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タイの東はカンボジア、西にビルマ(ミャンマー)がある。
東、カンボジアとの国境沿いには昔いくつもの難民キャンプがあった。
西、ビルマとの国境沿いには今もいくつもの難民キャンプがある。
1992年に、カンボジアの政治決着と共に閉じた「カオイダン」キャンプ。中にいた約1万5千のカンボジア人たちはなんの保障も無いといっていい祖国へと送還された。
あれから20年。難民キャンプの跡は森林公園となり写真のような光景に変わった。
後ろにある山の名が「カオイダン」。大きな山とか大きな象の山とかいう意味だったと思う。
このキャンプ跡を時おり外国人たちが訪ねてくるという。ここで働いていたボランティアの人々だ。わたしも1986年から1年間をここで働いた。昔の痕跡がまったくといっていいほどなくなり、すっかり深い森になってしまったこの光景を見て、彼らは肩を落として帰っていくのだという。あの頃の想い出の喪失感に打たれるのだ。今回のわたしのように。
そしてこちらは西の難民キャンプ。
ビルマ国内の少数民族カレン族を主に収容する。
今回始めて目の当たりにしたのだが、往時のカオイダンと全くちがうと感じたのはその「恒久」感だ。
ここはもう難民キャンプではなく、ひとつの町である。家屋数5万戸、人口10万人の町である。堂々と商業が営まれ、子供たちはネットと携帯ではしゃいでいる。だからそれでいいというのではない。人間にとって決定的な基本は失われたままだ。
これらの難民キャンプはタイ政府によればあと5年で閉鎖される予定だ。そのあとどうなるのか。彼らが祖国ビルマに還るとは思えない。いまのビルマの国内状況では生きることさえ難しいと彼らは思っている。タイの中に忍び、なんの保障もない人口としてサバイバルしていくのだろう。キャンプの閉鎖は単にタイとビルマ現政権との面子のなす業である。
そうした流れをひっくり返そうという事態が準備されつつあるが、
それはまたいつかこのブログでも紹介できると思う。
下の文章は国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のHPから。
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ミャンマーの人口は約5200万人で、ビルマ族が約70%、残りの30%は100以上の少数民族から成る多民族国家です。1886年にイギリスはビルマを植民地とし分割統治を行い、トップを英国人、行政をインド人、そしてカレン族を警察および軍人としてビルマを統治しました。このことが今日のビルマ族とカレン族の紛争の要因といわれています。
第2次世界大戦で日本はビルマ族と組んで、イギリスとカレン族を追い出し1942年ビルマを占領しましたが、日本の戦況が悪化すると、ビルマ軍はイギリス軍と組み、1945年日本軍を撃退しました。1948年にビルマはイギリスから独立しましたが、ビルマ政権は少数民族の権利を認めなかったため、1948年カレン族のKNU(カレン民族同盟)は武装蜂起しました。それ以来紛争が続いています。ビルマは1962年より社会主義体制となり、1988年国軍のクーデターにより軍事政権が樹立され、民主化が進まないまま今日に至っています。
1948年以来続いているミャンマー政府軍とカレン族など少数民族の間の紛争と、ミャンマー国内で起きている人権侵害により、1984年よりミャンマー難民がタイに流入し始めました。タイ国内にはミャンマーとの国境近くに9つの難民キャンプがあります。タイのミャンマー難民キャンプは、世界で最も長く存在するキャンプの1つで、キャンプ内で生まれた世代もすでに自分たちの子育てに入っているほどですが、タイの法律では、難民はキャンプ外へ出ることは許可されていないため、限定された敷地内での生活はストレスに満ちており、家庭内暴力、レイプ、薬物依存が慢性的に発生するなど、社会面、心理面、安全面での懸念を生んでいます。
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ビルマ(ミャンマー)
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やはり戦争の傷はまだまだ残っていますね。
この間、ミクロネシア大使の講演の仕事をしてきました。
島国同士で、日本の鰹節半分はミクロネシアからだそうで、
一見、国交もうまく行ってる様に見えますが…。
考えさせられます。
2011/6/21(火) 午後 3:41 [ K♂chan ]