現在のまま残されたのは懸命である。
 
 
 
 
 
 

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