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天然理心流の道場として名高い「試衛館」は、三代目の近藤周助が天保10(1839)年、道場を多摩郡小山村から江戸に移したことから始まりました。
1849(嘉永2)年10月、近藤周斉が宮川勝五郎(近藤勇)を養子とする際に、近藤周助と宮川家との間で証文が交われ、その証文に「江戸甲良屋敷地面内 近藤周助」と記されており、また、世話人筆頭として記されている山田屋権兵衛は、1851(嘉永4)年の「諸問屋名前帳」によると市谷甲良屋敷の商人であることが判り、試衛館は『市谷甲良屋敷』にあったと確定されたのです。
が、これを現在地に置き換えると、『甲良町』とするものが多いようです。
しかし、永倉さん著の『浪士文久報国記事』には、試衛館の場所は『市谷加賀屋敷柳町』であるとし、『新選組顛末記』では『小石川小日向柳町坂上』となっている。これは、小石川小日向=市谷との間違いであるとはっきりしています。
これはどういう事なのかというと、甲良屋敷は元々、幕府作事方に所属する大棟梁甲良家の『拝領町屋』であるであり、拝領町屋とは、武家が拝領した町屋敷を幕府の許可を得て町人に借地させたり、借家させた結果、多くの町人が住み着くようになり、1713(正徳3)年、江戸町奉行の支配下に組み入れられ、これを機に「市谷甲良屋敷」は正式な町屋となったのだそうです。
明治維新時は、町名を新たに『甲良町』としましたが、元からこの地に住んでいた士族から、町民と同じ地区に住むのは考えられないと、猛反対を受け、『市谷甲良屋敷』地区は『市谷柳町』に編入されてのです。
なので、試衛館の現所在地は『市谷柳町』なのです。
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