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土津神社の境内からも行けるのですが。 ここは車で上がりました。 墓所の門扉 中央には『会津葵』の紋が。 門扉は当然ながらしっかりと閉じられていましたので、失礼ながら隙間から写真を撮りました。 表石っていうのでしょうか。 『會津中将源君之墓』とあります。 その後ろの方は小高い丘になってまして、大きな石(鎮石)が安置されています。 この下に、保科正之公が眠っているのですね。
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旅日記
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会津藩祖・保科正之が祀られている神社です。 白い鳥居が珍しい。 ここは、正之公死去した2年後に設立されたそうです。 正之公の治績を記した霊神之碑 やっぱり、下には玄武が。 会津若松の松平容保公の墓所の碑も玄武でした。 拝殿 土津神社は、東北の日光と呼ばれるくらい壮厳壮麗なものだったそうだけど、戊辰戦争の戦火で全焼してしまったそうです。 その後、会津藩が斗南に移封されると、土津神社の御神体も斗南に移されたとの事。 明治4年の廃藩置県によって斗南藩が廃されると、御神体は猪苗代へ戻り、磐椅神社に祀られたという歴史があります。 今の社殿は、明治13年に再建されたもの。 戊辰戦争時の弾でしょうか。 土台に固定されていていました。
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Tさんにとって、メインである中ノ沢温泉近くの『達沢の滝』へ向かいます。 私は見ていなかったのですが、NHK大河『風林火山』のタイトルバックに使われた滝だそうです。 滝なんて久し振り。 ワクワクですw ぬかるむ泥道を進む車に、びしゃびしゃと茶色の水飛沫が。 レンタカー屋さん、お掃除大変だろうなと思っていると到着です。 入り口から、めちゃ雰囲気がありましたね。 熊注意の看板も出ていたし。 落ち葉でフカフカの1本道を少し行くと。 ここも戊辰戦争にゆかりがあるのですね。 その先の道が気になりましたが、薄暗いしで流石に、登りませんでした。 木の根が岩に巻きついています。自然って凄い! 『滝』入り口 鳥居になってます。 これが『達沢の滝』(男滝または雄滝) 大きいっ、凄いっ! 一枚岩なのかな、大量に流れる水に圧倒です。 更にその左隣りには、女滝または雌滝と呼ばれるものが、対照的に控えめな感じで流れています。 こっちも良いですね♪ この地は『不動尊』を祀っているのですね。 剣を一緒にこんなに祀ってあるのは初めて見ました。
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会津滞在2日目 奈良のTさんの運転するレンタカーに同乗し『母成峠』へ。 ここは車でしか行けない様な場所だったので、誘っていただいてとても感謝してます。 お天気はいまひとつでしたが、車内の雰囲気は楽しくあっという間に到着。 駐車場の一角に碑が建っています。 母成峠は、会津若松に侵入するには最も困難な進路でした。なので、東軍本営はまさかここを狙ってくるとは思わず、守備が手薄だったのです。 まさに裏をかかれた戦闘でした。 大鳥さんと土方さんのお名前が側面に彫られています。 大鳥さんは、この峠を守備するには最低でも2千人は必要だと提言していましたが、二本松奪還の為に兵を多く割いてしまった為、わずか8百人ほどで守る羽目になってしまったのです。 碑の裏から、眼下を望む。 霧が濃いです。 攻撃当日もこの辺りは濃霧が立ち込めていたとあります。 更に車で北に少し進むと旧幕府軍兵士の埋葬地「東軍殉難者慰霊碑」があります。 戦死した東軍兵士の遺体は埋葬が許されず放置されていました。それを哀れに思った地元の方々の手によって、極秘に埋葬されたのです。 明治維新以後は雑草に覆われていたそうですが、昭和53年に地方史研究家がこの埋葬地を発見したそうです。 会津藩家老西郷頼母の歌碑と案内板。 周りは木々に囲まれひっそりしています。 小雨が降っているせいか、落ち葉に雨が落ちる音が大きく聞こえ、正直女性1人では怖いかな、と思いました。
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法要が終わり、次の講演会の準備に取り掛かります。 阿弥陀寺周辺でビラを配ったり、会場を整えたり。 そして始まる、歴史講演会。 講演:星亮一先生 演題:偽りの明治維新 いや、もうこの方のファンの私は興奮しまくりでしたよ。 1度講演を聴いてみたいと思っていたので、念願が叶えられたといいますか。。。 講演後、ずうずうしくもお声を掛けさせていただき、握手&写真を撮って頂きました。 星先生の書かれた本を読んで、私は長州の前原一誠と奥平謙輔を知り、萩まで友人に連れて行ってもらったのだから。 隊全員で記念撮影 講演の中で、鶴ヶ城に阿弥陀寺に移築されている『御三階櫓』を復元する計画があるのだそうで。 建ったら内部は見学出来るのだろうか。 阿弥陀寺のは、外観しか見れないからちょっと楽しみです。 でも、完成は7年後。。。。 私、何歳になってるんだろう・・・
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