屋根の上のミケ

屋根の上から世の中を見渡している三毛犬(イヌ)の日記です。同じ三毛でも、猫ではなくワンコですのでご留意下さい。

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「お母さん」と呼んで死んでいった兵士らと
                   靖国神社


昭和天皇のA級戦犯に関するご発言を記した富田朝彦元宮内庁長官のメモを巡る真贋論争が、続いている。
そうした中、前回、ご紹介させて頂いた渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針内に収容されている寺田嘉信氏のコラムに続報がつづられている。

富田メモを巡る今回の論争は、さまざまな側面を含んでいるが、寺田氏のコラムの中には昭和天皇の靖国神社や戦争犠牲者らに対する思いが綴られている。私はこの寺田氏の見解に非常に共鳴するところが、多い。

かつての戦争を日本は、自衛の戦争として国と国民を挙げて戦ったのであり、最初から侵略と決めてかかるこれまでの左翼史観は、全くの間違いであることが明らかになっている。

その自衛戦争で命を賭けて戦った将兵たちの戦友同士の約束が、「靖国で会おう」だったのだ。これは、生き残った者と死者との約束でもあったのだ。

戦前、戦中を通じて、兵士らは戦死すれば、天皇陛下が靖国神社を“御親拝”下さるというのは、当然のこととして信じていた。
昭和天皇も日本のため、陛下のために死んでいった兵士らの霊を慰めるため、靖国神社にご参拝下さるのは、当然のこととされていたに違いない。

これは、昭和天皇と兵士らの「黙契」というべきだろう。靖国参拝は、天皇陛下と亡くなった兵士らとの約束でもあったのだ。

皇軍兵士は死に際して「天皇陛下万歳」を叫んで死んだと広く伝えられている。もちろん、「天皇陛下万歳」を叫んで亡くなった将兵、さらには軍属、民間人もいたに違いない。

しかし、六年半を現役兵として最前線ばかり転々として戦ったわが家の年寄りは、幸い生きて本土の土を踏むことが出来たが、戦地で亡くなる兵士らの様子をこう語った。

弾に当たって重症を負っても「天皇陛下万歳」なんていってるやつは、まだ体力があって死にはしない。
しかし、そのうちに体力がなくなって「お母さん」と呼ぶようになると、もうだめだ。

「兵隊は、死ぬ時には皆“お母さん”と呼んで死んでいったんだ」。
「“天皇陛下万歳”なんて言って死んだやつは、まずいない」。

わが家の年寄りは、折りに触れてこう語っていた。

兵士らが、最後に「お母さん」と、呼んで死んでいったにせよ、「靖国で会おう」という戦場での約束は、いささかも揺るぐものでは、ない。わが家の年寄りも、折りに触れて地方から上京し、靖国に参拝していた。

たとえ、「お母さん」と呼びつつ息を引き取ったにせよ、「靖国で会おう」という約束もまた信じつつあの世に旅立って行ったのだ。「靖国で会おう」は、生きている者と、死んでいく者との約束でもあった。

昭和天皇は、A級戦犯と呼ばれる戦争指導者らに対するお気持ちとは別に、「靖国で会おう」といいつつ死んでいった250万柱の英霊との約束を強く感じていらっしゃったはずだ。

この兵士らとの約束を妨げたものは、何だったのか。今回の、富田メモは、改めてこの疑問点に光を当てる結果になった。

1975年の三木首相の公的、私的参拝論なのか。A級戦犯全員の合祀なのか。松岡、白鳥両外交担当者の合祀なのか。

富田メモの出現を奇禍として、ぜひ、昭和天皇の御親拝を妨げたものは、何だったのか、明らかにしてほしいと願う。

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<以下は引用コピー>

【渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針  第510号】より
 http://www.melma.com/backnumber_108241/

【富田メモの信憑性2】

          寺田嘉信



インターネットの2CHが、富田朝彦宮内庁長官(故人)が残した靖国参拝中止に関する昭和天皇の発言をめぐって、真贋論争を繰り広げている。一方、新聞・テレビは押し黙ったまま。

「マスコミは怪しからん!」という向きもあるが、各社とも黙殺しているわけでない。日経のスクープは今年度の新聞協会賞ものだから、各社とも真贋を含めて、このスクープの背景を追っている。

スクープの背後には、圧倒的に優位となった安倍官房長官を狙い撃ちした政治的陰謀説も浮上している。まだ風評の域をでないが、これもマスコミは夜討ち朝駆けで政治部や社会部が追っている。

2CHの真贋論争は匿名の投書なので、直感で発言する傾向がある。いわゆるネットウヨ(右寄り)とネットサヨ(左寄り)のチャンバラ劇を呈しているが、これ自体は健康な動きとみていい。戦前なら右翼の暴力的な行動が頻発していたからである。

スクープとなった日経も第二、第三の記事を書いて、贋作批判に応える必要がある。それをしなければ、贋作批判から逃げ回ることになる。新聞協会賞はおろか日経の信用を落として、部数を減らす瀬戸際にあると覚るべきだ。

ニュースを抜かれた側の各社は、贋作の疑いを追う姿勢が基本となる。贋作でないと判れば、スクープの背後に政治家が関与したか、否かを追う必要がある。これは憶測で書けるものではない。

これだけ世間を騒がしているのだから、富田家もマスコミ取材から逃げるわけにはいかない。富田メモや日記を日経に提供したいきさつ、根拠を明らかにして、いろいろな疑念を払拭する努力が必要だと思う。

昭和天皇がA級戦犯の靖国合祀に疑問を持っていたことは、戦後史の各種資料でほぼ解明されている。だが、戦犯として処刑された東条英機元首相らを憎んでいたのではない。

自らの戦争責任について率直にマッカーサーに述べている。とくに東条元首相に対する信頼の度は厚かった。それは処刑後の東条家に対する昭和天皇の態度でも明らかにされている。

戦前の日本の軍隊は”皇軍”といった。天皇の軍隊だったのである。その名のもとに多くの兵士が、祖国を遠く離れた地で屍をさらしている。靖国神社は、その兵士たちが魂魄となって戻るところであった。

A級戦犯は連合国が裁いた軍事裁判で罪を問われ、戦争責任を背負って絞首台に登っている。一般の兵士の遺族の心情を思う時に、戦争指導者だったA級戦犯を靖国合祀するのは、国民感情が許さない・・・昭和天皇の思いは、そこにあった。

平和国家として再生した戦後日本にあって、昭和天皇は自らの戦争責任と股肱の臣だったA級戦犯に対する思いは終世変わらなかったと思う。二度と戦争はしないという戦後の誓いは、苦渋の中から生まれている。

A級戦犯の靖国合祀が政争の具となり、政治利用されたら、昭和天皇の意に反するだけでなく、戦後、民主化された日本国民から手厳しい反発を受けるであろう。

父親が靖国神社に祀られて屍がシベリアに眠る痛恨の地を、私は二度にわたって訪れ、シベリア各地に残された犠牲者の日本人墓地を巡拝してきたが、遺族ならずとも異境に眠る日本人の墓を詣でて、平和の誓いを新たにして欲しいと願っている。それが右翼思想といわれるなら甘受する。(2006・7・25)

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